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経済学者ハロッド

経済学者ハロッド

大学生のとき、イギリスの経済学者で、ケインズの高弟だったロイ・ハロッドの書物「社会科学とは何か」岩波書店 1975(原題"Sociology, Morals and Mystery"1971)に出会い、それ以来、ハロッドに心酔しています。

1.ハロッドの経済動学

 ぼくは、経済学者でも何でもなく、単なる会社員ですが、大学(慶応大学経済学部)時代、英国の経済学者ロイ・ハロッド(Roy Forbes Harrod)の研究をしておりました。ケインズ革命とまでいわれた英国の経済学者ケインズの高弟で、すでに忘れられた存在となりつつありますが、ハロッドの功績を今一度、認知させたいと考えております。

 ぼくが大学を卒業したのが、昭和53年で、奇しくも、ハロッドの死去された年でした。一度でよいから、その肉声を聞きたかったと残念でなりません。
 9年ほど前に、ヨーロッパに個人旅行した折りに、オクスフォードを訪れ、ハロッドが教鞭をとっていたクライスト・チャーチ・カレッジを見学してきました。

 かれは、経済学でいう「貯蓄」(ストックの概念ではなく、フローの概念)が、資本の蓄積を伴うがために、生産能力一定を前提とした「静態経済学」では、経済の実態把握に限界があり、生産量が増大することを前提とした「動態経済学」を提唱したものと理解しております。かれは、静態経済学と同様に動態経済学の定理を確立して、実際の経済政策に役立てたいと考えていたようです。

 かれのアプローチは、ある意味では堅実で、他の経済学者が望んでいた「現実の経済成長の動きを理論的に説明する」というより、第1段階として「現時点は、経済が加速する傾向なのか、それとも減速する傾向なのか」というよりプリミティブな点からスタートしたような気がします。ある一時点を捉えれば、資本係数も貯蓄率も一定ですので、「望ましい資本係数と貯蓄率」があるとするならば、その両者を満たす「望ましい成長率」が存在することになります。それが、かれの言っている「保証成長率」だと思います。かれは、ある一時点を捉えていたからこそ、「資本係数と貯蓄率が一定」であるといっていたのであって、常に一定であるとはどこにも述べておりません。

 ハロッドの著書『経済動学』(丸善)では、このような誤解があとをたたないと、かれ自身嘆いております。また、かれの基本方程式の資本には、固定資産のほかに流動資産も含まれており、主に設備投資を考慮に入れている他の経済学者の誤解を招いているのではないかと考えております。

「資本係数と貯蓄率」の硬直性をもとにハロッドの理論を説明されている「経済学の教科書」が多いので、一度、かれの考えをまとめてみたいと考えておりますが、これに関しては米国の経済学者ソローが、ハロッド・モデルの「資本係数と貯蓄率」の硬直性を指摘したのが災いを招いたと感じています。

 また、ハロッドは、完全雇用を維持する「自然成長率」という概念も生み出し、現実成長率と保証成長率と自然成長率の大小関係で、その時点の経済の方向性を見出そうとしました。

 ハロッドは、理論経済学者というよりもむしろ、実際的な経済学者だった気がします。国際通貨改革やそれに関する膨大な時事評論、また、『国際経済学』や『経済動学』における政策への適用等、をみれば、それがよく分かります。かれは、『新しい経済政策』の中で、以下のように現代経済学に対して警鐘を鳴らしています。

「私は、今日の経済理論が扱う範囲と方法について、不安な思いを捨てきれない。数理経済学者の学問的な優秀さには敬意を表する必要があるが、それと同時に、われわれが関心を持っている経済−例えば、英国自身の経済にしろ、低開発国の経済のうちのどれかにあるにせよ−の動きについての私の理解が、数理経済学の研究の結果非常に豊富になったとはいえないという困った立場にある。これは、私が、数理経済学者の研究を十分理解できないからなのかもしれないし、そうした研究に十分な時間を費やさなかったからかもしれないことを認めるにやぶさかではない。にもかかわらず、かりに経済学がかなりの程度内容豊かになっていたとするならば、数理経済学上の発見は、二、三年のおくれはあるにせよ、いわゆる実務的エコノミストが理解できる言葉に翻訳され、経済政策の立案にそれがどう関係するかが明らかになっているはずである、という考えがしつこくつきまとうのである」

 京都大学の根井雅弘助教授と同様、ぼくも、ハロッドの『社会科学とは何か』(岩波新書)によって、かれの中に純粋な経済理論家ではなく、別の一面があることに気つき、興味を持った次第です。

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2.オクスフォードの思い出

随分前のことですが、最初に転職した際に、2週間休みをいただいて
ロンドン・ローマ・パリの3都市を訪れてきました。
ロンドンに行ったついでに、ハロッドが教鞭をとられていた
オクスフォード大学のクライスト・チャーチ・カレッジに行ってみました。
以下は、その時の写真です。
ヨーロッパ中世の世界に紛れ込んだような不思議な気分でした。

Tom Quad, Christ Church, Oxford
オクスフォード、クライスト・チャーチ

Tom Quad, Christ Church, Oxford

同全景

Gate, Christ Church, Oxford
クライスト・チャーチ入口にて(1992.3.7)

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3.不運な経済学者:ハロッド

 シュンペーターが1946年に『アメリカン・エコノミック・レビュー』誌に掲載した「ジョン・メイナード・ケインズ、1883-1946」という論文の中で、ケインズ理論の成立には、当時、ケインズの周辺に集まっていた、カーン、ロビンソン女史、ホートレー、ハロッドといった同僚経済学者の寄与があったと述べているが、その脚注で、ハロッドについてこう語っている。

「ハロッド氏はケインズの到達点と大差ないところまで自ら進んでいたようであるが、ケインズの結論が提起されてからは、寛容にもその標準に従う態度をとった。公平という立場からこれだけのことは言っておかねばならない。というのはあれほど優れた経済学者であるハロッドが、ケインズ理論に関しても、また不完全競争の理論についても、当然かれに与えられるべき経済学説史上の地位を失うというある危険に曝されているからである。」

 ケインズの『一般理論』の出版の直後(1936年、『一般理論』と同年に出版)に刊行された、ハロッドの『景気循環論』で、ハロッドは初めて乗数と加速度因子(ハロッド自らは「リレーション」と呼んでいた)の相互作用による景気循環理論を提唱したが、この「乗数」の概念はケインズ理論の根底となる概念であったし、同著の「安定通貨」や「公共事業と財政」「補助金」の章などの政策志向的な議論を読んでみても、シュンペーターの言う通り「ケインズの到達点と大差ないところまで」ハロッド自身、進んでいたような気がする。

 1935年8月30日付けにケインズに宛てた書簡の中では、ハロッドは「あなたの見解は、私の理解するところ、おおまかに言えば、次のようになります。[投資の量は資本の限界効率と利子率]によって決定される。利子率は、流動性選好表によって決定される。雇用の量は、[投資の量と乗数]によって決定される。乗数の値は、貯蓄性向によって決定される」と述べており、既にケインズ経済学の真髄を把握していたことが明らかであり、上記のシュンペーターの記述を裏打ちしているかのように思える。

「不完全競争の理論」も、「供給に関する覚書」(1930年)や「逓減費用の法則」(1931年)などの一連の初期の論文でかれが提唱したものだが、ロビンソン女史が『不完全競争の理論』(1933年)やチェンバリンが『独占的競争の理論』が出版されてからは、かれのこの分野での貢献は世間に忘れられてしまった。「供給に関する覚書」で提唱された「総需要増分曲線」もロビンソン女史の「限界収入曲線」というエレガントな名称が以後の経済学のテキストの中で現れてくるようになる。

 ヒックスのIS-LM分析も、ウォーレン・ヤング氏によると、ヒックスの論文「ケインズ氏と古典学派:ある解釈の提起」(1937年)の元になったのは、ハロッドの「ケインズ氏と伝統理論」だという。1936年にオクスフォード大学で開かれた「計量経済学会」の大会で、ハロッドとヒックスとミードの3氏が「IS-LMアプローチ」のケインズ解釈の論文が発表されており、本来ならば「ヒックス・ハロッド・ミード」が等しく「IS-LM理論」の考案者として評価されるべきだと思う。しかも、事前にハロッドはこの論文をヒックスに送っており、ヒックスがハロッドの論文から有益な示唆を受けたことは明らかで、その意味から、「IS-LM理論」を考案したのがハロッド(およびミード)で、それを、図示化・定式化して普及に努めたのがヒックスだとも言えるのである。

 ノーベル経済学者であるヒックスは、その後、ハロッドの『景気循環論』を数式化する形で、自身の『景気循環理論』を書いており、ここでも「経済学説史上の地位を失うというある危険に曝されている」(不思議な気がするが、ハロッドは残念ながら「ノーベル経済学賞」を受賞していない)

 しかし、何故、ハロッドはこのような事態に沈黙を保っていたのだろう。「分かるひとは分かってくれる」と冷静に考えていたのか。それとも、ヒックスやロビンソン女史といった理論経済学者の目指しているところと、ハロッド自身が目指しているところが元々違っていたためか。「経済学説史上」に名前を残すなど、かれの眼中になかったような気がする。

 ロンドン大学名誉教授の森嶋通夫氏が、自伝『終わりよければすべてよし』(2001年)の中で、おもしろいエピソードを紹介している。かれが、ヒックスとハロッドの2教授の研究室を訪れたところ、

「ヒックスの研究室は、私の研究室とそんなに違っていない。日本の文科系の大学の大学教授は出来るだけ文献を揃えようとし、私も文献派である(ただし私の研究室の文献量は桁外れに少ない)。ヒックスの研究室もまた、同系統であり、本の数が多くてはるかによく整備されているという違いがあるだけである。これに対してハロッドの研究室には、あまり本がなかった。しかしその代わりに大量の新聞があった。大きい楕円形のテーブルが部屋の中央に置いてあり、その上には必ずしもよく整理されているとは思えない新聞の束が山と積まれている。」

 森嶋氏は、ハロッドのようなタイプを「新聞経済学者」とこの本の中で呼んでいるが(軽蔑した言い方ではなく)、ケインズもおそらく同様の「新聞経済学者」であったろうと推測している。経済理論のための経済学ではなく、世の中を良くするための経済学、国民を豊かにする経済学、少なくとも世の中に失業をなくすための経済学。ハロッドが求めていたのは、そのような経済学だった気がする。

[参考文献]
1.セイモア・E・ハリス編(日本銀行調査局訳)『新しい経済学T・U・V』東洋経済新報社、1949-1950年(上記シュンペーターやハロッドの論文など、多くの初期のケインズ理論に関する論文が掲載されている)
2.ウォーレン・ヤング『IS-LMの謎−ケインズ経済学の解明−』多賀出版、1994年(原著1987年)
3.森嶋通夫『終わりよければすべてよし−ある人生の記録−』朝日新聞社、2001年

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4.記憶に残る経済学者:喜多村浩と赤松要

 大学生時代、ロイ・ハロッドの他に興味を持った経済学者がいた。ひとりは喜多村浩、もうひとりは赤松要。今、考えても、知らず知らずのうちにかれらの影響を受けているのではないかと感じている。

 ぼくが大学生時代に参加していた研究室は理論経済学のゼミで、数式を駆使して経済モデルを構築して、さまざまな経済効果を判定する学問を勉強していた。しかし、少し勉強を進めてみて、果たして、人間行動を数式で表現して演繹的に結論を出していくのが、本当に可能なのか、そのような経済学が、本当に求められている経済学なのかどうか、非常に、疑問に感じてきた。同じ現象を見ても、それぞれひとによって感じる内容が違うことを考えると、そのように、人間の行動を機械的に判断して良いのか、疑問に感じている。

 喜多村浩という経済学者は、戦前にヨーロッパに渡り、スイスのバーゼル大学で、エドガー・ザリーンという経済学者の下で国際経済学を勉強し、「Zur Theorie des internationalen Handels」(小島清訳『国際貿易理論の基本問題』)という論文で学位を受け、国際経済学の分野で活躍することになる。その後、『国際経済学』や『ケインズと現代の経済学』などの著作で近代経済学の導入や啓蒙に貢献してたが、都立大学から国連のECAFE(アジア極東経済委員会)の計画部長に抜擢されてから、もっぱら、現実の経済問題の解決に注力していたようだ。

 かれの『国際経済学』は、国際経済を理解するための基本的な考え方を理解するために書かれたもので、知識を詰め込む類の教科書でないのが特徴だ。その点は、ハロッドの『国際経済学』と非常にその目的が似ているような気がする。喜多村浩も国際的な学会には積極的に参加していて、ハロッドが主催した国際経済学会の大会にも参加して議論を戦わしている。まさに、都留重人と同様、国際的な経済学者の走りだったと思う。

 かれはその後、青山学院大学、国際基督教大学、新潟の国際大学の大学院教授を勤め、1987年には、アリ・M・エル-アグラー氏が、喜多村浩の退官記念論集をイギリスのマクミラン社から出版した。「Protection, Cooperation, Integration and Development」がそれだが、ティンバーゲンやキンドルバーガーやマイヤー、シンガー、ブロンフェンブレナーといった、当代の一流の経済学者が寄稿しており、喜多村氏の交流の深さに驚くばかりであった。

 経済理論への貢献からは遠ざかっていたが、ECAFE等での地道な活動が認められているような気がして、うれしく感じた。

 不完全競争理論や成長理論の理論的な分野で貢献したハロッドも、人生の後半は、主に時事評論に力を注いでいる。その点、喜多村浩もハロッドと非常に似た考えをもったひとなのではないかと感じている。つまり、理論のための理論ではなく、あくまで、経済問題解決のための経済学というスタンスである。

 赤松要も同時代の経済学者だが、ヨーロッパでヘーゲル哲学を勉強し、独自の「綜合弁証法」というのを打ちたて、主に、国際経済学の分野で活躍した経済学者である。

 かれの「雁行形態論」は、一国の輸入・国内生産・輸出のトレンドを、経済発展の経験的なライフサイクルとして捉え、雁(かり)の飛ぶ姿に重ねて理論化し、現在でも、信奉しているひとがいるほど、結構、説得力のある理論となっている。今、思えば、これは経済発展段階における「輸入代替」の典型的なパターンをモデル化したものと言える。また、ハロッドの『国際経済学』の理論をさらに発展させて、「供給乗数」の理論も提示したりして、国際経済学会の重鎮でもあった。

 赤松要や喜多村浩が活躍した時代が、日本の国際経済学界の全盛時代だったか。なぜ、今は、理論のための理論、現実問題と遊離した経済学となってしまったのか。ハロッド、喜多村浩、赤松要らの現実志向の経済学が再び表れる日を期待している。

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5.ハロッド理論のひとつの解釈

はじめに

 ロイ・ハロッド(1900-1978)の研究を通じて、今、ぼくが興味を持っているのは、果たして、ハロッドの業績が今の世の中にとってまだ価値があるものなのか、それとも、既に、価値は失われ過去のものとなっているのか、という点にある。改めて、かれの著作を読み直してみて、まだまだ、今の世の中で、かれの業績は価値を失っていないとぼく自身は感じているが、残念ながら、現代の経済学会では、既に、ハロッドは過去のひととなっている。

 1996年にイタリアのジェノヴァ大学で開かれた、ハロッドの『景気循環論』刊行60周年記念のコンファレンスの内容が、1998年にイギリスのマクミラン社から"Economic Dynamics, Trade and Growth: Essays on Harrodian Themes"という表題で刊行されたが、残念ながら、ハロッドの理論を全面的に再評価する動きにはならなかった。

 その原因のひとつに、かれの理論への誤解があると感じている。J.R.ヒックスのように数学に長けていなかったため、数理経済学への寄与が少なかったのも一因と思われるが、かれの考えは、何故か、正確に理解されてこなかったように感じている。

 ただ、何故か、既存の理論の知識を前提としないで、かれの著述を読んでみると、実は、極めて常識的なことを発言しているようにも思える。この落差は何なのか。

 舘龍一郎は、ハロッドの『新しい経済政策』の「あとがき」の中で、「ハロッドは現在の優れた経済学者の中で直観型の経済学者の最先端に位するといっていいだろう。たしかにハロッドの著作にはJ.R.ヒックスやP.サミュエルソンにみられるような論理の冴えは見られないが、現実を直視し、現実の中から問題を正しく把えてくる直観には、他の経済学者に見られない輝きがある」と述べている。素人目には正しい議論も、専門家の目には物足りない。そんなところだったのだろうか。

 この小論では、かれの考えをいくつか紹介しながら、ひとつの解釈を提示したい。といっても、素人が考えたハロッド解釈でしかないが・・・。経済学の専門家の立場から見たら、おかしな解釈と思われるところもあると思うが、ご容赦いただきたい。


ハロッドはケインズの弟子か

 ケインズの公式の伝記である『ケインズ伝』(The Life of John Maynard Keynes)の著者であるロイ・ハロッドは、ケインズ(1883-1946)の一番の愛弟子で、ケインズ経済学の正当な後継者であると一般に考えられているが、最近、刊行された、ベゾミ(Besomi)氏が編纂した"The Collected Interwar Papers and Correspondence of Roy Harrod"(2003)を読むと、そのような画一的な考え方を見直す時期がきているような気がする。

 オクスフォード大学のウォルター・エルティスは、その書評論文の中で、この資料を見た限り、ハロッドはケインズの『一般理論』の草稿に眼を通していろいろと助言はしているが、「『一般理論』の発展に対して何らかれは実質的な貢献を果たさなかった」と述べている。ハロッドは間違いなくケインズに近い場所にいたが、ケインズの生み出した「新しい概念」(有効需要、資本の限界効率、非自発的失業、不完全雇用、等々)を巡って定期的に会合を開いて議論していた「サーカス」の一員ではなかったという。

 ハロッドがケインズの弟子であると同時に、オクスフォード大学のF.Y.エッジワース(1845-1926)の晩年の弟子であったことは注目に値する。ケインズが、かれの「エッジワース伝」(かれの『人物評伝』に載録)の中で、「生涯の終わりに近い頃になると、彼と口頭で一貫した議論をやり通すことは容易なことではなかった。――彼には肉体と注意力とのある種の満たされぬ落着きのなさがあり、これが年とともにひどくなって、見ていて気持ちのよいものではなかった」と述べたことに対してハロッドは「これはまったくのでたらめです(All that is absolutely rubbish)」と述べている。1967年でのオクスフォード大学経済学部での退官記念のスピーチの中でこの点に触れた後で、ハロッドは「ケインズは、いろいろな点でかれに影響を与えてきたケンブリッジの哲学者であるG.E.ムーア(1873-1958)の影響を受けており、直覚主義者(intuitionist)でありましたが、一方のエッジワースは生粋の経験主義者(total empiricist)でした。二人はこの基本的な点で異なっていたのです」と述べており、エッジワースの伝統のもとで、経験を重んじるオクスフォード大学の経済学を褒め称えている。(Warren Young and Frederic S. Lee, "Oxford Economics and Oxford Economists"(1993)のPrefaceを参照のこと)

 伊東光晴は近著『現代に生きるケインズ』(2006)の中で、ケインズが『一般理論』をまとめるに際して、ハロッドの利子論についての批評を「妥協して」受け入れてしまったのは誤りだったとして非難しているが、これも、ケインズとハロッドの考えが基本的に同じではなかったことを証明している。

 ハロッドもエッジワースの影響のもとで教育を受けた「生粋の経験主義者」であったと考えると、ハロッドの理論も理解しやすくなるのではないだろうか。

 ケインズも、『一般理論』をまとめるにあたって、ケンブリッジの言わば身内の同僚諸氏の考えだけでなく、別の見方を持ったハロッドの批評がどうしても必要だったとは考えられないだろうか。ハロッドが、ケインズと同じ考えを持ち、ケインズの信奉者であれば、ケインズもあえてかれから批評を求めることはなかったのではないかと思う。


動学構築の必然性

 一般に、「需要と供給の理論」で代表される伝統的な経済学は、一定の条件(個人の所得や嗜好等)のもとで、ある一組の価格体系が打ち立てられると想定している。これらは、現在では、一般に経済静学と呼ばれているが、ハロッドは、1936年に刊行した『景気循環論』の序文の中で、「純投資が存在する限り、社会の資本量と社会の所得取得能力とは、成長しつづけなければならないが、この成長の要因を静学的仮定の中に見出すことができない」と述べている。

 かれの言う「純投資」とは資本減耗部分を差し引いた投資額を示している。静学においても、議論が事実と遊離しないように、各個人の行動のひとつの型として、個人は、いくばくかの貯蓄(所得の中から消費に向けられた分を差し引いたもの)を行うものと想定している。ケインズの理論によれば、貯蓄が存在すれば、定義からそれと同額の投資が存在する。純投資が存在すれば、社会全体の生産能力は増加しているはずなので、静学で想定しているように、所得一定の条件を想定することはできない。つまり、貯蓄が存在すると想定する以上、生産能力が絶えず成長し続けることを想定していなければ、論理的に整合的でないとハロッドは考えていた。そこから、より現実的な経済学を構築するには、所得の増加率、つまり、経済成長率そのものを決定する理論の必要性があるとかれは考えるようになった。

 ハロッドは、その後、1939年の『エコノミック・ジャーナル』誌上の「動態理論の一試論("An Essay in Dynamic Theory")」という経済成長理論の記念碑的な論文の中で、

 (1) 貯蓄(S)は、主に、所得額(Y)の大きさに応じて決まり、
 (2) 投資(I)は、主に、所得の増加額の大きさに応じて決まり、
 (3) 事後的にみると、投資は貯蓄と等しい。

という基本的な関係をもとに、

 S=sY、I=CΔY、I=Sという数式から、

 経済成長率G(=ΔY/Y)=s/C

 という関係式を見出した。(sは所得の中で貯蓄される割合、Cは投資と所得の増加額との割合。後者の関係は、後に「加速度因子または係数」と呼ばれるようになるが、『景気循環論』では単に「リレーション(関係)」とかれは呼んでいた)

 かれは、このGを「現実成長率(the actual rate of growth)」と呼んでいるが、そのGの値は、その時々の経済情勢により当然のことながら変動する。従って、Gが変われば、sまたはCの値も変わっているはずで、s(貯蓄率)やC(投資率、後に「資本係数」と呼ばれるようになった)が一定であるとは想定されていない。

 ハロッドは、各経済主体(家計や企業)が満足するsやCが存在すると考えて、それぞれ、sd(望ましい貯蓄率)、Cr(必要とされる投資率)という概念を導入し、それらが満たされ、しかも、社会全体でS=Iという財市場の均衡が実現されたときの成長率として「保証成長率(the warranted rate of growth)」Gwを提示した。

 Gw=sd/Cr

 これが、動学の基本方程式と呼ばれるもので、ハロッドは、このGwとGの大小関係で、各経済主体の行動パターンを整理した。Gw>Gの場合、sd>s、または、Cr<Cという関係が考えられ、家計は望んでいたよりも貯蓄が少ないので、より貯蓄を増やす(消費を削る)ように行動し、企業は、必要とされる投資よりも多く投資してしまったと感じ、投資額を削減しようと行動すると考えた。その結果、現実の成長率(G)は、益々、下がる傾向が強まり、GwとGの乖離はさらに広がると考えた。これが有名なハロッドの「不安定性の原理(Instability Principle)」である。

 各経済主体が、計画を立てながら貯蓄や投資を行っていると考えると、このような乖離そのものが何故発生するのか疑問を感じる方もいると思われるが、企業が設備投資を行い、生産量を増加させたとしても、思ったよりも製品が売れずに在庫が増えたという状況は、よくある話である。固定資産のほかに在庫等の流動資産も経済学でいう「資本」の構成要素であるから、資本の増加分である投資も増加する。従って、「事後的に」Cr<Cであると企業が感じることはよくあることではないだろうか。家計の場合は、主に、所得が思ったよりも下がったり、予想しなかった支出が発生したりして、sd>sと判断することがあると思われる。

 また、ハロッドは、たとえ、Gw=Gが実現されたとしても、社会全体が最適な状況とは限らないと考えた。これは、各企業や家計自らが望ましい生産活動(利益極大)や消費活動(効用極大)を行ったとしても、必ずしも完全雇用が実現されるとは限らないというケインズの考えに沿っている。社会全体が最適になるには、少なくとも、完全雇用が実現されてなければならない。人口の増加や技術革新を考慮に入れると、完全雇用が達成された場合に実現される成長率が存在すると考えられる。これが、ハロッドの「自然成長率(the natural rate of growth)」Gnで、政府は、経済政策を行ううえで、このGwをGnに近づける必要性があると説いた。ハロッドが1973年に出版した『経済動学』では、GとGwとGnの大小関係から、拡張主義的政策の影響とその是非が詳細に議論されている。

 これらの経済動学の議論が「各国の経済政策に関する公理についての合意」になることをハロッド自身は望んでいたが、残念ながら、そのようにはならなかった。Gwの概念がなかなか他の経済学者に理解されなかったことと、GwやGnの実際的な測定の困難さが災いしていたような気がする。


保証成長率の概念の難しさ

 米国のノーベル経済学賞受賞者のロバート・ソローは、1956年に公表した論文「経済成長理論への一寄与」の中で、ハロッドが展開した「不安定性原理」をGwとGn間のものと誤解した上に、さらに、ハロッドの議論が「資本係数(Cr)」の硬直性を前提としていると思い込み、Crの硬直性を排除した理論を組み立て、GwとGnが一致する可能性を例示し、ハロッドの「不安定性原理」は誤っていると特徴付けた。このことが、ハロッド理論の性格を決定付け、その後の経済学の教科書の記述内容を歪めてしまった。

『エコノミック・ジャーナル』誌の編集長だったケインズは、ハロッドの"An Essay in Dynamic Theory"の草稿についてのやりとりの中で、「貴兄が『保証された(warranted)』という用語を導入したのは非常にいい」と述べているが、ピグーに出された手紙(1939年6月15日)の中で、「ハロッドの論文についてですが、この論文を、わたくしが同意したが故に受け付けたという論文の中には、どうか、含めないでいただきたい」と述べており、ケインズ自身もハロッドの議論を最後まで理解できないでいた。

「保証成長率」は、企業の望む投資率(Cr)と企業や家計の望む貯蓄率(sd)を満たし、社会全体としてS=I(財市場の均衡)を実現した成長率であるから、ある意味の「均衡成長率」と言える。曖昧な「保証された」という用語より「均衡」という用語を使ってもよさそうなところだが、ハロッドは、「均衡」という用語を使うと、それに向っての不断の動きが想定されると思ったのか、今まで経済学で使用されたことがなかった「保証された」という用語を使った。

 その構成要素は各経済主体が望む率であるから、「事前的な」概念かと思いきや、「事前(ex ante)」「事後(ex post)」という視点から見ると、「保証成長率」は明らかに「事後的な」概念であり、そのことが、ますます、「保証成長率」の理解を難しくしている。

 文字通りに解すと、それが「保証された」成長率であるならば、「実現された」成長率と等しいと考えられなくもないので、ソローのように「保証成長率」と「現実成長率」が等しいと誤解してしまうのも頷けないことはない。

 ハロッドは、ある一時点(たとえば、期末や月末時点)で立ち止まって業績を見直している企業や家計(個人)を想定している。目の前に出された「現実成長率」という「業績」を見ながら、適切な投資率や貯蓄率はこうあるべきだったと反省し、次の生産や消費行動を決めようとしている。この時点で企業ないし家計が望ましかったと考えた「投資率」「貯蓄率」がCrやsdであり、各主体が生産行動や消費行動を起こす前に立てる「事前的な」概念ではないのである。

 そもそも、Crやsdといった値が存在するのかどうかといった疑問はあるかもしれないが、投資額が所得の増加額に依存し、貯蓄は所得額に依存すると考えると、議論の単純化あるいは第一次的接近としては間違っていないし、上記の企業や家計の行動もさしておかしいとも思えない。むしろ、ロバート・ソローが、氏の成長理論の根底においていた、労働(L)や資本(K)という生産要素をインプットすると所得(Y)がアウトプットされるとする「生産関数」の方が、経済主体の行動が見えない非現実的な設定ではないかと思われる。


ハロッドの二分法

 1969年7月19日号の英国『エコノミスト』誌の投書欄に、「ハロッドの二分法」と題するハロッドの投書が掲載された。後に、ハロッド自身がその著書『経済動学』(1973)の第6章(「インフレーション」)の中でその内容を紹介している。実際にその論争に参加した黒田東彦氏によると、この投書がもとで、「その後数週間にわたって、『エコノミスト』誌上で数多くの反対論を呼び起こした。そのほとんどは、当時の正統的なマクロ経済学の理論を繰り返したものであり、強い断定的なトーンにもかかわらず、何らハロッドの問題提起には答えていなかった」という。

 ハロッドの問題提起とは、一体、何だったのか。経済は供給能力を超えている場合と、供給能力以下の場合では、財政金融政策の引締めによる総需要抑制策が経済に与える効果が異なるというのがそれだった。ケインズ経済学では、総需要が供給能力を超えていると、インフレ・ギャップが発生して物価は上昇し、総需要が供給能力以下だと、デフレ・ギャップが発生し、失業が発生する。果たして、デフレ・ギャップが発生しているときに、物価は下がる傾向にあるのだろうか。

 総需要が供給能力を超えている場合は、インフレ・ギャップが発生し、通常、物価引き上げ効果が働いているために、需要の削減は、物価上昇の抑制に対して効果を出すと考えられる。ところが、ハロッドによると、総需要がそもそも供給能力以下の場合は、その効果が出るとは限らないという。一般に先進国では、「規模の経済に服している方のウェートが大きいので、需要の削減は生産の実質単位費用を引き上げ、物価上昇をもたらす傾向を持つこととなる」という。かれは、この投書の中で「ここで述べられた、つまり総需要が供給能力を越えている場合と供給能力以下の場合の間に起こりうることの、二分法もしくは対立が正しいならば、経済理論のほとんどの教科書と大学での講義を改定する必要がある」と述べている。

 総需要・総供給は、現代のマクロ経済学では、貨幣額で示されているが、ケインズは、『一般理論』の中では、総需要の雇用創出効果を明確に定義するため、「賃金単位(wage unit)」で総需要・総供給を表現した。そのため、賃金そのものの高騰に伴う物価上昇の現象が、その経済理論では説明ができなくなってしまった。ハロッドは後に『経済動学』の中で、「『一般理論』では、価格への他の明確な効果と区別された独立の効果として『貨幣論』であれほど明確に現れたコスト・プッシュがほとんど姿を消している。このことは、私の考えでは、その後の理論的発展、したがってまた政策の上にも、不幸な影響を残したのである」と述べている。

 ケインズの「賃金単位」(1労働単位、つまり、通常労働の1時間の雇用の貨幣賃金)は、その測定の難しさからか、その後のマクロ経済学ではまったく採用されていないが、たとえ、貨幣単位の集計量であっても、所得や消費や貯蓄といった集計量だけでは、ハロッドの言う「コスト・プッシュ」の状況を理論的に説明することはできない。

 コストが物価を押し上げる「コスト・プッシュ・インフレーション」(以下、「コスト・インフレ」)と需要超過に起因する「デマンド・プル・インフレーション」(以下、「需要インフレ」)という用語そのものは、ハロッドが発明したものではないが、かれは、一貫してコスト・インフレの重要性と、物価上昇に対して機械的に需要抑制策を行う政策担当者への不満を述べてきた。コスト・インフレが発生している場合に、それでは、政策担当者は何をしたらいいのか。総需要が供給能力以下の場合に需要抑制策を実施すると、このような場合、反って、物価は上昇する。その場合の対処方法として、ハロッドは、政府が直接所得に介入する「所得政策(Incomes Policy)」を挙げている。アメリカが、ケネディ大統領に時代に行った「ガイドポスト政策」がその代表例だが、法的制裁措置まで盛り込むのは現実には難しく、その効果の確実性や即効性を求めることができないという難点がある。

 また、ある製品の需要の増加により一部の原材料の価格騰貴が発生すると、その原材料を使っている他の製品の価格が高騰するが、これは、コスト・インフレであり、需要インフレがコスト・インフレを誘発することもありうる。従って、現実の世界では、需要インフレなのか、コスト・インフレなのか、判断に迷うこともありうる。

 このように、ハロッドの提起した問題は、まだ、いろいろと問題を残しているが、政策担当者は、総需要が供給能力を超えている状況か、または、それ以下の状況なのか、明確に判断を下し、正しい経済政策を推進すべきとのハロッドの意見に賛同するひとは多いのではないだろうか。


哲学と経済学の接点

 経済学者であるハロッドが哲学書を書いたと聞いたら奇異な感じを受けるかもしれないが、実は、師のケインズも『確率論』("Treatise on Probability")という哲学書を刊行している。1956年にハロッドは、"Foundations of Inductive Logic"(「帰納法論理の基礎」)という哲学書をマクミラン社から発表した。しかし、哲学者たちの反応は冷たかった。とうより、ほとんど、議論に上ることがなかった。その点、ラッセルが影響を受けたと著書で述べたケインズの場合とは異なる。

 ケインズの『確率論』は、その書名から、今でも、近代の統計学的な確率論の教科書を出版したと誤解されている方もおられるが、この書は、いわゆる、「哲学的論理学」の研究書であり、その根本的な目的は「帰納法の妥当性」の証明であった。その意味で、ハロッドは師のケインズの後を忠実に追っているような印象を受けるが、両者の問題意識は、その経済学の違いと同様、異なっていた。

 ケインズは、命題Aと命題Bの間で、命題Aが起こった場合に命題Bが起こりうる程度を「確率」と定義した。最近では、統計的な「確率」と区別するために「蓋然性」と呼ぶ場合もあるが、返って、ケインズやハロッドの考えを分かりにくくしている。ケインズは、主に、不確実性下における議論をどのように進めていくかに興味があった。それは、『一般理論』で想定している企業家は、常に、「不確実性」のもとで決断を下さざるをえないという現実認識から来ているようだ。

 一方、ハロッドは、もっと、純粋な考えで、「演繹法(Deduction)」と「帰納法(Induction)」という伝統的な論理学の立場から、近年の経済学等の社会科学での「演繹法」重視の流れに警鐘を鳴らしている。

 演繹法は、一般的な法則から個別的な結論を導き出す方法だが、一方、帰納法は、個々の事実から、一般的な法則を導き出す方法である。全くの無知な人間を前提に考えると、現実の世界から知識を得るのは「帰納法」しかない。その知識を得る唯一の源泉である「帰納法」の妥当性が証明されないのは、学問上、許されないと考えた。

 ジョン・ロックは、生まれながらに物事を理解する力、「生得観念(Innate Ideas)」があるということはないと述べたが、ハロッドもその考えを踏襲している。生まれたばかりの赤ん坊が、徐々に考えを身につけていく過程を考えた場合、知識の源泉は「帰納法」しかなく、そのためにも、帰納法の論理の妥当性の証明が必要であるとハロッドは考えた。

 ハロッドが卒業したオクスフォード大学での教育課程を調べると面白い。もともと、「古典学科(Greats)」と呼ばれる学科があって、ギリシャ語やラテン語の勉強と並んで古代の哲学を学ぶようになっていた。その後、時代の流れに合わせて「歴史学科」や「近代学科(Modern Greats)」が用意されたが、「近代学科」は、PPEとも呼ばれた。それは、"Philosophy, Politics and Economics"の略で、ここでも、哲学(Philosophy)が含まれている。ちなみに、ハロッドは、オクスフォード大学で、この「古典学科」と「歴史学科」で主席を取っている。

 日本語で「哲学」と書くと政治学や経済学とは無縁の教科のように感じるが、欧米人にとって、"Philosophy"とは「人間としての考え方」(ちなみに、ジョン・ロビンソンの"Economic Philosophy"は「経済学の考え方」と邦訳されている)であり、あらゆる学問を進めていく上で前提となる考え方であった。だから、政治学や経済学は、むしろ「応用哲学」といった意味合いで捉えられていた。

 ケインズ以後、経済学が数式を駆使した演繹体系と出来上がっていくにつれ、個々の事実から経済法則といった一般的な法則を導き出していく「帰納法」が軽視されていく現実に、ハロッドは警鐘を鳴らしていたのではないだろうか。

 ケインズが推論過程での「起こりうる程度」(つまり「確率」)を重視していたのに対し、ハロッドは、帰納法の妥当性そのものを問題にしていた。したがって、「(哲学的)確率」の新理論という点に関してハロッドの議論を考えると、その回答は充分に示されていない。しかし、「帰納法の妥当性」の証明に関しては、ある程度の学問的な貢献ができたのではないかと思う。


経験の原理

 ハロッドがこの「帰納法の妥当性」の証明として用意したのが、かれの言う「経験の原理(The Principle of Experience)」であるが、独創的な論証方法であったがために、専門的な哲学者から無視されることとなった。それは一体どのようなものだったのか。

 かれは、この世の中には連続性があるという前提から議論を始める。「私たちが住んで来た世界が連続性を含んでおりませんでしたら、どんな方法を用いても、世界について何等の知識も得られなかったでしょう」と、かれの『社会科学とは何か』という書物の中で述べている。「連続性」というと分かりにくいが、要するに同じ事象が再現することで、あるAという前提のもとでBが発生するという個別の事象が何度も再現するところから、AならばBであるという一般的な法則、つまり知識を得ることができる訳で、このような事象の再現が全くない世界では、何等、知識は得られないとハロッドは考えている。

 ハロッドは、このような、ある連続性を含む「連続体」を旅している旅行者の立場に立って議論を進めている。この旅行者はこの「連続体」がどこまで続くのか、どのような大きさなのか等について何の知識もない「完全に無知な人(Homo Ignorans)」であるという前提に立っている。この連続体の旅行は、遠い過去から連綿と続き将来へと伸びていく。

 その最初の基点をA点とし、この旅行が終了する時点、つまり、連続性が途切れた時点をBとすると、AB線がこの旅行の全工程を示す。この旅行者は、このAB上のどこかの時点から旅行を開始し、この連続性が続くかどうかという質問を発していく。ハロッドは、このABを(X+1)等分に均等に分割し、その単位ごとに旅行者が「連続性が続いているか」との問いを発した場合に、正しい答えが返ってくる「確率」を問題にする。

p.56 Fundations of Inductive Logic
  図1、『帰納法論理の基礎』p.56より採録(但し、ABCDEFの記号は採録者が追記)

 横軸のABと同じ長さの縦軸ACを引くと、ABCDの正方形が出来上がる。横軸は、質問の数、縦軸で過去から将来に渡って旅行者が確認をしてきた答えの数を表す。この旅行者が確認している現時点をP点とし、そこからABに平行して線を引き、対角線との交点をQとすると、PQは今までに連続性があったという正しい答えが返ってきた数を、QSは将来の答えの数を示す。この旅行に終わり、つまり、連続性が途切れるときがあるとすると、その場合に正しい答えが返ってくる確率は、X/(X+1)となる。

 この旅行者が、連続体の旅行の中で、将来正しい答えを得る確率は、QS間で正しい答えを得る確率であるが、ハロッドは、この旅行者はQS(将来の答え)とQR(正しい将来の答え)の比率(QR/QS)も連続体そのものの長さも知ることができなので、これを確率に使うべきでないとして、△AEF÷△ADBの比率が求める確率となるべきだという。その値を計算すると、X2/(X+1)2となる。これが正しければ、連続体が経過する時間(X)が長ければ長いほど、その確率は高くなる。

 ハロッドの議論はこのように、かなり込み入ってはいるが、要するに、ある事象が再現する頻度が高ければ高いほど、その確率は高くなるということで、ある意味では、常識的な結論ではないか思う。ハロッドはこのことを「連続体の確率逓増の法則(the law of increasing probability of continuance)」と呼び、これこそが「経験の原理」であると言う。この議論の中でハロッドは、この連続体の旅行の端にいる可能性は「ありそうもない(unlikely)」と考え、上記のXの値が限りなく大きな値となることを想定している。

 かれは、@連続性がなければこの世の中の個別に事象から一般的な法則(知識)は得られない、Aその連続性が持続する時間が長ければ長いほどその確率は高くなり信頼性は増す、Bその意味で、帰納法の最も根本的な手続きは、表面的に一致する事例をもついくつかに事例を列挙して一般的な結論に導く「単純枚挙法(the method of simple enumeration)」であるとの結論に達した。


経験重視の経済学を求めて

 生粋の経験主義者であったF.Y.エッジワースのもと、経験を重視した経済学を身につけたハロッドは、一貫して現実のさまざまな事象から丹念に思索を重ね、より一般的で普遍的な経済原理の樹立を求めてきた。そのひとつの例が「ハロッドの二分法」と呼ばれる提起ではなかったか。それは、まさに、上で言及した「帰納法」の手続きを「応用哲学」である経済学に適用してきたといっていい。

『経済動学』の最終章で、ハロッドは、今後、経済学者がなすべきこととして、以下のように述べている。

「まず第一に、われわれは経済動学の基本公理について、アルフレッド・マーシャルとパレートが定式化し、のちに「不完全競争」の理論によって修正をうけたミクロ静学の公理をお手本として、合意の成立をはかる必要があるということである。第二に、その公理から派生するものとして、各国の経済政策に関する公理について合意の成立をはかる必要があるということである。各種の政策を開始するにあたって公表された理論づけを見ると、現代経済動学の視点が全く欠落しているのが常だからである。第三に、そして最後に、われわれは、動学理論とその実践的応用とに関連する事実の流れを評価する方法を確立する必要があるということである。今日まで、最高の政策担当者によって示された政策の説明と理由づけは、非常に不十分なもののように思われる」

[参考文献]
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