毎日の気づき・発見抄    Daily abstract

2006.11.30(木曜)
全知全能と無知無能

全知全能の大宇宙。
全く無知無能の個人。
個人を「全く無知無能」と認識する人は岡潔。
爽快、痛快なる認識はさすがに大数学者である。
参照文献: 人間の建設―対話 (1978年) 岡 潔、小林 秀雄 (- - 1978/3)

2006.11.29(水曜)
散らかっていると運気が下がる

バタバタと集中的に仕事をこなした翌日はちょいと休憩したくなります。
いつもよりは早めに昼食をとり、いつもより長めに畳の上でゴロゴロ。
しかし、本来の元気がなかなか戻ってきません。
ふと気づくと、机の上が本や付箋や手帳やメモやティッシュや数本のペンで散らかっています。
散らかしっぱなしが見事に運気低下につながってしまいました。

2006.11.26(日曜)
空腹感と気

人間は気が張っていると腹がへらない。空腹感を感じない。
気が緩むと腹がへる。空腹感が増す。

2006.11.24(金曜)
言語習慣(Language habits)

人間は客観的な世界にだけ住んでいるのではないし、
また、ふつうの意味での社会的活動の世界にのみ住んでいるわけでもない。
「現実の世界」は、言語習慣の上に無意識的に形づくられている。
エドワード・サピア(言語学者)

2006.11.22(水曜)
ただほど高いものはない

緑から黄、黄から赤へと日々移り変わり行く紅葉の絶妙なる色合い。
葉っぱ一枚一枚も単色ではなく微妙な色合いを表現している。
こんな風景がただで手に入ってしまう。
また、空気の香りは豊かな味わいを運んでくれる。
この妙なる風景や風や空気に値段はないが、どんなに高価なものよりも値打ちがある。

2006.11.21(火曜)
学習曲線は階段状

楽器でも勉強でも、練習(勉強)すれば、必ずその成果は現れる。
でもそれは、こちらが思うような形ではない。
つい、我々は勉強すればするだけすぐ成果が現れるように、つまり勉強時間とその成果が比例するように期待してしまう。実際は比例するのではなく、階段状にのびるんだね。
だんだん進歩していけば行くほど、階段のとどまっている時間が長くなるし、下手すると落ちてるように感じられる。(これがスランプと言うやつだ。)
君らはこの、わからない、上手くならない、と言う状態に耐えなければならない。
潜在的にはやればやっただけのことは必ず身についていくのだ。
出典:http://vcbf.air-nifty.com/vcbf/cat1255524/index.html の2004.11.29

2006年11月20日(月曜)
あまり苦労なく、知りたいことを知ることがきる社会が実現している
インターネット、www以前の世界では、知りたいことがあれば、
その人に直接訊きにいくか、資料館や図書館に足を運ぶ必要があった。
しかし、今ではある程度はネット上に情報が公開されているので、すぐに知ることができる。
そして、次の思考、疑問、アイデアが生まれてくる。
必要は発明の母である。

2006年11月19日(日曜)
「人類学」からの学び
「サピア=ウォーフの仮説」の、ウォーフによれば、アメリカ・インディアンのホピ族には、「時間」というものがない。
彼らの言葉には、「時間」を表す語彙がないばかりか、文法にも我々がいうところの「時制」というものがなく、
さらに加えて、運動学的などんな記述も表現する手段がない。
要するにホピ族(の言葉)には、どこからみても「時間」がない。

「時間」がないかわりに、彼らにあるのは「希望」である、とウォーフは言う。
ホピ族にあっては、「希望」するのは、人ばかりでなく、神ばかりでなく、
石ころや木々や、ありとあらゆるものが「希望」する。
宇宙が「希望」するといってもいい。

我々の言葉で「未だあらざるもの」と「すでに在るもの」と表現される区別は、ホピ族にとってはすべて「希望」をめぐってなされる。
また、我々の言葉で「主観的なもの(存在)」「客観的なもの(存在)」といった区別も、ホピ族にとってはすべて「希望」をめぐってなされる。
すなわち、前者はいずれも「希望されているもの」であり、後者は「希望されなくなったもの」である(実のところ「希望」はほとんど常に動詞として登場する)。
ホピ族にとって「実現すること/実現されたもの」は、「希望されることをやめたもの」のことである。
実在とは「希望の停止・消滅」に他ならない。
上記のタイトル以外の文章は、amazon.co.jpの「言語・思考・現実 (文庫)」のカスタマーレビューから引用しました。

2006年11月17日(金曜)
現実の中に心があるのではなく、心の中に現実がある。
数学者、岡潔さんは、若いとき「自然の中に心がある」と考えた。
成熟するにつれ「心の中に自然がある」と考えるようになった。
私が読んだ本:岡潔著「情緒と創造」

2006年11月10日(金曜)
精神は年輪とともに若くなる
  人は、長き歳月を歩み、
  人生の苦難を乗り越えていくほどに、
  精神は若く、瑞々しくなっていく。
出典:田坂広志 「風の便り」 ふたたび  第38便

2006年11月9日(木曜)
机上と書類の整理で気の巡りが良くなった
自分が気づいた汚れを落としていく(掃除)と、運気・気運・気の流れが良くなった。
なかば、掃除は家内の仕事と錯覚していた部分もあったが、トイレ、洗面台、浴室、居間と汚れやホコリが目に付けば自ら取り除いた。
自分の机の上のものを一掃した。
10年間にたまった書類を思い切って処分すると同時に、処分できない大事なものを残した。
すると、だんだん「気づき」の感度が上がってきた。
☆あとでではなく、気づいたときにやる。☆
なんと自分の体も気も軽くなってきた。
この世の全ては気でできている。

2006年11月5日(日曜)
そうじ力
掃除がただ汚れを落としきれいにするだけでなく、
「運気」をあげるというところをさらに知りたくなり、
「3日で運がよくなる「そうじ力」」という文庫本を買って読み出しました。
読むだけでハッピーでラッキーな気分です。
そして、生まれてはじめて、トイレのタンクの中をそうじしてみました。
実に爽快です。そして、深い学びがありました。

2006年11月3日(金曜・文化の日)
お掃除ブーム
昨晩のテレビ番組で面白くついつい見入ってしまった番組がある。
「松居一代」が、太めの芸人「松村邦洋」の住居をいかに掃除によって運気を高めるか、という番組だった。
松村の書棚にはビデオと書籍があふれかえっている。
「まずは、この棚のいるものといらないものを区別しましょう」との指令が飛ぶ。
しかし、松村は、「これは…だし、これは…だから」となかなか整理がつかない。
そこで松居が、「過去にしがみついていると、新たな運気が入らない。過去を断つことによって新たな世界が立つ」とさとす。
台所、浴室、寝室、玄関と指導が続いた。
「確かに掃除で運気が上がりそうだ」と感じた私はその関連の本をまず図書館で検索してみた。
なんと、なんと、予約の待ち数が凄い。
掃除の意味、意義、効果、そして方法が改めて学びなおされている時代。
とてもいい時代である。