国内ボランティア
ボランティアを終えて    藤山 陽子

  私は8/5〜8/18まで大分の小百合ホームでボランティアを行いました。朝7時頃 から夕方の6時頃までの時間をアグネス組さんという小学生の女の子たちの部屋で活 動させていただきました。私は大学で福祉を専攻しているのですが4年間特に、高齢 者福祉について学んできたので、子供に関する知識はほとんどなく、初めはとまどう 事ばかりでしいた。でも、小百合ホームの子ども達は、人見知りをせず、私をすぐに 受け入れてくれたのでそんなとまどいはすぐに吹き飛んでしまいました。  アグネス組さんに来た初日、初めに会ったのが、あかみねめぐみちゃんという5歳 の女の子でした。「おねえさん新しい人?アグネスさんの部屋教えてあげる。だっこ して。」と初対面の私になついてくれて、とても嬉しく思いました。しかし、時間が 経つにつれて、私に心を開いてくれている証拠だと思うのですが、どの子もわがまま を言うようになってきました。そんな中で初めに出会っためぐみちゃんに噛み付かれ てしまう対応の方法が一番困りました。噛み付かれて、痛くなければ余裕をもって対 応できると思うのですが、以外と痛いので、つい感情的におこってしまい、けたたま しく泣き出して私は途方にくれてしまいそうになることがしばしばでした。このこと は熊本シスターや職員さんが対応して下さったので、初めの4日間くらいで噛み付か れることはなくなりましたが、やはり私の接し方にも何か問題があったのかもしれな いと思います。こうして自分を振り返るきっかけをくれた、めぐみちゃんとの出会い が一番印象に残っています。  私は子供達に、沢山の素敵な思い出をもらいました。そして子供達から、いろいろ と学ぶことのできた小百合ホームでのボランティアはとても良い経験となりました。

高須 恭子

 夏休み。ヒマを持て余していた私は大分県にある児童養護施設にボランティアとし て2週間ほど行ってきた。初めは児童館時いていたので、「人数の関係で施設の方に 入って下さい。」と言われて少し戸惑ったが、最後はもっと長くいたいと願うように なっていた。  私は高校生の男子担当。毎日の生活は、掃除をしたり、自分の自分の部屋さえ掃除 しない子に対して怒ってみたり、彼らのプライベートな空間に入っていってしまうこ とちょっとためらいを覚えたり、そんなことを気にしないで話し相手になってくれた ことにほっとしたり、アルバイトや部活で殆どいない高校生を見捨てて施設内をふら ふらしたり、やたら人懐っこい子供達に驚いたり、幼稚園児や小学生をだっこして歩 き回ったり、一緒に絵を描いたり、テレビを見たり、食事をしたり、下手なギターを 弾いたり、勉強見てと言われても分からなくて適当にごまかしたり、朝日を見るため に海まで散歩に行ったり、セミを投げつけられて悲鳴を上げたり、バスケをしたり、 縄跳びをしたり、花火をしたり、日に2回もおやつのアイスクリームを食べたり、中 高生の女の子達とアイドル話で盛り上がったり、彼女たちの部屋に泊めてもらったり、 お盆でも帰らない子供達と遊園地に行ったり、いきなり泣き出す幼児にイライラした り、それでも彼らの見せてくれる笑顔に嬉しくなったり、男に間違えられてショック を受けたり、「東京からわざわざ何しに来たの?」時彼「遊びに。」と答えてあきれ られたり、東京の話を聞きたがる子供達にいい加減な東京像を話したり、私からして みたら悲惨に思える家庭の事情を淡々と話す子に返す言葉が見つからなかったり、こ の後で「うちら親友だよね」と言われて強く頷いたり、泣きながら私を探す子を思わ ず抱きしめたり、先生と話してて職員の仕事って大変なんだなあと思ったり、鳥の物 真似をして笑われたり、また掃除をしたり・・・こんな感じだった。ボランティアと いう中途半端な立場で、ある意味無責任に、また楽しく過ごした。  ある日、5歳の女の子をだっこしていたら「ママ」と言われた。聞き間違いかと思っ たが、彼女は明らかに私に対してそう呼びかけていた。普段は「きょうこ姉」と呼ん でいるのだから、無意識のうちだったのだろうが、私は戸惑った。その後、他の子か らも2回ほど同じようなことがあった。そして私は、当たり前のことだがかれらの母 親になれない自分を強く意識した。彼らと自分の立場の違いを意識した。感傷だけで はどうにもならない現実を意識した。あの時泣きながら私を探してくれた子は、私を 必要としてくれていた。あの場所で私には彼らが必要だった。そのことが逆に互いの 決して縮めることのできない、また縮めてはいけない距離を教えてくれた。私はかれ らの生活に一時的に関わった者でしかない。迷惑だと感じていた子もいるはずだ。そ れはそれでいいのだろうと思う。彼らと共に過ごしたときは確かにあったのだから。  感情論ではなく、もっと客観的に書きたかったが、うまくいかなかった。  もう少し時が経ったら、それが可能になるのだろうか。  いまだ、この夏の体験は私の中で尾をひいているようだ。

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