会社や社会を変えようじゃないか。

7月31日(木曜)

今までとこれから、そして、垂直な関係と水平な関係

  7月も今日で終わり。終わりを迎えるとその中身が良かれ悪しかれ、いとおしくなる。まだまだ、頭で生きていると思う。臍下丹田(へそ下9センチ)からの発想で、、とは頭では理解しながら、まだまだ、自分の体がそのように練り上げられていない。

 でも、練りあがっていないなということは感じられるようになった。これは、嬉しいことだ。また、努力・頑張る・必死になることのおかしさというか歪みも理解できるようになった。

 生死を分ける戦いのときに「鳥の声、風の音を聞いたか?」とは日曜大河ドラマ武蔵に時折出るセリフだが、確立された権威や長いもの、寄らば大樹の陰ではなく、「自分の魂の声を聞いたか」ということが、鳥や風に比喩されている と思う。

 そのときに、関係性は上下ではない。年齢、性別、地域、成績、職業、年収、資産、家柄、そして、才能、実力でもない。すべての関係性は水平だ。親であろうが子であろうが、若造であろうが熟練であろうが、ひとりであろうが集団であろうが。

 関係性はあくまでも水平。上でもなければ下でもない。この関係性が家でも学校でも会社でもビジネスでも政治でも…   ふと気がついた。関係はタテでもヨコでもどうでも良い。

 要はタテかヨコかではなく、その人間関係が良いか悪いかだ。たしかに、タテと悪いがある種統計的に関連しているだろうとは想像がつくが、ポイントはタテかヨコかではない。タテにはタテのヨコにはヨコの良さがある。

 ここまでわかるひとは良い組織をつくれるはずです。

 

7月30日(水曜)

土を知る

 近代文明は目に見えないものを忘れてきたと書いたが、目に見えるものをアスファルトで覆い隠してきた。それが土だ。

 昔の人は、『木を育てれば実が得られるものを、実を求めて木を枯らす』といましめました。何をするにも心眼が開かれてくれば仕事が道楽となり、生きがいになるはずです。お互いに心眼を開いた人生を送りたいものです。仏眼から見たら一切の生命のみなもとは土壌であり、健康な土壌が健康な生活や健康な社会を創り出していくものだと理解できると思います。

 上記、第二節は中島常允著「土を知る」からの引用です。

 

7月29日(火曜)

近代文明的思考パターンとは

 昨日、書いた「近代文明に染められた思考パターン」、具体的にいうとどういうことなのか、いくつかのキーワードをあげてみたい。

 戦う 争う 競う 比べる 経済効率一辺倒 …。。

 このような価値観や価値観体系をうまくまとめたものはないかなとウエブを検索すると、あるある。どれを選ぶか迷うほどだが、

20世紀,人類は大量のゴミと共に,人間をも捨てる仕組みを作ったようです。
21世紀は「環境と雇用」を考える時代である
以上2行抜粋 http://www.ietepa.org/myenvironmentalism/philosophy/strategy.html#sen

 20世紀までの考え方、価値観、信念、生き方、働き方、学び方、買い方、売り方、経営手法、などなどが21世紀だからといって突然変わるわけではないが、その方向性に向かって100年かけてじっくりと意識や常識や価値観やシステムや組織や社会が変わっていっている

 価値観体系が確立されたなかで仕事をするのではなく、

 新しい価値観体系を再形成すること自体がこの100年を生きる人々の仕事なのだと思う。

 

7月28日(月曜)

なんか、 すっかり行き詰まってしまいました

なんか、 すっかり行き詰まってしまいましたねぇ。 それはつまり、 近代文明の行き詰まりです。
 科学は、 物を物たらしめている根源の力を全く無視してきました。 日本も、 戦後はほとんど科学教育だけでしたから、 目に見えない根源に深い世界があることをすっかり忘れてしまったんですね。
 そういう世界観を欠いてしまうと行き詰まってしまうのです。 今の人は 「この世の中しかない、 この世界しかない」 と狭く見てしまうので、 生きている肉体だけが、 かけがえのないものと思ってしまう。 だから、 それぞれが御自身の命の根源をよくつかんでほしいと思います。

以上抜粋ですが、私の思考パターンが近代文明に完全に染められているのを感じます。次のサイトからの引用です。http://www.chugainippoh.co.jp/doyo/d010331.htm

 

7月27日(日曜)

おもしろいはなし

顔など容姿がきれいな人は人気がある。
心がきれいな人も人気がある。
整理や掃除のできる人も人気がある。

三つ全部がそろわずに、顔か心か整理か、
どれかひとつでもあれば人気がある。

顔も心もそうじゃなく、
整理や掃除もしない人には誰も寄り付かないらしい。

さて、そろそろ整理をはじめようkana…

 

7月25日(金曜)

キーボードが反応しない・入力できない

  問題発生。ブラウザーやワープロ、メール作成画面にカーソルが表示されいつものように点滅しているものの文字が打てない。なんたることか。これじゃ最低限のコミュニケーションもままならない。電話かFAXか。でも、インターネットを介した情報交換に慣れて、今さら電話やFAXでは重たすぎる。

 朝6時、インターネットで検索すれば何か出てくるだろうと調べ始めたがどうも求める情報にはぶつからない。そこで、ああ、メーカーの電話サポートは24時間365日だったなと思い出し、製品保証範囲を調べてみると、どうも電話サポートはカバーされていないように見えた。

 このまま打てなければ仕事にならない!と、本腰をいれてネットで調べたあげく、そのメーカーのソリューション画面にヒットした。たどっていくと、テクニカルサポートの画面が現れ、電話サポートは24時間365日と明記されている。あれ、始めの印象とは違うなと思いながら藁にもすがる思いで電話をする。

 少々待たされるものの、ちゃんと電話がつながった。症状を述べると、即座に回答が返ってきた。ちなみに、わたしの愛用はノートPC。

 説明はこうである。【バッテリーを外す。ACアダプターを外す。電源スイッチを3回押す。】そして、キーボードが生き返った。担当の方に原因を訊くと、データの入力が多くその時の環境が乾燥しているとそういうことが発生するという説明だった。わたしは脳血栓や心筋梗塞を想起した。

 ふりかえるに、この処置時間は短時間。でも、この処置方法にたどりつくまでが大変。。いちいち関連文書を読み込んでいてはらちがあかない。

 勿論、既存の文書が問題解決の処方箋となることもある。しかし、困った人の問題を解決する情報を提供できるのは人であるということを痛感した。答えを求める人と答えを知ったいる人のマッチング。24時間365日のテクニカルサポートはナレッジマネジメントのありようを美しく示している。

 

7月24日(木曜)

努力しない・頑張らない・必死にならない

  この三語がならぶとダメ人間を思い浮かべてしまっていた。努力をしない、頑張りもしない、勿論、必死になることもない。こんな人間はダメ人間だという価値観を、わたしはいつ身につけたのだろう。努力は美しく、頑張りは感動で、必死は善でこそあれ悪ではないと思い込んでいた。

 しかし、努力、頑張り、必死は良くないとする本「宇宙方程式の研究」に遭遇した。著者は小林正観、波動のようなニューエージ系のひとという印象はあったが、特に、本を読んでみようとは思わなかったが、ある霊友が紹介してくれた本がなかったので、同著者のこの本を読んでみた。

 なんと、何気なく開くページごとに、いつも文字にしたり、気になっていたことがピシッ、ピシッと出てくる。たとえば、「使命感」なしに「お任せ」でやってきた…とか。

bullet 努力とはmust{ねばならない}の世界。いやいや何かをせねばならない。自分が好きでやっていることを「努力」とはいわない。
bullet 「頑張る」は「我を張る」。
bullet 「必死」は「このままいけば必ず死ぬ」。

 人間は脳の15%しか使えていない。残り85%は潜在能力といわれているわけだが、この潜在能力開発の世界ではこの三語がブレーキになるらしい。妙に納得できる。

 

7月21日(月曜)

よくなるドイツ・悪くなる日本

  なにやら不穏なタイトルですが、とても良い本です。まだ、一割も読んでいないのですが、何を書こうとしているのか、そして著者がどのような人なのかが見えてきます。

 こんな健全な考え方をする人とはどういう人なのか、本よりも著者のほうに興味が向かいます。1947金沢生まれ。製薬会社研究室に入社するも、退社し自然農法にかかわられるようになったようです。

 ドイツと日本という国家間比較なので、いきおい政治と官僚の違いにも言及があり、そうだ、一部の利権を代弁するような政治や政治を下に見た官僚構造を変えなければとフト肩に力が入って、気負いそうにもなるのですが、さすが自然農法だけあり、自然体です。

 無理せず、力まず。淡々と文字とことばで訴えてくる。そして、この系統の本やネット情報が随分と増えてきていることにも励まされます。そういえば、ベルリンの壁を崩壊させたのは東ドイツの外側の話を聞いた民衆のデモ。

 情報やことばの連鎖によってその周辺に人々が集まるとき、当局はそのエネルギーの方向性に道を譲る、どうも世の中はこのように動いているようです。

 

7月17日(木曜)

通信速度とコンピュータ(ハード)は目ざましい進化をとげたが…

  ソフトウエアは複雑怪奇。だから、メールをやり取りするだけでも文字化けで閉口。そんなことの解決にどれだけの時間がかかるか。また、以前にあるツールをインストールし、あまりの重たさに閉口し、削除。でも、数年立ってから、おお、結構改善されたし、ユーザーも広がったようだから、再度使ってみようかとインストールしようと思うと、インストールできない。

 何かがぶつかっているようだ。一言で情報技術とは言っても、どうも通信系やハードウエアのありように対し、ソフトウエアは複雑怪奇に思えてならない。

 特に、几帳面な人間であれば、その問題状況に解決するために、徹夜をする、徹夜を続けるという気になるのが良くわかる。ちゃんとやれば出来ることが、ちゃんとやってもできない。これがソフトウエアの世界ではないだろうか。

 今日も地球上でソフトウエア問題の解決に多くの人々の労力がさかれている。だから、ソフトウエアの見極めが肝心だ。。。

 経営学の開祖、ドラッカーが言っていた。情報技術はビジネスの効率を下げたと。通信系とハード系に対してわたしはあまり同意しないが、ソフトウエアに関してはまったくそうだと思う。だから、ソフトには気をつけないといけない。

 

7月15日(火曜)

プッシュ営業とプル営業

  気や木の話の後に突然ビジネスくさい話で失礼します。昨日、わたしより一回り、いや、一回り半ほど若いビジネスマンに教えられました。一日に何件訪問したか、一日に何件電話したかというプシュ営業では仕事が取れないという話。

 まったくその通りで、若造に言われるまでもなく、私自身、80年代はマーケティング(プッシュではなくプル)を道具に飯を食っていたのだ。

 それを卒業し、情報技術だ、ナレッジだと言い出してから、いわば、当時から20年近く経ってから、若造からそのことばを聞いたからまた新鮮。。。。。。。。。

 そうなのだ。世の中というか、企業人、ビジネスマン、」営業の仕方は20年来今だ大半が変わっていない。その頃のメンタリティを引っ張っている。

 プッシュとプルどちらが売れると思いますか???????????

 商品にもよりますが、企業でないと買えないほど高価で戦略的な商品ほど、プッシュでは売れないし、売れても、その結果、宝の持ち腐れとなるのです。

 企業人のあなたなら心当たりがあるでしょう。

 プルプルプル。プルが効果的なのになぜか、プッシュしてしまう。これは、まだまだ、相手の心理がわかってないのだね。

 こんな数十年前のマーケティングの基礎の基礎、はなたれ小僧でも知っていることが、実践されていないという現実に愕然とすると同時に、その現実を知らせてくれた若造に感謝した。

 

7月13日(日)

複雑怪奇と一本の木(気)

 みんなのデスクトップはシンプルに整理されていますか?わたしのデスクトップは見る見るうちに満杯状態。緊急の時に、いくつかを並べようにも既に満杯ということが何度かありました。だから、常日頃からある程度厳しい目で要不要を峻別しないといけません。

 しかしながら、この努力の妨げになるのが誇大タイトル。「○○の情報革命」、「日本○○賞受賞」さらには、その本がベストセラーだというメタ情報まで付いてくる。読んでみるとなんとうことはない。ただ、ITツールの好きな社長がそれを上手に使って会社の経営や社員の働き方を効率化したという話。これはこれで有用な情報ではあるが、わたしが気になるのは、タイトル。これを「革命」と称していること。。。しかも、名門出版社である。

 一方、無名の若手ロシア人演奏者がドイツの名門音楽大学の教授(審査員)に「ブラボー!」と大感激の拍手を受けた。彼は、コンピューターゲームでキャー!!なんて言ってる男だよ。

 でも、コンピューターゲームにキャーと興じられる無邪気さと卒業試験の大変さを虎視眈々と乗り越えられる冷静さを持ち合わせた「淡」の境地を感じる。何と彼は、20代そこそこ。

 日本の片隅からもブラボーの歓声を送りたい。

 この卒業試験については、まりあニュースDi. 8. Jul. 03をご参照ください。
 

7月11日(金)

吐き気

 不穏なタイトルで失礼します。実は今週、英文和訳に集中しておりました。英文で作成されたセミナースライドを日本語に。。。ま、一週間あれば楽勝と着手したものの、知れば知るほど奥が深く、中途半端な理解では満足できなくなる。大航海。。ということで、専門用語や業界用語を調べ、調べ、調べとどんどん裾野が広がっていく。しかし、この調べるそして知るというプロセスはとても楽しいのです。

 しかし、ビジネスには納期がつきもの。。楽しいからといって、いつまでも調べ調べを続けられるわけもなく、あるバランスポイントにおいて、納期に向かって集約させていかねばならぬ。神経、知識、脳のフル稼働。。。

 でも、この状態というのは、ビジネスセンスや情報感性やスキルを鍛え上げるには絶好な修羅場。。。でも、若いときなら、肉体的にも大過なく終わったかもしれないが、今日は終わると同時に吐き気を催した。体も安心してくれたのだと思う。終わるまでは早朝2時に体が起きだすこともあった。

 脳のポテンシャルは無尽蔵の宝を秘めていると思うが、体のポテンシャルも偉大だ。

 

7月9日(水)

方言の効用

 こういうタイトルでは、山浦先生(ケセン語研究者・医師)の本意ではないだろうが、方言ということばを使わせていただく。東京に住んでいると方言丸出しでしゃべるような場面にでくわすことがまずない。みんな標準語だ。

 わたしは生まれも育ちも福島だが、大阪に10年、東京にも14年ほどいると福島弁のなまりはことばの端にちょいと残っている程度。

 一方、山浦先生は方言剥き出しというか、積極的に推進されている。驚いた。なにか、方言に誇りがもてる。山浦玄嗣著「父さんの宝物」という本にいろいろと書かれていて、どの節も笑えるのだが、ごく一部だけを引用しよう。

「荒廃しなかった学校では、なぜそれが起こらなかったのだろう。」「わたしはいろいろの学校の実情を調べてみて気がついた。君、ケセン語だよ。学校の先生が標準語しかしゃべらない学校ではかならずいじめや暴力事件が多発するんだ。教師がこの地方のことばで生徒に語りかける学校では、そんなばかなことは起こらない。学校にはいると、その雰囲気がすぐに感じられる。教育の場でケセン語が生きている学校には、じつに温かい雰囲気がある。教師と生徒とがわかりあえるんだね。同じしかるにしても、切り口上、よそゆきの標準評でやられると、人間的な拒否の気持ちが生じるんだ。いくらしかられても、ケセン語でやられると生徒はいうことをすなおに聞くよ。おれたちの国のことばには人の心をやさしくする不思議な力があるんだなあ。」「これに気がついたのがケセンの教育を救っだというわけだ。」「そういうことさ。」K君はそういって、うまそうにコップをほした。

(以上)そして、福島弁のページを発見した。

音が聞けて笑えます。http://forum.nifty.com/ftohoku/theme/fukusima/dialect/

 

7月8日(火)

応用の前に基礎をしっかり

 腰痛の原因は多岐にわたり、人それぞれで、これと特定はできないが、私の場合は歩き方にも原因があったようだ。毎朝の45分前後の散歩を5年間続けている。おかげで気分爽快、血行良好なのだが、歩き方で腰痛になるとは知らなかった。

 這えば立て、立てば歩けの親心。歩くなどというのはごく当たり前な行為で、正しい歩き方など考えてみたこともなかった。それどころか、50メートルを何秒で走れるかとか、長距離を何分で走れるかということのほうに意識が行っていた。

 つくずく、基礎の大事さを感じる。基礎・基本をおろそかにすると応用において…。この文脈には「急がば回れ」という警句があてはまりそうだ。

 情報過多時代、基礎がおろそかにされているようだ。。。。。。

 

7月6日(日)

大航海の時代

 きのう感動がまだ残っている。ナレッジマネジメントをうまく定義した男はやはり、ギリシャ人のトム・キュロポラスだと思う。彼は米国で大企業の経営者やIT専門家からグル(先生)として尊敬されている。もちろん、私も尊敬している。

 セミナースライドには彼の思想が色濃く反映されている。最も特徴的なのは、アフリカ大陸最南端の喜望峰を含んだ古びた地図。

 ナレッジマネジメントというと、IT(情報技術)だけでもこれでもかというほどの情報が氾濫しているが、IT以外の部分がそれ以上に膨大なのである。ITが出来たらナレッジマネジメントが出来ると思うのは大間違い。

 当時の航海は命がけだ。ヴァスコ=ダ=ガマは170名で出発し帰還したのは44名。(出典:http://www.geocities.jp/timeway/kougi-54.html。死因は新鮮な野菜やフルーツが食べられないことによる壊血 病。歯ぐきから出血しそれが止まらない。だから、当時は乗組員として名乗り出る人はなく、罪人を帰ったら保釈という約束で乗り込ませたらしい。

 一方、いまの時代、こんな強引な企画は動いていない。でも、内発的にわかった人々が自己責任においてナレッジの航海に乗り出している。。。。。。。。。。。。。。。。

 フリーとしても、組織人としても。。。

 

7月5日(土)

コラボレーション

 きのうは久々のナレッジマネジメントセミナーの講師をつとめた。受講生は某コンサルティング会社の重役と中堅リーダー。

 とても喜んでいただいた。あんなに喜んでいただくと講師冥利に尽きる。

 過去5年にわたってこのセミナーをやってきたが、今回こんなに喜んでいただけたのはなぜか。脳裏に浮かんだのは「共通」と「異質」。

[共通]
●問題意識の領域が共通している。

[異質]
●しかも、お互いのナレッジの領域が違う。

DAKARA,コレボレーション。一方通行じゃない。

 私も多くを学ばせていただいた。

 

7月3日(木)

習うより慣れよ

物事は、人から習うよりも実際に経験して慣れたほうがよく覚えられる。
三省堂提供「大辞林 第二版」より

 

7月2日(水)

腰痛がぬけてきた

  一週間あまり続いた腰痛がほとんど消えかけている。クシャミをしたり不覚にも笑ったりすると腰に響き息の根が止まりそうな腰痛だったが、ようやくぬけてきたようだ。

 この腰痛中もあいも変わらず毎朝の散歩は続けた。初めの頃は歩くのもいびつな感じだったが、それでも歩いているうちにだんだんとほぐれてきた。

 今日は体が軽いので頭を畳につける三点倒立をしてみた。なかなか調子が良い。毎日のようにビールを飲んでいたが、そろそろ毎日の飲酒はやめようかなと思う。

 ビールも時々なら良いが、毎日毎日となると、イライラするし、疲れるし、体が重くなり、眠くなる。そして、寝ているときに胃が焼ける。ビール君、また逢う日まで、アディオス。

 

7月1日(火)

天職感

  天職観ではなく、天職感。天職観は人それぞれが自由勝手に形成する考え方や生き方だからこれには干渉しない。今日はっきりとわかったのは、天職観と天職感の違い。そして、天職感をもった人間の素晴らしさ。

 たとえば、私は天職感が希薄だから、所得金額で職が揺らいだり、一度限りの人生なら地球上のどこで暮らそうかな…などと思ってしまう。

 でも、揺らがないひとがいる。彼は音楽家。音楽を天職としているからドイツにいる。音楽にたずさわるかぎりドイツにいる。なんと、きっぱりとした考え方。ドイツにお城があって、森があって、好きなきのこがあるからということではなく、音楽が天職だから彼はドイツにいる。

 天職感に満たされたひとに天職観のはいりこむすきはない。