【ニューヨーク発】東16丁目のちゃぶ台

 [ Last Updated : 2/15/98 ]

 恋のはなし



 男友達から彼の『束の間の恋』の話を聞いた。
 「こう…、地下鉄のホームで電車を待ってて、何気なく反対側のホームを見るとさ、一寸の隙もなく靴もかばんもスーツもビシッときめたキャリアウーマンのオーラを放つお姉さんが立ってるんだよ。」
 ソファーに寝転がっている彼は天井に向かって両手を延ばし、そのお姉さんのシェイプを描きながら続ける。
 「その出勤途中の女戦士、って感じで身を固めたお姉さんがさ、誰も見てないと思って小さく欠伸をしたんだな。俺さ、それ見て彼女に恋をしたね。本気だけど、束の間の恋。」

 私は一気に惚れるたちである。
 せっかちな性格も手伝い大体に於いてそうと決まったらすぐに相手に伝えなくては気が済まない。先方にとっては寝耳に水といった具合になってしまうので迷惑といえば迷惑な話である。
 10代の頃は迷ったり、ためらったり、何とか自分から言わずして向こうから告白させようなどという『恋の大作戦』も展開させたのだが、いかんせん人生の残り時間は少なくなるばかりである。『大作戦』とまではもはやいかず、がんばってもせいぜい『コンビネーション B 』くらいである。年齢を重ねると何事においても割愛できてしまうプロセスが少なからずあって、自分の行動にふと気がついて「へー」と思う。誰かに恋をしている恋愛純度は10代のそのときと変わらないのに恋の成就(もしくは玉砕)までのプロセスが少なくなっていくというのはその分情報と技術を駆使したようで何だか艶のない気がする。
 自分のせっかちさを戒めるためにも私はここ数年、告白するなら「恋文」と決めている。手紙が相手に届くまでの時間、私の心も相手に向かってゆらゆらと漂っていくという訳である。切なくも楽しい恋心、ああ。それでものぼせていられるのはほんの5日間くらいで、あまりに相手から何の反応もないとすぐにしびれを切らして、
私のことが好きですか? □ Yes □ No □ Give me a break !
:いずれかにチェックをして返送してください、と書いた返信用ハガキをつくったりするのだから自分でもあきれる。

 『束の間の恋』というのは自分の想いは決して相手に通じない安心感がある。相手が自分の気持ちに気がつくことがないことが分かっているからこそ束の間の間、本気で相手に恋をする。恋愛期間はほんの1、2分だったりするのに時として『大作戦』を展開した相手以上にいつまでも記憶に残っていたりする。とても不思議な恋だとおもう。

 スペシャル番組のラフ編集が終って本編集前のプロデューサー・プレビューを控えていた。先のスケジュールを考えると気が張り、気がつくと眉間にしわが寄ってしまっていた。編集室からプレビューに向かう途中に日本食レストランがある。ストリート側はスモークのかかった一面のガラス張りで道行く人にとっては鏡代わりになる。時間に遅れそうで前のめりになる勢いでせかせかと歩いていた私はそのガラスに映った自分の姿を見て一瞬足を止め、眉間のしわを延ばした。ふと目を凝らしたらスモークのかかったガラスの向こうの店内が見えた。そこはバーになっていてカウンターに一人だけ男性が座っていた。ノーネクタイにジャケットを着た日本人の30代後半の男性で、何の根拠もなく私にはスチール・カメラマンに見えた。
 その人は私が彼に気付いて目があったその瞬間に、彼にしかきっとできないだろうなと思わせる素敵な笑顔をつくった。彼は目が合った時のエチケットとしてそうしたに過ぎないのだが、それはゆっくりと広がる本当に素敵な笑顔だった。ほんの10秒間ほどのその出来事に心臓がキュンとした。思わず目をそらせてしまった。狼狽してあたふたと歩き出し、心臓がバクバクするので店の前を過ぎてから足を止めた。一瞬戻ろうかと思う。でも自分は戻らないし、彼と言葉を交すこともないと知っていた。その瞬間に一気に彼に恋をした。  のぼせてたおかげでその日はその後余計な力が抜けてすべてがスムーズに運び、その日以来ずいぶんたつけれど私はその店の前を通っても決してガラスを見ることができないでいる。

 恋をするというのは一体どういう仕組みになってるんでしょうね。
 皆さんにとって素敵なバレンタインズ・デー・ウイークエンドでありますように。




朝香はつみ
テレビ・ディレクター

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