■平日昼間3回卷の指定席への交換は10分前だなんて、聞いてないぞ!
11月22日の11時40分頃、朝日ホール受付で、「平日昼間3回卷」を4時からの映画の「指定席券」に変えようとした。そうしたら、受付の若い男性が、できない、という。毎回開場の10分前からの交換だという。「そんなことはチラシに・・・」といおうとしたら「書いてありませんが、そうなっています」という。「なぜ?」と聞いても「そうなっているからです」としか応えられない。横から別の女性担当が現れたが、対応は同じ。「そうなっているから」の一点張り。次いで、男性の担当者が現れて、ロビー横のたまり場で話すことになった。
■10分前に決まったのは、ほんとうはいつからなのだ?
こちらとしては、4時の回の指定席券を確保して、それまでのあいだ別のことをして、4時に再度朝日ホールに来るつもりだった。その方が時間をムダなく効率的に動けるからだ。しかし、10分前の交換ということはチラシに書かれていなかった。書いてあったのは「当日、会場窓口にて指定席券にお引き換えのうえご入場となります」だけである。それから判断すれば、当日の朝から変えられるということになる。担当者は「こちらのミス」というが、単純なミスだけなのかな。引き替えについての一文がそっくり抜けているのならば、ミスも考えられる。でも、この場合は表記の違いが問題になるわけで、チラシを作成した当初は「10分前」という段取りが決まっていなかったんじゃないか、という疑念が残る。チラシを作成したときは「当日いつでも」というスタンスだったのが、チラシの刷り上がり後に急遽「10分前」という新基準が当てはめられたのでは? と憶測してしまいます。そういえば、チケットを買ったときにまだチラシはチケットぴあの店頭にはとどいていなかったと思いますが。
■チラシの記述を逃げに使う人たちが、チラシの記述を無視するとは・・・
こうしたイベントではチラシの注意書きが「逃げ」のために事細かに書かれるのがフツーだ。そうして客からのクレームにも「ここに書いてある」といって逃げる。そうした言い訳に使われることが当然なのに、逆の立場、つまり、書いてあることが間違っている場合に、「ここに書いてある」と客から追及されると「それはミスでした」と逃げるのはフェアではないよね。すべてを自分たちに都合のいいように解釈しているだけの牽強付会。ご都合主義でしかない。スーパーのチラシに桁を間違えてビデオ1000円と書いたら、いまどき「ミスでした」では済まない。妙な言い訳をして「10分前」を貫き通すより、さっさと当日朝から当日分の前売りを指定席券に変えるよう方向修正した方が利口な判断だったと、私は思う。
■担当者の不毛な言い訳
さて、ロビー横のたまり場で「朝のうちにチケットを指定席券に変え、上映時間になったら朝日ホールに来る予定だった」ことを述べた。すると担当者は、
「3回券のお客様にも十分な席を確保している。開場10分前にいらしても、お客様が見られなくなるようなことはない」という。
さらに、担当者は前売り券の交換を開場10分前にした理由を述べた。
「これまでの経験から、朝、前売り券を指定席券に変えたのに映画の始まる時間になっても現れない人がいることが分かった。未着席があると、当日、その映画を見たいと思う人がいて、当日券で入ろうとしても満席では券がさばけない。それなのに場内には未着席がある、という状況をなくしたい。これはお客様のことを考えてのことであり、未着席をなくすために、朝から変えるのではなく10分前にした」
「その未着席の割合は何パーセントだったのですか?」
「すぐには分かりません。私たちは未着席をできるだけなくしたい。お客様が見られなくなるということを避けたい」
「空席をなくしたいわけですね」
「空席ではありません。未着席です」
「同じことでしょ」
「違います」
「指定席券に変えた人が会場に現れないということから生じる結果を「未着席=見られない人が生じる」と表現するか、「空席ができる」と表現するかの違いで、同じことを裏表に表現しているだけでしょう?」
「いえ、違います」
と、「空席」という表現を絶対に避けたいという気持ちが前に出ているようだったが、これも牽強付会な解釈のひとつだろう。
「仮に1回の観客が200人として3回券の客が半数いて、その10パーセントが未着だったら、10人分の空席ができるわけですね。その10人のために10分前という制度にしたのですか? その程度の誤差は無視してもいいんじゃないですか?」というと、
「私たちは未着席をなくして、一人でも多くのお客様が映画を見られるようにしたい」との一点張り。
「でも最初にあなたは、3回券が対象とする映画では満席になるようなこともなくどの映画も見られる状況だ、といったじゃないですか?」
「え、ああ、そうでしたね・・・でも、私たちは万一のことをつねに考えていますから、そうした場合でも未着席をできる限りなくし、一人でも多くのお客様が見られるようにしたいと考えています」
まあ、開き直りだよね。役人的な返答で、言い訳と自己正当化ばかり。「システムを毎年変えるのも、試行錯誤してよりよいシステムをお客に提供するためだ」といっていたけれど、毎年、よくなっているなんてとても思えない。らちがあかないので不毛な議論は打ち切ることにして、ことの次第を受付に大書すること、また、ホームページなどで告知するよう注文して、その場を辞した。
■他にも同じ様な不満を持った人はいた
担当者はチラシのミスは認めたものの、申し訳ないという印象はあまり感じられなかった。フツーなら、記述の間違いで大事になり、低姿勢でごめんなさいを言うことになるのだろうが、この映画祭のスタッフの方々は、最初の受付の青年をはじめとして「そうなっているから」「そうなったから」と自分たちの都合をいうだけで、観客にかけた迷惑に対して申し訳ないという感情が見られない。ミスぐらい仕方ない、ささいなことで文句をつけるな、とでも思っているのでしょう。では、みなさんは他人のミスに寛容ですか? と尋ねてみたい。どうみてもそんな風には見えません。どちらかというと処理は事務的で、態度も偉そうで、まるでこの国の役人のようだ。
ついでに記しておけば、となりのテーブルにいた客が私たちの会話を耳にして「僕もおかしいって思ったんだよ。だからアンケートに書いておいたけれど」といっていた。日本人は概ね長い物に巻かれろで、ヘンだなと思ってもいちいち追究したりしない人が多い。それをいいことに、観客不在のシステムがまかり通っていないか? と思ったのだった。しかし、話はまだここで終わらない。
■指定席券とは、いったい何だ?
4時前に再びマリオン11F。3時50分になったから「風を吹かせよう」の前売り券を指定席券に変えようと差し出したら、受付の女性が手元にある指定席券の束からちぎって渡してくる。なんだよ、と思う。
「指定券というからには自分で席を選べるのじゃないの?」というと、
「こういうシステムになっていますから」
「こういうシステムも何も、座席指定というからには客が好きな場所を選んで座るのが当たり前だろう。そっちが勝手に決めた席に座れ、なんていうのは座席指定じゃないぞ」
「でも、上映が開始してからなら空いている席へ移っても結構ですから」
って、いったい何のための座席指定なんだい?
「客には好みの場所もある。前がいいとか後ろがいいとか、右がいいとか左がいいとか、そういう好みに合わせて席を指定する。客が指定するから座席指定なんだ。どこのシネコンだってそうやって席を選ぶことができるだろ」
新幹線に乗るのとわけが違うんだぜ。スポーツ競技だって指定席を買うときは場所を選べる。人気のあるコンサートでどこでもいいから席が欲しい、ってなわけでもないのだ。
「座席指定は3回券のお客様だけでなく、1回券のお客様にも行なっておりますから・・・」
テーブルの上菜ある座席表には、緑の蛍光ペンで2列だけ線が引いてある。その2列を3回券の客に用意しているということらしい。
「そういう問題ではない。こうやって座席表があれば、埋まった席から×をつけていって、空いている席の中からどうぞと選ばせればそれでいいじやないか。なんでそれができない?」
すると、横から年かさの女性が口を挟んできた。
「私どもの映画祭の座席指定はこうなっていますから、このシステムでやらせてもらっています」ときっぱり。
この人の態度も、見せてやっている、文句があるなら見なくていい、というものだよね。まったく役人と同じ。観客不在。
それでも納得がいかないので、私は緑の蛍光ペンで示されている中の、自分の好みの席に近いところの席を指定してもらった。こんなの、当たり前の話である。
■そういう人が本当にいるのか、という驚き
さて、チケットを座席指定券に交換し終わって、さきほどの横から口を出してきた女性に尋ねてみた。
「あなたはシネコンや日劇などの座席指定の劇場で、自分の好きな席を選ばないのですか?」
「選びません、与えられた席で不満を感じたことはありません」応えた。
私は、前に座高の高い人が来たり、カサカサと音を立てる人がきたりするのは嫌だから、原則的に座席指定は嫌いだ。だから、座席指定の映画館にはなるだけ行かない。入ったとしても空いていれば好みの場所に席を移るし、窓口であらかじめ好きに場所を選ぶようにしている。そういう風にするとしても、最初に入る劇場ではどの席からどういう具合にスクリーンが見えるか分からない。劇場に入ってみて、ああ、こつちの方が見やすいなと思ったりすることはまれではない。人間には習性があって、そうやって席を決めていくものだ。なかにはそうではない人もいるだろうが、彼女の「席を選ばず、言われた席に座る」という答えには、そういう人もいるのだなと思った。本当だとしたらあまり人間らしくない行動だし、そういう個人の感覚を一般論に広げ、その感性でシステムやルールを決定していくのは、どーもそぐわないのではないかと思った。また、彼女の言ったことがその場しのぎのものであるならば、嘘つきということになる。
■もっともっと、客の立場で考える必要があると思う
まあ、このように毎年のようにTOKYO FILMeXではスタッフの人々とシステムのことでぶつかっている。おそらくそれは、見せてやっている、という姿勢がいつまでたっても変わらないからだろう。変わるのは、システムの中身ばかり。観客のためと唱えながら、ちっともよくなっていない。どこに観客の声が活かされているのだろうか? 観客の声をアンケートで拾うというポーズはあっても、それは現実に反映されていない。スタッフの方々は、実際に他の映画祭の観客となったことがあるのですか? 運営を任されている代理店の人たちが、机上で「よかれ」と思うようなシステムをつくり上げているのではないですか? 指定席制などは、他でやっているから導入しているのですか? 意味ないと思いますがね。
事務局の人々は、自分たちは映画祭を仕切っている、という感覚しかないのだろう。しかし、映画は興行である。客の立場で考えないような興行は、いずれ見放される。「映画祭は興行ではない」というとしたら、それは大間違い。自分たちは文化を提供している、などという傲慢に他ならない。
■客席はスカスカなのに、未着席を減らしたい? 指定席?
さて、場内にはいると、600席余のキャパに100人ぐらいしか入っていない。なにが「満員なのに席が空いているような状況にしたくない」たよ。場内全部空席だらけじゃないか。去年までより少ないぐらいだ。3回券の客用に、前方の1列と後方の1列が提供されていたようだけれど、その部分だけに異様に客が並んでいる不思議。指定席なんかにしないで、自由に座らせた方が自然であることが、理解できなかった結果が、これである。
■指定席なんかやめてしまえ
だったら初めっから指定席なんて洒落たことをしなければいいんだ。だいたい、1回券にはこのエリア、3回券にはこのエリア、などとあらかじめ席を差別的に囲い込んでいることがおかしい。3回券の客は1回券の客よりもないがしろにされている。むしろ3回券の客の方が「平日にやってきて席を埋めてくれる」「より多くの映画を見たいと思っている」といった観点から、むしろ優遇されてもいいとすら思っているぐらいなのに。だいたい、前回の映画祭でも、3回券の客は1回券の客が入場した後などという、あからさまな差別が行われていたが、そんなことをする理由などどこにもないと思うぞ。区別するのなら、中央部分にでも座席指定ブロックをつくり、そこを座席指定1回券とでもして価格を1500円にして、残りは一般自由席にでもするのが単純でよろしいと思う。
■結局のところ、観客が不在なシステムでしかない
まあ、たまたま私の入った回の観客が少なくて、祝祭日や土日の入りはいいのかも知れない。そして、満席の日もあるのかも知れない。未着席が発生せずに、より多くの人が座れた回があるのかも知れない。でも、そういった内容は、観客にはまったくつたえられない。先に指摘した、「では、未着席はこれまで何パーセントあったのですか?」に対する答えが直ぐに出てこないのと同様に、いったい、何を根拠に毎年システムを改善していっているのか? その内容を公表しなければ、「つねに客のためにやっていること」という主張は空言にしか聞こえない。こんなことをいうと「そんなことをいちいち客につたえる必要はない」という返事が返ってきそうだけれど、そういう態度だとしたら、それはもう日本の官僚の態度と同じではないか。まあ、これからもずっと役人のような態度で観客(国民)不在のシステム改悪をやっていけばいいさ、と思ったりするのである。