2006年3月16日(木曜)
テレビは麻薬
数学は、分かってしまうと何でもないものだが、分かるまではいやになるほど難解、という不思議な特徴を持っている。一日中机に向かって、一ページしか進まない、などということさえ時にはあった。
あれだけ勉強したが、夢見ていた大数学者になることはできなかった。それでも後悔はしていない。六年間余り、一つのことに専心したことが、その後の自信となったからである。
夢中になるものを探せない人も多いと思うが、そんな時はあり余る時間を、少しだけ好きなものに少しだけ多く費やしてみよう。どんなことでも、詳しく知れば知るほど、深く探れば探るほど、興味が湧いてくるものである。
大学時代にした方がよいことは山ほどあるのに反して、していけないと断言できることは数少ない。その筆頭はテレビで時間を潰すことである。テレビは麻薬と思ってよい。習慣性がある。見始めると止めどなく
なりやすい。番組内容が大ていくだらないから、何も得ることなく時間だけを吸い取られてしまう。さらに悪いことは、視覚を占領されると人間は思考できなくなるということである。テレビ画面を追い情報を受け取るのに精一杯で思考らしい思考は全く働かない。ラジオなら想像力が働くからまだよいが、テレビはそれも駄目である。かくしてつまらぬ情報のたれ流しを口を開いて見る、ということになる。頭も身体も一切働かない。よい番組も時にはある。しかしそれは、百に一つである。その番組にぶつかるには多大の時間をテレビに費やさねばならぬから割に合わない。
アメリカ人はイメージ文化漬けと思っている日本人も多いが、アメリカでもインテリ階層や学生は本ばかり読んでいる。寮や下宿に入る者はテレビを買わないことである。イギリスでもテレビを持たぬことは上流の証明である。自宅から通学する者は、少々のやせ我慢を必要とするが、一切それを見ないことである。これだけで大学生活はほぼ成功と思ってよい。必ず余剰の時間が生まれ、自然と学問、クラブ活動、読書などで頭や身体を動かすことになる。自らの将来と何の関係もない寄り道であっても、テレビに比べればはるかによい。
出典:講談社編「新・学生時代に何を学ぶべきか」のなかの藤原正彦著「テレビは麻薬と思ってよい」
独立時分、私はテレビを見なかったが、独立から10年を経て、だらだらとテレビを見るくせがついてしまっていた。ま、大殺界のどまんなかだしな、と自分なりに言い訳をしていたが、この新大学生向けの本の一節に触れ、テレビを消した。調子がいい。見ることは見るがダラダラとは見ない。調子がいい。自立性を取り戻した。(三上)
2006年3月12日(日曜)
人間には、生まれながらに「仁」「義」「礼」「智」がそなわっている
あわれみの心がないものは、人間ではない。
悪をはじにくむ心のないものは、人間ではない。
譲りあう心のないものは、人間ではない。
善し悪しを見分ける心のないものは、人間ではない。
あわれみの心は「仁」の芽生えであり、悪をはじにくむ心は「義」の芽生えであり、
譲りあう心は「礼」の芽生えであり、善し悪しを見分ける心は「智」の芽生えである。
出典:
岩波文庫「孟子(上)」p141
2006年3月5日(日曜)
覇者と王者
表面を仁政にかこつけながら、武力で威圧するのが覇者。
身につけた徳により、仁政を行うのが王者。
出典:
岩波文庫「孟子(上)」p133
2006年3月2日(木曜)
天命・目に見えない偉大な力
人がでかけるのも取りやめるのも、みなそうさせるものがあるので、人間の力の及ぶところではない。
そうさせる目に見えない偉大な力、すなわち天命なるものが働いているのだ。
わしが魯の殿に遇えないのは、天命なのじゃ。
ぞうしのこせがれなどの力で、どうして遇わせたり遇わせなかったり自由にできようぞ。
出典:
岩波文庫「孟子(上)」
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