毎日の気づき・発見抄    Daily abstract

2008.7.31(木曜)
ゆっくり
おはよう。ゆっくり 自分の ものに しようね。
以上、チベット体操の達人のお言葉です。

2008.7.30(水曜)
せいてはことをしそんじる(急いてはことを仕損じる)
心がせくと、自然との調和が乱れる。
自然との調和が乱れると、自然からのサポートが得られなくなる。
すると、なんとなくうまく行っていたものがうまく行かなくなる。
急いてはことを仕損じる 急がば回れ 走れば躓く 待てば海路の日和あり

2008.7.29(火曜)
こころの居心地が悪いときは、自然を忘れている
無理せずできることを自然に行う。
この姿が美しい。
速かろうがゆっくりだろうが、
長時間だろうが短時間だろうが。
一般的自然、平均的自然ではなく、各個人にとっての自然。

2008.7.28(月曜)
私たちは浜辺に立っている(その2)
メディアは、
過酷は競争、悲惨な災害と、
勝手に書き立てる。

この書き立てに応じて、過酷な気分や
悲惨な気分になっては」いけない。

自分にできることとできないこと。
すべきこととすべきではないことがある。

2008.7.27(日曜)
私たちは浜辺に立っている
ただ波を見ている。
そして、ただ向こうから波が押し寄せているだけ。
穏やかな波もあれば、荒れ狂った波もある。
やってくる波に対して、つべこべ言わず、
評価・論評せず、すべて受けとめて、
やるはめになったことをやっていけばいい。
参照文献:小林正観著「悟りは3秒あればいい」

2008.7.26(土曜)
アセンションとは、「自分が魂であるという自覚」に達すること
アセンションとは言われてみれば「なんだ、そんなこと」とつぶやかれる真実。
ミーシャ・マイスキーは年齢とともに演奏が若返っていった。
生まれつき大人のような絵を描いていたピカソが真に子供らしい絵を描くまで、数十年を要した。
参照文献:田村珠芳著「アセンションはもう始まっています」

2008.7.25(金曜)
今どきのNHK朝ドラは、本物を起用してしまう
毎朝、NHKの朝ドラを楽しんでいる。
今年は、「瞳」というダンサーを目指す女性が主人公だ。
まるで、ウチの娘みたいだ。
出演者は全て役者なのだけれど、そこに一人本物がいる。
EXILEのMaki Daisuke, 眞木大輔である。
彼の吐く一言、彼が語る一句、
ここには、脚本家のものとは思えない迫力というよりも、こころに沁みるものがある。
これぞ、コラボかなと感心して観ています。
NHKもやるときはやるね!

2008.7.24(木曜)
こころ落ち着くまで
落ち着くまで仕事しましょう。
といって、過労死で死ぬことは無い。
気持ちが落ち着くように仕事をすれば、逆に活力がわいてくる。
仕事とは、賃金給与をもらうことではない。
仕事とは、宇宙からまかされたこと。
すなわち、宇宙に仕えること、
something great に仕えること。
これぞ、使命。
mission
自分が満たされるか不満かは、常に自分次第。

2008.7.23(水曜)
外見の美しさは 歳と共に衰え 内面の美しさは 歳と共に輝く
年齢とともに、体力は落ちる、気力は落ちる、
体はシワシワ、そして、病と死。
「老い」も「病い」も「死」も、自然なことである。
この自然を自然として、淡々と受け入れようとしていた矢先、
【見の美しさは 歳と共に衰え 内面の美しさは 歳と共に輝く】という一文に遭遇。
これは、私にとって大発見です。
目からウロコが落ちて今、パソコンの周りがパリパリです。
出典サイト:姫の楽園(掲示板)

2008.7.22(火曜)
生老病死(しょうろうびょうし)
人々は「誕生」に喜び、「老病死」に怒る。
しかし、「誕生」も「老化」も「病気」も「死」も、自然なこと。
これを淡々と受け入れる。
すると幸福が心を満たす。
老化したくない、病気したくない、死にたくないと頑張ることは自然に反している。
すると心が満たされない。
アルボムッレ・スマナサーラ著「あべこべ感覚」 (サンガ新書)を読んだらこんな風に考えられるようになりました。

2008.7.21(月曜)
自然は美しい
インド料理屋さんでインド人に質問してみた。
インドで「ありがとう」をどういうのかと。
すると、「@ダンネバード Aスックリヤ」と教えてくれた。
早速、この初耳の言葉で検索をかけてみた。
ダンネバードでは多数ヒットする。
しかし、スックリヤでは0件!
スックリヤをスークリヤに替えて検索すると一件ヒット!
そのサイトを辿ってゆくと、自然の美に遭遇。

それそれがそのままに整然と自然であることが美しいということを知らされる。
写真出典:http://10max.net/

2008.7.20(日曜)
気ごころを知る
コミュニケーション効率は、信頼関係によって左右される。
信頼関係があれば、打てば響く、あうんの呼吸。
信頼関係が希薄だと、コミュニケーションが成立しないどころか、逆効果の場合も。
1回呑むだけで、随分と気ごころを知ることができる。
今も昔も、酒は、コミュニケーションの促進剤。
お互いに気心を知れば人間関係の効率性、効果をさらに高めることができる。
参照:希代の呑兵衛、鬼才の写真家、伊藤真さん

2008.7.19(土曜)
人間ってやつは、いくつになっても成長できるんだなぁ(2)
誰しも個性がある。
人とは違う能力がある。
その違う能力を、変なこと、恥ずかしいこと、劣ったこと、弱点と思うとそれを発揮できない。
それをそれとして自分自身が受容、acceptしたときに道がどんどん開けていく。

2008.7.18(金曜)
人間ってやつは、いくつになっても成長できるんだなぁ
頑張ると、本当の宇宙からの情報が入ってこない。
ポストが赤いからといって怒ってると、本当の宇宙からの情報が入ってこない。
まわりが騒々しいからといって腹を立ててると、本当の宇宙からの情報が入ってこない。
頑張らない。
怒らない。
腹を立てない。
ただ、単に、今、この瞬間を楽しんでいる。
要は、いまのままの自分を自分が許すということでしょうか。
すると、自然にいまする仕事がすうーっと感じられる。
この感じが得られればあとはしめたもの。
何にも腹が立たなくなる。
そして視界がさえてくる。
全てが調和している。
久我山に住んでいたときの部屋から、騒々しい駐車場を睨みつけた数年前とは別人である。
人間ってやつは、いくつになっても成長できるんだなと嬉しくなりました。
ただ今、数台の芝刈り機の働きが逆にありがたく思えるから不思議。

2008.7.17(木曜)
お礼の会席から、思わぬ情報が得られています
先日、私がPTAの役員会を欠席した。(その件は、2008.6.26(木曜)に)
今日の昼は、その欠席を埋め合わせてくれた方に御礼すべく会食にお誘いした。
すると、お礼どころか、逆に、私が知らないことをどんどんと教えられる。
私が御礼と感謝を伝える場だったのに…と不思議な気分。
いずれにしろ、この世の仕組みは素晴らしく設計されているということを実感しました。

2008.7.16(水曜)
写真のちから
ある友人、拙者よりも随分と若い方が、私のサイトには映像、写真が足らないことを助言してくれた。
直接お会いした会席の印象から、ハリー・ポッターみたいな雰囲気とまで言ってくれた。
それを、そのまま、写真家に投げてみた。
期待以上の写真が出来上がってきた。
全ては、周りのちから。
素晴らしい。
私は感謝するだけ。

2008.7.15(火曜)
ほんとうに必要なものは、すぐに届く
暑いながらも、自然の風、草の匂いの気持ちよさを感じています。
人間は欲張りだから、あれも欲しい、これも欲しい。
拙者などは、あれも知った、これも知った、
次に何を知ろうかと傲慢に構えています。
知っているけど、まだまだ怒りっぽい。
それを知らせてくれる人は周りにいる。
コレが必然。
勧められた本を読み、
感銘し、
注文するとその翌日には手元に。

2008.7.14(月曜)
雑草の生命力
中学のPTA活動で一ヶ月前に、緑が伸びる季節だからというので、
草をむしり、苗を植えた。
一ヶ月後に見てみると、雑草がその苗を隠すように伸びている。
雑草の伸びる力は凄い。
なんだか、それを抜いている自分が情けなくなってきた。
なすの実もならないのに全身に棘をだす、鬼なす、へくそかずら。
これらは、取り除くのには大変だ。指が刺される。
雑草を抜いて、ボランティア袋に集めてゴミ扱いするのは、間違っているのではないかなと感じた瞬間だ。

2008.7.13(日曜)
お母さんたちは、お父さんたちより、波動が高い
中学校のPTA活動を通じての発見です。
私は今までビジネス一辺倒で、
育児や家事は一顧だにしませんでした。
従来のビジネスは男社会。
男尊女卑の世界です。
だからでしょう。
ふと、下の娘が中学に入ったのをタイミングに、PTA活動の意欲が湧いてきました。
多面的に柔軟にものを見て対応できるとういうお母さんたちの姿勢にコペルニクス的転回を感じました。
お母さんたちは、お父さんたちより多面的で多彩で柔軟。(コレは私にとって驚愕の事実です)

2008.7.12(土曜)
泣くという行為は、自分の心を洗浄する
泣くというのは、自分の心を清めるプロセス。
決して、めめしいことではない。
泣きなさぁい〜
男も女も。

2008.7.11(金曜)
響いてゆくのは、思い
響いてゆくのは、「思い」。
響いてゆくのは、言葉でも、行動でもない。
その場では、皆が言葉や行動に走る、そして踊る。
しかし、その場がひけて、響いてゆくのは、「思い」。
純粋な思い。

2008.7.10(木曜)
あの頃のまま ブレッド&バター
昨晩は、友人と2時間びっちりカラオケを楽しみました。
その影響で、今朝は、「気功」も「瞑想」も「チベット体操」もしてません^^;
呑めば飲むほど、酔えば酔うほど学生時代から就職一年目の曲が浮かんでくる。
不思議。
就職一年目、1981,大阪勤務のときに、ブレッド&バターのコンサートに行きました。
そのとき、一番心にしっくりした曲が、「あの頃のまま」。
For yourself, for yourself
For myself, for myself

幸せの形にこだわらずに
ひとは自分を生きてゆくのだから
http://jp.youtube.com/watch?v=FUOslvA6uTs

2008.7.9(水曜)
達人は否定しない
達人には否定的な言葉がない。
ひとこと、一言、
一字一句が、
肯定的。

2008.7.8(火曜)
気功とは(その3)
先日、直接、先生から気功を教わりました。
収穫のひとつは、「体の力を抜く」ということ。
『はい、肩の力を抜いて!』
とは、よく言われること。
じゃ、肩の力を抜くにはどうするの?に答えてくれたのが気功。
その場に立ったまま、散歩のように自然に手を振る。
これだけで気持ちがいい。
だんだん大きく振る。
天まで降る。
天まで行ったら、力を抜く。
すると、ストンと落ちる。
【これが、力を抜くということ】
一旦、実感すると、体は勝手に自由にそれを展開してくれる。(素晴らしい!)
私は、子供のときから体がかたい。
小学校の前屈測定で、いつでもマイナス○○センチ。
このくらい、体がかたい。
そして、毎朝の日課にしているヨガ体操の最後にこの前屈がある。
今までは、努力していました。床に指先をつけようと。。
今朝は、ふと、努力ではなく、
力を抜いた状態が先にあったものだから自然にぶら下がり、
いつもよりも随分と下の方へ指先が伸びました。
前屈では、努力よりも、努力せず、ただ、ブランと上半身の力を抜くことがコツだな!と嬉しくなりました。
私の順番は、気功、ヨガ体操と瞑想、チベット体操の順番です。
続けるほどに掛かる時間は少なくなります。勘所が理解できるので。

2008.7.7(月曜)
たなばた・七夕とは
男が女にあやまる話
(香川県の民話 → 香川県情報)
♪音声配信 の下のプレイヤーをクリックしてお楽しみください。
http://hukumusume.com/366/kinenbi/pc/07gatu/7_07.htm

2008.7.6(日曜)
気功とは(その2)
昨日、このタイトルで文章をまとめ、それなりに分かったつもりでおりました。
しかし、しかし、まだ、まだ、まだ、分かっておりませんでした(^^;(汗顔の至りです)
「気」とは何か?
「功」とは何か?
天野泰司先生の深く簡単な定義に、再度、自分の意識を重ねてみました。
心身が自然に喜んでいます。

2008.7.5(土曜)
気功とは
気功とは、自分が自然であるために、自分でできるやさしい方法の全て。
「気」とは自然の働き、「功」とはその働きを養い引き出す練習のこと。
拙者の経験では、超越瞑想(TM)は効いています。
チベット体操は、短期間で驚くほどの効果があり、毎日続けています。
ともに続けている超越瞑想とチベット体操に今回、気功が加わりました。
なぜなのか?
やはり、学べること、自分に気づかせてくれること、実際、自分の心身、現実が良き方へと変化していることを感じたからです。
頭は間違うことが多いし、
頭が体や心に無理をさせて、不自然な状況に自分自身を追い込むこともありましょう。
しかし、体は絶対に間違わない。
絶対に間違わないからだの声を聴く技が「気功」であると私は今理解しています。
瞑想も、チベット体操も、気功も素晴らしい。
私が今ほれている気功サイトhttp://npo-kikou.com/kikou/what_kiko.htm

2008.7.4(金曜)
余計なものが多すぎる
余計なものが多すぎる。
よけいなものをそぎ落とそう。
すると、心が軽くなる。
心が軽くなると、頭が軽くなる。
頭が軽くなると、体が軽くなる。

2008.7.3(木曜)
予期せぬ余計や邪魔が、福の神でした
この忙しいときに、米国の先生から余計なメールが着ちゃったな^^;
英語で6ページもある^^;と思った。
しかし、それは素晴らしいネクストステップの詳細なる設計図でした。
分からんもんだね!
これがまさに、自然の支援【support of nature】

2008.7.2(水曜)
食と重さ
食べ過ぎると、胃腸が悲鳴をあげる。
胃腸が悲鳴をあげると、体が重くなる。
体が重くなると、頭が重くなる。
頭が重くなると、気分まで重たくなる。
素晴らしい自然の連鎖。
逆に、腹八分目に留めれば、胃腸は軽快。
胃腸が軽快だと、体も軽くなる。
体が軽くなると、頭が軽くなる。
頭が軽くなると、気分まで軽くなる。
コレができないばっかりに、困ることがしばしば。

2008.7.1(火曜)
プリンセス雅子に想うこと
日本人移住100周年を迎えたブラジル。
皇太子、ひろのみやさまは、単独で訪問された。
この報道映像に、ふと雅子様を想起した。
雅子様が不調になってから、快方に向かっていることは、ここ数年ずっとニュースで耳にしている。
快方に向かっているのは結構なことだが、気になるのは、「なぜ、不調になったか?」ということ。
マスメディアから聞こえてくるのは、宮内庁のおかしさ。
◆確かに宮内庁のおかしさもあるかもしれないが、そればかりではなさそうだと、私は推察する。☆〜
雅子様の従来から現在までのモード(思考や気分や行動)を生み出してきた根っこに、
「私は完璧であらねばならない」という信念を感じる。
そして、もしかすると、その信念自体を雅子様が意識していない。
幼少期に、そのような信念を形成されたのではないか、と推察する。
このような信念を形成すると、どれだけこの世で生きることが難しいか、
大人であればわかること。
人間は素晴らしい。誰しも素晴らしい。しかし、完璧じゃないんだから。
だけど、幼少期にそのように思い込んじゃうと、このモードに入り易い。
以上、勝手な想像ですが、今の日本全国、鬱の時代(元気がない)を雅子様がシンボライズされているのかとも思った次第です。