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通訳を始めた頃から「Norikoさんはどこで英語を勉強したのですか?」とよく聞かれることがありました。海外生活や留学の経験のない私が、どうして今英語を話せるようになっていったのか、人生を遡りながらお答えしていきたいと思います。
<英語の道・学生/就職編 >
まず中学高校時代..... 1、英語の授業が好きでよく勉強した。 2、NHKテレビ英会話をかかさず見ていて、マーシャ・クラッカワーさんの ”Repeat after me.〜”のよび声と共に、テレビの前に座って、大きな声で発音練習をやっていた。 3、母がほめ上手で英語の音読をしているとほめてくれるので、嬉しくて音読を良くしていた。 このような、なんとも地味な理由があげられます。
記憶に残っている始めて英語で会話をしたのは、英語検定3級の口答試験のときでした。その時の試験官の先生は、今だにおぼえていますが(よく考えたらもう27年前)とっても優しいおじさんの先生でした。「お名前は?」とか「学校はどこですか?」など、ほんとに基礎の会話をしただけなのに、それがとても楽しかったのでした。ハートとハートで会話した初めての体験で、あたたかいものを感じながら幸せに家に帰ったのを覚えています。
大学時代はE.S.S (English Speaking Societyというクラブです)に入って、ディスカッションとかディベートとか、日本語厳禁!英語のみの合宿なんていうものに参加していました。そんあある日クラブの先輩が「のんちゃん(私のこと)って、英語話していると賢くみえるねえ」と、おっしゃった。この言葉は私の人生に強烈な印象を残したのでした。そしたら日本語の時は....。
大学を卒業して始めて就職したのが、航空会社系ホテルのフロント。海外からのお客様も多く、カウンター越しに交わされる会話を通して文化と文化が交叉する、これも初めての強烈な体験でした。そして自分に対する新たな気づき。「私は英語を話すと気が強い!」この場合「気」というのは醸し出すエネルギーであったり、意思表示の強さ、性格、色々含まれると思うのですが、全てひっくるめられる「気が強い」という言葉がぴったりな表現に思えたのでした。
この英語強烈三体験「 ハートとハートの会話、賢こそうにみえる、気が強い」は、私にとっては日本語を話す中では得ることができなかったことを、英語という言葉を使うことで得た貴重な宝物だったのです。
<英語の道・京都暮らし編 >
ホテルの仕事を終えた後、子供の英語教師を経験し、その後英語を使わなくなってから、ある段階から力が伸びない事をずっと歯がゆく思っていたのです。もう少しできたら仕事として使えるのになあと、ぼんやり考えているだけの日々でした。
長年住み慣れた大阪を離れ、あこがれだった京都での一人暮しが始まりました。京都は、海外から日本に来ている色んな国の人達と出会えるとても恵まれた環境でした。国際交流のボランティアグループの事務局をすることになり、また英語を使う仕事が復活。この時期は、いってみれば英語の道第2段階だったかと思います。学生時代やホテルでの強烈な体験や喜びから、道を進んでいく中で、このままでは何かが足りないことに気づきだした時期でもありました。留学した事もなく、海外で身につけた英語でない事をそれまでも気にしていましたが、この京都でのプチ国内留学を通して、自分の殻の堅さやハートが開けない感覚を感じ始めていきました。
その事もあって一時中断していた「身体の感覚を通しての気づきのセラピー」で、自分を探っていく事を、この時期から再び始めていきました。アレクサンダーテクニークやセンサリーアウェアネス、そしてその流れでカナダのホリーホックというリトリートセンターでの半月の太極拳のワークショップに参加したのでした。それが1999年の8月。この旅から帰ってきてから流れが大きく変わっていったのでした。今思えば例え半月でも海外に一人で行き、日本人がいない中で何かを学ぶのは本当に貴重な体験でした。
そして1999年の秋にフナのワークショップに出会い、そこから想像だにしなかったさらなる英語の道が始まっていくのでした。
<英語の道・通訳編 >
初めてフリントのワークショップのコーディネートをするようになった頃(2000年)は、今ほど英語は話せなかったのです。始めの頃は、東京から大阪までわざわざ通訳の方に来て頂いてたのでした。それが今通訳として仕事にできるようになったのも、まさに「必要にせまられて実地で身につける積み重ね」のお陰でした。今思えば何とありがたいチャンスを与えられたことだろうと思います。
いつまでも通訳の方に来ても頂けないし、でもワークショップはどんどんやりたいし...。そんなジレンマの中で「それなら自分でやるのが一番の解決策!」と決心し、少しずつ短い時間のもので練習しながら身につけていきました。今でも最初の頃のテープを聞くと「がんばってるな」と思いつつ、フリントの話すスピードが全然違うし、私もゆっくりしゃべってるし、あの頃はのんびりやってたなとなつかしく思い出されます。少し慣れてきた頃が一番大変だったように思います。フリントはやはり伝えたいことが山のようにあるし、そういつまでも私にあわせてくれない。フリントが言ってる事はわかっても自分の思う日本語にならない。できない自分がくやしくてトイレで泣いた日々。そんなほろ苦い思いでも遠いむかし。毎月少なくとも1度多い時は3〜4度通訳の機会を創り1年が過ぎ...。
そして通訳を始めて2年目の春「法子さん英語が急に伸びましたねえ」と、いつも私の少ないボキャブラリーをフォローしてくれるAさんにいわれて、そういえば楽になったなと自分でも気がついたのでした。語学は進歩がとまっているように見えていても、ある時期に急にのびることがあるので面白いです。まさに継続は力なり。通訳ということに集中して英語力をのばしていったので、私の場合「日常会話の英語力」と「通訳する時の英語力」に差がある。とフリントに指摘されています。通訳の時はいつもと違う力が働いてくれるように感じます。フリントの頭の上の思考のエネルギー場にコンセントをさす感じですね。かなりの集中力だと思いますし、普段よりも確実に頭脳が明晰になっていると思います。通訳という仕事を通して、思考力、記憶力、共鳴力が全力で活動する為の場が与えられたことが、私にとっては何よりの英語上達の秘けつになったように思います。
2006年3月 Noriko
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