Diary

2004年1月15日(木)
悲しい日

長い間、ご無沙汰していた友達が病気だった事は知っていた。2年前に話した時、元気そうだったので、その後も連絡が無いのはすっかり元気になったんだぁ、と勝手に解釈していた。しかし、先日共通の友達から連絡があり、彼女が危篤だと知った。そして数日後の13日に彼女はこの世を去った。今日はお葬式だった。急だったのと、広島での葬儀で東京在住の私は残念ながら葬儀に参加できなかった。私の中の彼女は今も元気で独特の話口調で話しかけてくる。でも、もう会えない。親、親戚、友達と大切な人達は沢山いる。でも、大切な人達に会うためや電話をするのを先延ばしにしてしまう事が多々ある。悲しい別れを経験するたびに、大切な人達には思い立った時に、連絡をするようにしよう!と自分に言い聞かせる。去年、彼女に一本の電話をしようと思ったのに、しなかった事が悔やまれる。痛みとの戦いだったと聞いた今、その苦悩から開放された彼女の安らかな冥福をお祈りするしかない。


an empty chair......

アメリカ人のカウンセラーの友人に頼まれて製作した
ブローチ

素材:銀粘土
2004年1月18日(日)
ゆっくり日曜日

今日は久しぶりにゆっくりした日曜日。ずーと更新していないHPが気になりながら、昨夜は気が付くと床に転がったまま寝てしまい10時半にはベッドに入って熟睡。朝は早起き出来ると思ったら10時頃まで眠り続けてしまった。実は昨日の寒さから今日は雪で外に出たくないハズ!と食料を買い込んでいたら、今日は予想外に晴れていて外に出たい陽気だった。ベランダから見える、晴海のトリトンスクエアで何かの撮影をしている様だったが、今日は一日家にいる事に決めて部屋の掃除をマニアックにして過ごした。夕方、携帯が鳴り近所のKファミリーの夫Jからだった。トリトンでのTVの撮影見学の後、帰る途中に私の部屋に電気が点いていたので、電話をくれたのだ。K一家との楽しい夕食は断れないと、急いで化粧をして着替えて外に出た。もんじゃを食べに行ったのだが、青海苔をかけるとき娘のAちゃんが「うまくできないかもしれない」と言うと、母Eは「何事も最善をつくせばいいのよ!ラストサムライでも言ってたでしょ!」と言うのを聞いて、面白いなぁ青海苔くらいで!と笑った。息子のJ君は学力テストの結果が悪いらしいと告白。私がいるので、助け舟を出してくれると思ったらしいが、墓穴を掘ったかも!でも、2人とも本当に良い子達で楽しい家族だ。子供のいない私は、こうやってお友達家族と過ごす時間が楽しいのだ。帰ってHP更新に奮闘していたらイギリスの夫から電話があった。声を聞くとなんだかホッとする。こんなパートナーがいるのはありがたいなぁと、感謝。

寝ても寝ても
眠いのだ

2004年1月19日(月)
消化不良な一日

友人の死を機に、あの人どうしているかなぁ?と思うと連絡をする事にした。以前は頻繁に会っていた友達と最近、会っていなかったので電話をしてみた。近所なのもあってアトリエに顔を見せてくれた。別に言う必要も無かったけど、と言うか、言って後悔の方が正しいかもしれないが、友人の死の事を告げると彼女は笑って「私も死んでいるかと思った?」と言った。いつもなら、何気ないセリフかもしれないが妙にガッカリした。彼女にと言うよりは、「死」という言葉の軽さにだと思う。コンピューターゲームでも、何人殺すと何ポイントとか、映画でも人が大勢殺されるシーンが当たり前になり、人々は大した事でも無い時も「こんなんだったら死んだ方がましだ。」と軽く口走る。人の命の重さと死の軽さのギャップが納得いかない!でも、だから何?自分も同じだろう?と消化不良。その上、仕事上でも消化不良な自体が密かに起こっていたり、どれもこれも問題というにはフンって感じで、消化不良!こんな日は、早く家に帰って夜はゆっくり自分の時間を過ごそうと、「Soul Love」という本を読んだ。何気なく開いたページに今日の自分に必要な内容で、まるで胃腸薬を飲んだ様にスッキリ!快眠!Life is good and full of surprise!

How am I different?

2004年1月20日(火)
変な夢

いつも夢に出てくるアメリカの町。夢の中ではピッツバーグの設定らしいが、3年ピッツバーグに住んだ私からすると、その場所は明らかに違う場所。その町はビーチのある観光地で、おまけに今回の夢には砂漠と谷まで出てきた。ピッツバーグは内陸だから、どうがんばってもビーチは無いのだ。友人の家(私はそこに泊まっているらしい)から近くのパン屋さんに軽い気持ちで出かけたら激しく迷ってしまい、見知らぬ学校だか宮殿だか工場だか分からない場所に行ってしまった。3箇所とも全く違うじゃないか!と言われそうだが、その場所を見てもらえると(夢なので無理ですが)あ〜なるほどね!と納得できる場所なのだ。そこで、ドレスアップしたアメリカ人達が何かのセレモニーをしていて1人の男性がスピーチをしている。関係者立ち入り禁止の表示もあるので、トイレに行ってから立ち去ろうと女子トイレに行った。そこで、手に持っていた大切な書類を忘れてしまった。すぐに引き返してみるが、書類はすでに無い。その書類を持って最終の飛行機に乗る予定だったらしく、かなりあせっている。歩いても歩いても友人の家は無いし、おまけに近所だったはずのパン屋もない!すっかり疲れ果てて、これは夢なんだから早く起きよう!と目を開けてホッとした。今日はテニスの日だったので、思いっきりボールを打って、走って、いい汗を流してスッキリ爽快!午後は事務的なやりたくない仕事をさっさと済ませて、自分の為に作品を作った。お気に入りの1点が出来て気分も上々!やはり、モノを作るのが一番Happy! 

Be cool and stay happy.

2004年1月24日(土)
1日セミナー

フィモクラフト初体験のHさん、Mさん、Rさんの1日セミナー。3人とも「不器用だから、出来るかなぁ。」と言っていたわりには手際もよく、ケイン製作上で一番の基本である粘土をひも状に伸ばす作業が上手に出来たので、教える私もホッと一安心。最近のセミナーで感じる事は、初心者の方達がなぜか基本工程を早く学んで、すいすいと楽しい時間を共有出来る事。これは教える側としては本当に嬉しいし、ありがたいし、このクラフトの広がりが見えて来た感触だったりする。11年前にアメリカでポリマークレイという素材に出会い、フィモの祖国でもあるドイツ生活の中で作品を作り、帰国作品展を広島で始めたのが9年前。この素材に出会ってから11年が過ぎたが、日本ではまだまだ知名度は低い。今後もセミナー等を通じて、どんどん楽しい作品創りを広げて行きたいと感じる一日だった。

こんなに可愛いオリジナルの小皿が
誰でも出来る
楽しい1dayセミナー

2004年1月25日(日)
充実の日曜日

久しぶりに友達を家に招いた日曜日。朝からテキパキと掃除をして、どこを見ても綺麗なお部屋。気持ちまでパリッとして気持ちいい。国際別居婚が始まって以来、1人暮らしの気の緩みからと、忙しさを言い分けに四角い部屋を丸く掃除する事が増えてしまった。反省!久しぶりに会うSちゃんはすっかり大人になっていた。思えば初めて彼女に会ったのは9年前、まだ高校生だったのだ。今では社会人として、しっかり仕事もして落ち着いた姿を見て安心した。基本的には根暗でオタクの私は、人に会わずに1人でこつこつモノ創りをしてしまう。今年というか、毎年これではいかん!と特に1月はいろいろな人と会う約束をする。Sちゃんは吉祥寺のケーキ屋さんから、とってもアーティスティックなケーキをお土産に持ってきてくれた。味も甘過ぎず、リッチ過ぎず美味!形も勾玉みたいで珍しい!充実の日曜日をかざるにはふさわしいケーキだった。ありがとうSちゃん、感謝、感謝。

これでも、ケーキです私ぃ
みたいな・・・

2004年1月28日(水)
オランダ人

久日ぶりに広島在住のオランダ人の友人に再会した。友人と言っても数回、話したくらいなのだけど以外に以前から知っている様に感じる。彼も同じなのか、東京に来ると必ず訪ねてくる。彼は木と金属のクリエターですばらしい作品を作る。でも、何となく広島でぬるま湯生活をして足を出せなくなっている様子だった。本人もこれではいかんと感じていたらしく、アトリエに説教されに来たようだ。人にも自分に厳しい私はビシビシバシバシと愛の鞭を飛ばした。彼はとっても感謝してくれて「ありがとう。久しぶりに自分の事を真剣に考えてくれて意見してくれる人と話せたよ。」と喜んでくれた。英語で説教するのが大好きな私は自分でも、私って実はアメリカ人?と勘違いするくらい英語がスラスラ出てきた。最近、めっきり英語を喋らない生活だったので英語で説教は楽しかった(^^)。アメリカから帰国してすぐ広島に住んでいた事、よく外国人の友達に相談を受けていた。皆な口を揃えて、日本人は悪い事を指摘せずにニコニコしていて何でも本音で話せる本当の友達が出来ないと言っていた。その分本音で飛ばしまくる私は日本人扱いされず、いじめられたい連中、得にアメリカ人がいっぱい集まって来ていた。将来はバーを開いて長〜いカウンターで癒されたい人は、うちの癒し系夫サイド、いじめられたい人は私サイドのカウンターに座ってもらうといいなぁと感じる今日この頃でした。

人間離れしている
ポールの足
(注*日記のオランダ人と
ポールは別人です)

2004年1月30日(金)
起業家塾1日目

今日は9時から16時まで、起業家塾とやらに参加した。3日コースで1日目の今日は「起業を成功させるための条件」と「事業展開・会社経営にあったての人事労務の基本」だった。
どちらも話にメリハリが無く、長く経営のいろはが良くわからない私には、どこが重要なポイントなのか、全く分からなかった。規則ではこうだが、別にそうしなくても良いとか、例外もあるが通常はこうだ、とか。とにかく、ああでもない、こうでもないが多いのだ。だから、どっちが良いのかも分からない。おまけに、講師の方が謙遜してか何度も「私は貧乏ですが・・・」を何度も前置きして話す。これから起業を考えている人達の講義に「貧乏=成功した起業家ではない」方から講義を受けるのも?って感じ。ご年配の方だから、そういう謙遜をするのだろう。
その上、何かと英語(和製英語)をよく使うのだが、たびたび間違っている。「Qと書いて単価」だと言う。で、「このQはクオリティのQ」だと言う。クオリティは「質」である。きっと数量のクオンティティの事を言いたいらしかった。でも英語が分からない人は間違って覚えてしまうかもしれない。他にも多くの英語、なんだかPLCとかPMMとか英語の略語が多く出てきたが、英語の分かる私には?と思うところが沢山あった。
午後からは3時間で社員の募集から解雇までの、もろもろを延々と説明されたが項目が多すぎて3時間では全てが語りつくせる訳が無い!
それで、どれも中途半端で分かりにくかった。
この講師の方は朝とは違う方だったのだが、起業して8年経つが従業員は持たず、1人でやっているらしい。それはそれで悪いとはいわないが起業する限りは従業員を増やしてバリバリやっている人の話を聞きたかった。人を雇っていない人が雇用のいろはを話しても全て書面の事なのだ!まるで高校などで英語の話せない先生に英語を習うのと同じなのだ!と、かなりムムム・・・な思いでアトリエに帰った。そういえば気持ちも分からないではないが、私の横に座っていた女性は午後の講義中、講師の目の前でずーと居眠りをしていた。度胸があると言えばそうだが、すごく失礼だと思った。「寝る子は育つ」と言うが起業家としては育たないかも?!明日は「起業に必要な財務知識」と「経営に必要な税務知識」の講義だ。MY電卓を持参と言うことなので、パチパチ、カチャカチャと何か学べるかも!と期待する事にしよう。

ずーと椅子に座っているのも大変なのだ。
手とかだらぁ〜と
してみました。

2004年1月31日(土)
起業家塾2日目

今日も朝も早から起業家塾!資金計画がどうだとか、事業計画がどうだとか大切な事ばかり。密かに夫に甘えて5年も前に起業してしまった私は自分の事業計画の甘さに恥かしさを覚えた。ただ、起業してありの様な一歩一歩ではあるが、前進し続けている。これも周りの人達に恵まれているおかげだと感じる。事業計画はずたずただったかもしれないが、いい物と努力の継続はは必ずどこかで日の目を見るものだ!と心に信じて踏ん張ってきた。何度もくじけそうになりながら周りに励まされたりで、ここまで来た。フィモクラフトのインストラクターもポコポコと誕生しつつある今日この頃。来年には何百人?いや何千人?ちょっと大げさか!のインストラクターが活躍してくれるビジョンを持って、旗をふりながら応援したい。今回の起業家塾を気にしっかりとした今後の事業計画を練り直そう。しかし、今回の起業家塾の参加者の人達は暗い人が多い。起業するぞ〜!という熱いエネルギーを感じる人がいないのだ。1人だけ、お互いすぐに打ち解けた、明るいAさんとお友達になってランチを一緒に食べながらいろいろ話す。こういう場所では、新しい人達と交流してネットワークを広げる場でもあると感じているのは私達2人みたいで、後の人達はこちらが目ジーっと見つめても、まるで視線を感じないかの様に目も合わそうとしない。これではまるで草を食べている牛ではないか!たまたま入ったラーメン屋さんで、隣に参加者の男性がいて、私達が隣に座ったのに全く無視!こちらは激しく見て、挨拶をしようとしたのに全く無視!この人が起業してどうやってクライアントを増やしていくのか疑問?やっぱ人間はぱぁっと明るい方が人や運までも引き寄せるるよねぇ!とAさんと語り合った。明日は最終日!

10月に京都で撮りました。
これで”MY10円玉”
出来るといいのにぃ