[ Last Updated : 8/1/96 ]
くっつくのが苦手であった。
と、先日、数年ぶりに日本に帰って気がついた。
元々が勝手な性格である。嫌なことからはさっさと逃げてしまう。
東横線で久しぶりにクッションのきいた座席に座った。端から2つ目。両端が空席というのが私にとってベストの状態である。
次の駅で暑さにネクタイを緩めたビジネスマンが私の隣に座った。彼が獲ったのは一番端である。どちらかというと恰幅の良い人であった。近づいただけで体温が感じられるほどの汗があった。
とっさに席を立ってしまった。降りるのかと思いきや、目の前の吊かわにつかまって涼しい顔をしていたので、彼は気分を害した顔をした。同じ車両の人も気まずそうである。
「あ、いけない」
やっとそこで気がつくのだが、大体においてもう手遅れである。立ったまま狸寝入りもできないな、と困っていたら回りの人のほうがそれを始めてくれた。
幼稚園のころ、母と一緒に寝たことがあった。冬の夜で、隣の布団には父が寝ていた。
「あのね、背中をくっつけるとあったかいのよ。」
母の言葉に2人で背中をくっつけてみた。確かに暖かかったが、何だかこの背中を離してはいけないような気がして緊張してなかなか寝付けなかった。
くっつけると離すタイミングというものも難しいものである。
高校のときに初めて男の子と手をつないだとき、一体いつこの手を離したら失礼にあたらないのか、ということばかり考えていたら手に汗がどんどんにじんできて相手に手を振りほどかれてしまった。
5年前、ニューヨークに住むことを決めたとき、どうしてもそうしたかったし、すでに自分のアパートに住んでいたから、家族と離れるということに特別な感傷はなかったが、それでも何気なく出たかった。そうして意識してみると”何気なく”ということがどういうことなのか分からなくなって、出発の朝、ひたすら新聞を読みふけるフリをした。やったことがないので分からないが、嫁入りの日に両親にあいさつする花嫁というのはこういう気分なのではないかと思う。(花嫁は嫁入りの朝に漬物を噛りながらスポニチは読まないか。)
やっぱり何か言わないとまずいかな、と頭をぐるぐるさせていたら、職人の父は
「おう、なんだ、風邪ひくなよ。」
と加藤茶(古いな。)のようなことをつぶやいて、私の顔も見ずに仕事に出てしまった。そのうちに母は
「じゃお母さん朝のうちに買い物済ませたいから。鍵、ちゃんとかけておいてね。」
次にいつ会えるか分からない娘を置いてさっさとみんないなくなってしまった。
ははーん、これは私に内緒で空港に来る気だな、と含み笑いをしながら成田に一人で向かった私は結局最後まで一人だった。
最終搭乗のアナウンスが流れる空港から憤慨して家に電話をかけると(この辺が私の情けないところではある。)母の唯一の言葉は、「風邪、ひかないのよ。」だった。
後は何を言ってもくぐもった声で「うん、うん。」としか返事をしなかった。
くっつきすぎて見えないことがたくさんある。大き過ぎて聞こえない声がある。 「風邪引くな。」という言葉の中に込められたたくさんの意味を知ったのは日本を遠く離れてからのことである。
くっつくのが嫌いなのは勝手な自分への戒めのための本能なのかもしれない。
朝香はつみ(女・32歳)
テレビ・ディレクター