海外ボランティア

深町 知恵子

 3度目の参加でしたが、私にとってメインの活動であったVIDES Campで初めてTired but joyfulをVIDESとして共感することができました。 それは私が一番求めていたものでした。  今までは何となく楽しい、しかし真に喜びの中で活動していたかというとそうでは なかったのです。特に前回は前々回に感じていた以上に語学力不足= コミュニ ケーションがとれない=自信を持って活動できない、この悪循環は私に(何のために フィリピンにいるのか)を考えさせ、苦しめ、涙させることもありました。しかしそ の悔しさがあったからこそ、今回の成功があるのですから。 VIDESとして海外に派遣されることは観光でも遊びでもありません。しかし、自分が 楽しまなかったり、喜びの中にいなければせっかくの体験の価値も貧しくなるのでは ないでしょうか。ジェスチャーでも大丈夫と思いつつも関係が深くなればなるほど、 語学力の必要性を訴えずにはいられません。  さて、私にも反省する事が沢山あります。その中で特に考えたことの1つをあげた いと思います。日本人にはよくあることと思いますが、私も同様で、仕事を与えられ たらそれをどうやって早くこなせるかと言うことを考えがちです。フィリピンのVIDE Sの方々の仕事はいかに楽しむかと言うこととを考えています。到達するところは同 じですが、その課程を比べるとフィリピンのVIDESの方々の方がより豊で充実してい ます。  やはりフィリピンに行き、価値観も見直させられ、感じ考えたことも沢山あります が、それは今の私に至っていますし、血となり肉となっています。  最後にいつも温かく明るくSmileの中で見守って下さったフィリピンのシスター方、 VIDESの方、Sr.金子、Sr.稲川、Sr.河村、そして試行錯誤しながらも初めてのフィリ ピンを全身で感じていたVIDES JAPANのメンバーに感謝すると共に、再びフィリピン の地を夢見て。

フィリピン海外ボランティアに参加して

           VIDES静岡 Sr.河村幸子

 管区からの以来で急にVIDES東京の方々とご一緒に初めて海外ボランティアに参加 することになった。  大学生6名と社会人1名(一週間だけ共に生活)シスター2名のメンバーで3週間の生 活が始まった。  大学生達の活躍するパワーを感じながらもVIDESフィリピンの会員達との出会いに おいてなおいっそう海外ボランティアのエネルギーと力強さを肌で感じることができた。  ネグロス島のマリハウでの現地の貧しい子供達との出会いは感動的だった。  1500人もの子供達を迎えるため各国から届けられた衣類、缶詰、菓子、袋物、靴、 米などプレゼントのため袋詰めをした。VIDES JAPANはお米係になった。1Kgづつ袋 に入れた。総勢40名位の人たちと種々の品を袋に入れて完成した。陽気なフィリピン 人、ドイツ人達と局に合わせてリズミカルに汗だくで夜中の12時過ぎまで作業が続け られた。翌朝9時頃から各地域のリーダー達に引率されて現地の子供達とその家族が 続々と集まってきた。広大な敷地内には大きなテントが張られ見る見るうちにテント のなかにもテラスにも子供達でいっぱいになった。実に整然としているのには驚いた。 子供達の元気な歓声と共に荘厳なミサから始まった。その後種々のゲームをしたり、 現地の父母の協力によって全員に袋に入れた昼食が配られた。午後のゲームが終わっ て帰りに、前晩準備したプレゼントを曲に合わせて一人一人に手渡され、止まること なく時間続けられた。参加した人たちは大喜びだった。  ある老婆は語った。「このお米は自分たちにとって1週間分の食事です。」と涙を 流して喜びと感謝を表して別れていった。  日本での私の身近では考えられない出来事だった。人種を問わず困っている人達に 助けの手を与えたというより私達がやらせていただいた事によって彼らから何倍もの 大きな恵みを得たことに感謝したい。海外ボランティアの意義はここにあるのだと思 う。貧しさの中にあってもなんと美しい表情、生き生きした元気な目の輝きは忘れら れない。子供達から大人までが神の愛を感じさせる。  言語不足の私にとっては現地独特の言葉だったので交わすことはできなかったが表 情で伝わってくる心の言葉で会話ができた。  またある老婆は私に向かってしきりに手を振って合図していたので近づいていった ら現地の言葉でジェスチャーをつけて私に話してくれた。私は表情とうなづきでかえ していた。自分は日本のシスターと話ができてとても幸せだといって何度もハピネス と繰り返し手を握っていた。言語を越えた心の関わりによって幸せを感じ取ってくれ たときはうれしかった。  子供達との出会いはマリハウばかりではない。DBCに通ってくる千人以上の子供達 と同じ学校に夕方集まってくるストリートチルドレンとの出会いも実に有意義だった。 また特に貧しい地域のトンドのオラトリオの子供達との出会いも忘れられない。どこ へ行っても元気な子供達があふれるほど大勢いることには驚いた。彼らとの出会いに おいて得たこの貴重な体験は生涯私の宝としたい。そして、時や場所を越えて祈りの うちに思いだしたいと思う。  この機会を与えて下さった武石管区長様、Sr.稲川に心から感謝申し上げると共に、 フィリピン滞在中少しでも多くの異文化にふれさせようと寛大なご配慮でガイドして 下さったSr.金子にも心から厚くお礼申し上げ、宿泊地であったマニラのDBCのシスター 方VIDES担当のSr.マリーヴィックと」会員の皆様方に心から感謝申し上げたいと思う。  神に感謝!!ありがとうございました。

外川 良子

 フィリピンに言って、何を一番感じたかというと、やはり「水」です。日本では、 水が飲みたければ蛇口をひねれば、いつでも水が出てきます。そして好きなだけ飲む ことができます。しかし、フィリピンでは違うのです。水は一日の半分位の時間しか 出てきません。しかも、蛇口から出てくる水、すべてが飲めるというわけではありま せん。それを、きれいに浄水しなければ飲めないのです。行く前からそういう知識は ありました。しかし、行ってみないとその大変さは分かりません。とても、「水」の 大切さを教えられた気がします。日本に帰ってきてしばらくするとこのありがたみが 薄れてしまうような気がして、そんな自分が情けないです。できるかぎり忘れないよ うにしたいと思っています。フィリピンにいって大変だったのは言語の壁です。日本 語対英語とタガログ語。とてもツライです。確かに中・高6年間英語を勉強しました。 しかし、文法と英会話の違いを再認識させられた気がします。何とかなるだろうとい う、自分の考えの甘さに気づかされました。そんな自分に元気を与えてくれたのがス トリートチルドレンの笑顔でした。異国の私を最初から笑顔で、受け入れてくれまし た。合ってすぐに手をつないできてくれて、片言の英語で話しかけてきてくれました。 毎日夕方にストリートチルドレンに会えることが楽しみでした。もちろん言語の壁は ありましたがそれを越える物があるのだと知りました。 ストリートチルドレンにはとても多くのエネルギーをもらった気がします。もちろん 嫌なこともありましたがそれがとても些細なことだと感じさせられるほど沢山の良い こと、素晴らしいこと、感動すること、教えられることがあったフィリピン生活でした。

大石 三奈子

 最初私は、フィリピンという子にをよくは思っていなかった。それはよくテレビで フィリピンのどこどこで爆撃があったとかと報道されたりしたからだ。でも実際行っ てみると、そういう感じではなかった。私が一番心配していたことは、普段人見知り の激しい私がストリートチルドレンと一緒に遊ぶことができるかと言うことだった。 遊ぶときになると、すぐストリートチルドレンとうち解けるようになり、片言の英語 や行く前に教わったタガログ語を使ったりして色々なことを話した。  手をしっかりと握ってくれ利己やだんだんとみんなが私の名前を覚えて読んでくれ るのがすごくうれしかった。  また、私はVIDESキャンプに参加したときに話しかけた人にこんな事を言われた。 それは、「あなたの笑顔がきれい。」という言葉だった。普段あまり笑うことのない 私にとって、嬉しい言葉であり、また、照れる言葉だった。泊まっていたドンボスコ スクールのシスター達にも「スマイル」といって笑ってくれた。シスターやストリー トチルドレンなど、フィリピンの人は、本当に面白くて、おかしくて、自分が楽しく て笑っている感じがした。わたしも心の底から面白く、おかしく、自分が楽しくて笑 えるようになりたいと思った。  また、フィリピンが貧富の差が激しいと言うことに驚いた。自分が今こうして何不 自由なくいることに感謝をしなくてはいけないと思ったし、日本は何でも物が揃いす ぎだと思った。これからは、自分以外にももっともっと他の人がいるということを考 えて過ごしていきたいと思った。  いつかまた、きかいがあったらフィリピンに行き、今回関わった人達に会いに行き たい。

国を越えた人との出会いによって

 尾崎 理恵

 何よりもこんなに暖かく迎えてくれたことに感動を覚えました。日本人は素っ気な いけれども、フィリピンの人々は寛大で、陽気で周囲の人々をも楽しく和ませてくれ るのです。一人一人のカラーがとても現れている国の一つであると思いました。  しかし、現実にはこのような明るさとは裏腹に厳しい経済問題もあることを肌で感 じとることができました。ストリートチルドレンとの出ああ衣は、私にとって全く違っ た思想を吸収する事ができたと思っています。つらい現実の中でも、こんなに明るく 一生懸命に、そして強い家族愛に包まれて毎日を暮らし、小さな幸せをいっぱいもっ ているように思えました。昼間、子供でありながら学校へ行くのではなく、家族のた めに懸命に働いているのです。まさに大人顔負けの真剣さそのものです。けれども私 は、もっと子供でいてほしいとも思います。フィリピンに来て一週間が経過したころ に、凍るまで買い物につれていってもらった帰り、ぞうきんを売っている子供がいて、 運転手さんはその子供からぞうきんを買いました。いままでとても鋭い目でお客さん を見ていた目が一瞬にして子供のかわいらしい笑顔に戻ったのです。このとき、本当 に切なくなりました。  今回のボランティアに参加する事ができて、地球という一つの陸の中に存在してい ながら、これまで日本と違う生活を送っている人々がいることを、目で耳で肌で空気 でそしてこの手で感じることができて、言葉おいう大きな壁につきあたりましたが、 心では通い合えたと思います。せめて心の手助けになれたら幸いであると思います。 私がもっと大人になったときに経済的な手助けもでき、さらに言葉を通して一人一人 とであえたなら、もっともっと充実できると思いました。

田添 映里

 私が、誰かにフィリピンで何を学んだかときかれたら、きっと”分かり合える喜び ”と言うでしょう。今回の海外ボランティアでは本当に沢山の人との出会いがありま した。引率して下さった稲川シスターや、河村シスターをはじめ、一緒に行ったメン バー、フィリピンでお世話になったシスター方、LVCの子供達、そしてたくさんのス トリートチルドレンたち。フィリピンに着いて、最初の頃言葉の壁で悩んでいました。 しゃべりたいけどしゃべれないというどうしようもない状態の中VIDESキャンプでネ グロス島へ行きました。たった3泊だしと甘く考えていたのですが、話が通じない3日 間というのは非常につらいものです。殆ど仲間と話ないまま3日間が過ぎました。もっ と話したかったという胸の内を数日後の反省会で片言の英語で述べました。その時、 みんなの目が私の方を見ていて、とても真剣に聞いてくれました。とてもわかりにく いはずなのに、聞いてくれたことがとてもうれしかったです。みんなのその姿勢を見 て、言葉の壁なんてはじめからなかったんだと思いました。反省会の後、たくさんの VIDES会員としゃべりました。「あなたの気持ちよくわかるわ。」と言われたとき、 始めてきて良かったと感じました。  ストリートチルドレンとの出会いも素晴らしかったです。子供達の大半は英語は話 せません。でも、音楽や笑顔は共通語です。言葉なんて関係なしで仲良しです。彼ら から学んだことは数え切れません。言葉や歌はもちろんのこと、貧しさ、家族への思 いやりなど、様々な面で考えさせられました。すべて分かち合えるとは言えませんが、 日本では理解できない貧困という問題をかいま見ることができました。  初めは不安でいっぱいだったけど、最後はもっといたいという気持ちで一杯でした。 フィリピンという素敵な国に行けたことに心から感謝します。

大駒 直子

 「えっ?ホントにここに人が住んでるの??」これが空港からのバスの中からバラッ クの風景を見てフィリピンについて初めに口から出た言葉だった。かと思えば、こん な豪邸誰が住んでるの?といったくらい大きな家があったりもした。日本では考えら れないくらい貧富の差が激しいのだ。このように私は20日間の間、日本とフィリピン ではどこが違うのかできるだけ多く発見できるようにつとめた。中でも私が一番興味 を持ったのが、何か物事をやり遂げる際のの考え方だった。ネグロス島のVIDESキャ ンプにおいて私達日本人グループはお米を1Kgずつはかってビニール袋に入れる作業 をしているとき、無駄口一切たてず黙々と手を動かしている反面、フィリピングルー プは音楽をかけ歌って踊りながら洋服や缶詰を袋詰めしていたのである。はっきり言っ て少し驚いたし少し腹も立った。でもよく考えると日本人はどれだけ作業をスムーズ に進められるか、またどれだけ短時間で終わらせることができるかあという効率の良 さで満足感が得られるけれどフィリピンの人々は全く焦らず自分のできる範囲内の作 業課程をどれだけ楽しめるかによって満足感が得られている事に気づいたにだ。ネグ ロス島そしてマニラのストリートチルドレンや子供達と日々遊んだ中で言葉もそれほ ど通じないのにすごく心が通じあっていたし、喜んでいる顔を見ると私にもこんなに 人を喜ばせることができるんだと感動した。そして人はあ物を与えるだけでなく、存 在もああ絶えて初めて生きる活力が出ると言うこと、そして存在は自分自身がどのよ うな立場にあり、何を思っているのかという心の整理ができていないと与えられない ということを学んだ。フィリピンと言う国には国自体に焦燥感がそれほどないために ”自分”と言う存在についてゆっくり考える時間があるため、自己確立ができる。だ からどんなに貧しくても家族が健康で揃っていればそれだけで幸せだと思えるのでは ないだろうか。それに比べ日本人はある程度収入があり生活に余裕があってもさらに 高い欲を目指すため国全体がいつまでたっても満たされず、その目まぐるしい程早い 時の流れの中で自分について考える暇がなく自己確立できないでいると私は思う。フィ リピンのVIDESメンバーを見ていて感じたことは作業をするときも人と接するときも 力を抜いてボランティアする方もされる方も共に同じ視点に立って共に楽しむことが 大切だと言うことだ。相手が座った状態の視点であるならば自分はたったままの視点 からのボランティアはできない。っそしてボランティアとして成り立たない。自分が 腰をかがめる努力が必要である。その腰をかがめる時はとても苦しいがそれをしなけ れば同じ視点にはなれない。ちょうど幼稚園の先生が園児に話しかけるときしゃがん で話すのと同じ。とにかくボランティアとはどれだけ与えるかではなく相手の気持ち をいかに理解し、どこまで同じ目の高さで物を見ることができるか、そしてそこから どれだけの事を吸収できるかであるとSr.稲川が話して下さった言葉の中から学ぶこ とができました。次回参加させていただく時はじっくり自己確立をしてからフィリピ ンの人々や子供達にどれ程自分の存在を与えていけるかを試したいと思う。  最後に私達を快く受け入れて下さったフィリピンVIDESの方々、最後までお世話し て下さったSr.稲川、Sr.河村、Sr.金子そしてなんと行っても海外ボランティア参加 に同意してくれた両親に感謝したいです。

井坂 智子

 私はオーストラリア、イタリアと海外に旅行に行きましたがフィリピンが一番自分 のためになったと思います。旅行とボランティアの違いかもしれませんが一番国にな じめたと思います。  フィリピンに行ってまず感じた事は、先進国と発展途上国の差です。車にしても人 々にしてもやはり今まで行った国と違うものを感じました。しかしやはりキリスト教 の国だと思ったのは家族を大切にするというところです。日本なら親戚になると困っ ているからといって助けたりと言うことはありません。しかしここではそういうこと がよくあります。日本は物があふれているわりには人に対して無関心な部分がありま す。貧しい時にはお互いの苦しさも分かるので助け合うことができても物が豊につれ て心がすさんでゆくのかなと思いました。  男の子達がいたドンボスコスクールである男の子と話をしました。その子は、「僕 は日本は好きだけれどフィリピンは好きじゃない。」と言っていました。私は「でも 私はフィリピン好きだよ。」と答えました。「じゃあ、取り替えよう。」とその子は いいました。やはりみんな日本にあこがれているんだなと思いましたが日本に来たら 来たできっとつらい思いをすると思いました。日本にいるフィリピン人の殆どが希望 を持って日本に来ているけれど、やはりそこで差別という大きな壁にぶつかるわけだ から、日本が好きと言っていた子も日本に来てそういう目にあうかと思うと悲しくな りました。私達の殆どが無意識の中にそういう考えがあると思います。ですからいつ かみんなが仲良くできるといいなと思います。

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