1999年9月

スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス9/1上野宝塚劇場監督/ジョージ・ルーカス脚本/ジョージ・ルーカス
つまんなかった。ドラマがない。眠くなった。
運動靴と赤い金魚9/1シネスイッチ銀座2監督/マジッド・マジディ脚本/マジッド・マジディ
貧乏が映画のテーマになる国なんだね、イランつーのは。夫婦連れの旦那が「ほのぼのとした映画だったな」と連れにいってましたが。ほのぼのじゃねーだろう、切実な問題だ、と思った。貧富の格差が大きすぎるんだよ。日本みたいな税制を導入すれば、かなり改善するんだろうな、とか。ネックはやはり宗教かな、とか。ああいう中から、日本に出稼ぎにくんのか、とか。考えながら見ていた。それにしても、子どもたちがみな可愛いね。大きくなると、上野にいる(いた)イラン人みたいになっちゃうんだねえ。映画はシンプルなテーマを実に情感豊かに(子供の心をとても上手に)表現していた。運動靴の取りかえっこ、なくしたボールペンなど、小道具も活かされている。気の小さなオヤジとか厳しい学校の小使いとか、脇の人物造形も見事。丁寧できれいな映像もいい。
本日は映画の日で、一律1,000円。実を言うと「スター・ウォーズ エピソード1」を見たあと日比谷映画に行って「エントラップメント」を見ようとしたら「立ち見」だっていうんで、こっちにまわった。慌ててハンバーグ詰め込んだところで、少し眠そうな雰囲気だったのだけれど、この映画の最中はひとつも眠気に襲われなかった。受身で見るおバカ映画ではないということなのでしょう。
オースティン・パワーズ:デラックス9/2上野セントラル監督/ジェイ・ローチ脚本/マイク・マイヤーズ、マイケル・マクリース
なんだか分かりません。下敷きになっている映画や音楽や文化について、よーく知っていないと、笑えないでしょう。パロディといっても、多分、国民的文化的常識になっているようなものをパロっているんじゃないでしょうか。「ああ、これはあの映画ね」と分かるのもありますが、別にだからって大笑いするほどのものではない。違和感とかズレとか、感じられないのは、私が鈍感なのかも知れませんが。音楽は、懐かしいのが流れていました。音楽家も、ちらちら出ていました。しかし、なんといっても60年代のサイケな色とデザインが、派手。楽しめるのは、かわいい女の子ぐらいの、ううむな映画でした。
ノッティングヒルの恋人9/24渋谷東急2監督/ロジャー・ミッチェル脚本/リチャード・カーティス
うーむ。清々しい気分になってしまった。私は近ごろ愛に飢えているのかな。それはさておき、ありそうもない話をぬけぬけと映画にしてしまい、観客を楽しませてしまうのだから、これはまいったです。もちろん、「ローマの休日」だとかなんだとかかんだとか、同じような映画はあるわけで、オリジナリティはないけど、それはそれでいいんだよね。そういった過去の映画のいいところを拝借してよりいい映画をつくればいいわけだから。おお、と思ったシーンが2つ。1つは、私有墓地のベンチのシーンでカメラがぐぐくぐーんと垂直に上がっていく場面。すげー。クレーンか? もうひとつは、傷心のヒュー・グラント君が歩いている街の風景があらら雪が降って冬になり、あらら春になって果物が売られ・・・で、半年ほどの時間の経過をワンシーンで表してしまった場面。このシーンは、あと何度か見てみたいと思わせるものがあったぞ。脇役のキャラクターが、実にいい。主演のジュリア・ペリカン面・ロバーツとヒュー・ゴリラ面・グラントよりよっぽと魅力的な面々だ。同居人のいかれたアーティスト。妹。車椅子生活の昔の恋人(彼女、いいなあ)。その亭主(慈愛のあふれるキャラクターだった)。株屋。シェフ(この人、あまり出番なかったね)。本屋の使用人。リッツホテルの支配人。みんな、ちゃんとキャラクターの造形があって、実にいい。また、ディテールが面白いのも見逃せないよ。室内にある日本人のポスターは、ありゃ、だれなんだ? 提灯みたいなランプシェード。ホテルの支配人にキスするタキヤマさんという日本人・・・ははは。それ以外にも、たくさんの小物や会話が、インテリジェンスに満ちていて、なかなか、深いぞ。
といいつつ、いくつかの注文を。やっぱさあ、世界の大スターが惚れてしまう、という動機づけをもうすこしリーズナブルに描いて欲しいです。たまたま入った書店で本(トルコの本は何のために買ったのだ? そのフォローがないぞ)を買って、ちょっと会話しただけなのに。で、たまたま角でぶつかって男の家で着替えして。帰りしなにキスするか? おい。それって、単なる淫乱の男好きとしか見えないよ。なんとかして欲しかったね。かといって、ハリウッドの表面的な生活にうんざりとかいう、ステレオタイプな理由づけはして欲しくなかったけどさ。そうそう。音楽、いかったよ。
エリザベス9/27渋谷東急3監督/シェカール・カプール脚本/マイケル・ハースト
なにがなにやら分かりません。ずっと、気絶してました。どこにもドラマがないんだもん。退屈で退屈で。熟睡しないだけ、ましか。
エリザベスをめぐる問題は、カソリックとプロテスタントの問題だけなのかと思ったら、なになに、スコットランドとの戦争や、フランスとスペインの婿候補が絡む複雑怪奇な様相を呈してきて、ノーフォークという位置づけの分からないのが出てきて、あー、もうダメ。とにかく、政争渦巻き宗教がらみの中でエリザベスは女を捨てて女王になった、と。それが分かればいいか。でもさあ、歴史を知らないと理解できない話だね。後半はとくに、説明なしの陰謀と殺戮とで、だれがどーしたのか、さっぱりわからなかったぞ。
それはさておき、なんでシェークスピアがここにでているんだあ、なんてね。時代劇で人気なのかな、ジョセフ・ファインズ君は。そうそう。前半の過程も、なんか納得できない部分あったなあ。プロテスタントだからって地下牢に入れられたと思ったら簡単に出てきてしまったり、周囲は旧教ばかりなのに即位できたり。女王が明け透けに部下とHしちゃったりしてさあ。なんか、わからん世界だよ。すべてに、日本人には、説明が不足している。あー、そういえば、スコットランドの女王は、ドライブレストランの冴えないウェイトレスみたいだったなあ。
マトリックス9/28上野東急2監督/ウォシャウスキー兄弟脚本/ウォシャウスキー兄弟
楽しいのは、はじめの20分とラストの20分。あとは、眠かった。2999年の下水道での潜水艇の中の話は、つまらない。アクションを差し引いたら、哲学みたいな小理屈が残るだけ。小理屈も、もったいぶっているだけで、風格がない。ちんけなSFだ。人物の位置関係が、わかんないよな。それぞれの人物がそこにいる必然性がない。だから、話に深みがなく上滑りする。1999年は仮想現実の世界で、実体は2999年だって? そんな仮想現実の世界の中に、どーして宇宙人らしい黒服3人組がいるんだよ? 黒服がいっていた「人間は環境を考えずどんどん増殖する。これは、ウイルスと同じだ」という話の方が説得力あったね。カンフーアクションは、生身でやってるシーンがへたくそで、SFXとの落差がひどい。ヒロインも美人じゃないし(って、私の好みに合わないだけだけど)。もっともらしくつくられているけど、中味がないと退屈で、退屈で・・・。あ、そうそう。で、なんとかいう、侵入されるとまずいコンピュータというのは、どこにあるものなの? あの、イカの化け物は、いったい何やつ?
と、書いた後でチラシのストーリーを読んだら、おお、なるほど。AIの発達でコンピュータと人間が戦ってコンピュータが勝ち、人類は死者のエキスで育てられ、羊水タンク内の人間は仮想現実世界に行かされている・・・と。で、黒服3人組は、コンピュータ監視装置だってさ。ははは。あのシーンでは、そういうことが話されていたのか。ぼーっとしていたから、気がつかなかったよ。はははは。
■一晩寝たら、少しわかってきたぞ。人間は、AIに破れた。AIは、生身の人間を羊水で飼育している。人間は、1999年の仮想現実世界に暮らしている。しかし、生身の人間もわずかいて、AIに戦いを挑んでいる。ハッキングだ。しかし、いつもAIの監視プログラム(黒服)に退治されてしまう。そこで、白羽の矢が立ったのが、仮想現実世界で天才的ハッカーのキアヌ君。スカウトされて、赤い薬を飲み、羊水タンクから覚醒する。そこを、ハッカー仲間に救われて、潜航艇の中へ。訓練の後、キアヌ君は自分のカラダを使ってAIの中へハッキング。そこで、デバック専門の監視プログラムとの戦いが起こる。そこで、いろいろ離れ業や裏ワザを使いこなし、監視プログラムに打ち勝つ。さらなる戦いは、つづく・・・というわけだな。こういう整理は、見ているときにはできなかったです。ううむ。しかし、AIから戻ってくるのに、アナログ電話っつーのが、笑わせるというか、泣かせるというか。音響カプラやモデムはいらんのかね。

 
 

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