【ニューヨーク発】なおちゃんのバンド日記
[ Last Updated : 8/15/97 ]
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バンドの話(その1:ドラマー・コーリー)
プロローグ
僕のアメリカ生活も今年で11年目を迎えようとしている。 南部テネシー州、ナッシュビルでの学生生活を終えて、ニューヨークで働きはじめて7年目。 その間、常に少しづつバンド活動はしていたが、特に何も起きなかったし、だからといって特に力を入れた活動もしなかった。 自分自身では、いつかは本格的なバンド活動をしたいとは思っていたものの、「まだ若いし、いつか何とかなるだろう・・」といういい加減な気持ちと、「本当に通用するだろうか?」という自信の無さが一緒になって、気が付いてみれば上司の命令を受けながら、ただひたすら働いている自分があった。
そんな生活に見切りをつけたのが2年前。僕にとっては何の情熱も感じなかった音楽プロダクションでの仕事をキッパリと辞め、どうなるかは分からないが、それまでの人脈関係を生かしてフリーランスとしての仕事を取る事に決めた。 そして、今まで中途半端だった「バンド活動」を本気で始める事にしてしまった!!
実はこのバンド、僕がニューヨークに来てから2年目に始めたので、この決断をするまで3年以上も過ごしてしまった事になる。 ただ、ひとつだけどうしても引っかかったのは、その決断をした時点で、バンドにはドラマーがいなかった事だ。
バンドを結成した当時、メンバーは全員日本人だったのだが、とにかくドラマー探しだけは常に苦労した。 最初のドラマーはビザが引っかかってしまい、日本への帰国を余儀なくされた。 2人目はジャズ・ドラマー志望だったので、僕達のやっているハード・ロックとはノリが違った。 3人目にしてとても良いドラマーを見つけたのだが、やはりジャズ志向で、プロ・ドラマーになるために日本へ帰国してしまった。
その他にも一緒にジャムをしたドラマーが何人かいるが、挙げ出したらキリがないのでやめておく。 現在、その1人目と、3人目のドラマーはどちらも日本でプロ・ミュージシャンとして現在も活動しているハズだ。
ここからの話は、僕が4人目のドラマーと出会う所から始まる・・・
ドラマー・コーリー
まず、一番不思議な事は、僕のバンドのドラマー、コーリーと僕達の関係だ。 今だに彼と僕達が友達であり、一緒に同じバンドをやってるのが不思議でたまらない。 だって、彼と僕達の接点というのは、ほとんどないんだもの・・・ と言ったら変だけど、実際他人から見ても、僕達のコンビネーションは変わっていると思う。
コーリーはフロリダ生まれ、フロリダ育ちの黒人で、19歳だ。 とっても素直な性格で、ドラムを叩いている時の笑顔は、まだまだ少年だ。 彼との出会いは、僕がこのバンドを辞めてしまおうかと考えていた頃であった。 他のメンバー達は一定の仕事をもっているが、ミュージシャンになる為に会社を辞めてしまった僕は、もう後戻り出来ないのだ。
先に進めない!
ちょうどあの時期、僕は自分のバンド活動に行き詰まっていて、色々悩んだが、全くどうしようもなかった。 じっとしていてもしょうがないので、僕は状況を好転させるべく、他のバンドのオーディションを2ヵ月ほど受けまくった。 ・・・それでも全く自分にフィットするバンドはなかった。
あるバンドは、Living Colour のようなファンキーなハードロックをやりたいと言っておきながら、実は全くファンキーでなく、しかも全くハードでもなかった。 また、あるバンドは、やりたい事は分かるが、実力がついていってなかった。
ひとつだけ僕の気に入ったバンドがあり、僕は10日で彼らの曲を5曲覚え、オーディションに向かった。 オーディションでの僕の演奏は、少なくとも僕にとっては完璧だった。 しかし僕は選ばれなかった。
ドラマーやります
なんともならない状況だったが、とりあえず次のバンドを探し続けた。 ある日僕はいつもの様に、ニューヨークの週間情報誌、Village Voice のミュージシャン広告欄でギタリスト募集の広告を探していた..(僕はギタリストだ) その時、ふと「ドラマーやります」の広告が目に入った。 広告を見る限り、自分のバンドにはピッタリそうだ..影響を受けたミュージシャンは、SOUNDGARDEN、PARL JAM、RUSH・・・と書いてある。 すぐに電話を入れてみる。 すると、へんなオヤジが電話に出た。
「ドラマーは俺の甥っ子だよ、今夜マンハッタンに出るから、彼と一緒にオマエんちへ寄るよ」
・・・と、強引にスケジュールを決められた。 言葉のアクセントからして彼は黒人・・・もしくは、なんだかよく分からない人種である、とすぐに判断出来た。 一瞬ヤバかったかなぁーと思ったが、こうなった以上しょうがない。 なんでもこいだ。
アンタほんとにドラマー?
そして夜、そのオヤジがうちにやって来た。 やっぱりデブの黒人である。 しかも、横にへんなラッパーみたいな少年がついて来た。 「ああ、やられたぁぁー」僕は瞬間的にそう思った。 どう見てもハード・ロック・ドラマーには見えない。
僕はその時、カン違いをしていて、そのオヤジがドラマーだと思っていた。 そこで、オヤジに「あんた本当に RUSH が好きなの?」と聞いた。( RUSH はカナダ出身の完全な ”白人ロック”バンドである) するとオヤジは「ドラマーはこっちさ!」と少年を指差した。
「ガーン!! このラッパー小僧?!」
僕はへなへなと力を失いつつも、とりあえず自分達の曲を聞かせる事にした。 曲が気に入らなければ帰るはずだ。
曲が始まると、少年は「ヘーイ! 悪くないゼ・・」とつぶやき、手と足でリズムをとり始めた。 僕はそんな彼の反応に少々驚いたが、あとはこの少年が本当に叩けるのかどうかが心配になった。
オヤジはその間、色々な質問をしてくる。 「このアパートの家賃はいくらか?」「どれくらいで成功すると思うか?」「クラブに出たら、いくらもらえるか?」・・・ あとで聞くと、オヤジはフロリダからやって来たばかりの甥っ子のマネージャーをしているのだという。
ひょっとしたらコイツは..
・・それから3日後、オヤジから「コーリーが今、練習スタジオにいるから来ないか?」と電話が入った。 これで彼が本当に叩けるのか見ることが出来る・・・ 僕は早速ギターを持って、練習スタジオへ向かった。
スタジオの中へ入ると、まずオヤジがデンとソファーに腰かけていた。 そしてコーリーの他に、もう一人、超旧式のビデオ・カメラ(VHSのヤツ)を持ったレゲェのおやじがいた。 あと一歩で浮浪者という感じのレゲェおやじはマイケルといい(何と不釣り合いな名前だろう!)、これを撮ってローカル・テレビのチャンネルで流すのだという・・ 黒人特有の体臭が漂うスタジオの中は、何とも異様な雰囲気だった。
驚いた事は、コーリーが僕の渡したテープをガンガンに鳴らし、それに合わせて練習していた事だ。 彼はとても曲が気に入ったと言い、僕がギターの用意をしている間、一生懸命練習していた。 少なくとも自分が創った曲を、こんなに気に入ってもらった事は凄くうれしかった。 が、もっと驚いたのは、そのテープの中に入っていた、一番難しい曲・・・変拍子が入り、ちょっとやそっとでは叩けない曲・・をほとんど完璧に叩いていた事だ!
「これは、本当にめっけもんかもしれない!」・・・ 僕は興奮した。
僕は、彼とのジャムを楽しんだ。 ドラマーと目と目を合わせてジャムするなんて、何年振りだろう!! しかも、彼は異常に覚えが早い! 曲の構成をくどくど説明しなくてもいいのだ。 これは天才かもしれない! と一瞬思ったが、後に彼が披露してくれたドラム・ソロは、まだまだ聞けたものじゃなかった。 それと、リズムが不安定なのも今後の課題だろう・・・
しかし、これでやっとバンド活動が出来る様になったわけである。 これ以上望むものは何もなかった・・・

その2へつづく..
NAO
ミュージシャン
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