河合の宝「ゲンジボタル」
3.ゲンジボタルの一生
(5) 上陸そして土の中へ
・光る幼虫たち
四月に入ると、幼虫たちは体が3cm近くに成長し、落ちつきなくはい回る
ようになります。終齢幼虫の上陸の準備です。
夜、飼育装置の中を覗くと、盛んに光りながらあちこち動き回っています。
いつもは石の下に潜んでいるのに、上陸が近くなると水面の近くに出てきたり
時には水の上に体を出したりしているので、上陸が近いことが分かります。
河合中理科部が飼育した幼虫の放流は、4月の第2週ぐらいから始めます。
この頃になると地温も水温も上がり、幼虫の上陸に適した気候になるからです。
幼虫の上陸は、水温と気温の一致する、4月中旬から5月上旬に行われるのが
普通ですが、早めに春が来てしまった年など飼育装置の幼虫が大脱走を企てて
たくさん死んでしまったことがあるということなので、放流の日は慎重に選ば
なければなりません。
・陸に上がる
成熟した幼虫は、夜になると水面近くに上がってきて体を地上生活に慣らす
かのように水面に少し出てみたり、水面近くではい回ったりしています。
幼虫の上陸は雨の日です。暗やみの中をかなり強い光を出して一斉に上陸し
ます。といっても歩くことはあまり上手くないので、尾脚を使ってシャクトリ
運動をしながら、土の条件がよく、潜りやすい地面を探して上へ上へと這って
いくのです。大水が出ても流されず、しかも40日近い地中生活でひからびて
しまわない程度の湿り気を持つ場所を、一晩で探さなくてはならないので大変
です。
幼虫の上陸には、川岸が土砂になっているのが好都合ですが、少しくらいの
崖ならはい上がっていくそうです。鹿草の大久保さんの目撃した話だと、4m
ほどもあるコンクリートの壁をのぼった幼虫があったということです。ただ、
この幼虫が無事さなぎになり羽化できたかについては疑問です。
最近コンクリートの護岸工事がとても多くなりましたが、人間生活には多少
不都合はあってもホタルには自然流下の河川が最適です。
幼虫は、一度上陸を始めたら再び水には戻らないと言われていますが、人工
上陸装置での観察では、気むずかしい幼虫がいて気に入らない条件だと何回も
水に戻ってきてしまい、ついに上陸しませんでした。その点ヘイケボタルは、
あまり文句を言わずにさなぎになるそうで、上陸間際の幼虫は土の上で指で穴
を掘っておいてやれば簡単に土に潜ってしまいます。
幼虫は、それまで水中でえらを使って呼吸していたのが、地上に出るのです
からたいへんです。それできっと雨の日を上陸日に決めるのではないかと思わ
れます。また、雨が降れば土が柔らかくなり土に潜ることも容易になります。
古田先生が、幼虫の写真を撮られるときは水辺に幼虫を放流して、じょろで水
をかけると上がってくると教えてくれました。
・さなぎになる
土の中に入った幼虫は、体を回転させながら自分の体が自由に動かせる程度
の楕円形の小部屋を作ります。
この時体から粘液を出してまわりの土を固めるので、この小部屋はちょっと
のことでは崩れなくなります。これを土まゆ(土襄)といいます。カイコは糸
のまゆを作りますが、ホタルは土でまゆを作るのです。壁の厚さが3〜4mm
長径40〜50mm、短径30〜40mmの楕円形のまゆです。
土のなかに落ちついた幼虫は、体を縮めた状態で前蛹(ぜんよう)になり、
2〜3週間を過ごします。ホタルにとって一番生活条件の悪い時期です。この
時期からさなぎ期にかけてはセミタケのようなキノコが寄生したり、乾燥して
干からびたり、アリやダニに襲われたりもします。
やがて、地温が23℃ほどになると脱皮をして、さなぎになります。
さなぎは幼虫と違って腹部の体節が一節減って八節になり成虫と同じように
雌は腹部の第5節に、雄は5節と6節に発光器を持っていて常に光っています。
成虫とは違い、さなぎは体の色が黄白色で半ば透き通っているため、とても
きれいに光るそうです。目も大きく複眼になります。
さなぎになってからも2週間ほど、計約一か月以上を土の中で生活したあと
やっと成虫になるのです。
(6) ホタルの飛翔と死
・地上へ
土まゆの中でホタルは最後の脱皮を行い羽化します。しかし羽化してもすぐ
には地上に出て来ないで、数日まゆの中でチャンスをうかがっています。せっ
かく羽化しても気象条件がととのわず、そのまま死んでしまうこともあるよう
です。
地上に出てくるのは雨の降ったあとの夜が多いのですが、これは土が湿って
柔らかくなるからです。夜の8時から9時ごろ、残されたわずかな生を地上で
過ごすために土を押しのけて地上に出てくるのです。
・落つるより飛ぶ
草の葉を 落つるより飛ぶ 蛍かな
有名な芭蕉の俳句です。ホタルは飛んでいるときより草や木の葉に止まって
いる時の方が多いようです。あまり飛ぶことは上手くありません。飛んでいる
ところをささやうちわで簡単に捕まってしまうのですから。
そのわけは、硬いはねの下に隠されている飛ぶためのはねにあります。同じ
甲虫類でも、カブトムシなどは硬いはねの下に大きく折りたたみ込まれた立派
な飛翔用のはねが用意されているのに、ホタルの折りたたみはほんのわずかで
上のはねとほとんど変わらない長さです。だから、飛んでいるところを見ると
羽音が高く、けっこう真剣にはねを動かしているのに、そのわりには飛ぶのが
遅いのです。
草などに止まっているホタルを取ろうとすると、ぽろっと落ちてしまいます。
擬死状態になるさまを芭蕉はつぶさに観察して俳句に詠んだのです。もっとも
採卵用の雌を採集している時には『落つるより飛ぶ』のならいいのにそのまま
水中に落ちて流されるホタルもたびたびありました。
・ホタル時計
ホタルは飛ぶことが苦手なのですぐに疲れて休みます。そこで一晩中飛び回
るのではなく、よく飛ぶ時間とあまり飛ばない時間ができます。これがホタル
時計です。
夕暮れとともにぼちぼち飛びはじめ、午後8時〜9時が第1のピーク、次が
11時ごろ、そして真夜中の1時〜2時ごろで、露が降りはじめると飛ぶのを
止めて、夜明けとともに草かげに姿を消すのです。飛んでいないときは、草や
木の葉に止まって淡い光を放ちながら休んでいます。また、毎晩時間が来ると
飛ぶというわけではなく、月夜の晩や気温の低いとき、雨の晩などはおやすみ
です。しかし、なかなかこんな条件の整った夜はなく『乱舞』を見るチャンス
はめったにありません。
・集団明滅
ホタルの名所には『ほたるの木』というのがあって、たくさんのホタルが、
その木に集まり、申し合わせたように同じ周期でクリスマス・ツリーのように
光るそうです。少し前までは河合にも『ほたるの木』があちこちにありました。
これを集団明滅といい、その周期が西日本と東日本と違う事は先に書きました。
ホタルの木について、ある方から大変感銘深い話を聞きました。太平洋戦争
も終末に近くなった南方の島の海抜2000メートル近い高地で、激しい戦闘
のため日本軍の連隊は壊滅状態になりました。その夜その方が連隊本部に伝令
のために戦友の屍(しかばね)の中を歩いていたとき、沼地の中に高さ20m
ほどの木が立っていて、そこだけに何千何万というホタルが明滅しそれは見事
だったが、その時その方にはそのホタルたちが、いま昇天する亡くなった戦友
たちの魂に見えたそうです。
「ホタルは日本人の魂ですよ。」
その方は目をうるませて話してくれました。
ところで、ゲンジボタル特に西日本型のものはいろいろ集団で行動すること
が多いようです。生まれ落ちたとき、上陸するときや産卵するときなどもたく
さん集まって行動します。
岡崎ゲンジボタルは『生田(しょうだ)ボタル』と呼ばれ、『ホタル合戦』
をしたということで有名です。生まれたてのホタルたちが、直径1〜2mの大
集団となり、その二つがぶつかりあって、バラバラと水面に光りながら落ちる
そうです。昭和10年以前のことです。
・こっちの水はあまいぞ
カブトムシやクワガタムシを飼うときは、スイカなどに蜜を塗って、吸わせ
ます。ホタルでもこのようにして長生きさせられうかと言うと、なかなかそう
はいきません。外国には成虫が他のホタルを食べる、肉食のホタルがいるそう
ですが、日本のホタルは成虫はみな夜露しか口にしないのです。
ところで古田先生の話によると、先生もはじめはあまい水というのはホタル
を誘う呪文のようなものだと思っていたそうですが、ホタルでもスイカの甘味
がほとんどないへたの部分などを与えると長生きすることから、やはりあまい
水がホタルの養分補給に役立つのではないか、と思うようになったそうです。
先生の観察によるとホタルの生息場所は植生によって明瞭な差があり、スギ・
ヒノキ・マツなどの所に数が少なく、イタドリ・カシ・ツバキ・ネコヤナギ等
のところにホタルが多いことから、こういう葉の広い植物の葉からは幾分でも
糖分が分泌されるのではなかろうか、と指摘してみえます。
・ホタルの天敵と最期
ホタルの最大の天敵は人間です。むやみに捕らえるし、環境を破壊します。
人を除いてホタルの天敵の第一はおそらくクモ類です。
ホタル見物に行って、光りっぱなしで少しも位置の変わらないホタルは大抵
クモの巣にひっかかったあわれなホタルが、『助けてくれーっ』と光で信号を
出しているのです。あみを張るクモは無差別に虫をあみにかけるのでどの昆虫
にとっても天敵です。しかし、あみをかけないクモでもホタルを捕食します。
ハシリグモがホタルを抱きかかえているところを目撃しました。その外、コウ
モリがホタルをとるということも言われています。
しかし、ホタルはカメムシほどではないが特有なにおいがあり、鳥やカエル
などには好まれないえさだともいわれます。
さて、古田先生のお話だとホタルの最期は神秘的です。真夜中に地上数メー
トルのところで円を描き、その後山並みに沿って上昇して、星空に姿を消すと
いうことです。飼育箱だと死んでからわずかの日数で、胸部の赤色が褪色し、
やがて体全体が朽ちて土に返っていきます。
<目次へ戻る>
<補足>
<目次へ戻る>