1999年10月

双生児10/5有楽町スバル座監督/塚本晋也脚本/塚本晋也
期待しすぎて、期待はずれ。耽美的、暴力的であるべき映像が、映像美といえるまでに昇華していない。厚みがない。いささか、チープである。手持ちカメラを否定はしないが、ステディカムだとか、クレーンなどの特機を使ったスムーズな動きの方が、蠱惑的な質感が出たのではないか。手持ちでごまかす、といった意図があったとしたら、哀しい。音声が、非常に聞き取りにくい。これも、マイナス。双生児登場までの「見られている感じ」や「違和感」が、ちと足りないというか、心のゆらぎや畏怖が現れていない。両親の死についても、突発的のようで、どーも違和感あり。麿赤児は大駱駝鑑そのままじゃねえか(それを狙ったって?)。貧民窟の、まるで歌舞伎者のような赤い衣装の世界にパッと入ったときは、印象的だった。こちらの素早いテンポもいい。けど、彼女の復讐に来た浅野忠信(かな?)がさっさと返り討ちにあってしまうのは、興ざめ。もたいまさこの存在は、おかしくていい。石橋蓮司乞食は、最後に井戸から再生して子供までなした本木雅弘の目に何を見て畏怖を抱いたのか? それがわからん。そうそう。最後に出てきた赤ん坊って、あれは、本木雅弘二役の双生児ではなくて、りょうが生んだ本木雅弘の子供だろうなあ・・・という解釈なんだけど。とにかく、いまひとつ映像に神秘性が足りない。ああ、そうそう。セリフの神秘性にも、もうすこし神経を使って欲しいなあ、という部分があったけど。要するに、詰めが甘いということだ。
ウェイクアップ!ネッド10/6銀座テアトル西友監督/カーク・ジョーンズ脚本/カーク・ジョーンズ
たなぼたの金をめぐる愉快で肯定的なお話。52人しかいない村、だって? イギリスのマン島にはそういうのがあるのかな。人間の欲望を否定せず、「そういうものさ。目の前に金が転がってりゃ、だれだって、本心は欲しい。だったら、多少のリスクを超えて、自分たちのものに!」という心理をユーモアたっぷりに描いている。なかなかちょこざいなジジイどもで、おかしい。しかしなあ、あーゆー田舎にしがみついている人々もいるのだろうなあ。臭いが嫌われて嫁がもてない豚飼い、とかさ。で、こぶ付きの女を取り合いする・・・。みんな都会に出ていって、残るは老人たちの村・・・。世界はどこでも同じだねえ。そうそう。1人だけ取り分を多く要求した強情ババアの存在をああいう具合に解消するというのも、笑いが根底にあるから、嫌味がないんだろうね。
シンプル・プラン10/6日比谷みゆき座監督/サム・ライミ脚本/スコット・スミス
たなぼたの金をめぐる陰気で否定的なお話。なにもここまで暗い話にしなくったって。といいつつ、あまりにも真面目に暗い話をしつこくするので、何度か笑ってしまった。ちっとも怖くない笑えるサスペンス、ですね。だって、なるだろうな、という方向にどんどん話が落ちていくんだもん。真面目そうなやつが実は一番恐ろしくて、ちゃらんぽらんなやつが実はやさしい心の持ち主、というステレオタイプな表現も、つまらない。それにしても、ここもど田舎が舞台だねえ。うだつの上がらない連中がくすぶっている田舎の、話だ。
映画の日の1000円均一の2本は、なんとも面白い内容の組み合わせになってしまいました。
ディープ・ブルー10/12上野東急監督/レニー・ハーリン脚本/ダンカン・ケネディー、ドナ・パワーズ、ウェイン・パワーズ
これは、お値打ちの映画ですぞ。ぜんぜん怖くはないけれど、どうなるんだろうというドキドキワクワク度はたっぷり。後半はほとんどノンストップパニックの連続で、眠っている人も起きてしまうかも。
典型的なパニック脱出劇だ。ちょとした功名心からサメのDNAをいじってしまい、サメが知性をもって襲ってくる。功名心を抱いたのは、美人の科学者。それを助けるのは、前科者のタフガイ。できすぎているぐらい、できすぎている。型どおり。つぎつぎと人のいい人から餌食になっていくのも、手はず通り。定石通り、なんだけど、わくわくする。このドキドキの原因は、サメというより、水だね。襲ってくる浸水。その水から逃げるのは「ポセイドン・アドベンチャー」。サメは「ジョーズ」。そこに「エイリアン」の味付け。さらに、「ジュラシック・パーク」のアカデミズム。これがほどよくミックスされている。勘どころがなかなかいいんだな。
問題は、人物の厚みが薄いこと。海中施設のシーンになってからしばらくタルイんだけど、お仕着せ通りのつまらない人物紹介が原因だ。もう少しエピソードを交えるとよかったのにね。よかったのは、コックの黒人ぐらいだよ。しかし、エピソードによるたるみを省いてこれでもかこれでもかとパニックを突きつける方を選んだのかもね。もっとも、映画館をでたら、なーんも忘れてしまう。上出来の、娯楽映画である。私は、めったに誉めないのだから、これはいいよ。
黒猫・白猫10/14日比谷シャンテシネ2監督/エミール・クストリッツァ脚本/エミール・クストリッツァ
とりあえず、今年の私のNo.1は決定だ。前作「アンダーグラウンド」は公開時見逃していて、今年の春だかにBSでやったのを見たのだけれど、翻弄されるユーゴスラビアのクロニクルと、地下生活という突拍子もない物語をくっつけ、さらに陽気で楽天的な人間模様の中に、裏切りの哀しさを表現していて、凄かった。音楽も、耳について離れないものがある。で、今度は政治抜きのお話だ。
なんとも寓話性に満ちていて、様式主義的表現形態の中に、おとぎ話的な要素がたっぷりとつまっている。一目惚れを夢見る2人は、巨人男と小人女。小人女の姉は髭娘。尻で釘を抜く肥満女。みんなフリークであり、聖性(神話性)に満ちている。さらにとりまく男たちはマフィアのボスの老人(「カサブランカ」のボギーを見ながら密造酒をつくってる!)や、その朋輩の老人(この2人の老人はいったん死んで再生する!)、博打打、盗人・・・そして楽隊。楽隊は木に縛り付けられてセミのように音を奏でる。結婚相手の取り違えや逃避・・・。これはまさにフェリーニの世界じゃん。さらに、動物たちが画面を彩っている。豚のロデオ、檻の中の鼠、鳩、群れるアヒル、犬、そして黒猫と白猫。過剰な要素が過剰な音楽とともに画面から転げ落ちてくる。
場所は、ドナウ川の沿岸のユーゴスラビアらしい。人々はその狭い世界から出ようとしない。警察のような取り締まるものは何もない。川を眺めていれば、ロシアやドイツやブルガリアといった海外が船で勝手に流れ込んでくる。そんなところに住む、村民全部が泥棒みたいな連中。人々はみんな楽天的で、人生の素晴らしさを感じつつ、相手を出し抜くことも忘れない。人間賛歌とでもいうのかな。
で、黒猫・白猫は、男と女、厄介と幸せ、表と裏、ネガとポジといった意味なのだろうか。清濁併せ呑む、っていうようなことなのかな。あと、印象的なのが、クルマを食う豚。この、タフネスさ。どんなことになっても生きていけるさ、とでも言うような、黙々と鉄をかじる姿は、ユーゴの人々を表しているかのようだ。
今回は政治抜きで、ちと活力不足の感じがするけど、一気に駆け抜ける狂喜乱舞の物語。最後に、愛し合うカップルは船に乗って村を出ていってしまうのだけど。新しい世界への旅立ちを予感されるですねえ。
で、疑問点。列車強盗は、どうやってやったのか? よく分からなかった。金で丸め込んだ鉄道員を殺してしまうのは、この映画の中では異質なテイストだけど、どういう意図なんだろう?
と、書いてきて、解説のようなものをちらりと読むと、あの集団はユーゴのジプシー集団らしい。うーむ。なるほど。
プリティ・ブライド10/26渋谷東急監督/ゲーリー・マーシャル脚本/ジョサン・マクギボン&サラ・パリオット
細かいところに神経が行き届いていない愚作。話は、お粗末。画面は汚い。いい加減にやっつけで仕上げた感じがありあり。原題は“Runaway Bride”っていうんだな。「プリティ・ウーマン」に引っかけて大当たりを狙おうって寸法か。けっ。やたらゲーリー・マーシャルって名前がでかくでていたけど、みっともないだけだね。唐突なマイルスは、なんなんだあ?
金髪の草原10/30Bunkamuraシアターコクーン監督/犬童一心脚本/
マンガが原作のお話らしい。80歳の老人が自分を20歳だと思いこんでしまう。そこに、17歳の女の子のヘルパーがやってきて恋に落ちる。しかし、つくり手の意図がまるっきり見えない。やっつけで(撮影は20日だという)撮ってつなげた、という感じ。まず、主人公の老人の心の変化がまるで表現できていない。自分が80歳の老人だと思われているのは「夢だ」と思っているらしいが、いつまでたっても醒めない夢に疑問はもたないのか、このジジイは。自分のことを20歳だと思いこんでいる痴呆症のじじい、とまったく変わらない。監督は「痴呆症の映画ではない」といっていたが、そう思われてもしょうがないだろう。自分は若いのに老人のようにカラダが重く、周囲も老人とみる状態を「夢」と言えるだけの材料が、映画のなかに見いだせなかった。さらに、脇役たちがまったく機能していない。隣の家の家族は、祖母と父親と少女。そこに、離婚した母親がからむ。このなかで、老人と接触するのは少女だけで、あとは一体なんのために登場するの? である。また、主人公の少女の弟は連れ子どうしだという。これに何の意味があるんだ? 少女の友達たちも、まったく主題とは無関係。こんななら、脇役なんて登場させる意味がない。それに、「金髪の草原」という題名には、どういう意味があるんだ? まあ、正直に言って「つまらない」の一言だ。
●第12回東京国際映画祭の初日だった。リュック・ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」には長蛇の列だったが、「金髪の草原」も並んでいた。400人ぐらい入るシアターコクーンはほぼ満席。上映前には監督と制作者、主演の伊勢谷友介、池脇千鶴の4人が挨拶。「挨拶のときには写真を撮らないで」と司会がいってるにも拘わらずバカカメラマンはバシャバシャフラッシュをたく。さらに、上映後に4人が再登場して雑談。会場から意見を求めるも、最前列の報道関係者らしいバカが、池脇千鶴に「裏話は?」なんていうくだらない質問をするばかり。レベルがまったくもって低い。1人、一般人が「ラスト近くで隣の家の少女が老人を見たとき、それまではジジイといっていたのに、老人には見えないような態度をとったが、それは何故か」と監督に聞いた。そしたら監督は「僕にも分からないんです」と応えた。何にも考えていない証拠である。
SCORE2:THE BIG FIGHT10/30シネマミラノ監督/小沢仁志脚本/小沢仁志
金をふんだんに使った学生の映画、って感じ。画面はとてもキレイ。厚みがあって、照明やカメラワークもちゃんとしている。編集もつぼを心得てはいるけど、もうちょっとだなあ。というわけで、後はストーリーだ。これがちゃちい。理屈に合わないし、リアリティがない。たかが遊園地。敵もいないのに、なんであんな武装して潜入しなくちゃいけないんだ? そんな必要はまったくないじゃないか。最初の数発の銃声で近所の人が110番したっていうのに、その後の機関銃や爆裂音でなにも起こらない不思議。仲間同士が殺しあっていく理由の、なさ。こういったツメの甘さが、話をつまらなくさせている。話に説得力は必要だ。その上で、ひとひねりあって当たり前。さらに、もうひとひねりあれば、上々の映画になるだろう。脚本家を探すことが先決だね。そうすれば、人物の存在感ももっと増すに違いない。いまのままの、素気ない性格づけでは、共感できるキャラクターは発見できないぞ。アクションは見られるんだから、いまひとつがんばってください。
●上映終了後(6時50分)、黒ずくめの6人が登場して舞台の前から挨拶。一言ずつだったけど、やんやの拍手が起こった。もっとも、20人あまりしか入ってなかったけど。本日が初日、なのに、この入りでは・・・。なんたって土曜日の夕方なんだぜ。でも、東京国際映画祭の拍手より、こっちの方が段違いに熱かったぞ。
破線のマリス10/31Bunkamuraオーチャードホール監督/井坂聡脚本/野沢尚
前半から中盤にかけて張り巡らせた伏線が、衝撃のラストでピタッと決まるのは、さすがミステリ作家の脚本だなあ、と感心しました。しかし、伏線を張り巡らせるために、映像のダイナミズムをかなり犠牲にしたのではないか。前半は動きもなく、話に引き込まれることもなく、盛り上がりに欠けて、とても退屈した(なんとなく、テレビドラマ的な画面と展開だなあ、と見ていた)。内部告発の映像をテレビ局の陰の存在である編集者なんかに渡す、そして、一杯食うというイントロもリアリティがなくて興ざめ。とにかく、ここまでが長すぎる。だから、内部告発を暴く映画かな、と思ってしまう。もっと、さっさとテーマに入り込んだ方がよかったんじゃないのかな。上映後、監督が「陣内が追いつめられて変わっていく姿と、誰が本当のことを言っているのかわからない所を表現したかった」といっていたけれど、あまりサスペンスもサイコも感じなかった。陣内の狂気が家の中だけでちょっと見えたぐらい。日常的には服装はぱりっとしている(洗濯屋に出していた?)し、行きつけの飲み屋にも変わらず通っているし、黒木瞳とはいつまでもにこやかに会話しているし。全然異常さも怖さも感じない。黒木瞳も、鉄面皮の女というイメージが足りない。前半の郵政省と学校の癒着と賄賂に引きずられ過ぎで、本来表現するべき人間ドラマに手が回らなかった感じがする。それと、「映像は編集されて提供される。映像は凶器だ、マスコミは異常だ」というメッセージが、会話で何度も説明されすぎではないか。そんなこと、映画の観客やテレビの視聴者は先刻承知だと思うけどなあ。それより、もっと、映像で見せて欲しかった。しかしまあ、ラストで帳消し、っていう感じもするけどね。「あ、こいつ笑ってるよ」というのは、とても映画的でよかった。
●第12回東京国際映画祭/コンペティション参加作品。井坂聡、野沢尚、黒木瞳、陣内孝則、山下徹大登場。司会は襟川クロ。おお、あの「FOCUS」の監督か、と会場で気がつく。私もアホである。で、期待した。が、畳み掛けるような映像の躍動感や意外性はなかった(ラストは、いかった)。あと、黒木瞳の声の裏返りと涙の演技がよかった。

 
 

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