『銀河鉄道の夜』論
  ― 「らっこの上着が来るよ」をめぐっての一考察 ―

 大山 尚

 

  一 はじめに

 『銀河鉄道の夜』に存在する多くの謎の一つに、「父親の不在」というのがある。周知の通りジョバンニの父親は『銀河鉄道の夜』に直接登場しては来ないが、不在でありながらも『銀河鉄道の夜』のトーンを形作るジョバンニの孤独に深い影を落としている。
 本論ではこの「父親の不在」がもたらすジョバンニの孤独を探る上で、ジョバンニの孤独を決定的にさせるザネリの言った、「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ【1】をめぐって、三次稿と四次稿でのジョバンニの孤独の意味の違いを、作品成立当時の時代状況をもとに考えてみたいと思う。

   二 「らっこの上着」をめぐる時代考証

 具体的イメージとして考えた場合、「らっこの上着」とはどのようなものであっのだろうか。ラッコの毛皮を使った上着であることは大方予想がつくだろうが、それがどの程度使われた物であったのかを作品から求めることは不可能である。そこで、『銀河鉄道の夜』が成立した当時の時代状況から「らっこの上着」の実体と、それに付せられた意味について探ってみることにしたい。
 ラッコの毛皮の利用は明治時代初期からあったようである。『近代日本服装史』【2】によると、

ラッコ(猟虎)が明治八年ころから流行して、帽子、二十廻しの襟、外套の襟や見返しなどに使われた。中でもラッコの帽子は、和装にも洋装にも大いに流行した。

とあり、明治初年頃のラッコの毛皮は、主にラッコの帽子の流行による需要によったものであったことが伺われるが、それも明治三十年代になると、

明治十二三年頃に行はれたる背中三角のもの一時の風俗となるべきか、其の時と共に流行するラッコ味漉帽子は早や前世紀の物となり【3】

というように、流行としてのラッコの帽子は廃れていったようである。
 では上着の襟などに使われた物の方はどうであったのかだが、『毛皮の本』【4】によると「日本国内での衣料としての毛皮の需要は、明治の末ごろからおこ」り、それが「今日までに三回の需要期を経てきた」としていて、その第一期について次のように述べている。

 まず最初の一期は、我が国が日露の大戦に戦勝して、満州、今の中国東北区に進出するようになって、防寒用として、男性のオーバー裏の毛皮、衿用毛皮として使いはじめたのです。
 その後、第一次大戦がおこり、いわゆる船成金景気という好景気時代を迎えたのです。男性は和服で外出するときには、とんびまたは二重回しともいいます外套を着ました。その衿に必ず、ラッコやカワウソの毛皮をつけたもので、それが当時の男性の見えであったのです。

 船成金景気という時代に、ラッコの毛皮を襟に付けた外套を、見栄として着用したということから考えられることは、ラッコの毛皮がかなり高価な品物であったということであろう。ではなぜ高価であったのだろうか。
 この当時、ラッコの上着がかなり高価な品物であってもおかしくないことを裏付ける資料がある。
 一九一一(明治四十四)年十二月十四日、米英露日の四ケ国間においてオットセイ(膃肭獸)の保護条約が結ばれた。この条約は、乱獲により減少の著しいオットセイを保護する目的で締結されたものであるが、この第五条にラッコについての条文が存在している。

    第五條
各締約國ハ其ノ人民若ハ臣民又ハ船舶ニ對シ本条約第一條ニ掲クル洋海ノ何レノ部分タルヲ問ハス其ノ領土ノ海岸線ヨリ三海里外ニ於テ獵虎ノ獵殺、捕獲又ハ追躡ヲ許ササルコトヲ約ス【5】(傍線大山)

 四ケ国間で結ばれたこの条約はオットセイの保護条約ではあるのだが、傍線部分にあるようにラッコについてもその捕獲、猟殺が禁じられていたことがわかる。
 この条約の有効期間は第十六条に記されているが、一九一一年十二月十五日からの実施で十五年間、つまり大正十五年の十二月十五日までである。また、条約終了までの期間内に締結国のいずれかが延長を申し出た場合、なるべく同意するようにとも十六条には書き加えられているが、結果としてこの条約の延長はなかったようだ。
 しかしながら、この条約の趣旨であるオットセイとラッコの保護については、その後別の条約の中に組み入れられていくことになる。それが日本とソビエトと間に交わされた条約、「日本国「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦間漁業条約」の中に見て取れるのである。
 この「日本国「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦間漁業条約」は一九二八(昭和三)年一月二十日に日本とソビエトとの間に締結(同年五月二十五日に公布)されたもので、条約の有効期間は第十五条に因り八年間とされている。
 オットセイとラッコについて記されているのはその第一条で、

     第一條
「ソヴィエト」會主義共和國聯邦ハ河川及入江ヲ除キ日本海、「オホーツク」海及「ベーリング」海ニ於ケル「ソヴィエト」會主義共和國聯邦ノ屬地ノ沿岸ニ於テ膃肭獸及獵虎ヲ除キタル一切ノ種類ノ魚類及水物ヲ捕獲シ、取シ及加工スルノ權利ヲ本條約ノ規定ニ從ヒ日本國臣民ニ許與ス右例外ニ含マルル入江ハ本條約附屬議定書(甲)第一條ニ之ヲ列舉ス【6】(傍線大山)

とこのような条文となっている。勿論この条文は保護について直接的に記したものではなく、何を捕獲・採取してよいのかについて記したものであるが、オットセイとラッコの保護を保障していることに違いはない。
 さて、これら二つの条約からラッコ猟に関する当時の法的な状況を整理してみると、明治四十四年十二月十四日から昭和十一年までは、途中約三年間の中断はあるもののラッコの捕獲は禁止されていたことがわかる。禁止されている以上、ラッコの毛皮の絶対量は不足しているであろうことは想像に難くない。勢い価格も上がるはずで、その結果ラッコの毛皮を使った製品は「高価な品物」という意味合いを帯びてくるのではないか。ここに第一次大戦頃の船成金景気の時に、見栄としてラッコの毛皮を使った外套を着るということがおこった理由の一端が伺えるであろう。またこのように高価な品物となれば、当然ラッコ等の密漁を考え、実行する輩も出てくるのではないか。逆に考えれば、当時密漁といえばラッコ猟というのが思い浮かぶという状況があったのではないかと思うのだが、もっともこれは推測にすぎない。

   三 三次稿と四次稿での違い

 多少妙なことではあるが、「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ」とザネリがジョバンニに投げ付けるように叫んだ一文は三次稿から存在し、四次稿においても訂正されることなくそのままの形で生かされている。妙なことというのは、この一文が三次稿、四次稿共に存在しているにもかかわらず、そこに生じている意味が大きく変化しているということである。ここで「らっこの上着」という部分だけに注目してみると、意味の変化が明確化される。
 ザネリがジョバンニに投げつけるように叫ぶ以前に「らっこの上着」について語られているのは、四次稿「家」でのジョバンニと母親の会話の中においてのみである。

「あゝだけどねえ、お父さんは漁へ出てゐないかもしれない。」
「きっと出てゐるよ。お父さんが監獄へ入るやうなそんな悪いことをした筈がないんだ。この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈した巨きな蟹の甲らだのとなかひの角だの今だってみんな標本室にあるんだ。六年生なんか授業のとき先生がかはるがはる教室へ持って行くよ。一昨年修学旅行で〔以下数字分空白〕
「お父さんはこの次はおまへにラッコの上着をもってくるといったねえ。」
「みんながぼくにあふとそれを云ふよ。ひやかすやうに云ふんだ。」

 ザネリが「らっこの上着」という言葉を使ってジョバンニを揶揄することは、母親がジョバンニに「お父さんはこの次はおまへにラッコの上着をもってくるといった」という一文のために理解される。つまり「らっこの上着」に関したなんらかの情報が、ジョバンニの口から出たものという可能性が示唆されているからである。
 ところが三次稿では、「らっこの上着」という言葉が何の前置きもなく突然発せられているのである。さらにその後に付せられた説明には、

なぜならジョバンニのお父さんは、そんならっこや海豹をとる、それも密猟船に乗ってゐて、それになにかひとを怪我させたために、遠くのさびしい海峡の町の監獄に入ってゐるといふのでした。

とあるだけである。このため三次稿では「らっこの上着」という言葉がどこから出てきたものなのかが全くわからない。
 では、三次稿において突然発せられた「らっこの上着」とは、一体どこから出たものであると考えられるのであろうか。そこで注目したいのが、ジョバンニの父親に関する事柄が町の噂として扱われている点である。
 町の噂としての扱いは三次稿・四次稿共に同じであるが、三次稿においては語りとジョバンニのモノローグ中に噂のディテールが存在するのに対し、四次稿においてはジョバンニと母親との会話中にそれが存在する。この際、四次稿において示されている噂というのは、それ自体三次稿と変わりはないものの、それを受容するジョバンニ自身の心情に大きな差異を生じさせていることに気付かされる。もちろん四次稿での母親との会話というのがその差異の大きな要因であることはいなめないが、「らっこの上着」の出所というのを考慮に入れて噂の内容を検討してみると、三次稿・四次稿それぞれのジョバンニの孤独の違いがさらに明確化されるはずである。

   四 ジョバンニの孤独の意味

 繰り返しになるが、三次稿では「らっこの上着が来るよ」というのは、全く突然にザネリが口にする。この「らっこの上着」というものについて何の前置きもない以上、「そんならっこや海豹をとる、それも密漁船に乗ってゐて、それになにかひとを怪我させたために、遠くのさびしい海峡の町の監獄に入ってゐる」という噂から出たものであると考えるしかないだろう。もしそうであるなら、ザネリの口から出た「らっこの上着」というのは、町の噂が下敷きとなって出たものであると考えられ、「ジョバンニは、ばっと胸がつめたくなり、そこら中きぃんと鳴るやうに思ひました」というジョバンニの受けたショックは相当強烈なものであったと思われる。なぜならそれは、ジョバンニの住む町からの疎外でありそこからの孤独を意味するからである。
 このように三次稿では、「ラッコの上着」をめぐってかなり生々しいやり取りのもと、ジョバンニの孤独は決定的になって行くのである。
 さて四次稿ではどうだろうか。ジョバンニの母親が言う「お父さんはこの次はおまへにラッコの上着をもってくるといったねえ」は実に重要な意味を含んでいる。この一文ではっきりすることは、ラッコの上着を持ってくると言ったのがジョバンニの父親であるということだ。ここで注意しなければならないのは、ジョバンニの父親というのは北の海で漁をしている漁師であるということである。ジョバンニの父親は、職業上ラッコが禁漁の海獣であることを知らないわけはないはずだ。だとすれば、ラッコの上着を持ってくると約束することに密漁の匂いを嗅ぎ取ることは全くできないといって良いのではないか。もちろん密漁船に乗船しているかどうかは実際の所わからない。しかし乗船しているとするならなおのこと、ラッコの上着を持ってくるということを軽々しく口にするだろうか。
 先に、ラッコの上着が当時かなり高価な品物であったらしいことを述べたが、そのことを思い出して貰いたい。ジョバンニは父親が学校に寄贈した「蟹の甲らだのとなかひの角」といった珍しいもののために、友達からは相当な羨望のまなざしを受けていたことは想像に難くないだろう。そんな状況の中、次に父親が帰宅した際にはラッコの上着を持ってきてくれるということをジョバンニが自慢げにもし語ったとしたら、友達の羨望のまなざしはさらに強く注がれることになるだろう。
 ところがジョバンニの父親の帰宅が予想外に延びてしまた結果、ジョバンニの家の家計は次第に苦しくなって行き、母親のからだの具合も悪くなり、ジョバンニは働かざるを得ない境遇へ落ちていくことになってしまう。そしてそれらを見ていた友達は、ジョバンニに対するまなざしを次第に羨望から冷やかしへと変えていったのではないだろうか。
 羨望の気持ちが強ければ強いほど、そのまなざしを向けていたものが転落していくときに向けられる冷やかしはより執拗に迫ってくる。「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ」とザネリが投げつけるように言ったこの言葉は、ジョバンニがみんなの中で一番の羨望のまなざしを受ける理由を表すものでもあった。それが全く反対の意味を持って発せられているということは、ジョバンニの、友達の中での位置の失墜を意味している。
 このように四次稿においては、ジョバンニは友達の中から疎外されていき、孤独へ陥ることになってしまうのである。
 以上見てきたように、三次稿と四次稿では「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ」という一文をめぐってのジョバンニの孤独の意味合いがかなり違ったものへと変化している。何よりこれは四次稿においてジョバンニの母親が言う「お父さんはこの次はおまへにラッコの上着をもってくるといった」という重要な一文があるからであり、これによって父親が密漁に関わっているかもしれないという影は作品中ではかなり薄くなる。そのため、ザネリの冷やかしもジョバンニの属する子供達の世界からの疎外、そして孤独ということへ向かうものにまるという結果になったのである。


[「賢治研究」六五(平成六年十二月三十日発行 宮沢賢治研究会)所収]


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 以下、『銀河鉄道の夜』本文の引用は『校本宮澤賢治全集』(三次稿は九巻・四次稿は十巻)による。

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 昭和女子大学被服学研究室『近代日本服装史』(昭和46年5月20日発行 近代文化研究室)

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 「都の華」(明治32年1月25日発行 都新聞社)

【4】/戻る

 中村清代次・西川勢津子『毛皮の本』(昭和52年11月10日発行 文化出版局)

【5】/戻る

 『明治年間 法令全書』第44巻―5(平成4年8月20日発行 内閣官報局編 原書房)

【6】/戻る

 『昭和年間 法令全書』第2巻―2(平成3年9月20日発行 内閣官報局編 原書房)


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本条約第一條漢数字)掲クル→→→本条約第一條カタカナ)掲クル
[「賢治研究」65(1995(平成7)年4月)で訂正掲載済み]


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