1999年6月

カラー・オブ・ハート6/2日比谷みゆき座監督/ゲイリー・ロス脚本/
映画の日なので1,000円での鑑賞。50年代の白黒テレビドラマの中に入り込んでしまった現代の18歳(男と女の双子)が、性欲をはじめとする感情をドラマ世界に持ち込み、白黒世界をカラーの世界に変えるまでの話。と書くとコメディのようだけど(僕もそう思ってた)、なんともシリアスで暗い。笑いは二の次だ。もっとも、日本人には笑えなくて、アメリカ人には笑える部分はきっとたくさんあったと思うんだけれど。しかし、保守的な白黒人種と、革新的な(自我に目覚める)人種の対立が、現代アメリカの人種差別や貧富の差、世代間の対立などを連想させて、なんとも深く重い。かといって白黒の、嘘に塗り固められた世界が必ずしも悪いものではない、とも思える部分があったりするのも、一興。アメリカにも「建て前」と「本音」があるじゃないか、とも思えて面白い。細かなレベルでいうとつじつまが合わない部分がたくさんあるのだけれど、そういうのは無視ししよう。
ダンス・ウィズミー6/4シネマミラノ監督/ランダ・ヘインズ脚本/ダリル・マシューズ
なかなか楽しく、健康的で、元気にしてくれる映画でした。「Shall We ダンス」のパクリであることは、明白(じゃなかったら、ゴメンですが)。しかし、同じような素材でこうも描き方が変わるのね、と感心してしまった。こちらは、あくまでポジティブ指向。明るく陽気でハッピーエンド。挫折や苦悩、日常性などはほとんど排除(ヴァネッサが子供までつくりながら元のダンスの相手役に捨てられたことと、主人公のキューバ男の父がクリス・クリストファーソンで悩むという2点だけ。これ、とっても類型的で平板な話だ)。脇役の描写も最低限。エピソードも少な目に。かたや日本の「Shall We ダンス」は、平凡な主人公の日常性からの逸脱がテーマ。暗さと哀愁と挫折がもりだくさん。ストイックで、エモーショナルに訴えてくる。まあね、日常的に踊りまくっているラテン野郎のキューバ人と日本人じゃ、お話のつくりかただって変わってしまうのは当たり前だけど。「Shall We ダンス」も、もちろん優れた映画でアメリカでヒットしたけれど、やっぱり基本的には極東の島国の映画って気がするな。「ダンス・ウィズミー」は丁寧な心理描写がなくても(映画の厚みがなくても)、ストーリーとしては楽しめたし、訴えてくるものはちゃんとあった(もっとも、つくりはちと雑だけれど)。踊りたくってしょうがないキューバのアンチャンと、ダンスで一旗揚げたい子連れの女。それをとりまく人のいい連中。恋の炎は燃え上がりつつコンテストに突入する。細かいことなんて、大して問題じゃないんだね。破綻もないしつじつまも合っているし、安心できて見終わってハッピーになれる、とてもいい映画だった。
ライフ・イズ・ビューティフル6/8シネマミラノ監督/ロベルト・ベニーニ脚本/ヴィンチェンツォ・チェラーミ、ロベルト・ベニーニ
涙うるうるモノかと思ったら、ひたすら暗いんでやんの。ベニーニって、やたらしゃべってうるさい。で、あんまり可笑しくない。これは日本人には合わない笑いか? 可笑しさと、ユダヤ人虐殺のギャップが、哀愁につながって評価されたのだとしたら、これは、日本ではダメだ。私にはトンマな男にしか見えなかった。しかも、リアリティがなく(のは、計算しているんだろうが)緊迫感が足りなかった。素直に情感に訴えた方が、涙腺にきたのではないのかな。
RONIN6/10渋谷パンテオン監督/ジョン・フランケンハイマー脚本/J.D.ザイク、リチャード・ウェイズ
“RONIN”は、赤穂義士の忠義な浪人のことらしい。途中で討ち入りの場のジオラマが出てくるんだが、戦国時代の鎧兜がいたり馬がいたり。とんでもないものだった。それはさておき。金で雇われる(しかし、当初はたったの2万ドル。値上げして20万ドル程度は安すぎないか?)殺しと情報のプロ(元CIA、元KGB、元兵隊といった浪人たちらしい)があるミッションに参加して・・・。というよくある話。結論は、なんだよ!というもの。ミッションに参加した1人が実は別の目的で・・・その達成のためにあれやこれやしていた、と。うーむ。1人殺すためにこうまでするか? という乱暴なことばかりしていた。街頭乱射、誤射、ひき逃げ、破壊行為・・・なんでもやって、つかまらないという。荒唐無稽も甚だしい話だった。まあ、映画だから、こんなものだろう、と思えば腹も立たないが、うーむ、だなあ。そうそう。で、あのスーツケースの中味は、一体何だったのかなあ?

 
 

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