毎日のことば抄    Daily abstract

2004年11月29日(月曜)

ペアガラス

季節柄、窓ガラスの結露が激しい。

昼間は消えるが、夜から朝にかけて結露し、窓の下には水がたまる。

ま、これは気温の内外差から自然に発生するものだから、しょうがないな…と思っていた。

でも、二泊三日の研修でお借りした御殿場の研修所の窓はほとんど結露しなかった。

なんで?と住空間の専門家に訊くと、ペアガラスだから!という答だった。

検索してみると、約 46,000 件もヒットした。

 

2004年11月22日(月曜)

我々はどこから来たか 我々は何か 我々はどこへ行くか

この哲学的な問いを耳にしたり、口にしたことのある人は少なくないだろう。

しかし、これがあの有名な絵(中学の美術の時間にはじめてみた)の題名でもあったとは昨日まで知らなかった。

画像データの出典:http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html

 

2004年11月15日(火曜)

工業社会と情報社会

このことばを聞いたことがあるのは十人にひとりかな

このことばの意味するところを知っているのは百人にひとりかな

情報社会の生き方を実践しているのは千人にひとりかな

 

2004年11月10日(水曜)

一人一人が心から、やる気を持って

こんな会社やチームや組織にしたいと誰しも思っているのではないでしょうか。

一人一人がいちばん幸福な状態だと思います。

では、そのためにどうするのか?

この問いにどう答えているかが、その人の現状になっていると思います。

人生は毎日が厳しい闘い。(他人との闘いというよりも弱い自分との)
 

2004年11月6日(土曜)

りんたろう死す
「りんたろう」とはうちで1年8ヶ月過ごしたハムスター。
とても元気で、回し車を深夜早朝から回し、朝は雲梯をしていた。
梨やりんごの皮をむいて置くと寝ていてもまもなくやってくる元気なやつだった。
ところが、今朝は林檎の皮を持っていっても寝たまま。「季節柄、眠たいのかな」と。
30分ほどして見てみたが、皮はそのまま。
「これはおかしい!!!」

目を凝らすと、りんたろうは巣の中にいたが何か苦しそう。
のたうちまわるというか。
昨日までバリバリ元気だったのに。
飼い主の娘9歳(左の画像も制作)と家内と娘高2が「今朝は寝坊させて」といっていたが、
異常事態を知らせると粛々と動物病院へ緊急配送。
朝九時のこと。
息を引き取ったのが先ほど、午後2時くらいだったろうか。
生命の神秘にふれた半日だった。
 

2004年11月5日(金曜)

ヨーガが10年で白眼視からブームへ!

つい10年前は、家の中でヨーガのポーズなどをやろうものなら通報され刑事さんが飛んできた。なぜ、刑事さんと思ったかと言うと、制服は着ていないのだが、「こういうものですが…」とシブく顔写真入りの手帳を私に見せたからだ。私が当時手配中の人物ではないと判断するや否や、「こういう人物を手配中ですので、ご注意ください」と顔写真入りの手配ポスターを置いて帰っていった。

さて、昨日、TBSのスパスパ人間学とやらでヨガを取り上げていた。どうもヨーガブームらしい。10年前とはえらい違いだ。

ヨガというのは秘密めいたものというかつての印象とは裏腹に、素敵なヨガ先生たちが続々生まれてきているということに感激。

このムーブメントは先日書いた集合的波動とも関連する。どういうことかというと、ヨガをうさんくさいものと世の多くの人々が見ているとヨガを一生懸命やろうとしている人々の妨げになるし、学習の場や時間を自由にとることが難しい。一方、ブームとなるとその種の番組が増えるし、そこに出演する先生たちも増える。要するに関連情報に接するチャンスが増える。すると、より多くの人々がそれを信じる。するとそれが起きる。

番組で紹介されたものはどれも効果的だったけれど、特に「ブレス・オブ・ファイヤー」が気に入った。今日もやろうと思ったが、腹筋が痛い。思った以上に効いている^^;

http://www.tbs.co.jp/spaspa/2004/11/1104/1104.html

 

2004年11月3日(水曜)文化の日

集合的波動

11月3日、この日を気象庁は特異日と呼ぶそうだ。
なぜならば、統計的に晴れの日が多いというかほとんど晴れ。
大荒れに荒れた今年の天気だが、なんと今日のうららかなこと。
そして、人々がうららかだ。祝日だからね。
いつもの、仕事仕事でトゲトゲしている波動が感じられず、のどか。
これは、祝日、特異日、文化の日の集合的波動なのだろう。

一方、けさ、起き上がる前にふと気になったことばは、「教条的」ってどういう意味?

【教条主義】
事実を無視して、原理・原則を杓子(しやくし)定規に適用する態度。ドグマティズム。
三省堂提供「大辞林 第二版」より

ダイエーかな

 

2004年11月1日(月曜)

感情をコントロールしているか感情にコントロールされているか

これが人間のありようを決定している。

そして、ほとんどの人間は感情にコントロールされているのではないだろうか?

素朴な疑問は、人間が主か感情が主か?

意外に自分自身がこれに気づいていないのかもしれない。