注【6】
高知尾智耀氏「宮沢賢治の想い出」(「真世界」二月・三月号、昭和三十四年二・三月連載)には次のようにある。
- …賢治が国柱会館にきて色々奉仕をされておった間に、私はたびたび会って信仰上の意見を交換したが、その時の話がもとになって、賢治が法華文学の創作に志したということは、彼の死後になってはじめて私もこれを知った。(略)
- 私には法華文学の創作を奨めたという明確な記憶はないが、色々信仰談を交換した中には、当然私が田中智学先生から承っていた末法に於ける法華修行の在り方について熱心に話したことと思う。即ちいわゆる出家して僧侶となり、仏道に専注するのが唯一の途ではない、法華経の正しい信仰に入ったならば、農家は鋤鍬をもって、商人はソロバンをもって、文学者はペンをもって、各々その人に最も適した道において法華経を身に読み、世に弘むるというのが末法に於ける法華経の正しい修行の在り方であるということを力説したように思う。
- それを聡敬な賢治は、私が法華文学の創作を勧奨したと受取ったのであろう。