2000年1月

ジャンヌ・ダルク1/18渋谷東急監督/リュック・ベッソン脚本/アンドリュー・バーキン、リュック・ベッソン
監督の意図としては後半の心理劇を見て欲しいのだろうけど、前半の中世残酷戦争物語のスペクタクルで満腹になってしまったので、正直いってうっとうしかった。なにんも考えない頭からっぽの観客の立場からすると、ジャンヌの心の葛藤なんてどうでもよくて、さっさと歴史通り火刑になって終わればそれでいいんだよね。前半だけで大満足。さて、どうしてリュック・ベッソン監督は面白くもない心理劇を延々とやったのだろう? パンフレットには「ひとりの少女としてのジャンヌ」なんて書いてあるけどさ。なんか、浮いてるよな、白々しくも。
現在でもそうだけど、新興宗教の多くが神の啓示を言っているわけだ。で、その正体はと見れば俗にいう狐憑き。感受性の強い少女期に、無意識にいたずらをしたりするものとして知られている。神など、どこにもいない。単なる、精神の高揚だったりする。で、ジャンヌもそれなんだけどね、はっきり言ってしまえば。で、たまたま偶然にラッキーだったというだけのこと。ジャンヌがいかにアホだったかは、ジャンヌが最初にひれ伏すフランス国王が女たらしで意気地なしのボンクラに描かれていることからも明白。監督は「神の啓示は、こんなアホの統治する国を救うために行なわれたんだよ」と、最初にそのバカらしさを示してしまっているわけだ。つまり、ジャンヌも先見の明がない狐憑きだよ、と。だから、あとから国王に裏切られても「可哀想」より「ほうれ見ろ」としか思えないわけだ。で、捕獲された後にD.ホフマン演ずる自我が登場して、何度も反芻することになる。「あたしは間違っていたの? いなかったの?」と。この辺、ジャンヌが「自分が神の啓示を受けたと思ったのは、あれは思い過ごしだったんじゃないのかな」と自己反省するところで、まことに興味深い。少女期の錯乱状態から目覚め、普通の精神状態に引き戻されたといっていい。とくに、剣の可能性について具体的に数パターン出てくるところは、なんともユーモラスで(スペクタクルの後に出てくる映像じゃねえだろ)、思わず笑ってしまった。まあね、結局、自信がないままに、かといって「神なんて嘘かも知れない」と告白することもできずに、「いや、あれは正しかったのだ」と自分を正当化して火刑を甘んじて受けるわけだ。そんな彼女に対する哀れな気持ちがあるんじゃないのかなあ、監督には。
それとね。西欧世界を統治していたキリスト教のアホらしさに対する批判精神はあると思うよ。魔女扱いされて殺された人々は、中世にはいっぱいいたわけだ。そのアホらしさはいまもなおつづいている。一時は異教徒扱いし、400年後に聖人になっちまうばかばかしさにも、皮肉を込めているだろう。だいたいさあ、神ともあろうものが、一国の利益のために戦争をさせるなんてことがあるわきゃない。それを、聖戦だといわせて人殺しを正当化する。その、彼女の心の内が、現在の様々な国で行なわれている諍いの構造と同じだ、とも言っているようにも思う。
海の上のピアニスト1/19丸の内ピカデリー1監督/ジョゼッペ・トルナトーレ脚本/ジョゼッペ・トルナトーレ
嘘くささにも、リアリティは必要だ。そういう意味で感動とはほど遠かった。「だからどうした」といいたい。トランペット吹きが主人公のピアニストを廃船から助けたかったら、殴ってでも引きずり出せばいい話。なんでそうしないの? と思っただけで、この話の現実味が薄れてしまう。または、あれは本人ではなくて亡霊だったのか? よく分からんです。それから、移民や主人公などがくどくどと会話で浅薄な哲学的な話をするが、ああいう意味深げで実は大したことがない話を聞かされるのは、わたしゃ嫌いだ。映画なんだから、映像で見せろと言いたい。それに、いくら船上の人とはいいながら、アインシュタインの側で写真を撮られたりすれば、名も実も知れ渡るに違いない。ジェリー・ロール・モートンとのピアノ対決だって、勝ったんだったら一大事件じゃないか。おいおい。なるほど、と唸るような嘘をついてくれよ。
わかんないのは、オープニングの移民。意味がアメリカを発見する、ってエピソードは本筋とどんな因果関係があるんだ?(あのシーンでは、スティーグリッツの有名な船上の写真を連想してしまったが)。ジェリー・ロール・モートンはあんなにやな奴だったのか? うーむ。いささか大風呂敷を広げすぎて、収拾がつかなくなった感じがあるね。あー、そう。SFXもへたくそだったぞ。えー、で、楽しんだところは、1920年代のフラッパーの衣裳や踊り、ストライドピアノ、ラグタイム。それと、しっとりとした画質の甘美なところ。なんてとこかな。
シュリ1/24上野東急監督/カン・ジェギュ脚本/カン・ジェギュ
「ハリウッドを超えた!」なんてチラシにあるので、どんなもんだべ? と見てみたが、とてもとても。20年は遅れている。日本映画といい勝負、ってな評価が正当でしょう。まず、ヒーロー、ヒロインに魅力がない。もっといい男、いい女であってくれい!(男は囲碁の大竹秀雄って感じだしなあ) この程度じゃ感情移入できないよ。ファッションがダサイ。男は背広を着こなせていない。つるしじゃないか? ってなぐらい似合っていない(日本人も海外からは同じように見られているんだろうが)。女性も、どこの世界だ? っていうぐらいダサイ。人物の造形が甘い。その人の性格や感情や態度などの掘り下げができていない。とくに、オープニングの派手な人殺しシーン(あれは、北朝鮮では同僚を殺してまで工作員に徹する、ということなのかな?)の後の、各国国内の部分で、誰がどういう組織に属していて、その関係性は? というところできっちり描いておく必要性があるよな。なんとなくだらだらとお話に入っていってしまうし、いろいろな顔が出てくるし。キャラクターとして面白かったのは、コネ入社の新人君だけど、もっと上手に使えたはず。また、主人公の同僚の関川夏夫似の男の方が、魅力的な感じがしたな。工作員のボスは世良正則が老けた感じでいいんだけど、それは外見だけだしなあ。あとの登場人物なんて、ほとんど人間扱いされてないのが残念だ。
あちこちつじつまが合わないのも、気になる。工作員たちが劇場へやってきてしまうのは、なぜだ? そのあと、ほとんど逮捕状態だったのに、次のシーンでは逃げおおせているのはどうしてだ? 関川夏夫似が金魚の盗聴器を発見したら、ヒロインと世良正則似の会話になったのはなぜだ? とかね。いろいろ?があるざんす。さらに、見え見えのストーリー展開はつまんないよね。彼女が、その隠れている女性工作員だっていうのは、アホでもわかる筋立てだ。意外性がない。もしかしたら、ここまで露骨にやらないと、韓国のお客さんは分からないのかな? なに? アクションはよかったろうって? うーむ。あまり計算して撮ってないようだけどなあ。適当にカメラブラして、あとから音響でごまかしたり。ロジカルじゃないな。あと、見ているのが恥ずかしくなるようなキスシーンだとか、日常生活の描写が生っぽくて、キレイじゃないのが気にかかる。そう。どーも貧乏くさい部分が見えたりするんだよな。というところで感じるのは、なんとなく日本映画の画面と似ているということだ。色調、中途半端なアップ、狭いスタジオの様子(画面に奥行き感がないんだよね)、ちゃちなセット。それに、失礼ながら顔の区別がつかない役者たち・・・。で、思ったのは、日本の映画も海外では同様に見られているのかな、ということであった。
GTO1/26上野東急2監督/浜田毅脚本/田辺満、長谷川隆
語るべき内容なにもなし。

 
 

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