【ニューヨーク発】東16丁目のちゃぶ台
[ Last Updated : 8/14/98 ]
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年増のケンカ
私の住むマンハッタンの東16丁目にはユニオン・スクエアという広場があって、毎週月・水・金・土曜日、そこは『グリーン・マーケット』という青空市場になる。無農薬野菜を中心に卵、ジャム、絞りたての牛乳やホームメイドのパン、プリッツエルなんかをニューヨーク州の北から農家の人々がトラックに積んで売りに来る。最近の新顔はアーミッシュ(オハイオ、ペンシルバニア、インディアナ州などに住むキリスト教・再洗礼派に属する人たち。文明生活から離れ独特の生活習慣を持つ。質素な生活だが食事は豊富。ハリソン・フォード主演の「目撃者」はこのアーミッシュの人たちの生活が舞台でした。)が売るパイとチーズでこれが安くておいしい。それとやはりペンシルバニア州でつくっているプリッツエル、私はこれを日本の家族に送っているほど。春から夏の季節は花や観葉植物も加わってそれはそれは美しくてにぎやか。
機会があったらぜひ立ち寄ってみてください。
その『グリーン・マーケット』の片隅で店を広げている古本屋で映画のビデオを買った。古いレコードやポスト・カードの合間に何本か置いてあったもので1本$8.50(約¥1,200)。ハーバート・ロスの「The Turning Point」(1977年)で、たしか邦題は「酒と薔薇の日々」だったと思う。私が10代後半で観たときでもすでに『古い名画』に近かった。アン・バンクロフトとシャーリー・マクレーンの二大女優が演ずるバレエ・ダンサーの話で、若さと技術の双方が頂点にあったとき、ひとりは結婚を選び、ひとりはそのままプリマドンナとしての道を進む。その2人が10数年後に再会した。果たしてどちらが正しいものを選んだのか…。
10代に観たときの印象で今覚えていることはミカエル・バリシニコフの跳躍力の凄さと、いくらアン・バンクロフトとシャーリー・マクレーンとはいえ、髪をつかみ合う年増のケンカは醜い!という2点だけであった。が、その『年増』(しかし嫌な響きだな。まったく。)になって観てみたら、ミカエル・バリシニコフの相も変わらぬ高いジャンプと、アメカン・バレエ・シアターのパフォーマンスはため息が出るほど美しく、変わらぬ感動。バレリーナの手の動きのあのしなやかさは私が今熱中しているフラダンスのそれと大変近いことにも気がついた。それはともかく、なんと10代の頃、醜い!と眉根を寄せたはずのケンカのシーンには、今観てもかなり壮絶ではあるけれど、痛いほど胸がしめつけられた。その壮絶なケンカの途中で女二人は笑い出してしまう。そのシーンではなんと私は涙まで出してしまったのである。
まあ、この感受性の変化は私が10代以降、順調に、かどうかは分からないけれどそれなりの数の、人生経験をして「年を増して」きたからに他ならないのであるが、それにしても私たちはなんてたくさん「選択」しながら生きているのか。あのときあっちを選んでいたら全然違った人生だったなと、考えることは誰でも一度はある。そういうときというのは往々にしていま自分が歩いている人生があんまり楽しくないときである。だからこそ、やっぱりこっちを選んでおいてよかった!と思える何かが欲しいんだけれどもそういうときは絶対にそれが手に入らない。そんなとき、映画の中のアン・バンクロフトとシャーリー・マクレーンのように、まるで誰かのせいで自分がこうなったかのように、その人の髪をつかみ、引きずり回し、殴れたらどんなにすっとするだろう。そしてむこうはむこうでこっちの選んだもののほうがいいんではないかと思っていると知ったらどんなに気が楽になるだろうか。
でもそういうことは現実にはそうは起こらないし、なんといっても人生逆には戻れないから結局自分でどうにかして納得するしかない。大体においてはあきらめる、ということが一番早い解決策となってしまう。
私は変なところに辛抱強く、決してあきらめたくないときがある。それは事柄よってはいいことなのだが、つい先日はもはや変えることができないある事柄について深く入り込んで非常に苦しい思いをした。それは明らかに辛抱強く考えてはいけない事柄だったのだが、どうしてもあきらめることができなかった。おかげで神経症にかかる寸前になってしまい、危ういところで友人に助けられた。でもその事柄はなくなりはしなくて私のなかにいつまでも鎮座していた。でも私はそれを箱に詰め紐をきつく巻いて隅に押しやることを覚えた。子供の頃テレビで見ていた金原二郎のジェスチャーゲームのように「それは置いといて」を実践したのである。自分自身を納得させるのにもこれはなかなかいい解決策だった。私はそれをあきらめた訳ではなく、それをそのままそこに置いておくことにしただけなのである。本当にこれでいいのだろうか?といぶかしく思わないでもないが、今のところこれでよしとしている。変えられないものはどうあがいても変えられない。
人の人生を左右する出来事というのは、たとえば物心がつく前の親との関係、つまり自分が認識しているしていないにかかわらない、までを含めたらそれこそパズルのようにそれらが重なり絡みあって今につながっている。
アン・バンクロフトとシャーリー・マクレーンのようにケンカをする、たとえ想像だけでも、としたら相手に誰を選ぶか。その辺にその人の大きな「The Turning Point」があるのかも知れない。
朝香はつみ
テレビ・ディレクター
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