会社や社会を変えようじゃないか。

 
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 なんでだろう〜という素朴な問いを問うことが馬鹿げたことではなく、素朴な疑問こそが意味あるね〜と思われつつある今の風や匂いを感じています。 普通の個人の素朴な疑問や思いをつなげること何かが生まれる時代のインタラクティブな存在でありたいと思っています。
 
★★掲示板★★は、私が おもいつきをカキコんでおりますが、それとは関係なく、 なんでもカキコいただければ幸いです。もちろんメールも大歓迎(^0^)です 。
 

4月27日 日曜 晴れ

わが子を不登校と決め付けるには時期尚早ですが、不登校に関連した本が多数出版されているのには驚きました。問題意識を喚起され、文部科学省のデータから次のグラフを作成してみました。

年々、伸びの一途をたどっていることがわかります。では、在籍者全体にたいする不登校の比率はどのように推移したのかをまとめてみました。

2000年時点で、在籍50人に対し1人程度の出現率ですが、見逃せないのはこの伸び率です。ここ10年で6倍の伸びです。この伸びは特許出願件数の伸びをも上回る勢いです。知識社会化と不登校の増加の関連性はいかに。ほんとうに勉強したいという目を持った知識欲旺盛な子供は学校に往かないかもしれません。もちろん、いろんなケースがあり、一概には言い切れませんが…。

4月24日 木曜 うす曇り

落ち着けば、コトバが生まれる。そして、それは心に響く。落ち着きがないと…

4月23日 水曜 曇り

今日は娘が小学校に行きました。(^0^)。
自分のことは自分で管理できるので、簡単。また、コンサルティングということでも、基本的に確立された方法論にのっとって動いていくし、また、相手も大人なので、比較的簡単。
しかし、子供となるとこんなに難しいのはなんでだろう???
私が小学校のときは学校に行くのがあたりまえ。空気を吸う、そして、吸った空気は吐くという無意識の呼吸と同様、学校に行くということは自然なことだった。学校に行かないなどという選択肢はなかった。。。でも、今の時代、その選択肢はアリなんですね。

もうひとつ。壁をつくると内外圧差で息苦しくなる。壁をつくらなければ、インタラクティブが自然にながれ、内外圧差は発生しない。助けたり助けられたり。いったい、壁をつくってるのはだれ???

4月22日 火曜 晴れ

昨日のことです。いつもどおりの朝が始まるかと思っておりました。

7:45 高一の娘、7:55 小二の娘、
そして、9時過ぎには家内が出発し、
私は静寂の中で執務に集中することができるはずでした。

ところが、アクシデント発生。
小2になったばかりの娘が、「学校いきたくない!!!」と泣いているのです。

心苦しい時間が流れます。

なだめすかして学校に行かそうとする母親の努力もむなしく。
友達がいやなの?と母親が訊くと「ちがう!!」
先生がいやなの?と訊いても「ちがう!!」

上の娘は学校大好き少女だったので、
わたしたちはこの状況に困惑。

そんなとき、頭にピンとくるものがありました。
あ、これかな!!!

早朝、私は加藤先生著「独学のすすめ」のごく一部をスキャナーにかけておりました。

この箇所です↓

@日本の学校教育は、ひとりひとりの人間の自発的な、学ぼうとする気持ちをのばしてゆくことよりも、むしろ、つぎからつぎへと新知識を押しつけることに終始しているようにみえる。

Aひとりひとりの好き、きらい、得手、不得手にかかわりなく、なんでも画一的に押しこむことがこれまでの日本の「教育」というものだったのではないか。

これは28年も前の著作ですが、幸か不幸か、いまだにそのご指摘は生き続けているようです。

問題は、先生でも生徒でもなく、制度。

「制度が変わらないのはなんでだろう???」

4月21日 月曜 晴れ

特許の時代だね。下のグラフは特許庁のサイトより引用。

4月20日 日曜 小雨

特許権とは?
 
 俗に「発明」と呼ばれるものに与えられます。特許法の第2条第1項では”この法律で「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。”と定義づけられています。 そしてそれには”物”、”方法”、”物の生産方法”の三つのタイプがあり、…
出典:日本弁理士会オフィシャルサイト

21世紀はますます特許など知的財産の時代ですね。ちょっと前までは、土地と建物だったけど。

4月19日 土曜 晴れ

今日は朝早々に脳みそというか後頭部をブルース・リーにものすごい勢いで回し蹴りをされた衝撃です。

「どんな職業でもその人となりが出る。」  ビシーッ☆〜

そう、カキコにも十分に人となりが出てしまう。

反省反省。

4月17日 木曜 晴れ

「創造的開発の基本は現状に決して執着しないことである。今まで培った技術やノウハウや経験を捨てることは決して容易ではない。しかし、経験という過去と現在を分析し、解析し、昇華させ、エッセンスだけを残し、 あとは思い切って捨てる のが成功への一歩である」

出典:嶋 正利 (著)マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004

4月16日 水曜 晴れ

昨夜のプロジェクトX,は衝撃的だった。ソフトウエア界に米国一の富豪として君臨するビル・ゲーツと基本ソフトは無料であるべきだとする坂村健を対比的に描いていた。誰もが使えるOSとして95年にウインドウズが発売されるが、何とその11年も前に坂村のトロンは考案されていた。

「基本ソフトは情報化社会の基盤。空気や水と同じ」と考えた坂村は、トロンの仕様書をなんと全世界のメーカーに無料で公開。たちまち内外140社が集まりプロジェクトが結成された。大手メーカーは次々とトロンで動くパソコンを試作。誰でも簡単に使える分かり易さと軽快な動きで評判となった。

しかし、1989年、そこに超大国アメリカが立ちはだかった。日本に対し、小中学校で使うパソコンの規格をトロンに決めるなと迫ってきたのである。(スーパー301条) 自動車やVTRで日本に圧倒され巨額の貿易赤字を抱えたアメリカは、輸入制限や報復関税の制裁措置をちらつかせていた。メーカーは次々とトロン・パソコンから撤退を余儀なくされた。まもなく世界市場を制したのはウィンドウズだった。パソコンの心臓部を握られた日本メーカーの利益率は低下し、基本ソフトを持たない弱さを痛感させられる。

窮地に追い込まれたトロン・プロジェクト。しかし、坂村と技術者たちは諦めなかった。「もの作りには自由に改良できる自前の基本ソフトが欠かせない」と各地で技術者たちに訴え、トロンのバージョン・アップを重ねた。逆境の中で技術立国のもの作りの将来のために闘い続けるメンバーの情熱は、革命的な新商品との運命的な出会いを呼び込んでいく。
(一部NHKのサイトからの抜粋)

年代が前後するが、次は、1987初刊、坂村健著「TRONを創る」共立出版から引用

やってみてつくづく思うのは,コンピュータのアーキテクチャやオペレーティング・システムを世界に広めようというのは気の遠くなるくらい大変だということである。技術論だけでなく,説得して使ってもらうための説得論も大事だ。  プロジェクトを始めたときに比べればずいぶん風向きが変わってきた。世の中ずいぶん変わったと思う。はじめこそ独自OSは無理という声は多かった。日本人が作ったアーキテクチャやオペレーティング・システムで世界的に流通しているものがないということは残念だけど絶対的な事実である。世界の多くの人たちが使っているアーキテクチャ体系で日本人が考えたものはない。 だから,やろうと言っているのではないか。 ないからやろうと言うのに,実績論を持ち出す人がいて困った。そもそもそういう人には黒船,島国根性がしみついていて,何か新しいことをやろうとすると,すぐに「だめだ」とか「うまく行きっこない」,「TRONなんて存在しない」とか言う。同胞のやる仕事を評価したがらず,アメリカ人を今でも偉いと思っている人がいる。(でも実際に偉い場合も多いから頭が痛いが)だいたいそういうことを言う人に限って,自分では何もやっていない。

4月15日 火曜 雨シトシト

ここのところ、新しい着眼はない。こういうときもあるよね。でも、ナレッジマネジメントは加筆更新しました。ご意見ご感想をおねがいします。

4月9日 水曜 快晴

私はNHKの朝ドラを見ている。「こころ」の作者を知りたくなった。次はNHKサイトからの抜粋である。

「君、書けそうだから書いてみれば」と言われて以来、私は思いっきり道を踏み外して脚本家になってしまった。深い考えも強い決心もなかったので、「夢が叶(かな)ったわ!」という喜びもなく、まだまだ遊びたかった20代に次から次へと仕事をするだけで、気がついたらあっという間に30歳になってしまうのではないかと、ただただ焦っていた。20代のオンナの子のほとんどがそう恐れるように、私もオンナは30になったら終わりだと思っていたから。
「なぁんでこんなことしてるんだ?」と、書いている意味すら見失い煮詰まっていた私を見かねたある監督がこう言った。
「自分はいつも現場で擬似恋愛をするんだ。それはもちろん主演女優の場合もあるし、メイクさんや衣装さんだったりする時もある。 ま、言ってみれば相手は誰でもいいんだ。でも、誰かいるかいないかっていうのは大きく違う。どんなに朝早かったり寒かったり疲労がたまっていたりしても、ドキドキして現場に行くのが楽しいし、あの子のために頑張ろうとか、いいところ見せなくちゃってリキが入るんだよ」
誰かのために頑張る――――到底ムリなことでも、明らかに自分が損をしてしまうような場合でも、「この人のためなら」と一肌脱いであげられること、言い換えば、それは「心意気」ということなのかもしれない。
当時、私が頑張れなくなっていたのはそんな心意気がなかったからだ。年を取ると自分のためだけには頑張れなくなるという。「頑張って」と声をかける人がいて、「おう、頑張るよ」と答える人がいる。もう歩けなくて、みんなが自分を見捨てて行ってしまう時にでも、おぶってでもひっぱっていってくれる人は必ずいる。一人じゃないよ。みんな誰かに応援されている、見守られていることに気がついて―――そしてどんなに自分が打ちのめされてしまっている時でも、それに応える心意気を思い出して欲しい。
そんな想いをこのドラマの主人公“末永こころ”に託しました。

青柳 祐美子…【profile】
神奈川県出身。上智大学比較文化学部卒業。主な映画「友子の場合」「もう一度逢いたくて」など。NHKではハイビジョンドラマ「蒲生邸殺人事件」、水曜ドラマの花束「ただいま」、月曜ドラマシリーズ「生存・愛する娘のために」などを執筆している。
 

4月7日 月曜 快晴

今日は、新入生の初登校日。小学生も高校生も。お母さんたちも新入生って感じだね。さて、今日の気づきはこれとは余り関係ないかな。
【ココロは響きあう。】
良い局面でも。悪い局面でも。
だから、ココロをしっかりと経営することが大事だね。
この脈絡では、誰もが経営者だね。こういう脈絡で理解すると経営学部がいろんな学校に生まれてきた理由も理解できなくもない。

4月4日 金曜 晴れ

厳然とした未来がそこにあるのではなく、人々の共感を集めた予測が未来になっていく。共感を集める予測とは、漫画(鉄腕アトム)、計画(アポロ)、夢、構想、宣言(マルチン・ルター)など。大小含めて無数のこんなもの。 その発生点が無名の個人であろうが、ケネディー大統領のような公人であろうが、企業人であろうが。 そして、いろんな組織の無名の個人が同じようなことを言い出したり、書き出したりする。

4月3日 木曜 曇りのち晴れ

会社を変える、社会を変える、と目を外に向けているとついつい忘れがちなのが、「自分を変える」ということ。

ここで思い出すのが、3月初旬にここに書いた加藤秀俊先生の50年前の卒論の一節。

社會の発展というマクロ的運動は、そこに住むひとびとの、ミクロ的な日々の生活から生れてくるという認識(それは、マルクス主義にとって当然のことなのだが)がこれである。換言すれば、現在の「個人」が生長し、目ざめてゆくそのひとりひとりの過程こそ「発展」を生み出す力がひそんでいるのである。

出典:加藤秀俊氏 
卒業論文(1953)