毎日のことば抄    Daily abstract

9月22日(月曜)

ブリコラージュ

 エンジニアや近代科学者は、自分の作業する領域の外縁を絶えず拡張していく。たえず、すでにわかったこと、可能になったことの先を目指そうとする。構造(自分なりの理論と仮説)を駆使して、発明や発見という形の出来事を起こすのである。

 一方、ブリコラージュをする人は、すでに「メッセージ」を伝達していた要素を集め、再配列して、新たな秩序を作ろうとする。ただし、解体する対象物の性質を変えることはない。変えるのは、それらの内的組み合わせだけである。

 では、なぜ、わざわざそんなことをするのだろうか。ブリコラージュをする人は、新しい組み合わせをいろいろ試すなかで、意味を追求する。レヴィ・ストロースの表現によれば、ブリコラージュをする作業は、「無意味さに対する抵抗」である。

 プリコラージュをする人は、自分が創造するオブジェを通
じて、つねに、自分自身についてのなにかを人前にさらす。
素材を一つ選択するたびに、自分自身の人生や個性の
一端をのぞかせるのである。

 (自分のことば→)このところ文化人類学やコラボレーションについて勉強中。その途上で遭遇した本、「レヴィ・ストロース」現代書館からの抜粋です。

 

9月12日(金曜)

言葉はなんのためにあるか

  誉めるためにあると俺は思う。クライアント(コンサルタントの客のこと)には、「社員を責める、非難する、批判するのではなく、誉めが9で警句1ぐらいのさじ加減を…」」と提案していたが、自分自身、それが全く実行できていなかった。二人の娘に対し、モノはためしでやってみた。効果絶大。上の都立高校一年の娘に対しては、「久我山の天才」という呼び方をはじめた。本人も悪い気はしないらしい。それどころか、寸暇を惜しんで色々と取り組んでいる。勿論、」大好きはプリクラながめと顔いじりだが。一方、小学校にガンとしていかない8歳の娘はいつも手を動かして何かを作っているので、「ブリコラージュ」と呼ぶ。この響きに娘は悪い気はしないようだ。そして、ブリコーラージュって何と聞いてくる。ビリコラージュとは、手じかにあるものでオブジェを作ることだと答えると、オジュジェって何と。そんな問答を経て、娘は喜んでいる。

 

9月11日(木曜)

プラントとブランド

 「売る側」と「買う側

 「消費者からは見えない世界」と「膨大な広告費に虚構された見える世界

 プラントとは、生産設備一式。生産工程の一部品や一プロセスではなく、複数をまたげばプラントだ。

たとえば、金型だけ、プレスだけではなく、プラントになるとぐっと付加価値が高まる。

じゃ、プラントを作って儲けようって話になるが、金型とプレス、どちらがそれができるノウハウを持ってるか?

 21世紀はノウハウを持った側が主導権を持ってプロセスをよりスムースにしていく時代。その先にいるのは誰かって?。勿論、お客さんとしてのあなた。

 お客としてのあなたは賢いが、売る側としてはどうかな?

時給や年俸も気になるけど、一分一秒、尊敬できる人のいる会社で働く。尊敬できる人がいなくなったとき、それは独立のタイミングです。

独立しなはれ。。。。。21世紀は独立の時代

 

9月7日(日曜)

グレゴリオ聖歌と透明水彩との組み合わせ

 同期的であれ、非同期的(メールや掲示板)であれ、人はコミュニケーションを通じて目を覚ます。

 グレゴリオ聖歌、四角い音符、四線譜

 はがき大の紙、私は毎日毎日水をふくませ、透明水彩を流し、たらし、しみのような、模様のようなものを描いていった

以上、門脇篤氏のサイトから文字や絵を引用

 

9月4日(木曜)

「あの世」がわかると世界観が一変する

 私は、「死後の世界」について、以前はこう考えていました。死というのは、くり返すことができないために、客観的な実験では証明できない現象である。したがって「死後の世界」があることも証明できないし、逆に「死後の世界」がないことも証明できない、と。でも、これは間違いでした。「死後の世界」という概念をもつこと自体が間違っていたのです。

 「あの世」には時間がありません。時間がないということは、死もないということです。ところが「死後の世界」といったとたんに、そこには時間が入ってきます。

 ですから「死後の世界」は「あの世」にはありません。私たちが「この世」で生きていようと死んでいようと、そんなこととは無関係に「あの世」は存在しているし、私たちも常にそこに存在しているのです。まさに『般若心経』の「不生不滅」「不増不減」です。

 したがって、「あの世」というのは、私たちが死んでからはじめてよっこらしよと出かけて行くところではありません。生きているこの瞬間にも、私たちは「あの世」に存在しています。それも「空」として存在しています。

 だとすれば、私たちにとっての主体は、「この世」ではなく「あの世」なのです。

 私たちがこうして肉体をまとって「この世」に生まれてきたというのは、ちょうど大海からちょっとあぶくが出てきたようなものでしょう。もちろん大海が「あの世」で私たちがあぶくです。そのことをよほどしっかり理解しないと、あぶくの分際で海を語ることはできません。主体はあくまでも海なのです。

以上、天外 伺朗 著「宇宙の根っこにつながる生き方」から引用

 色即是空、そして、「あの世」と「この世」を理解できる見事なアプローチだと思いました。

 

9月3日(水曜)

ストラディバリウスと千住真理子さん

  昨日、夕方のNHK首都圏ネットワークにバイオリン奏者、千住真理子さんが出ていた。最年少で国際コンクールで優勝し、天才とよばれながらも二十歳でバイオリンをやめたこと、なぜ、バイオリンを再びはじめたかなどを話してくれた。話をかいつまむと、ある種の行き詰まりを感じバイオリンをやめることを決意するが、ボランティアでホスピスを訪れると患者さんから弾いてくれませんかと頼まれ、これもお断りするのだが、誰ぞに諭され、バイオリンを再び手にし弾いてみる。しかし、弾けない。弾いてないから弾けないのだそうだ。しかし、その患者さんは目に一杯の涙をためて喜んでくれた。その日真理子さんは眠れなかったそうだ。嬉しかったからではなく、喜んでくれる人がいるのに、十分な演奏ができなかったことに。この日から、真理子さんはバイオリンを再び新たな気持ちで弾き始めたそうである。

 そして、スタジオで三曲弾いてくれた。愛のあいさつ(エルガー)、夢のあとに(フォーレ)、君を信じて(千住明)。三曲めは数年前のNHKの朝ドラ「ほんまもん」の主題歌。こころが洗われる。音楽っていいな〜とこころの底から思えた。演奏もさることながらこの楽器、1716年のストラディバリウス。飴のような甘い音がでる、そして、もっと歌いたがっていると千住さんは語っていた。

 ついでに、バイオリン製作者ストラディバリについて調べてみました。

 ストラディバリは1644年の生まれ。亡くなったときは92歳という高齢だ。現代ならばちょっとした手術で直るような病気でも,命取りになりかねなかった時代だから,この命強さは驚嘆に値する。そして偉大な父が長生きだったおかげで,彼の息子たちはその名声の陰に隠れ,弦楽器製作者としてはほとんど名をなさずに終わった。しかし,そんな息子たちの作成した楽器にも「Antonius Stradivarius Cremonenfis」のラベルが貼られたそうだから,例えストラディバリウスという銘があっても,真作かどうかは疑わしいものが存在するそうだ。
 本当に父親のアントニオ・ストラディバリの作と言われているバイオリンはおよそ600。そして最も素晴らしい出来映えのバイオリンは,彼が50代後半から70代前半だった18世紀初頭のものだと言われている。その他,チェロやビオラも50ほど製作しているが,こちらも彼の製作した楽器が現在の模範となっており,名器と呼ばれている。音色の華麗さや,楽器そのものの姿の美しさなど,史上最高のバイオリン製作者といわれる彼だが,息子達には伝えられなかったのか,伝える気がなかったのか分からないが,その技術は今日も謎とされているという。

 以上、ストラディバリについての文の引用先は、http://www.zdnet.co.jp/internet/links/9912/18/past.html
 

9月2日(火曜)

デザインがすべて Design is literally everything

  このことばは米国で人気抜群の経営コンサルタント、トム・ピーターズの比較的新しいコンセプト。このコンセプトに込める熱意のほどは次のビデオをからうかがい知ることができます。

 Everything is Design  1分56秒

 このビデオをなんとなく雰囲気で理解していましたが、その真意をはっきりと理解できる本「発想する会社」を見つけました。世界最高のデザイン会社アイディオ(IDEO)の重役の著した本でピーターズが序文を飾っています。では、 私から見た核心の部分を引用します。

 ◆評価とブラッシュアップ
 短時間にいくつもプロトタイプをつくり、それを繰り返し評価し、練りあげていく。
 私たちは、初期段階のプロトタイプにあまり固執しないようにしている。
 それらが変わっていくことを知っているからだ。
 初めから改善の余地がないほどよいアイデアなどはなく、どんどん改良を加えていくつもりでいる。
 社内のチームから、
 クライアントのチームから、
 プロジェクトに直接関係しない知識をもつ人びとから、
 そしてターゲットとする市場を形成する人びとから意見を聞く。
 
何がうまくいき、何がうまくいかないか、人びとは何ゆえに混乱し、何を好むかに注意を払い、製品を漸次改良していくのだ。

 

9月1日(月曜)

悪の枢軸を訪ねて

  悪の枢軸と聞いて、北朝鮮とイラクを思い浮かべる人はどのくらいいるのだろうか。「悪の枢軸を訪ねて」は、雨宮処凛という1975年生まれの女性が書いた本の題名。

 約250ページの本だが、スラスラと読めてしまう。そして、本当の悪の枢軸とはどこの誰なのかと不思議なコペルニクス的転回が生まれてくる。