会社や社会を変えようじゃないか。

6月30日(月)

寝禅

 今朝から寝禅を再開した。寝禅とは、朝起きる前に布団の上でおこなう気功、呼吸、ヨガである。こんな言い方をする人はいないだろうな。寝たままだから腰痛の残りが少々残っていても大丈夫。気に満ちた一日を始めることができる。

 この寝禅を知ったのは5年以上前。その後、ヨガに集中していたので、この寝禅を忘れていた。「宇宙とつながる気功レッスン」は気功をやさしくかつわかりやすく解説いただいている最新愛読書であるが、寝禅は河野十全著「気で鍛える」にわかりやすく解説されている。

 

6月29日(日) 晴れ(暑くなりそう)

雑談の効用

 1981,7月、工場研修や販売研修を経てアパレルの商品企画に着任した。仕事が企画ということで、加藤秀俊著「企画の技法」を購入した。もう、22年も前の話だ。企画の仕事を与えられたのだからそれをまっとうするために企画を学ぶというのはまっとうな手段だと思うが、「企画マンが企画の本なんか読んでてええんかいな!?」と先輩から揶揄された。その後、6年間、アパレルの企画をしてからこの会社を離れた。

 2003,6月、再びこの本を手にした。目についたことばは、「雑談の効用」。このことばは、少々の企画の経験を振り返って深くうなづける。わたしは、雑談の効用はわかるが、それをどう表現したらいいかがわからない。加藤先生はこの効用を3点に集約している。

@自由にしゃべる「雑談」には精神のひらめきが用意されている。

Aそれをつうじてみんなが物識りになれる。(なんと、加藤先生は知識の7割は雑談から獲得されたらしい)

Bひとの気分をゆっくり自由にさせる。

 そして、加藤先生はアルコールの効用を否定していない。私は今、ビールを飲みながら、この本との22年ぶりの再会をかみしめている。

 

6月28日(土) 降ったりやんだり

 この漢字に対する見方が変わった。冷淡、淡白、淡々と、淡から連想される漢字はなにかをうすめたものという印象だった。しかし、今朝、目にした本「宇宙とつながる気功レッスン」で淡パラダイムが変わった。(この本については6月23日にも言及しています)

 料理と同じで気を練るのも「火かげん」が大事らしい。火かげんを調節するのは、呼吸と集中力。そして、考えない悩まない。練習あるのみ、気楽に繰り返す

 すると、加減がわかってくる。多いでもなく、少ないでもなく、いい加減。このいい加減のことを「淡を保つ」と言うらしい。気功中にあらたな現象が起こってくると興奮する著者に、気功の先生はいつも「淡を保て」と言ったらしい。無関心でもいかんが、喜びすぎもいかん。

 火と水。火の熱意、水の冷静さ、これを同時に保つことが淡。水で火を消してはならない、また、火で水を消してはならない。

 そして、この漢字には、左側には水、右側には火がある。さっそくこの本を購入しよう。

 

6月27日(金) 快晴

渡辺真知子

 きのうの夕方、NHKをつけたら神奈川県特集とやらで渡辺真知子がでていた。はっきり言って、年齢相応の体形。顔は別として体形は…。年齢的にはわたしと全く同じ。神奈川のよさをあれこれPRすることばが続いた最後、真知子バンドの演奏が始まった。かもめが翔んだ日。体形こそそれなりであったが、歌はうまくなっている。1978年の曲。21歳。わたしは江戸川でボートを漕いでいた。学生時代。あのときから25年の歳月が刻まれいる。

 この25年で詩も曲も変わっていない。変わったのは彼女の歌い方。勿論、今日、ネットで購入した当時の歌い方もわるくはない(でも、ギターの刻み方に時代を感じる)。きのうのバックをつとめたのはオヤジ3人。左側からドラムス(はげたひげオヤジ、なかなかいい味)、キーボード(松本零士と同じような帽子をかぶったオヤジ、うまい)、フルートとアルトサクス(オヤジだけど真知子さんより若そう)。

 歌もよかったが、演奏がまたよい。特に、キーボードのオヤジは実に歯切れよい。ベースなしですんでしまうのはこのオヤジの力量。ベースが足らないとは感じさせない。

 

6月26日(木) 降りそうで降らない

不思議な連鎖

 きょうは、「森は海のおふくろ」という題名で書き出そうと、スペイン北西部のリアス式海岸で豊かな漁場になっている場所の名前(ガリシア地方)を本で確認したら、なんと、そのそばには世界三大聖地のひとつ、サンティアゴ=デ=コンポステーラがあると書いてある。

 コンポステーラとは、先月、サイトのリンクに新たに追加した和貴水 唯さんのサイト名と同じ。そして、スペインといえば、お恥ずかしながら今月冒頭に初めて読み終えたドン=キホーテの生まれた国。

 話はもどるが、「森は海のおふくろ」ということばは、海産物の豊富なスペイン北西部のガリシア地方にあるらしい。森が川を豊かにする、川が海を豊かにするという因果律をあらわしている。

 わたしがいま手にしているのは、三陸海岸で40年前に初めてホタテの養殖に成功した畠山重篤さんがお書きになった「漁師さんの森づくり」という本です。

 学校で学んでどうこう、会社で学んでどうこうという次元ではなく、地元でしっかり根を張ってそのまま世界とも繋がっていくというありかたに新鮮な驚きを感じました。関連として、6月12日のことば抄を。

6月12日 木曜 霧雨

日本の「根っこ」にある着実な知的活動

この言葉、今朝みつけました。

「学問だの芸術だのというと、すぐに大学の先生だの職業的芸術家だのを連想してしまいますが、この三日間、わたしが勉強してきたのは「在野の学芸」です。山浦先生の本職はお医者さん。畠山さんはいうまでもなくカキの養殖業者です。それでいて、たいていの専門学者よりすぐれた発想と実行力をもっておられます。 」

出典:加藤秀俊データベース(掲示板)

 

6月25日(水) スコールのような雨 爽快

求めるココロの清らかさが受信の周波数となる

 求めよ、さらば与えられん。

これで、50mも歩けば革靴の中は水でガボガボ。すごい雨。こんな凄い雨は久々だ。でも、爽快。

 雨が上がった。小鳥がさえずりだした。

 

6月24日(火) 降ったりやんだり

腰痛がつづいている

 金曜の晩に痛みが発症し、土日は通常散歩しないので、これが影響し腰の血行がいまだ改善せず。二日休んだ分を二日では取り戻せない。ここで、ギーターの第二章14節を。

寒暑 苦楽は

きせつのめぐる如く去来するが

すべて感覚の一時的作用にすぎない

それに乱されず耐えることを学べ

 

6月23日 月曜 降ったりやんだり

何も考えるな、自然であれ

 「宇宙とつながる気功レッスン」からの引用である(↓)。

 「何も考えるな、自然であれ」とよく先生は言った。「為す無くして為さざる無し」とも。また、おもしろいのは「いっしょうけんめいやりすぎてはいけない。適当がいい。適当にやれ」という教えだ。若い頃、先生は真剣にやりすぎて、逆に気の自然な流れを止めてしまうようなことがあったのだ。これらの教えの一言 一言の背景には、過去の先生自身の失敗と発見がある。だから「適当にやれ」という一言もなかなか多くを含んでいるのである。

 勉強につけ仕事につけ、考えるということを重視してきたので、「何も考えるな」ということばは新鮮だ。学校のテストで100点満点をとることは可能だ。だって、学校のテストは人のつくったものだから。しかし、実社会のテストでそれをすることは学校のそれとはわけが違う。人智を超えたなにかとうまく調和しないとうまくいかない。考えているとどんどん視野が狭くなるが、何も考えないと大きな流れや些細な変化に対する感度が鋭くなるような気がする。

 こんなことを思っていると眉と眉の間がモヤモヤとしてくる。うん。わかった。自然の流れ、自然のリズムだね…

 

6月22日 日曜 快晴

相互に可能性を開花させうるような関係

 こんな関係を「シナジー」ともよべるだろうか。この一節は、加藤秀俊著「人間関係」の終章にあり、同著「人間開発」のまえがきにもある。

相互可能性を開花させうるような関係

ではなく

相互可能性を開花させうるような関係

 「の」ではなく「に」であることによって、限定的、対象志向ではなく、地に足を付けた内発性を感じさせる。この文章にわたしは釘付けになった。つぎの数行は引用である。

「人間関係が大事なのは、相手と仲よくするためではない。相手とうまくやってゆくという意味での人間関係なら、誰だってできる。ニコニコしていればよいのである。人間関係のほんとうの問題は、それが自分の可能性をどこまで跳躍させるてくれるかという問題だ。よく組まれた人間関係というものは、当事者同士のピストン運動を活発にし、相互に可能性を開花させうるような関係のことなのだ」

 忘れちゃならない今日のことばは、肉体的代謝と精神的代謝。肉体が代謝し常に細胞が生まれ変わるように精神も外部とのコミュニケーション、インタラクションによって生まれ変わるという加藤先生の慧眼。精神的代謝。けだし名言。

6月21日 土曜 快晴(梅雨の中休み) 

振り子

 いやいや、お恥ずかしい。昨日は使命感について息巻いてはみたものの、実際、書こうとすると書けない。自己嫌悪ほどではないが、浅学非才ということばが浮かんできた。ギーターに着眼したまではよかったが、そのあとを続けることにまだ力量が不足していることを知る。

 ご参考まで、まとめたのは次のもの(↓)

人類史上、愛において最も秀れた人はイエス。

最高の人格者はブッダ。

そして最上の智慧の書はギーター。

14章(物質世界の3性質(グナ)

この物質世界には、3性質(グナ)、

すなわち、サットワ ラジャス タマスがある。

魂がこの物質世界にふれると3性質(グナ)によって束縛される

サットワは他に較べると
清らかで光り輝き 健康的であるが
幸福を求め知識に憧れるということで
肉体をまとった魂を束縛する

ラジャスは
際限のない欲求と切望である
この性質の作用は 人間を
物質的利益 のある仕事に縛りつける

タマスは
肉体をもつ魂の迷妄である
この性質に支配されると
狂気 怠惰 冬眠に束縛される

1.美に対する執着と束縛

2.カネと仕事に対する執着と束縛

3.怠惰に対する執着と束縛

 そして、腰痛が始まってしまった。まだ、身動きできないというほででは無いが、姿勢を変えるとちょっと痛い。昨日から家内が気功の本を読んでいて、ズバリ指摘された。『邪気がたまっとるな。』うううー。返す言葉も無い。

 家内がその本「宇宙とつながる気功レッスン」を勧めるので、「はじめに」を読んでいると、ギョッとする一文が…「生活に戻りなさい。返ってまず生活を作るんだ。結婚して仕事を持って、まず生活そのものが気功だということを練習しておいで」と著者は中国の師からさとされる。

 奇遇か必然か、ナレッジマネジメントセミナーの注文が舞い込んだ。わずか2時間のセミナーでも、理解をライブな状態まで高めるのに結構な準備が必要。

 そして、早速、セミナーの内容で一番不確かな部分を補強しようと今朝からネットサーフィンをしていたら奇遇にも認知科学(cognitive science)ということばに遭遇。認知科学とは、脳や機械が対象物を理解するプロセスを研究する学問。もちろん、サトリとは無縁ではないのですが、まずはここをしっかり勉強なさいという天啓と感受しました。蛇足ですが、IT系には霊的体験者が多いです。

Beyond the Information Revolution

"What we call the Information Revolution is actually a Knowledge Revolution. What has made it possible to routinize processes is not machinery; the computer is only the trigger. Software is the reorganization of traditional work, based on centuries of experience, through the application of knowledge and especially of systematic, logical analysis. The key is not electronics; it is cognitive science."

- Peter F. Drucker,
The Atlantic Monthly
October 1999

6月20日 金曜 薄晴れ 

使命感

  ふとこのことばを思い出した。エゴからではなく、何かもっと別の大いなるものから突き動かされるときに感じるもの。カネ、仕事、カネ、仕事、夢、長期バカンス、家族、カネ、仕事。カネと仕事を主に追求し、「使命感」という言葉と遠ざかっていたことを実感した。

 と同時に、もしやこれが使命感かなというものを感じた。それは、ここ数日、言及し続けていたバガヴァッド・ギーターである。18章からなる壮大な「神の詩」である。道元の「正法眼蔵」と同様に難解である。この解説をと考えた。その解説書は既に大師たちがあらわされているが、私から見て、その解説書自身が難解というか1000ページをこえ、気軽にはとっつきづらい。気軽に親しめる解説書、入り口となるもの。ここで、ソローの名言を拝借。

"Read the best books first, or you may not have a chance to read them at all."

6月19日 木曜 薄晴れ 

切磋琢磨

  暑い、暑い、暑い。今日は30℃、真夏並みの暑さ。こんなときこそ、自分を磨き高めるチャンスだ。暑いからこそ、時折吹く風がありがたい。といって、ありがたがるのもひとつだが、ギータからの引用をひとつ。

(2−14)

クンティーの息子よ 寒暑 苦楽は

夏冬(きせつ)のめぐる如く去来するが

すべて感覚の一時的作用にすぎない

アルジュナよ それに乱されず耐えることを学べ

  あと、昨日に追加。みんな40代なかばから50前後でよきおじさんだ。なかにはスピリチュアルな人もいたが、全体としては…。銀行は所得が高く、総研も同様だ。ここに符合するギータを。

(2−44)

富の蓄積と感覚の快楽(よろこび)に執着し

その追求に右往左往する人々の心には

真理(かみ)を愛し それに仕えようという

決断がおこることはないのだ

6月18日 水曜 薄曇り ときどき雨 

OB会

 今日は生きているのが精一杯。なにをする気力も湧かない。なぜなら、昨夜は三和総合研究所コンサルティング部1990年キャリア入社組みのOB会が初めて開催され、新橋で飲む、飲む、飲む。この飲みだけなら体調を崩すほどではなかろうが、私の場合、その前にいつものように結構飲んでいた。飲んでるときはまあまあだけど、その後のキックバックが辛い。この因果を理解しているものの、ついつい飲んでしまう。

 集まれたのは8人。8人中4人はUFJ総研在職で、他の4人が京急百貨店部長、ヤフー業務監査室長、CAC取締役経営統括本部長と私。それぞれがそれぞれの価値観でそれぞれの人生を歩んで いる。共通点といえば、三和総研創業の間もなき頃、同じ年に入社したということ。

 今日は不調で文章が湧いてこないので、ここまで。

6月17日 火曜 雨のち薄曇り 

バガヴァッド・ギーター (THE BHAGAVAD GITA)

楽器は音が狂うから、ときおりチューニングが必要。楽器の演奏が職業ともなれば、ときおりどころか、演奏の前に必ず。。一方、人間の言動やそれの発生母体である思考や精神はどうだろうか。

楽器のチュニングには音叉やチューナーが基準を示してくれるが、人間を霊妙なる波動に戻してくれるのが真理をあらわしたことば。

(5−20)

自己の本性を覚った人は

愉快な事物に会っても喜ばず

不愉快な事物に会っても悲しまない

二元相対を超えて遍照光明(ブラフマン)[1]の中に安住している

1] ブラフマンは宇宙に遍満する光輝

6月15日 日曜 うす晴れ 

 茄子やだゴニャ。ロシアの若手女性二人組の大ヒット曲
Nas Ne Dagoniat
音楽もさることながら、絵が最高に笑えます。
http://www8.plala.or.jp/Laputa/menu/flash/
大崎まりあさんのサイト「まりあニュース」でみつけました。

  また、このロシア語の意味をこちらのサイトで発見。

6月14日 土曜 うす晴れ むしむしする

信仰と疑惑

 新約聖書を読みながら、先日ゲーテが見せてくれた一枚の絵を思い出した。それは、キリストが海の上を歩いてわたっており、ペテロがキリストに近づこうと波の上をわたりながら、思わず気おくれしたとたん、水中に沈みはじめるところを描いだものだった。

 「これはもっとも美しい宗教伝説の一つで、特に私の好きなものだ」と、ゲーテはいった。「この中には、人間は信仰と溌剌とした勇気さえあれば、どんな困難なくわだてにも打ち勝てるが、反面、少しでも疑惑が起こると、たちまち滅び去るという高い教えが語られている。」

▲出典:エッカーマン著「ゲーテとの対話」

6月13日 金曜 うす曇 一時雨 午後から快晴(台風一過の天気に似ている)

上流の川の水がきれいであってはじめてプランクトンがゆたかになる、良質のプランクトンがなければカキもそだたない、という発見から気仙沼に流れこむ川を浄化するために植林…
▲出典:加藤秀俊データベース(掲示板)

自然の流れの摂理を理解したうえで人工的な努力をする。このアプローチは会社や組織における人材育成に示唆を与えてくれる。構造的に、因果的に、環境的にどうあるべきか。

6月12日 木曜 霧雨

日本の「根っこ」にある着実な知的活動

この言葉、今朝みつけました。

「学問だの芸術だのというと、すぐに大学の先生だの職業的芸術家だのを連想してしまいますが、この三日間、わたしが勉強してきたのは「在野の学芸」です。山浦先生の本職はお医者さん。畠山さんはいうまでもなくカキの養殖業者です。それでいて、たいていの専門学者よりすぐれた発想と実行力をもっておられます。 」

出典:加藤秀俊データベース(掲示板)

6月8日 日曜 快晴

最近、何年ぶりかで瞑想を再開した。瞑想とは、集中の一種。何に集中するかといえば、神。瞑想では、姿勢が大事。体の中心軸、すなわち背骨を立てる。背骨の前にも後ろにも横にも負担がかからないようにまっすぐに立てる。ブロックや積み木を高く積み上げる要領と同じ。どちらかに傾くと長く静寂に座ることはできない。ヨガでは体を曲げたり伸ばしたりねじったりするが、あれは長時間座っても体を痛めないように柔軟にするため。魂とは個人のもの。霊とは全体。魂と霊を直接に結びつけるのが瞑想。道元のいわれる只管打坐(ただひたすら座る)と同じ。情報過多といわれる時代、瞑想のひとときは新鮮。鳥の声、時計のおとも聞こえ出す。サイトの「人」にエマソンを追加する。

6月6日 金曜 快晴

なんと、雲梯をするあのハムスターをつかまえようとした瞬間に小指を噛まれ出血。んーん。雲梯をするようなハムには油断ならぬな。前代のハムはこのようなことがなかったのでつい油断。。。

本日の着眼は、「ゲーテとの対話」の「否定的なものは無きにひとしい」の一節で【バイロン卿】についてゲーテが言及している部分です。 ※ ( )内は拙者のぼやきです。

「彼はあまりにも自分自身を知らなさすぎた。毎日毎日を情熱にまかせて送り、自分が何をしているのか、自分でもわからず、また考えてもみなかった。(ワテはこれをわかろうとし考えようとしている、だから、こういう文に遭遇するのだな。。)自分はしたい放題のことをしながら(んーん、ワテのとおり)、他人にはどんなことも許さぬ(微妙)というわけだから、自分は台なしになり、世間の反感は買うということにならざるをえなかった。」

否定的なものは無きにひとしい

6月5日 木曜 快晴

シュタイナーの教育理論の秀逸な点の一つは、歯が生えかわる7歳の前と後とで教育のアプローチを変えていること。7歳以前の吸収力(自己形成力)は偉大であり、言葉や論理ではなく、気配や環境から吸収していく。だから、周囲の人間の薫陶や音や色彩が素地として吸収される。

ここに臨界点がある。7歳。センス、音感、感受性はこの年齢までに大方形成される。この時期までが「教育」と呼ぶにふさわしい。

7歳以後の吸収力も同様に偉大であるが、気配や環境だけでなく、言葉や論理から学ぶことが始まる。この時期からを「学習」と呼ぶ。

そして、この学習は学校を卒業しても続く。会社を定年になっても続く。

「教育」と「学習」をはっきり切り離して理解し、活用すべきだと私は考える。

したがって、7歳までは親や教師や社会の責任。【教育期間】7歳以降は自己責任。【学習期間】

こんな考え方は過激だろうか。

でも、現実としては、ある程度、オーバーラップするのだね。

 

●6月4日 水曜 台風4号が西日本にあり重苦しい曇り

昨日は調子が良く、散歩の途中でストレッチングをする広場(余り広くない)の木とも気が通うような感じがあったが、今日は一転、息が詰まる感じがする。

こんなときは物事や人間の美しき共通性よりも、異質性に気が向いてしまう。そして、無性にイライラする。こんなときは、Makotoさん(師 + リンク)のビオラを聴くに限る。

芸術家の価値観がひとを癒す…

 

6月3日 火曜 晴れ

秋月龍眠著「道元入門」を読むことによって、道元があらわした「正法眼蔵」に触れています。達磨が現れる前の中国仏教は錯綜し、どれが幹やら枝葉やらがわからなかった。一方、日本仏教においても同様、枝葉や幹が葛藤する状況があり、これを根本からばっさりと整理しなおしたのが道元。

葛藤。最近、良く耳にする言葉です。なにやら、もやもやとして単純明快な解が得られないときに…。しかし、葛藤するということは、やはり、根本を理解していないんだなとおもいます。

そして、葛藤の葛や藤がツル植物のことだったとは…。記念に画像を。左が葛。

 

 

6月2日 月曜 晴れるでもなく曇るでもなく 潤いをふくんだ清涼なる風…

お恥ずかしくも、ドン=キホーテを初めて読んだ。1605年に第一部が、そして1615年に第二部が出版され完成したものらしい。物語自体が面白く、世界の少年少女の心を長年つかむのも理解できる。そして、「ドン=キホーテ」が生まれた背景もさらに面白い。

ドンキホーテ以前のヨーロッパでは、騎士道物語が大流行。作者・セルバンテスは、このばかげた流行を茶化したかったらしい。そして、その着想は、セルバンテスが海賊につかまりアルジェリアで5年間の奴隷生活をおくっていたときに生まれたとのこと。

 

6月1日 日曜 晴れ

プーチン大統領は若い頃、数人で町をごろごろしている、いわゆる、ごろつきだったと語っていた。体を鍛えようとレスリングを始めた。そして、その連鎖で柔道を学ぶこととなる。相手をしっかりと研究した上で相手の力を利用するという柔道ならではのスタイルが今も外交に生きているとNHKの記者に語っていた。

かつての自分をごろつきと言い切ったプーチン。

一方、ちゃんと学校に行って、まともな会社に入って…というレールを歩かされるともなく歩いているふらふらした足取りに精神的「ごろつき」を感じるのは私だけだろうか。

中心感覚、 へそ下三寸、 臍下丹田、 四股

この4つの言葉が妙に好ましくおもえる。

生きるうえでの基礎の基礎を鍛えなおす。「四股」の習慣をつける6月としよう。

ところで、斎藤孝氏がこのへんに詳しい。私は特に氏のエッセー「サモアのバスは冷えた身体を暖める」がお気に入りである。