「むの字屋」で軽く一杯



★「酒」には二つの意味がある★16/12/30 のお酒
 「酒」には二つの意味がある。
 呑む酒そのものが一つ。そしてもう一つは酒が醸し出す雰囲気のことである。酒を呑む場のことである。
 仲直りのために「一緒に酒を呑もうや」というのは、酒を呑んで酔っぱらおうというのではなく、酒で心のわだかまりをほぐしながらもっといい関係を見つけ出せる状況を作ろうという智恵のことである。
 あるいは、楽しいから一緒にいたいのだけどそれだけでは寂しいからお酒を呑もう、というのもある。酒が醸し出す雰囲気をいうのである。
 庵主は、そういう場もいやではないが、前者の「酒」に込められた気魄を味わうのが好きである。違いがわかるということが快感なのである。われ酒を知る、ゆえにわれあり、といった感じである。酒に自分が生きている証を求めているようなものである。
 酒場というのは第一の「酒」と第二の「酒」が揃っているところである。うちで呑む酒は場がないから酔うだけである。酒の効用は得られるが、それはおいしい酒ではない。うちで呑めば酒代が安くあがるのにと考える人は、酒を呑んでいるのではなくアルコールを呑んでいるのである。酒のおいしさをそいで呑んでいるのである。
 眠狂四郎なら「酒は一人で呑むもの。あっちへ行ってもらおう」と孤高のうちに酒を嗜むというのが流儀なのだろうが、しかし、それでは酒の情報がはいってこないのである。自己消費の酒である。ただ酔うだけの酒ではつまらないではないか。
 酒はまた人が集まって交わされる情報のことも意味するのである。いうなれば第三意の「酒」である。酒に関する話で自分を語り、いい酒に出会った幸せを寿(ことほ)ぐのである。それがまた酒の肴になるのである。
 庵主はまた、第三意のうまい「酒」も呑みたいのである。


★うまい、おいしい、気持ちいい★16/12/31 のお酒
 うまいお酒というのは下(げ)の酒である。酒としては最低の酒であるということである。
 最低といっても、ろくなものでないという意味ではなく、その線以下になっては酒と呼ぶにはおこがましいところの最低線であるという意味である。酒は真っ当に造ったらうまいのが当たり前だという庵主の経験則による。
 まずい酒は、下の下の酒といっていいだろう。落語でいえば潜水艦である。なみの下。
 ただし、まずい酒はかならずしも悪い酒ではない。まずいという個性を発揮している酒なのである。ただその個性の向かう方向がよくないだけなのである。
 中(ちゅう)の酒というのは、おいしいお酒である。
 うまいとかおいしいという言葉は味について肯定的に認めるときの言葉ではあるが、庵主は酒の場合にはおいしいという言葉はその酒を呑んだときに醸し出された心地よい雰囲気のことをいう。そのとき呑んでいる酒がうまいにこしたことはないが、そうでなくても、その酒を楽しく呑める雰囲気や心持ちを指しておいしいお酒といっている。一緒に呑む相手が好ましいときもあるし、呑んでいる場の盛り上がりがうれしい場合もある。酒の味よりもそれを味わうときの雰囲気のよさの方が優位なのである。
 そして上(じょう)の酒というのは、呑んでいて気持ちがよくなるお酒のことをいう。
 酒もうまい。場の雰囲気もいい。そして、呑んでいて実に気持ちいい。そういうのがほんとうにいいお酒なのである。その時の心に叶うお酒のことである。その時に期待していた味をきっちり楽しませてくれるお酒のことである。
 では「普通酒」の位置はどこにあるかというと、あのまずくはないがうまくもないという不思議な酒は、庵主にとっては慮外の酒なのである。第一、そういう酒は呑んでも印象に残らないから庵主にとってはどうでもいい酒なのである。
 一年は365日。毎日ちがう銘柄を呑んでも365本しか呑めないのである。せっかく呑むならうまい酒を、いやおいしい酒を、いやいや気持ちのいいお酒を呑みましょうよ。平成16年も今日でおしまいである。


★北海道の大吟醸★17/1/4 のお酒
 北海道は新千歳空港内の売店で、店頭に並んでいた3本の一升瓶。
 「男山」純米大吟醸12,232円、「北の誉」大吟醸「吉祥」10,500円、「国稀」大吟醸10,194円。
 「男山」の純米大吟醸は呑むまでもない。いい酒だということは分かっている。「吉祥」も値段相当の力がこもっている酒であることは分かっている。庵主はまだ呑んだことがない「国稀」の大吟醸が気になるところである。
 それぞれ、なるほど、という値段である。お酒に込められた気合が伝わってくる値段である。
 その隣に久保田のシリーズが並んでいた。たとえば久保千(「久保田」の千寿)が一升5,900円で、見るとその前には越乃寒梅があって別撰なら同じく11,400円とかの値札が付いている。それを見たら心配になってきた。まさか、前の3本はその手の値段ではないだろうな、と。
 そんなものを並べておくと、まともな酒の値段が信用できなくなるのである。
 北海道の空港だったら、道外の人が飛行機賃をかけてでも買いに来たくなるような道産のうまい日本酒を置いてほしいのである。他と比べて魅力的なうまいお酒を企画してほしいのである。いい酒なら高くても売って見せるという意地を見せてほしいのである。
 庵主は久保田と寒梅の値段を見て、お酒を買う気力がすっかり失せてしまったのである。


★ある天麩羅屋の酒祭り★17/1/11 のお酒
 天麩羅屋へ。
 お酒は何があるのかと、酒祭り(さかまつり=お酒のメニューを庵主はこう呼んでいる)を見ると、5銘柄が並んでいる。しかも出身地もきちんと書いてある。
 白鹿 兵庫県西宮、大山 山形県鶴岡、春鹿 奈良県奈良、司牡丹 高知県佐川、桃の滴 京都府伏見、とある。
 ただしくは、司牡丹 船中八策 高知県佐川と、それぞれの酒の造りがあって産地が書かれていたが全部は覚えきれなかった。
 テンプラに合わせる酒なので、キレのいい辛口の酒を揃えているようである。
 酒祭りには産地の県名まで書かれていることは多いが、また庵主も銘柄を覚えるときは県名までしか心にしていないが、ちゃんと市町名まで書いてあるとそのお酒の顔が見えてくるような気がする。「司牡丹」なら佐川の酒なのである。
 できれば酒銘のふりがながあるともっとよかった。「大山」は“おおやま”と読んでいいのか、ひょっとして“だいせん”なのかがわからない。“もものしずく”なのか、あるいは“もものしたたり”なのかも迷うところである。
 お酒の値段はというと、「司牡丹」の「船中八策」は2520円である。高い。四合瓶での提供なのかと思ったら、各銘柄とも300ミリリットル瓶入りを揃えているのである。なお、「船中八策」以外のお値段は千円代だった。いや、それにしても高いぞ。天麩羅屋なのでお酒の値段まであげてしまったらしい。
 300ミリリットル瓶では、庵主は一人では呑みきれないのと値段が十分に高すぎるので間違ってもそんな高級なお酒を注文することはないが、一升瓶から注いで出すのと違って、いつも口開けの酒を出せるわけだからお酒の管理上は適切かもしれない。
 目の前に貼ってある「日出盛」のしぼりたて生原酒が1680円というPOPを見ながら、アイスクリームのテンプラが揚がってくるのを待っていたのである。


★たっぷり★17/1/14 のお酒
 国本武春(くにもと・たけはる)。若手の浪曲家である。声がいい。泣ける、のである。日本語の発声を芸にしてしまった世界、それが浪曲だった。
 芸事はまさに見せ物である。いまはかっこよくパフォーマンスという。肉体を見せ物にするという神をおそれぬ行為である。神がご自身に似せてお造りなったという肉体をおもちゃにするのだから。だからおもしろい。神が苦虫をかみつぶしている顔が見えるからである。
 庵主は映画に声を聞きに行く。俳優の、正確には男優の声のよさを聞きに行く。だからストーリーを覚えていないことが多い。声がよければそれで満足なのである。
 国本武春、満足である。
 そのライブでは国本武春が浪曲の掛け声の指導をしてくれる。
 登場したときの「待ってました」に始まって、三味線で三音を爪弾いたら「たっぷり」、一節きいたら「名調子」、仕草の綾に「細かい細かい」、泣かせどころのセリフに「泣ける」、そして最後は「日本一」である。短く、タイミングよく、感情をこめて声を掛けるのである。そのほかにもいくつもの掛け声があって、客席は盛り上がるのである。
 国本武春を聞いた後、飲み屋に。
 そのお店では一升瓶に入った仕込み水を出してくれる。
 コップに仕込み水をついでくれる。庵主、一声、「たっぷり」。


★「三重錦」純米11BY★17/1/16 のお酒
 「みえにしき」と打ったら、庵主のワープロは「見栄錦」と出してきた。「三重錦」が呑みたかった。
 酒祭りの中の、数有る酒の中で、すうーっと「三重錦」に目がいったのである。
 11BYの純米である。子どもでいえば、来年は小学校といったところか。やんちゃざかりである。
 姿勢のいい酒だった。5年の歳月を経て、乱れることなく、崩れることなく、ただただ精進に勤めているといった感じがする。
 本人は自然に振る舞っているのだけれど、はたから見ているとなんとなく優等生みたいな、ちょうど皇室の皆様方の振る舞いのような、どこといって欠点のない、それでいてどこかおかしい、というよりなにか物足りない、ちょっとじれったいというような不思議な味わいを感じながら呑んでいた。
 一口含んでは、その原因を見つけ出そうと舌の感度をいっぱいに上げて慎重に吟味しながら、それを繰り返して一生懸命にこれまでの経験と照らし合わせてみたのだが、とうとう一杯の酒を空けるまでにそれがつかめなかったのである。
 その美意識に向かってわき目を振ることなく一直線に進んでいるお酒を呑みたかったら、この「三重錦」である。


★甘酒の季節★17/1/23 のお酒
 今時分は、飲み屋に行くと酒粕がただでもらえる季節である。
 お店に声をかけると、蔵元から送ってきた酒粕がいっぱいあるからお土産に持たせてくれる。
 「富久長」の酒粕を貰ってきた。粕歩合が高いから、板粕とはいえまだやわらかい。魚を粕漬けにして食べるとおいしいよ、と酒粕のおいしい食べ方を教えてくれたが、庵主はそれをといて甘酒にして飲むのである。
 砂糖は葬式にいって貰ってきたスティックシュガーを使う。庵主は砂糖は食べないのでこういう時でないと使うことがないのである。
 塩の一番おいしい食べ方はなんだ、という外国のなぞなぞがある。答は、塩をステーキに振りかけて食べる。
 日本では、甘酒のときに塩を一振りするというのが答である。
 近所のコンビニに生姜の香りがするサプリメントが売っていた。それを一粒甘酒の香り付けに入れる。それだけでうっすらと生姜のにおいがするのがわかる。
 茶碗に酒粕を適量いれて、お湯でとかす。砂糖を適当に、塩をちょっぴり入れて、生姜のサプリメント錠を一ついれて香りをつけてできあがりである。
 ただ、この「富久長」の甘酒は、粕にまだ十分にアルコール分が残っているから酔っぱらうのである。それを飲むと、アルコールに弱い庵主の顔がほてるのがわかるのである。酒粕とはいえ、アルコール分が「たっぷり」である。


★満腹感と満足感★17/2/1 のお酒
 おなかいっぱいに食べたのに、なぜか満足感が満たされないことがある。
 食事をしてから血糖値が上がるまでにタイムラグ(時間差)があるからである。食事をした直後になお空腹感が満たされず、まだ食いたりないと思ってさらに食べてはいけない。そのあとにお腹がはってきて困るのである。
 お酒も呑んだ直後は酔いがまわってこない。酔いがまわるまでにタイムラグがあるからである。酔いがこないので、うまいからと思って盃を重ねてはいけない。そのあとの酔いが急激に襲ってくるからである。
 まず一杯の盃をあけたらたっぷりの水をもらって最初の酔いを緩慢化することが肝心なのである。最初の酔いがホンノリとやってきてそれを乗り越えると、そのあとのお酒はすいすいと呑むことができる。それをしないで、酔いがドーンと襲ってきたら、次の酒が呑めなくなるのである。呑んでも深く味わえないのである。せっかくのお酒のうまさをその半分も味わうことなく呑んでしまうというのは勿体ないことではないか。
 そういう呑み方をすると、酔いは十分かもしれないが、酒を呑んだという満足感が残らないのである。
 シーンは変わって。
 お酒をぞんぶんに呑んで、肴もたっぷりとって食べたのに、お店を出たら、急におなかがすいてくることがある。おなかはいっぱいのはずなのである。しかし、なにか食べたいという空腹感に襲われるのである。このときの満たされたいという欲求は理性では抗えない。そして食べたあとにすぐ後悔するのである。食うんじゃなかった、と。急激な過食感にさいなまされるからである。お腹がはって、消化が全然進まないという感じの不快感は忘れようとしてもぬぐうことができないのである。
 呑みおわったときに満足感が残るようにすっきりお酒を呑むことができるようになりたいというのが庵主の今の思いである。


★54年目のお酒★17/2/3 の幸せ
 新宿の与太呂が四谷三丁目に引っ越してきたということで、顔を出した。
 顔見知りの一行4名様が先客。
 呑んだお酒は「安東水軍」の大吟醸。「繁桝」純米吟醸生生。そして「春鹿」の吟醸である。
 「安東水軍」香りよし、甘くて庵主好み。最初の一杯には最適である。ただし2杯は呑めない。
 「繁桝」酒に力がある。「安東水軍」のたおやかな味わいに対して「繁桝」剛毅なお酒である。
 「春鹿」といったら+12の庵主の苦手なお酒を思い浮かべるが、この「春鹿」は超辛口に走ることなく、切れのいい味に仕上がっている。
 おまけで、「初亀」の樽酒。本醸造に杉の香料をまぜたような軽くて香りぷんぷんの酒だった。与太呂のお正月用の樽酒の残った分だという。
 今宵は、3杯で呑み過ぎてしまった。肩にきた。酒が肩にくるのは久しぶりのことである。
 酒は2杯、5勺まで。それが生まれて54年目にして極めた庵主の流儀である。


★幻の酒★17/2/5 のお酒
 幻の酒、という宣伝文句がある。なんとなくそのお酒がうまそうに感じる名キャッチフレーズ(惹句)である。
 幻の酒はうまいのか。
 よく考えれば、うまい日本酒はみんな幻の酒なのである。
 お酒はうまいと思ったときにはすでにお腹の中に消えているからである。ただ「うまい」という記憶だけが残るのである。記憶は幻である。それを手で掴むことはできない。
 その印象が強ければ強いほどそれは甘美な思い出となって、「うまい」という幻はいっそう美化されるのである。要するに人は自分の心の中にいだいている幻に恋をしているのである。
 恋は、美化の極致なのである。悪いところは見えていても心の目には見えなくなるからである。だから「うまい」という幻も、その欠点はあっさり忘れられてしまい、ただただその美点だけが長く心に残るのである。
 お酒と同じように、熟成された記憶はさらに味わいをましてよりおいしくなるのである。
 そしてまた、一時代前の日本酒はそのほとんどが本当に幻の酒だったのである。
 そのほとんどが三増酒だったころのことである。
 米と米麹だけで造った本来の真っ当な日本酒はまず呑むことができず、口にできるお酒は増量用のアルコールでたっぷり薄められた模造酒だったからである。それは本物に似せたまさにお酒の幻とでも言わないことには呑んでいられない代物だったのだ。
 幻の酒を求めることまでもなく、それが日常だった時代のことである。
 いまの日本酒は狂気である。うますぎる。贅沢過ぎる。そして、味わいが琴線に触れるほどに深いのである。すでに芸術品の域に達しているのである。そしてそれを呑んで身の内にすることができるのである。こんな幸せに気がつかないとしたら勿体ないではないか。


★「南」特別純米★17/2/11 のお酒
 五勺のお酒が税込315円で呑める食堂がある。食事に合わせて一杯呑む。この315円という値付けが絶妙なのである。
 安いと感じて、つい一杯呑みたくなる。呑みたいとは思っていなくても、ちょっと試してみたくなるのである。しかも、20種類用意されているお酒というのがすごいのだ。田酒、天の戸、出羽桜、飛露喜、とくるのだから、そういう選択眼のよさがうかがえるいいお酒が20種類並んでいるのである。
 酒祭りはセンスだと思う。これだけ気を引くお酒を20本並べて、しかも全品五勺で315円で出せるのである。へたな居酒屋より揃えがいいのである。
 他の食堂もぜひ真似をしてほしいものだ。20種類も揃えろとはいわないが、3〜5種類ぐらいのいいお酒を置いて一杯315円で出してくれればうれしいのである。
 庵主が心引かれたのは「南」の特別純米である。
 酸味が出ている。いい個性である。うまい酒と言っていい。ただしこのお酒だけではちょっと物足りないだろう。というより、さらにうまい酒をこれとはちがう傾向のお酒を呑みたくなるお酒なのである。
 最初の一杯に呑むのには恰好のお酒である。
 庵主は食事をしながらの一杯だったから、次は頼まなかったが、できればもう一杯呑みたかったのである。


★一合徳利を見つけた★17/2/16 のお酒
 昨冬、燗をつけるために使っていたのは、椿大社の御神酒が入っていた150ミリリットル入りのガラス瓶の徳利である。それをうっかり割ってしまったのである。
 今年も年が明け、一段と寒さが厳しい季節を迎えて庵主は燗上がりのする酒を探しているところである。その前に燗をつけるための一合徳利がほしい。
 銀座にある福光屋のアンテナショップなどの洒落た酒器を売っている店に行けばいいデザインのものがあるのだろうが、わざわざ高い金を出して買う気にはなれず、200ミリリットルぐらいの瓶にはいっているお酒か飲料の瓶を見つけることにしたのである。
 ありました。一合入りのお酒の瓶が。いま流行りの低アルコールのお酒がはいったいい瓶があった。「月の桂」の「吃驚仰天」(びっくりぎょうてん)である。居酒屋のインチキ一合徳利と違って、これは市販のお酒の瓶だから正一合入りである。
 壜の形は「石田屋」をそのまま小さくしたようにフォルム(形)をしている。中にはいっているお酒を飲んだ後は、この瓶を使って燗をつけるのである。
 今年は、燗酒の当たりがでてくるかどうか、楽しみでもあり、燗がうまい酒にはたして出会えるものかどうか心配でもあるのである。
 去年は「開運」の無濾過純米がうまかったから、いよいよとなったらそれにしよう。どこで売ってるかはちゃんと押さえてある。この寒気の季節の中で呑む、酒の芯まできりっと冷えて凛とした味わいの冷たいお酒もいいが、厳寒には身も心も温めてくれる燗酒がまたうまいのである。ただし、いい酒に当たればであるが。
●「吃驚仰天」の画像があります。


★350円! の違い★17/2/19 のお酒
 酒を呑む。じっくり味わってみる。そして値段を踏んでみる。
 酒の評価を、うまいか、まずいか、ですり合わせると、呑み手の好みが反映されるから参考にしかならないが、それをいくらで買うかということですり合わせるとその酒の評価が納まるところに納まるのである。
 もちろん庵主の評価が正しいとは限らない。とくにお酒はその場の雰囲気がいいとその酒を高く評価したくなるからである。なんてことはない、お酒ではなく、その時に一緒に呑んだ人や肴のよしあしを合わせて評価しているというわけである。
 それではいけないと、ぐっとそれらの要素を排除して、神経を研ぎ澄ませて、己の酒の基準と今呑んでいるお酒とを照らし合わせるのである。
 その純米吟醸生酒を四合瓶で2000円と踏んだ女の子がいたが、そこまではいかない。でも1600円なら、いや1650円でも庵主なら納得できるなと踏んだのである。
 ところが、四合瓶で1250円(税別)だという。一升瓶で2400円(同)で出しているという。冗談みたいな値段なのである。
 この350円の差は大きい。庵主は酒は呑まないから、安いからと言ってそれに飛びつくことはないが、フルネットの「2000円台で呑めるうまい酒」の新版があるとしたら、最初に載せてもいい酒だと思って呑んでいた。なんとなく得をした気分になって気持ちよく酔ったのである。だからちょっと呑み過ぎたのである。
 福島の大和川酒造醸している「すえながく」である。
 その女の子が教えてくれたお酒だから、女の子の評価の方が正しかったのかもしれない。


★酸味の悦楽★17/2/25 のお酒
 清酒「岩の井」の「山廃吟醸一段仕込純米」である。
 このお酒はかなり前にも呑んだことがある。うまいお酒だったという印象が残っている。だからまた買ってきたのである。
 その時の感想は「むの字屋」のバックナンバーにあるはずだが、読み返すことはしない。酒も変わるし、庵主の好みもまた移ろっているからである。
 
 庵主は日本酒の酸味にうまさを感じるようになったのである。
 酸味といえば、「悦凱陣」の酸味にその冴えを感じる。新宿にある讃岐うどんの「東京麺通団」に通って、毎日日替わりで入ってくるという「凱陣」を注文するのが楽しみとなってしまった。
 酸味は日本酒にかぎらず、他の酒でも、例えばウイスキーとか熟成ラム酒などでも庵主がうまいと感じる酒には酸味がその味を支えているということに気がついていて、こと庵主に関してだけではあるが、「酒は酸味のうまさがないと呑めない」とまで思い込むようになったのである。
 
 日本酒に戻って、「岩の井」の一段仕込の酸味が「悦凱陣」の酸味とも違ってまたうまいのである。
 もちろん酸味だけでお酒がうまいわけではないが、この一段仕込の酸味は絶妙なのである。いうなれば、かゆいと痛いの境のぎりぎりのところで、かろうじてかゆいの限界内にあって一歩そこから出るともう痛いとしか思えない状態というような、なんともじれったいというか、もどかしいというか、きわどいところでうまさを保っているという酸味なのである。
 見方によっては酸味がでしゃばっているという感じがしないわけではないが、しかし、その酸味はここちよく、口の中をくすぐって軽やかにのどもとを通り過ぎていくのである。

 ちなみに「岩の井」の大吟醸が庵主のいちばん好きなお酒である。
 それは憧れのお酒なのである。あんな女の子と仲良しになれたらうれしいなという憧れのお酒なのである。


★やけ酒ならぬ、癒し酒★17/2/28 のお酒
 とある写真用機器の説明会に参加して、その商品説明を聞いたのだが、その間の抜けた出来ばえを目のあたりにしてその親派になるどころがかえって怒りを感じてしまったのである。
 商品というのは使い手を喜ばせたときにはじめて生きてくるのである。ところがその製品は優れているところよりも使い勝手の悪い点のほうが先に目につくという詰めの甘い代物だった。
 こんなものでいいんだろうというあざとさを感じたのである。写真家をなめていると思ったのである。使い手のために作ったというよりも、作り手が自分たちの技術力を誇示するために作ったような使い物にならない製品だったから怒り心頭に達したのである。もちろんその心得違いに対して怒ったふりをしたのである。

 やけ酒というのがある。不愉快を覚ええて腹がおさまらないときか自暴自棄になったときに呑む酒のことである。
 お酒は楽しいときに呑むものなのに、日本人は悲しいときにお酒を呑むというのがおかしいといった中国人がいたということを本で読んだことがある。たしかに、お酒は抗鬱剤ではないのだから、そういう呑み方はお酒に失礼だなと思った。
 爾来お酒は楽しく呑むもの、たとえ貶したい酒であったとしてもそれはそれなりに楽しんで呑むように気を遣うことにした。まずい酒を貶してもうまくはならない。ならばそれを楽しく呑むようにしたほうがずっといいというものである。

 2月の末のお酒は、怒りをほどくお酒だった。こういうのは癒し酒とでもいうのだろうか。怒りは体によくない。その不健康な緊張を解くために呑むお酒のことである。
 酒の一番の肴は上司の悪口というが、まったくで、今宵はなにを考えているのかわからない写真用商品の悪口で呑んだのである。いいお酒だったのでじつに爽やかな気持になれたのである。
 お酒は「東光」の純米吟醸「日本響」(にほんひびき)である。


★代用食の時代★17/3/3 のお酒
 主食の代用として食う食料が代用食である。ほんとうは主食が食べたいのだが、しょうがなしにその替わりに食べる食料である。背に腹はかえられないからである。
 戦時中に主食の米の供給ができなくなったときにひもじさをふさぐために食べたものである。
 パンとか、カボチャとか芋などを米の替わりに食べたという。ようするに主食がきちんと供給できないための緊急避難である。マズイのをがまんして食うものである。

 米は毎日食べても飽きないのに、代用食は毎日出てくると飽きるのである。米の凄さを感じるのである。と同時に食べ物は偏りなく食べるということが人間には合っているということがわかるのである。
 代用食には真っ当ではないものであるという引け目がくっついている。本来そんなものを食うべきではないと思っているのに仕方がなく食べているという負い目を感じながら食べるものなのである。
 それはまた米の供給が豊かになったら元に戻すものなのである。
 が、戦争が終わって、「日本の」食料事情はこんなに豊かになったのに、いまなお代用食をつづけているものがある。

 そう、日本酒である。真実を愛する日本人はさすがにそれを日本酒というのはためらわれたと思われて、「清酒」というのだそうだ。アルコール添加の「日本酒」のことである。
 さらに、後を追うようにして、ビールがその道に続いている。
 日本人は商品に対する要求水準が高いとはいわれているが、それほどでもないということがわかるのである。
 いやいや、食い物には文句を言わないで食うという日本人の麗しい躾けがちゃんと浸透しているということなのである。お酒の世界だけでは。


★インターネットオークション★17/3/6 のお酒
 インターネットオークションで焼酎の「森伊蔵」が3万円だったかの馬鹿高値で取引されているという話を聞いたことがある。
 焼酎って、一升二千円台でしょう。どうやったら3万円になるのかが分からないのである。10本まとめて買ったのかもしれないが、詳細を知る由はない。
 それとも、わざわざ支那から輸入してきたサツマイモを使った超高級焼酎だったのかもしれない。中国のサツマイモである。中国四千年の付加価値がくっついてるから高価なのである。

 オークションでは日本酒もまたそういった常軌を逸した高値で売り買いされていると聞く。
 近くにあるスーパーや一流の百貨店(新宿小田急百貨店の酒売場)で「久保田」の千寿が2倍以上の値段で売られてるのを見たことがあるから、近所の酒屋でほしいお酒が手にはいらない人は、超高級飲み屋で呑んだつもりで一度は口にしたかったのだろう。
 その気持ちがよくわかるだけにそれもありうることだとは思うのである。

 しかし、焼酎ならともかく、醸造酒である日本酒は温度管理のよしあしで味が全然違ってしまうお酒である。それを管理状態もあやふやな所から買うというのは無謀を通り越して、まさにいいカモである。
 売り先はちゃんと大型冷蔵庫を持っているしっかりしたお店だというのなら、庵主はただ苦笑するしかないのである。
 酒を楽しんでいるのではなく、オークションを楽しんでいる人たちだったのである。なにもいうことはないのである。


★いやみな客★17/3/8 のお酒
 燗酒の季節である。そして、呑み手とお店が壮絶な戦いを繰り広げる季節である。
 呑み手が同じ日本人を信用できなくなる季節である。

 一合徳利で燗を頼むと、明らかに一合よりは小さい徳利でお酒が出てくる。徳利の口元までお酒を入れてもやっと一合になるかならないような不思議なサイズの徳利で出てくるのである。
 庵主は、冷やで呑む酒を頼むときははっきりいって小さいグラスで出てきてもなんとも思わない。うまい酒を呑みたいというのが目的だからである。いい酒なら一口味わえばそれで庵主の心は満たされるからである。必要以上の酒はもったいない。

 しかしである。燗酒を頼むときは一合の酒が呑みたいのである。外は寒いのである。正一合の温もりに身も心もひたりたいのである。それなのに中途半端な量を一合と称して持ってくるお店は許せない。酒を呑む目的が違うからである。
 中野さん(どこのとはいわないが)ではないが、計量カップを持っていきたいようなお店がほとんどなのである。
 こぶりの徳利に、しかもその八分目ぐらいしか重みを感じない酒がはいって出てくる。こんどから本当にやってみようかと思う。

 「燗酒、一合で」。出てきた徳利が小さかったら、「一合というのは180ミリリットルですよね」と確認した上で、用意した計量カップに徳利の酒を移すのである。そして不足分をきっちり持ってきてもらうのである。
 それ以上のことはなにもしない。間違っても徳利を床に叩きつけたりはしない。
 頭にきて血がのぼった頭をさますために、その一合の燗酒をゆっくりと呑んで心を静めて店を出るのである。
 原因となった燗酒で心を鎮めるのである。当今の燗酒はマッチポンプなのである。