2004年10月30日(土曜)
言葉の害は煙害以上
美しい言葉は心を高めるし、醜い言葉は心をも醜くするように思える。
そこで、「美しいことば」で検索してみた。
それで発見したサイト。
ことばを発することがとてもありがたいことなんだなと実感できる。
発見したサイト:http://harunohi.sub.jp/200404saitenkowa.htm
2004年10月18日(月曜)
人間の能力は無限だ
いっけん無理だと思える高い目標にもひるまず情熱を傾け、ひたむきな努力研鑽を惜しまない。そのことが私たちの能力を、自分自身もびっくりするほど伸長させる。あるいは眠っていた大きな潜在能力を開花させるのです。
ですから、できないことがあったとしても、それはいまの自分にできないだけであって、将来の自分になら可能であると未来進行形で考えることが大切です。まだ発揮されていない力が眠っていると信じるべきなのです。
このときの私は、当時の私たちがもっていた技術水準を大きく上回る仕事を引き受けていたことになる。その限りでは、無謀な安請け合いをしてしまったともいえるでしょう。しかし、これは私の常套手段でした。
出典:稲盛和夫著 生き方(人間として一番大切なこと)
2004年10月17日(日曜)
頭脳労働と肉体労働
肉体労働にはエネルギーが必要だから、しっかり食べる必要があるということは、
感覚的にも納得できることだが、頭脳労働にどれだけエネルギーが必要かという
ことを知りたくなりネット検索。
検索の目的を超えて、おもしろい情報に遭遇。
人間が重力に抗して立って5kgもある頭を160cmの高さに支えるには驚くほどのエネルギーが必要。それで昔から仕事をした後、骨休めをした。頭脳労働の場合も同じ。脳は血液によって送られてくる栄養と酸素で細胞呼吸することによって活動している。この血液は骨髄と腸で作られる。骨髄を重力から解放するためには骨休めが必要。この骨休めが睡眠や温泉療法。骨休めの間、つまり睡眠中にだけ骨髄が新陳代謝する。骨髄の新陳代謝とは造血のこと。
出典:http://www.asahi-net.or.jp/~BP3M-ON/book2000.htm
これで思い出したのが気の大家、河野十全氏が本に書いていたこと。
一日に何度でも体を投げ出して休めなさい。
これが、骨休めの境地なのだね。その時、腕を上に伸ばしたり横に伸ばしたりすると背骨がノビノビしているようだ。
2004年10月14日(木曜)
葉っぱと根っこ
For every thousand hacking at the leaves of evil, there is one striking at
the root.
悪の葉っぱに斧を向ける人が千人いても、根っこに斧を向ける人はひとりしかいない。
以上:ソローのことば
葉っぱとは、行動や態度
根っことは、信念・価値観体系やパラダイム
2004年10月13日(水曜)
ドラマ制作におけるプロデューサーとディレクターの違い
TBSの日韓完全共同制作ドラマ、フレンズの演出、土井裕泰氏の共著、
「ぼくらがドラマをつくる理由」が手元にある。
二人のプロデューサーとディレクターと脚本家との座談会のような構成になっているが、
プロデューサーとディレクターの違いがわからないので、話がどうも見えてこない。
ネットから簡潔な解説を発見。
番組をレストランにたとえると、オーナーがプロデューサー、コックがディレクターです。オーナーは「どういうレストランにするか」「どういう人を雇うか」「メニューや値段をどうするか」を決めます。コックはオーナーが用意した人材と食材で料理を作ります。つまり、プロデューサーの仕事は、企画・キャスティング・脚本・予算管理など。ディレクターは、プロデューサーの用意した材料で実際に現場監督となって番組を作るということです。
出典:http://www.fujitv.co.jp/creator/seisaku/faq2001.html
2004年10月9日(土曜)
日韓完全共同制作ドラマ フレンズ
今日のTBSで「日韓完全共同制作ドラマ フレンズ」を観た。
おもしろいので最後まで観てしまった。
テレビドラマというよりも映画なみ感動があり、しばし呆然。
このドラマのことを知りたくなり、ネットにアクセス。
日本代表・深田恭子と韓国代表・ウォンビン、ともに素晴らしい。
是非、お読みいただきたいのが、演出・土井裕泰氏のことば。
http://www.tbs.co.jp/friends21/interview.htm
2004年10月8日(金曜)
イチローが国民栄誉賞を辞退
理由はモチベーションが下がるから。
さすがイチロー。
ノーベル賞授与後の大江健三郎氏を思い出させる。
たるんだ政府から誉められるほどボケてないよ!という意思表明だね。
勿論、政府もすべてがたるんでいるわけではない。
しかし、一分一秒、自分の納得できない時間は割きたくないというところに、フリーエージェント魂の完成形を感じる。
ここに、寸分の妥協があると、魂に曇りが生ずるのだろう。
2004年10月5日(火曜)
人間は自由という刑に処されている
この逆説的なことばはサルトル
こうあるべし、
こうあるべきという指針があり、
その通りに動けばいいのだろうが、
そうならないのが人間。
そう、指針どおりに行くも自由。
指針とは違った生きたかをするも自由。
ここに創造という無限の可能性がある。
新たな指針の創造だ!!!
|