回路 | 3/7 | 有楽町・ニュー東宝シネマ | 監督/黒沢清 | 脚本/黒沢清 |
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結論をいってしまうと、期待はずれ。なーんだ。底が浅い、だね。前半はそこそこ面白いし、ぞくぞくとくるところもあった。ところが、半ばを過ぎる辺りから話の進展がなくなってしまう。モニタのなかの幽霊もどきがなんなのか、なにを目的としているのか、といったことが示唆されなくなる。ただ、わけのわからん恐怖からとろとろと逃げるだけ。んでもって、海へ、船へと逃げるわけだけどさ。だからどーした、といいたいレベル。だいたい、モニタにオバケが・・・なんていうのは「リング」その他で出尽くしているから新鮮味もない。まず、いいたいのは、登場人物の描き方。冒頭の船上のシーンはいいとして、次の植木屋さんの場面で、2人の女性と1人の男性が登場するけれど、その2人の区別がなかなかつきにくい。男もわからない。それは、顔の区別もつかないということと、人物そのものの区別もつきにくいということだ。ロングまたはミドルで撮るのだったら、それなりに分かるような工夫が必要だ。で、突然、部屋の中の青年がインターネットにつなぐシーンになるが、私は最初、この男も植木屋の仲間かと思っていた。しばらくして、ああ、これは別のドラマなんだと気がついた。つまり、植木屋の女性をめぐるドラマと、学生をめぐるドラマが平行して進行するのだ。それが、分かりにくいのだ。別に、顔のアップを撮れとか、人物の人となりなどが分かる風景やサインをちゃんと描け、というつもりはない。けれど、もう少し配慮があってしかるべきだろう。若い連中は十把一絡げで同じ顔に見えてしまう私のようなオヤジも見ているのだよ。ほかにも、ドアを赤いテープで目張りしている女を、私は主人公の女かと思っていたので、ちと?だった。で、「回路」のHPを見たら、あれは飛び降りた女だと書いてあった。はあー。そーか。そういうことか。なんてね。風吹ジュンも、何のために登場してきたのか分からない。武田真治も思わせぶりで登場するけれど、幽霊を示唆する役割だけで、狂言回しにもなっていない。ああ、そういえば。モニタのなかにいるのが、霊界が満杯になって溢れてきた幽霊だとして、なんでそいつらがこの世の人間を殺すのか分からない。殺したら、また霊界は溢れるではないか。溢れた幽霊は、この世にはびこるとでもいうのかい? また、死ぬことで永遠の生命が約束されるのなら、なぜ彼らは「助けて」なんていうメッセージを送るのだ? そういう疑問を提示し始めると、ほんとうにこの映画はほころびだらけ。つめが甘い。そうそう。人がどんどん少なくなっていく都市や街を描かないのも、つまらなかった。描かれ始めるのは大部ラストに近い頃で、ほとんど人がいなくなった廃墟としての銀座などだ。人がいなくなる過程で社会はパニックになるだろうに。それに、そころへんに転がっている死体の数も少なすぎる。いやまて、どうして彼らは黒いシミや粉末になっらなかったのだろうか? あー、もういいや。考えるのはよそう。きっと、そういうつじつまはあっていないのだろうから。 | ||||
BROTHER | 3/7 | 丸の内ピカデリー2 | 監督/北野武 | 脚本/北野武 |
「回路」で、大部眠くなっていたので、こっちで熟睡してしまうかも知れないな、と心配したけれど、いやいやなんの。そこそこ面白かった。緊張感があったしね。日本のやくざの襲名の儀式だとか、指つめ、腹切り、殉死、背中の刺青なんかを露骨に見せているのは、日本オリエンタルな風習を誇張して見せることで受けようという外国対策だろう。私は、ああいう部分はとっぱらってもらいたいと思う。映画そのもので勝負して欲しいんだよね。ああいうのがユニークだっていって評価されても、しょうがないだろう、と思う。そう。世界標準で映画を撮ってもらいたい。そうできる素地というのは、あるんじゃないかと思う。それと、その後の展開が見える演出っていうのが、多い。道路を通る男女の数で賭けをするところで、同じ女が多い、というところで、そのネタはばれている。加藤雅也がクルマに乗るのに、引きで延々見せていれば爆発するのもすぐわかる。下着の鞄になにが入っているかも、最後になってみれば分かってしまう。つまり、意外性がない。それを見せられるのは、ちょっと辛い。ラストも、ひねりがないしね。この映画は始まったときからラストが見えているんだ。日本のやくざがアメリカで成功するはずがない。だから、それまでの過程をどうもたせるかなんだ。けど、それをストーリーではなく、日本やくざの儀式と、いくつかの遊び(バスケットボールのシーン、海辺のシーン、賭けのシーンなど)などのエピソードでつないでいく。エピソードの積み重ねは、それはそれで面白いところもあるけれど、人間のドラマがないと、やっぱりちと辛い。もう少し、ドラマがあってもいいんじゃないのかな。アクションも控えめで、金がかかっていないというか・・・。アクションシーンを省略して、アクション前と後を静的に見せる手法がとられているけれど、それは予算の関係なのか、そういう表現スタイルを選択しているのか、それが分からなかった。とはいいながら、それでも、見せてしまうのだから、なかなか。そうそう。体育館に転がった仲間の死体が「死」という人文字になっていたけれど、あれはマフィアに日本語が分かるやつがいて並べたんだろうかね、なんて、笑ってしまった。 | ||||
東京攻略 | 3/22 | 渋谷東急3 | 監督/ジングル・マ(馬楚成) | 脚本/スーザン・チャン、フェリックス・チョン |
正直に言って、ストーリーはてんで無茶苦茶。もうちょっと刈り込んで整理して、無理がないようにできなかったものかね。ラストまでできあがっていて、あの通りに撮影したのか? なんか、思いつきでどんどん最初にないシーンや展開を突っ込んでいるみたいにしか思えないんだけど。よくもまあご都合主義的に東京中をあちこち走り回るように攻守入れ替わって追いかけっこがつづくことよ。なんともめまぐるしい。もすこしカチッとした内容にすれば、もう少し見られただろうにね。もったいない。元々の犯罪がどれほど大変なものかとか、どんな陰謀と思惑で・・・なんてことには何の配慮もなく、ただがちゃがちゃやっているだけなんだもんなあ。そりゃあカーチェイスや水上活劇、爆発まであって、よくも東京を舞台にこんな撮影ができたものだと感心はするけれど。で。私にとって思いがけない映像があった。東京の宿となっている日本家屋だ。あれは芝浦にある(正確にはあった、か)船員のための宿泊施設で、もともとは芸者置屋ではなかったかな。初めて見つけたのは3年ほど前で、唐破風屋根が印象的な、すげえボロ家だった。そのうち立て替えの話が出ているとテレビでも取り上げられていて、たまに周囲を歩いていたのだ。あの建物がこの映画に出てくるとは! 内部も撮影されているし、これはなかなか貴重な映像だぞ。 | ||||
偶然の恋人 | 3/22 | 渋谷東急2 | 監督/ドン・ルース | 脚本/ドン・ルース |
ストレート勝負の脚本だけど、いささか凡庸。ありきたりな話に叙情でも加味されればよいのだが、その手腕はまだなさそうだ。自分が搭乗するはずのチケットをたまたま知り合った男にやった。航空事故でその男が死んだ。男の妻とぬきさしならぬ関係になる。という話。日本人の感覚では、ちと倫理的に受け付けない部分がありそう。まず、主人公は、好意で渡したチケットで相手が死んで、自分が助かった、ということの重大さにあまり良心の呵責を感じていないように見える。話の中では主人公が酒に溺れてアル中になると描かれているが、なんか自暴自棄のようにしか見えない。さらに、この男は死んだ男の妻に近寄っていく。この動機がまたよく分からない。好意や同情なのか、それとも下心もあったのかな? と疑ってしまう。まあ、子持ちの30女に近づく必要もないかも知れないのだが。で、この2人は事故の補償調停も済まぬうちに(つまり、事故から1年もたたないのに)、好き合ってしまうのだ。うーむ。これって、日本だったら非難轟々ものではないのか? 話の行き違いの場面で分からなかった部分がある。グウィネス・パルトロウが鍵を渡すという口実でベン・アフレックのもとに来る。1度デーとしてキスはしたけれど、もう会うまいと決めていたベン君だが、ゲイの部下の計らいで会うことに・・・。ベン君は「俺は切れるやつだと思っていた。運転もうまい。ふと振り向くと、事故ったクルマや連中がごろごろ転がっている。なんて運転が下手なんだ・・・」と、自分の人生を運転に譬えていうと、グウィネスは「私のこと、そんな風に思ってたの悪かったわ」と、プライドを傷つけられたかのように怒って帰ろうとする。このやりとりが、私には意味不明だった。なにを譬えていたんだろうか? うーむ。と、不満たらたらにいってますが、グウィネスの演技力はなかなかで、見応えがあった。ベン君も真面目に取り組んでいて、よろしい。部下のゲイのキャラクターが味があって、いい。けど、心にグサッとは来なかった。もったいないね。 | ||||
ダンサー・イン・ザ・ダーク | 3/26 | 上野東急2 | 監督/ラース・フォン・トリアー | 脚本/ラース・フォン・トリアー |
実はこの映画は見る予定ではなかった。私の姉があるとき「死刑になっちゃうのよね」と、結末をバラシやがったから、見る気力を失ってしまったのだ。まったく迷惑なやつだ。それと、列車のシーンの歌と踊りバージョンの予告編というのも見てしまった。なんだこれは、アホか? と思ったのだ。予告編だけでも目が悪いというのは分かっちゃうし。というわけで、他人のレビューも読んでしまい、殺人を犯すらしいことなども知ってしまった。これでは、映画を見る意味はない。次に何が起こるか分からない楽しみこそが、映画なのだと思っているのだから!! でも、見てしまった。ううう。エンドロールが流れるとき、後方でずるずると鼻水をすする女の音が聞こえたよ。わあ。この映画で、なんで泣けるんだ? うーむ。こういうバカな女の姿を見て、あきれ果てたり歯がゆくなったりしないものかね。私は、みんなてめえが引き起こしたことばかりじゃないか、子供の目もそうだ、金が盗まれたのだって「金がある」と他人にいったせいだ、死刑になったのだって、さっさと真実を言わなかったせいだ。んでもって、まわりに迷惑をまき散らしている。ああ、やだやだ。なんでこれが、カンヌのパルムドールなんだ? 遺伝で失明の家系なんていう素材をもちだして、痛めつけて、んでもって美化して、最後は死刑囚の様子や首吊りまで見せてしまう。やな映画だ。こういうあざといやり方は、私は嫌いだ。これでもかこれでもかと、やらしいばかりではないか。しかも、カメラのぶれぶれはなんだ。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」を見てると酔ってしまう、なんて言った人がいるらしいが、この映画の方が酔ってしまうぞ。素人が撮ったみたいな映像で、ズームしたり振り回したり。しかもボケボケ。その上ビデオ映像まで。いったい何の意味があるんだ? あーやだ。バカな女を見るだけでも不愉快なのに、映像まで不愉快。彼女の白昼夢たるミュージカルのシーンも、不気味だ。それにしても、あの当時のアメリカは死刑執行を知り合いまで見に来るのか? うーむ。悪趣味としか思えん。救いは、麗しいカトリーヌ・ドヌープと、エンドクレジットで知ったジョエル・グレイだな。「キャバレー」のオカマ司会者が、こんな白髪の老人になっていたとは。うわあ。 | ||||
プルーフ・オブ・ライフ | 3/28 | 渋谷東急2 | 監督/テイラー・ハックフォード | 脚本/トニー・ギルロイ |
都合により、この映画は途中から入り、後半の1時間を先に見て、30分の休憩と広告と予告編を挟んで前半の75分を見た。前半の75分は、見ても見なくてもあまり影響がないな、というのが率直な意見。見ても毒にはならないけど、見なくても立派にストーリーは分かってしまう。伏線も、とくにない。まあ、オープニングに人質救出の場面もあるけれど、それほど見物ではない。ラストの、本筋の人質救出のほうがはるかに見応えがある。とはいっても、仕掛けや逆転、ピーンチ! っていうのもさほどなくて、物語は成功へとまっしぐらなので、ドキドキはしない。ラッセル・クロウとメグ・ライアンの恋の行方? そんなもの、付け足しもいいところで。特に語るところはない。私は個人的にメグ・ライアンのファニー・フェイスは好きなので、彼女の小さな胸とともに、彼女ばかり見ていた。歳はとったが(たしか40歳)、まだあどけなさというか、可愛いところがあったりして、いいねえ。と、いうぐらいが、この映画の感想です。 |