毎日の気づき・発見抄    Daily abstract

2007.1.30(火曜)
三勿三行(さんこつさんぎょう)

 昨夜、テレビ東京「カンブリア宮殿」で全日空を倒産の危機から救った大橋会長を拝見した。
三勿三行(さんこつさんぎょう)という言葉が心に残った。
三勿とは三つのしてはいけないこと、怒ること、怖れること、悲しむこと。
三行とは三つの実行すべきことで、正直、親切、愉快にである。

2007.1.27(土曜)
名門企業・シーメンスの学びの試練

 何年か前、シーメンス・ニックスドルフの経営者が交代したとき、フィナンシャル・タイムズ紙によれば、新しいCEOは業績の数値よりも「時間に関心をもっている」ように思えた。ドイツの電機業界の巨人であるシーメンスは、大型汎用機事業を補完するために、パソコン・メーカーのニックスドルフを買収していた。
 CEOは、パソコン事業で「六か月ごとに技術面の特徴を大きく変える」必要があることを認識していた。だが親会社は体質が古く、階層型の組織構造をとり、反応が遅い。製品を変えるのも確かに容易ではない。だが、CEOが記者会見で述べたように、「企業の考え方を変えるとなると、通常、三年から五年はかかる。そして、当社にはそれだけの時間の余裕がない」。いまでは、このCEOはシーメンスにいない。ニックスドルフも売却された。
引用:トフラー著「富の未来 上巻」

2007.1.22(月曜)
富とは? 富〔wealth〕の定義

富〔wealth〕というものを、お金〔money〕とほとんどイコールであると理解することに窮屈さを感じていた。
こんなときに、トフラーが見事な定義をくだしてくれた。
「富とは、必要や欲望を満たすすべてのものである。」
お金〔money〕は、富〔wealth〕のごくごく一部の形体に過ぎないのである。
引用:トフラー著「富の未来 上巻」

2007.1.14(日曜)
"evil"から「三猿」への小旅行

起き掛けに英語で書かれたヨガの聖典を手に取った。
evilという英語を辞書で引いた。
evilとは、悪、敵意、汚い、不幸、不運。
See no evil, hear no evil. speak no evilとある。
なんと、英語人も「見ざる言わざる聞かざる」という言い方をすることに驚くとともに三猿の東西を越えた深い思想性に合掌した。

2007.1.12(金曜)
化学的に合成された農薬や肥料を一切使わない木村のりんごづくり

NHKプロフェッショナル仕事の流儀には、実に健全なフォーカスがある。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/061207/index.html

2007.1.11(木曜)
理髪師の名言

今朝、散髪に行きました。
若い理髪師が「今日はお休みですか?」と聞いてくれたのでコンサルタントであることを伝えた。
すると、そのお兄さんは色々なことを教えてくれた。
特に心に響いたことは、「行き着くべきところに行き着いた人」という言い方。
「諦めずに、試行錯誤を繰り返すとそうなるのでしょうね」。
若いながら、実に良くわかっている。
理髪師のイメージが変わった瞬間だった。彼は自分を磨いている。
そして、拙者は刺激された。なんと、怠けていたことか。

2007.1.10(水曜)
苦楽一体

苦の中に楽がある。
楽の中に苦がある。
苦だけ、楽だけはありえない。

2007.1.9(火曜)
アメリカ・インディアン指導者、デニス・バンクスはなぜ日本語で出版したか

 この本は私の半生をみずから語る初めての試みである。そしてこの試みは、日本語版でのみ出版するという前提のもとになされた。なぜ私が、この
本を日本語版でのみ出版するかということには、いくつかの理由があり、まずなによりも先にそれを話しておかなけれなならない。
 私の半生記を日本語で一冊の本にまとめたいと思った動機のひとつは、十年近く前の砂川(東京・立川市)での出来事にある。
 砂川はアメリカ空軍立川基地に接する小さな街である。私は空軍情報部隊の、一員として極東に配置された。一九五六年、私たちは任務の一
部として、立川基地拡張に反対するかなりの数の日本人市民による抗議デモを阻止するよう命じられた。当時、米軍はB52大型爆撃機を立川基
地に導人するため、基地滑走路の拡張を必要としていた。立川基地周辺の住民は、基地拡張に伴う農地の接収に強く反対していたのだ。
 当時、横田基地にいた私たちは、十月のある早朝、立川基地のフェンスを越えて入って来るデモ隊を阻止し基地を守るように、との指令を受けた
。その日から六日間、連日、私たちは実戦用の戦闘装備を完全に整えて、基地周囲の防御にあたった。私はフェンスの南端に配置された。
 何年間かの軍隊経験の中で、私がこのような状況に対応させられたのは初めてだった。戦闘の中でなら武器を構えた敵の兵隊に銃を向けて戦
う準備はできていたが、ただ抗議デモを行っているだけの市民に銃を向けよという命令に従う心の準備はできていなかった。私のみならず、仲間
の兵隊たちの多くが、気がすすまぬままこの任務についた。
 フェンスの内側には私たちアメリカ軍兵士が、フェンスの外側には日本の機動隊、警官らが、抗議に集まった人々に向かって身構えていた。農民
、労働者、学生らデモ隊の最前列に、何人かの仏教僧がうちわ太鼓を叩きながら唱題していた。毎朝のように彼らのシュプレヒコールや歌声、太鼓
の音が聞こえてきた。
 五日目の朝、十一時頃、右の方で何か大きな騒ぎが起こった。警官らが棍棒をふりかざしてデモ隊に襲いかかっていたのだった。私のほんの30
ヤード(約27メートル〕ほど先の外側で起こったこの流血の騒ぎを、私は今でもはっきりと目に浮かべることができる。警官らは、ただ唱題し祈ってい
るだけの仏教僧らにも襲いかかり、棍棒をふりおろしていた。仏教僧らが何を唱えているのか、その時の私には分からなかった。しかしその時から2
0年以上の歳月を経て、私はその同じ唱題を再び、今度はアメリカ・インディアンの地で、聞くことになる。そしてそれが「南無妙法蓮華経」という祈
りだったことを知るのである。
1956年のその日の流血シーンは、その後ずっと私の脳裏に焼きついて離れたことはなかった。ただひたすら、もうこれ以上軍事目的のために土地
を使われたくない」と言っているだけの、平和に生きている人々に対して銃を構えるために使われている自分の在り方を、考え直してみずにはいら
れなかった。
 そう、あの無残な出来事はあまりにひどかった。
 その時、私はまだその人に会ったことはなかった。にもかかわらずその時から、その人に出会う時まで、そして、これを語っている今に至るまで、
その人は私にきわめて重要な影響を与えることになるのである。
 その人の名は藤井日達という。私はこの人の生涯について多くを知らない。ただ私の知っていることは、彼が世界平和を求めてひたすら祈り、断
食し、行脚することにその長い生涯を投じてきたこと、そして平和の象徴として仏舎利塔を世界各地に建立し、世界平和への燃えるような彼の願
いを人々に思い起こさせ、同時に戦争の名のもとに犯されてきた「暴力」を思い出させる仕事に身を投じてきたことだ。藤井日達師との不思議な縁
。、これが私の語るストーリーの始まりである。

 この本を日本語版でのみ出版し、英語版にはしないというもうひとつの理由をお話ししよう。過去何年もの間、英語を語る人々は、私、およびアメ
リカ・インデイアン運動の語る言葉を、自分たちの都合のよいように解釈し続けてきた。彼らが、私のこの良きストーリーを英語で読むに値するとは
思えない。
 おそらく、英語を語る人々のうちごく少数の人は、私の語るストーリーを素直に心を開いて読みとってくれるだろう。しかし、それはほんのごく少数
に過ぎない。なにも私は、英語を語る人々の大半が悪意の人たちである、と言っているのではない。私が言いたいのは、合衆国の歴史書は私たち
インディアンの歴史を歪め、傷つけ、なぶりものにしてきた、という事実なのである。私たちがこの国の歴史の歪曲を訂正せよと何度申し出ても、彼
らは耳を貸そうとはしなかった。それどころか、彼らは今もなおこの国の歴史を彼らの都合のよいように、彼らの未来に添うように、彼らの目的にかな
うように、勝手に解釈し続けているのである。
 いつの日か、英語版の本を出す時が来るかもしれない。彼らが私に教え込んだ英語は、私を物乞いのごとくにふるまわせる言語だった。彼らは奴
隷用の英語のみを私に教えた。物乞いや奴隷のための英語ではない、別の英語を私は学ばなければならない。それを学び得たとき、彼らが私た
ちに対して犯し続けてきた大罪を教えるために私は本を書こう。
 その時まで、私たちの次の世代の健康状熊、住居の状態が改善されていることを願ってやまない。そしてさらに、私たちの子供たち、孫たちが生
存し続けることができるよう願ってやまない。私たちイソディアンが、民族として生存し続けるためには、数千年の昔から四、五世紀前まで私たちの
民族が生きてきた道を思い出し、その伝統、その忠想をもって生きなければならない。
 しかし、英語を語る白人たちに向けて私の本を出す日は永久にやってプこないかもしれない。
 私は歴史の現実を恐れてはいない。私は、私たちインディアンが今日置かれている困難な状況を生き抜くこと、ができないかもしれないことを、
恐れているのだ。だからといって、私たちが生きている惨めな現状をあなた方に語ることを、私は恐れはしない。私は、真実を語ることを恐れない。
1983年10月 オノンダガ国にて
出典:「聖なる魂」

2007.1.7(日曜)
拝む・おがむということ

祈るとか瞑想に似てはいるが「おがむ」という言葉が薄れて行って来ていることにふと気がついた。
美輪明宏氏は、丸山明宏の時代におがんでいたとき「美輪」という名前が浮かんできたとのこと。
丸山のときには、起伏の人生。
美輪になってからはご承知のとおり。

2007.1.6(土曜)
今の日本にとって、少子高齢化は素晴らしいこと

「少子高齢化」という現実を政府もマスコミも問題として取り沙汰している。
いったい、少子高齢化のどこに問題があるのか。
@少子化 A高齢化 この2点について論じてみたい。
@少子化について
今の夫婦はそれほど多くの子供を生まない。
男女とも独身のままで、繁殖活動をしない人が多い。
なぜなのか?
それは、すでに人口過多であるからだ。
江戸時代が終わり明治維新のときで人口3000万人。
その後、わずか百年で人口が一億人を超える人口爆発である。
この日本の狭い国土に一億人は多すぎる。
だから、異様に国土の値段が上昇する。
日本の国土から考え、人口5000万が健全な限度であると思う。
だから、少子化というのは、この健全性に向かう素晴らしきことなのだと思う。
A高齢化について
暴飲暴食しなかった人々だから長生きできている。
長生きしているわりには、行うことを行っていない。
だから、生かされている。

高齢化だからではなく、人口過多だから少子化している。
今の日本にとって、少子高齢化は素晴らしいことである。

2007.1.5(金曜)
「オーラの泉」の江原啓之は閉じた心の蓋を空ける「ことば」を出す

江原啓之ひとり、三輪明宏ひとりではなく、
ふたりでやっているからありがたい。
三輪明宏もすごい。

2007.1.4(木曜)
正月という時空間

正月には多くの人々が日常から離れ、
ゆったりとした時空間をすごすことができる。
このゆったりとした時空間が、新年のコンセプト創造の揺籃となる。
何歳になっても、人は正月において新たな方向性を打ち出すことができる。
正月とは素晴らしき気づきの時空間である。
正月という時空間において、皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
安心をベースに歩みだしましょう!