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御土居について

御土居

秀吉が作った御土居。京都が城塞都市? 今では想像もできませんが、京都市内を3〜4メートルもの高さの土塁が囲っていたとは驚きです。

御土居

 昨年末(2005年12月)、久しぶりに休みがとれたので、京都に行ってきた。実は、最近、京都の「御土居」が気になり、少し訪ねてみようと思ったのである。しかし、事前準備を怠った所為か、実物を見ることはできなかった。

 平成8年(1996年)の「古代史通信」の会合は、「平安京の変遷を学ぶ」というテーマで、北野天満宮の「御土居」を見学した。当時は、それほど興味もなく記憶からも薄れていったが、何年か前、京都でふとしたことで知り合った歴史好きのタクシーの運転手に、北野天満宮の「御土居」を案内してもらった。しかし、以前見たお土居と何処か違っていて、「これが御土居か」と、感動してしまった。実にうず高い土手のような姿が、秀吉の時代を彷彿していた。

 新幹線の時間が気になり、そそくさと京都を後にしたのだが、しばらくして、そのお土居も忘れていってしまった。その後、以前いた会社の社長と酒を飲む機会があったときに、私が京都好きと知って、「御土居は知っているか」と試された。そのとき以来、もう一度しっかり「御土居」を見てみたいという気持ちに駆られてしまった。

 それにしても、年末に京都に行ったのは失敗だった。北野天満宮は、初詣の準備で、至るところがロープでさえぎられ思うように歩けず、しかも、出店の準備であわただしく、じっくり、御土居を見るどころではなかった。

 何しろ、すぐに分かると高をくくっていたが、そのお土居の場所がどこか、結局、見つけられなかった。お恥ずかしい限りである。

 前日に奈良の明日香村を訪れた疲れもあって、地図もなしに「御土居」を探すのは無理と考えて、旅行の方針を変えて、六波羅蜜寺や高台寺といったお気に入りスポットを散策することにした。

 河原町近辺で夕食を済ませ、何気なく入った本屋で、ある本の表紙が眼に飛び込んできた。中村武生『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版センター)がそれだ。もともと、『京都新聞』に連載されていた記事をまとめたもので、京都在住の方なら、すでによく知った話かもしれない。

「今から約410年前、すなわち天正19年(1591年)、天下統一をなしとげた豊臣秀吉によって、突然周囲に城壁が構築され、京都はほぼ完全に封鎖された。これを一般に「御土居」と呼んでいる。」(同書6ページ)(注)引用にあたっては、読みやすさのため、漢数字は算用数字に変えております。以下同じ。(筆者)

「さらにこの城壁には堀が並置されていた。その規模は幅おおよそ20メートルである。土塁の幅も約20メートルなので、あわせると実に40メートルもの物体が、京都の周りを囲ったということになる。」(同書8ページ)

 この本の筆者の中村氏は、通例とは異なるが、城壁と堀が本来セットとなっていたため、故意に「御土居堀」と呼んでいる。実際に、江戸時代の資料にでてくる言葉とのことだ。

 御土居は、江戸幕府が滅んだのちの明治22年(1889年)に陸地測量部が測量した地形図によれば、「鴨川に接した部分(東部)がむしろ多く失われ、それ以外は、ほぼ全域に御土居堀が描かれている」(同書10ページ)という。

 これは、驚くべきことで、明治22年まで残っていた歴史建造物が、何と、この短い期間の都市開発でそのほとんどが消えてしまったのである。戦さがなくなった江戸時代も、お土居は存続しており、その目的が何だったのか、いろいろと興味深い話が載っている。同人諸氏にも是非本書を読んでいただきたいと思う。

 小学館で出版されている『ビジュアル・ワイド 京都の大路小路』(2003年)には、京都の各通りの由来等が書かれており、なかなかためになる。その「河原町通」の章によると、この通りは、「天正18年(1590年)前後から大規模に進められた、豊臣秀吉の京都大改造後に開かれた道であった。道幅も数メートル級のものであるが、いつ開通したかについては、実はあまり明らかではない。ただ、天正19年に築造された、京都の四周を巡らす「お土居」が、この通りの西側に一直線に走っているのをみると、それ以後であることは確実である。この「お土居」の東側は、鴨川に続く広い河原であった。その広い河原が開発の対象となり、都市化を進めるきっかけとなったのは、慶長の末年には完成した東高瀬川の開削であろう。「お土居」より東の河原は、この開発成功によって、大きな変化をみせはじめたのである。」

 今の河原町通りの西側に南北に延々と御土居がある様を想像するのも楽しい。

[参考文献]
1. 中村武生『御土居堀ものがたり』京都新聞出版センター、2005年
2. 小学館『ビジュアル・ワイド 京都の大路小路』2003年

【追記(2006.3.19)】

ここに掲げた写真は、先日、京都の北野天満宮に行ったときのもので、「御土居梅苑」の「お土居口」から入って右手に掲げられているものです。この案内図を見て、つい、「お土居はどこか」と見回してしまいましたが、少しして、自分の立っている場所がお土居の頂上であることに気がつきました。上の文章で「タクシーの運転手に案内してもらったお土居」はこれとは別物で、中村氏の本にでている「北野平野鳥居前町」の史跡だったようです。次回、京都を訪れた際に確認しておきたいと思います。


北野天満宮のお土居史蹟


北野天満宮の御土居梅苑

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