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「むの字屋」で軽く一杯
★お正月のお酒★16/1/3のお酒 末広亭の初席、文治を聞いて、やっぱりうまいと納得して、その余韻をすぐに消すにはもったいないので、その隣にある『昆ぶ家』(こぶや)で一杯。 酒がいい。うまいうどんとうまい酒を手頃な値段で呑める店というのがコンセプト〔商魂〕のお店であると、店頭に貼ってあった雑誌の記事には書いてある。 なお、本ホームページの以降の〔 〕内の翻訳は庵主の訳。間違っていたらごめん。 「福乃友」の「純米60」でまず一杯。ね、酒祭りに「福乃友」があるのがすごいでしょ。ほかには「日高見」、「舞姫」の「翠露」、「秋鹿」の「鄙田」など。 「福乃友」を燗で呑んだ。燗にするとそのぬくもりが心も暖かくしてくれるけど、味にふくらみが感じられなくなる。立体感のない味になる。舌にさびしい味わいになる。きれいな純米酒だと、それが燗をつけたときに裏目に出るのではないか。きれいな顔だちに化粧を施してかえって薄っぺらな顔になった化粧品会社のポスターの女のような感じなのである。たしかに表面はきれいなのである。しかしその内面の美しさを感じさせないのである。だからすぐ見飽きるのである。 燗酒というのは、ひょっとして今のようなきれいな酒にはそぐわないのではないかとふと思った。昔の雑味のある酒だからぬくもりがうまさとなったのではないか。温めたらそのうまさが吹っ飛んでしまう呑み方というのは間違っていると思う。 冷やして呑んだほうがうまいなら、そうして呑んだほうがいい。今の酒は冷やして呑んだときにうまい酒なのである。酒も変わっちまったのである。燗酒というしきたりで呑む呑み方は再考の余地がありそうである。 二杯目は「南部美人」の純米吟醸生酒である。こちらは冷やでもらった。ぬる燗という手もあったが、危険は避けた。このランクになるとお酒は十分うまい。まるでお正月のお酒のような気分だった。 ★番外篇 誤植を四つほど★16/1/4のお酒 1月1日の「頌春」は年末に慌ただしく書いたものだから、年が明けてから読み返したら誤植が四か所もあった。あの程度の短い文章でも、自分で書いた文章だと間違いをうっかり見落としてしまうのである。筆者とは違う目で校正をしないと間違いに気がつかないことが多い。プロの出版社が作った本でも誤植はよく目につく。数多くのホームページは個人でやっているところが多いだろうからその文章には誤植はつきものと思っていい。 プロの書き手がやっているホームページでも勘違いによる誤字やワープロの誤変換を目にする。見落としてしまうのである。 例えば、お酒のホームページで○種類が○酒類になっていたり、気障なホームページで斃れるが弊れるとなっていたりと。 ということで、「頌春」の正誤表である。 ●「明けましておめでという」→「明けましておめでとう」 ●「お酒にアルコールを混ぜてなぜ悪いのかという疑問がわくかもしれないが、酒とアルコールは同じに思えるかもしれないが、両者は似て非なるものである」→「お酒にアルコールを混ぜてなぜ悪いのかという疑問がわくかもしれない。酒とアルコールは同じに思えるかもしれないが、両者は似て非なるものである」 「〜が、〜が、○○である」となっている。かならずしも間違いではないが、読みやすくするために前の読点を句点にした。 ●お酒は「そのアルコールには何百種類という微量成分がまざっている」→「そのアルコールに何百種類という微量成分がまざっている」 アルコールと多くの微量成分がまざっているのがお酒である。アルコール自体にはそれらの微量成分が混じっているわけがない。 ●「輸入牛肉を松坂牛として売る不正表示よるもたちが悪い」→ 「輸入牛肉を松阪牛として売る不正表示よりもたちが悪い」 ★地元の神社で甘酒を★16/1/5のお酒 庵主の住いする曙橋の氏神様の神社は市谷亀岡八幡宮である。神社にも縄張りというのがあって、例えば赤坂の日枝神社と氷川神社は道路一本でそれがきちんと線引きされている。もっとも浮気もOKで、他の有名大社の講にはいっても別に罰が当たるわけではないが、地元の神社を盛り立てるのが本義である。一宿一飯の仁義ではないが、その土地に住まわせてもらっている仁義である。 市谷亀岡八幡宮は、JRの市谷駅か都営新宿線の市谷駅で降りて、靖国通りにあるシャープのビルの前から新宿方向に向かって歩いていくと、すぐ先のビルとビルの間の道の入口に神社の提燈がかかっているのですぐわかる。 境内に参るには急な石段を登らなくてはならない。その石段の登り口のところから右手に向かう道の先には神社さんのご利益で合格を目指そうという神頼みの予備校がある。きっと合格率がいいことだろう。 神社さんでは初詣に行くと甘酒を振る舞ってくれる。今年もあったかい甘酒をいただいてきた。その甘酒のぬくもりと甘さが庵主は大好きである。いつも甘酒を飲みながら、庵主は基本的にはアルコールたっぷりの酒が呑めない質であることを自覚しているのである。それでも庵主の心を引きつけて離さない日本酒の魅力の本質はなにかというと、酒は文化であり、日本酒の造りこそは日本人の精神の神髄なのだと見ているのである。 日本では旧来の宗教は布教をしないで静かにたたずんでいる。理屈をひねくり回した頭でっかちの宗教というのは新興宗教の商品であるという余裕からなのだろう。それは体で納得するものなのである。 まっとうなお酒を呑んでいると理屈をこねて生きることのあほらしさがよくわかる。 ★「秋鹿 鄙田 山廃純米」燗一杯★16/1/9のお酒 厳寒の候である。ここまで冷え込んでくると、外から飲み屋に飛び込んだ時に冷えたビールを飲む気は起こらない。まずは体を温めたい。で燗である。うまい燗酒をもってきて、ということになる。酒の味を楽しむのはそのあとのことである。 そこで、うまい燗酒はないかと探しているのだが、これがなかなかないということは常々書いていることである。今のお酒は上品になって、線が弱くなっているようである。燗をつけると味の厚みが一気に薄っぺらな感じに変わってしまうものが多い。化粧で美しくみえていた女の子の地が出てきたという感じである。燗に耐える酒が少ないようなのである。 「秋鹿」の「鄙田 山廃純米」に燗を付けてもらった。 そのお店では、錫のチロリで燗をつけたお酒を、目の前で約八勺の蛇の目のぐい飲みに移しかえて出してくれる。 見ると、お酒の色が濃いこと。山吹色といっていいほどの色をしている。ほとんど透明に近いお酒の色に慣れているものだから、この色を見ただけでびっくりしてしまう。味は大丈夫かな心配になってくる。ところが、呑むとこれがやわらくて厚みがしっかり感じられるいい味なのである。実は、呑んでいていて、はたと酒の色を見たら相当に色濃い酒だったといのがわかったのである。 燗にしてもうまい酒はあるのである。 ★燗酒、燗酒★16/1/11のお酒 厳寒である。吹く風がひときわ冷たい。 武蔵小山の駅で降りて、目指すお店は歩いて五分ぐらいだが、それまでの間に体が冷える。電車の暖房でためてきたぬくもりはあっと言う間になくなってしまう。居酒屋の赤い灯が目に入る。早く体をあたためたいと思う。 まずは燗である。 「高砂のあらごしが手に入りました」と先方も商売上手。 「じゃ、燗がつくまで、まずそれ」と庵主。燗酒で体を温めようとしていたのに、すぐ他のうまそうなお酒に誘惑されてしまう。 あらごし、おりがらみ、うすにごり、とどれがどうなんだかよく分からないが、ようするにその手の酒は、庵主は一杯だけは口にするが、二杯目はないお酒である。 炭酸を感じるからシャンパンを代わりのようなものである。「さあ、酒を呑むぞ」という儀式みたいな酒である。 さて、燗がついた。酒は「笑」(えみ)だという。「美人長」である。んー、なんといって表現したらいいのだろう、あのざらざらとまではいかないが、舌をなぜるようなうっすらと渋みを感じさせるあの味わいのことを。いい酒を呑んだときに出会うことができるあの味わいのことである。その味を感じて、これは「いい酒だ」と合点するのである。 純米の「森の翠」や「まんさくの花」を燗で呑んでようやく体が温まったのである。ともに純米だったろう。その燗酒の味わいがどうだったかまでは書かないが。 ★お神酒★16/1/15のお酒 雑誌に載っていた黒糖焼酎「龍宮」。その店の棚を見たらちゃんとあった。それだ、今日飲むのは。30度である。 ロックでもらった。 まろやかにしてなめらか。。庵主はそれを水のようと感じたほどである。「うまい」とはいわない。庵主のいう「うまい」とは、日本酒を呑んだときに、口だけではなく、からだ全体でじわっーと感じる滋味感をいう。うまさが舌の上から広がっていき心に染み渡るあの快感をいう。 焼酎の味わいは、庵主には口のなかの仕合わせである。口福どまりなのである。でも感じのいい焼酎はある。「龍宮」はさわりのないいい感じだった。 50度の「お神酒」(おみき)を飲む。酒銘が「お神酒」である。 50度といえば、度数は日本酒の3倍強、アルコールがツーンと鼻をつくのではないかと予断していたが、とんでもない。なんともまろやかな匂いなのである。飲み終えて空になった切り子グラスの中に馥郁と香る匂いの華やかなこと、あでやかなこと。えもいわれぬ香りというのはこういう香りのことをいうのだろうとうっとりしてしまった。 匂いもまろやかだったが、味わいも気品がある。50度という度数を感じさせないやさしさを感じる味わいだった。こういういい酒を飲むことができる仕合わせ。めぐり会えた僥倖。 ★「東一 純米大吟醸 選抜酒」★16/1/22のお酒 いま庵主がこの酒がうまいと思っているお酒は「東一」の「純米大吟醸 選抜酒」である。 この一杯の味わいは、いつも庵主に、今日はもう他の酒を呑むまでもないという充実感とうまい酒を呑んだという満足感にひたらせてくれる。悦楽の一杯でなのである。 その店に行くと、いろいろ呑みたくなるようなお酒が多い中で、つい初めに「東一」の頼んでしまい、そして最初の一杯の充実感に身も心も満たされて、その一杯を呑み終えると悠然と大きな気分になって店を出るのである。 「あっ、他にも呑みたいお酒があったのに」とハッと気がつくのは、もうお店をかなり後にした所でなのである。 その一杯の仕合わせを味わうために、今夜もまた電車賃をかけてしまった。 ★大当たり★16/1/24のお酒 「開運」無濾過純米生酒。四合瓶1300円税別。 冷やで呑んでもうまい。これを燗につけたら、久しぶりのヒットとなった。燗にしてもうまい酒なのである。 燗酒の当たりは久しぶりである。 あたためたお酒にほどよい甘味が残っている。冷やで呑んだときには口の中で温められることによってそれまでつぼまっていたお酒がふわっとふくらむのがわかり、その感触の変化がお酒に対する想像力を刺激して自分の心の中に描いたうまさがお酒の味わいの厚みとして感じられるのだが、燗酒はそういう想像力をかきたてる部分がなくて、温めることによって化粧をぬぐったお酒の顔をそのまま見るようなものだから相当地顔がよくないとうまいと感じることがないのである。 多くのお酒は温めると味わいが冷やで呑んだときより薄っぺらになったように感じる。燗をつけてうまくなるなら燗酒もいいが、いまのお酒は冷や(常温のこと)で、いや冷蔵庫を使ってもっと冷やして呑んだときにうまいと感じるように造られているからなんでも燗をつければからだにやさしいというわけにいかないのである。 とはいえ、この寒中には、酒は温めて呑みたい。酒で体を温めたいのである。心にぬくもりがほしいのである。暖でほっとしたいのである。 この「開運」は当たりだった。性格がいい。燗をつけてもほんのりと甘くて、味がほのぼのなのである。そして次がまた呑みたくなる温かさなのである。 ちなみに手元にある他の酒を温めてみたら、あるものは酸味が明確に出てきて性格がきつくなり、あるものは渋みが強調されて次の盃を誘わない。それらはちょっとの違いなのだが、しかしこの「開運」と比べて呑むと、体はやっぱりこちらの味わいに軍配を上げるのである。おっとっと、また一本つけてしまった。 ★師のつくお仕事★16/1/26のお酒 師のつくお仕事はうさんくさいものが多い。 詐欺師、詐話師、山師はなんとなくいかがわしいし、手品師、教師、医師は相手が勝手にする誤解を裏でニヤニヤ楽しんでいる人の悪さがにおってくるし、スケコマシ、女たらしも、師ではないがちゃんとシで終わっているところがそれらとよく似ているというのがおかしい。 建前としてはあるのは望ましいことではないが、ないと世の中がさびしくなるお仕事のことである。要するにセンスが必要とされるお仕事である。 寄席では、落語家は家だが、漫才師は師である。落語家は伝統をしっかり引き継いでいればいいが、漫才師はそのときどきの世間を読みとるセンスがないと笑いがとれない。 で、キキ〔口+利〕酒師である。これ以上書かない。 酒造りの現場では、杜氏師とはいわないし、釜屋も釜師とはいわないもね。 あっ、庵主の名前もシで終わっている! 。 ★苦い酒★16/2/3のお酒 呑んでいる場の雰囲気が苦いとか、呑んでいる時の心境が苦いというのではない。酒の味自体が苦いのである。たまたま呑んだ2杯がいずれも苦味を感じる酒だったのである。 一つは群馬県太田市出身の「風まかせ」の純米吟醸。 一口含んだときには、舌にしっとりからみつく味わいをうまいと感じたのである。そのうち、ちょっと渋味を感じるようになったかと思うと、それは渋味ではなく、苦味となって口中を覆ったのである。ニガイ。 ただし、小さいグラスで一杯だけなら話のタネに呑める酒である。 口直しに、隣の女の子が呑んでうまいといっていた「七福神」のてづくり大吟醸を呑んでみた。 アル添の大吟醸である。これならさらりとしている味に違いないと読んだのだが、しかし、これもまたほんのり苦味を含んでいる意地の悪い酒だった。 庵主の誕生日に呑んだ酒である。今年の庵主はニガイ一年になりそうな、この日の酒はそういう気持ちになる出会いだった。 もっとも、庵主は数日前に、今年もいよいよ花粉症に突入したから、いまちょうど体が変調をきたしているためにいつになく酒に苦味を感じたのかもしれないが。 ★「七田」充実★16/2/6のお酒 ちょっと寄ったお店で3杯。 純米無濾過生「七田」(しちだ)山田錦。間違いない。この酒はいつ呑んでもしっかりしている。庵主おすすめの一本である。 「鍋島」純米。五百万石。悪くはないが、「七田」が舌の上をころがるような感じがする舌離れのいい酒質であるのに対して、この「鍋島」は舌にしなだれてくるような感じである。前後して呑むと「七田」のかろやかなキレのよさが際立って感じられる。お酒を舌にのせたときの質感が異なる二本のお酒なのである。 3杯めに呑んだ酒を忘れてしまった。庵主の記憶力の限界が2杯だということがわかった。 どうやら、意に反して長居をしてしまったようである。 ★12BY美山錦天明大吟醸★16/2/12のお酒 2杯しか呑まない。 一つ目。「天明」である。12BYの美山錦の大吟醸。掛米が美山錦40%。麹米は山田錦40%。酵母は9号だったっけ、もう覚えていない。 すごい。味に力がのっている。匂いをよく出す酵母を使って造ったお酒は、造りたてはいいのだが、夏を越すとへたってしまうことが多いと聞く。 この酒は逆に、うっかり口に含むとその勢いの強さにむせそうになるほどにパワーが高いのである。秘めている「気」が強い酒だといっていい。気性の気ではなく、元気の気のほうである。こういうお酒を呑むと、薬屋が作っているスタミナドリンクがあほらしくなる。その手のドリンクは体に効く飲物である。が、この酒は気に効くから快感の度合いが全然高い。 「上喜元」の純米のにごり酒が二杯目。 庵主はにごり系は好んでは呑まないお酒である。なんとなく、自分でお酒を密造したときにできる味と同じにしか思えないので、プロの技を感じないから呑んでいてつまらないと思うからである。もろみのからんだ出来立ての酒は、赤ん坊と同じでみんな元気でどれもこれも似たようなものに見えるのと同じである。大きくなって美しくなった人のほうっがずっといい。 「上喜元」のにごりは、きれいな味わいである。にごり系の酒のセールストークに「この酒のにごりはほかと違って炭酸のきめが細かいでしょう。それがうまいんです。だから人気がありますよ」というのがある。それにならって「さすがに上喜元ですね。純米のにごりですから、新酒なのに、なんとも味わいがなめらかで、スーとはいるでしょう」。 ふと横を見たら先客の美女、みゆきちゃんが、「きょうは忙しくてゆっくり呑んでいる時間がないから、ここで食事もしちゃった。さあ、すぐでかけなくちゃ」といいながら、すでにフルートグラスで「上喜元」のにごりを一杯空けていたのである。 ★日本酒講座★16/2/13のお酒 庵主が語る日本酒講座が12日に行なわれた。 今回は「宗玄」の精米歩合55%の純米酒で山田錦、雄町、八反錦の味わいの違いを楽しんでもらった。 今回のタイトルは「日本酒の戦後はまだ終わっていない」。 日本酒にアル添が認められるようになった昭和17年から話をはじめた。戦後六十年になろうというのに、日本酒はいまなお戦時中の緊急避難的なお酒に呪縛されているのである。戦争なんかやるもんじゃない。そして負けるものではないという思いを強く感じるのである。でも負けちゃったのである。いや、いまでも負け続けていると言ったほうが正しいのだろう。 「一度しかない人生なのに、紛い物を飲むのあまりにも侘しい」というのがテーマである。 お酒は四合瓶しか用意していないので、参加者の上限は45ミリリットルの猪口で16杯、すなわち16人である。今回も参加者はちょうどいい人数で、和気あいあいの中で話が進んだ。 お酒は正直である。何本かのお酒を並べるとうまい酒から減っていくという経験則がある。 今回でいうと、「宗玄」の3本では、山田錦が完売、八反錦が少し残り、雄町は八反錦より残りが多かった。なるほどという結果だったのである。 山田錦には余韻が感じられると感想を言っていた人がいたが、そう、おいしい日本酒は心に響くのである。 ★たとえ話★16/2/14のお酒 「日本酒講座」を始めてみて、庵主はいま、日本酒の実態をてっとり早く知ってもらうためのわかりやすい説明を考えることに腐心しているが、そのためのいくつかの例え話を思いついた。その披露である。 まず、日本酒は大きくわけて特定名称酒と普通酒という次元の違う二つの酒があり、多くの人が呑んでもうまくないと感じているお酒は普通酒と呼ばれている酒だということである。 そして、おいしい方の特定名称酒にも二つの系統があるということである。 特定名称酒は純米酒と本醸造酒に分けられる。ビールと発泡酒はよく似ているけれど、その違いはだれでもわかるように、特定名称酒の二つの系統もそれに似た違いがある。 ビールに相当するのが「純米酒」(じゅんまいしゅ)である。これは米だけで造った日本酒である。ただし飲んでも自分の好みに合わないビールや明らかにまずいビールがあるように、純米酒にも口に合わないものがあるが、本来の造りをした日本酒である。 発泡酒に当たるのが「本醸造酒」(ほんじょうぞうしゅ)と呼ばれているアルコールを多少添加したお酒である。本物の本という字が付いているから、これが本来の日本酒だと思ったら大間違いである。つぎに上げる一応日本酒と呼ばれている酒と比べたら比較的良心的に造られたお酒である。 上手に造られた本醸造酒は下手な純米酒に劣らない。アルコールの特徴をうまく生かした新しい日本酒だと考えたほうがいいかもしれない。ちょっとあやしいところも発泡酒に似ている。 そして、こりゃ合成酒と呼んだほうが妥当ではないかと庵主が思うのが「普通酒」(ふつうしゅ)である。普通酒といっても、その言葉を知っている人がほとんどいないので、日本人の大方がその実態を理解していないなんとなくうさんくさい日本酒だと思っていい。その正体は安いアルコールを増量剤として使っているいかがわしい酒である。造り手に良心の疼きを与えている酒である。量が呑めない庵主にとっては最初から慮外の酒である。 その普通酒がなんと市場の75%を占めているというのが実態なのである。だから、そのことを知らないで日本酒を呑むと、この普通酒に当たることが多い。ほとんどの日本人が初めて呑む日本酒というのがこの普通酒であることが多い。日本酒はうまくないという第一印象を与えてやまない酒である。業界が自分で自分の首を締めている酒である。 普通酒は呑む分には全然支障がないが、庵主がいう「うまい」という言葉とはおよそ無縁な酒である。 「うまい」お酒は、「純米酒」か「本醸造」のお酒にしかないのだから、お酒を味わって呑みたいという時は、それらのお酒を選ぶということである。 なお、庵主がいう「うまい」とはお酒を呑む状況が醸し出したうまさをいうのではなく、そのお酒の味わい自体のうまさをさしている。
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