2001年5月

LOVE SONG5/10シネマミラノ監督/佐藤信介脚本/佐藤信介
独立プロが手がけるような生真面目なテイストが、くすぐったいね。創り手としては様々な思いこみやメッセージがあるんだろうけど、そのどれもが消化不良を起こしたままぶちまけられる。かといって、まあ、どういうわけか、さほど不愉快にならなかったのは、メッセージの希薄さによるものかも知れない。だいたい、いまどきレコードショップをもつことが人生の夢であるとかほざく若者はおらんでしょ。もっとも、時代は1985-87年あたりに設定されているけど。それでも、まだ違和感あるね。で、その店を2カ月足らずで潰してしまった・・・。しかも、男女関係のもつれと親友の裏切りもあった。それで人生悲観して夢を捨てて清掃員兼警備員になり果てている・・・って、そんなバカな若者がこの日本に存在しているっていうのか? なんか、主人公の弱々しさだけが目立つねえ。しかも、人間関係もいらないなんていいながら、夜中にディスプレイ屋の姉ちゃんにアタックしていく図太さがねえ。なんかよく分からんよ。で、1枚のレコードを借りた縁で主人公に想いを寄せていた女子高生がある夏、突然に上京して主人公の青年を捜し出す旅に出る。って、こっちも動機が希薄。どうも、この映画に出てくる方々はみなさん、行動の動機が希薄。だから、説得力がない。さらに、人と人がぶつかるというドラマがほとんどない。だらだらと街をうろつく姿が映るのみ。もちっと、活き活きと、がつがつと、破壊的な青春群像があってもよかったんじゃないの? きれいきれいに描きすぎだよ。尾崎豊の歌と存在が先にありきの映画であるので、こんな1本も芯の通ってない映画になっちゃってんだろうけど、まだまだ未熟が露呈した脚本と演出だ。ま、見どころは仲間由紀恵と原沙知絵の2人の姿形を見ることぐらいかな。高校生が、そのまんまぴったりはまってたね、仲間由紀恵。いい味を出していたのは、仲間由紀恵にまとわりついていた2人組の男子生徒。1人は一緒に上京するんだけど、もう1人の方がとぼけた感じでよかった。それにしても、バブル真っ盛りのあの時代に、下北沢の空き店舗が2年も野ざらしになってるわけないじゃん。それにだ。上京した仲間由紀恵がLPレコードを主人公の青年に返す(ドアの前に置いて帰る)んだけど、背負っていた小さなリュックに入ってたわけないだろう。一体、どうやってもっていたんだ? 教えてくれ。
HYSTERIC5/11ル テアトル銀座監督/瀬々敬久脚本/井土紀州
惹句が「俺たちに明日はない」だって。ははは。笑わせる。この停滞感と怠さでよくいえたもんだ。リズム感のかけらもない。ひたすらタルい。間延び。意味不明・・・。途中で出たくなった。それぐらいつまらない。(1)せっぱ詰まって逃げている感じがない。金がない、心中失敗、強奪する、殺す。この無軌道さ、転落感がまるでない。ナレーションで説明しているだけで、見えていない。(2)時間軸がわかりにくい。現在、そもそもの発端、殺人前後。この流れがとても分かりづらい。字幕で日付が出るが、そんなの頭に入らないぜ。2人が逃げているのは殺人後かと思ったら、違うのね。パチンコ屋の件で逃げ出した小島聖が上京してペンフレンドの大学生の部屋に行き、同居していたんだね。そこに千原浩史がたどりつき、大学生を脅して数万円をむしりとる。それを大学生が警察に届け出て、取り調べられて、行き先をいわないと「お前もここにいて貰うことになる」といわれて自白して新聞に3段ぬきで出る。それを千原浩史と小島聖が海岸で見る、としか判断のしようがないんだけど。それっておかしいよな。数万円で取り調べられたり新聞に出たりしないぜ。本当は、殺人の件で調べられ、新聞に出るんじゃないのか? けど、後半で殺人後は家を出ないまま、ってなっていた。うーむ。よく分からん。上京した小島聖を千原浩史が探せてしまうのも不思議。(3)千原浩史はどなるだけ。「なにいうてんねん」「なんやねん」「おい」しかいわない。殺人も窓を開けたまま、大声でやっている。あんなの不自然。小島聖はバカに見えない。つきあい始めたとき学校に行っていたり、手紙を書いたり、バカに見えないよ。なんで千原浩史に惚れたのかわからん。のちに阿部寛と結婚して子供をもうけたところに千原浩史が現れたときも、反応が不自然。5、6年も前に分かれた男を気にするもんか? (4)あんな行動とらない。たとえば、隣の鶴見辰吾を殺す前に愛人の小島聖にチンポを舐めさせ、その彼女と千原はキスをする、って。うへ。間接的に千原は鶴見のチンポを・・・。うげ。とかね。パチンコ屋に勤めて住み始めた場所がいやに豪勢。それまで住む場所もなかったのに。どうしたわけ? とにかく、人間の描写が雑でいい加減。あんな行動をとるやつは、この世にいないよ。(5)小島聖の現在から見た過去の説明ダイアログがあるが、映画はセリフで説明しちゃお終いよ。・・・そんな曖昧さを露骨に露呈しながらなので、見ているのが辛かった。共感もできないし、同情もできない。監督業は、もうちっと人を見る目を養ってからの方がいいんじゃないのかね。ほんと。退屈だった。大阪人のじめっとしたしつこさかね。ムダを省いて再編集した方がいいんじゃないかと思いますね、私しゃ。
第8回日本インディペンデント映画祭である。今年はゴールデンウィークを外れた開催。観客は、いつになく少ないね。
ダブル・デセプション-共犯者-5/11ル テアトル銀座監督/大川俊道脚本/大川俊道
ストーリー展開は流れるよう。リズムもある。最後まで止まらず転がっていく。アクションもまずまずある。いくつかの布石も効いていたりする。けど、学生の卒業制作のような映画。よくいっても、安手のテレビドラマのよう。ストーリーの骨格だけで成り立っていて、人間が描写されていない。技術屋が撮ったRPGみたい。だから感情移入もできない。ダイアログがつまらない。菊川怜のぶっきらぼうでとげとげした英語セリフはいつも怒っているみたいで耳につく。菊川の父親役のイントネーションなし棒読み英語の方が味がある。とはいうものの、画面の質感はアメリカだね。日本とは色も空気感も画面構成も違う。技術の差、なんだろうか。日本の映画みたいに煩雑なものが画面に映っていないシンプルできれいな画質だった。
上映前に監督挨拶。本来はプロデューサーが挨拶予定だったが、来られず。そこに、入場券を買って一般入場していた監督を発見。急遽登場になったとか。監督はN.Y.生まれの帰国子女で、英語は堪能。すべて米国撮影のこの映画にも問題はなかったと。スタッフはリハーサル中でもガヤガヤとうるさいのに戸惑った。仕事が伸びて、スタッフにストライキさらたことも。ハードアクションを撮るつもりだったが、時間の関係で達成できず。甘いアクションになってしまった、とか。「あと3日あれば・・・」なんていってました。監督はVシネマを何本か撮っているらしい。そのVシネマより低予算だったとか。ふーん。
LOVE/JUICE5/11ル テアトル銀座監督/新藤風脚本/新藤風
最優秀新人監督賞受賞作品。しかし、新藤兼人の孫だかんなあ・・・。点が甘いんじゃないのか? なんて見始めた。オープニングの、音楽バリバリのカフェシーンは何が何だかわからず。こいつら、薬やってんのか? セリフが聞きとれんぞ、なんて思っていた。と、2人の少女がそこから逃げ出すように出ていく。と、一転して2人の日常の暮らしの断片が、熱帯魚ショップとバニーガールでのバイトを交えて語られはじめる。この、2人の少女の心の動きが、なかなかに見事。喧嘩したり仲直りしたり、ちょっとHっぽいことしたり・・・。で、ちえという方が完全レズで男嫌いと分かる。相方はうすうす感づいている。けど、求めには応じない。次第に相方に恋していくちえ。だんだんそのメイクが田舎芝居の座長のようになっていくのが、オソロシイ。2匹の金魚。スナップ写真など、象徴的な小道具も有効的。技術的には、とくに目新しいものはなく、極めてオーソドックス。カメラはFIXが多いし、奇をてらっていない。しかし、中味があればそれでいいんだよなという、見本。しかし、画質が極端に悪い。16mmか? ざらざらだぜ。だから、極めてよくできた学生映画、ってな印象も否めない。この人の、時間と金をかけたドラマが見てみたいという気がする。人間に対する観察力と描写が、どう活かされるのか、と。
上映前に新藤賞の授賞式。銀賞の「VERSUS」のプロデューサー(北村龍平監督は欠席)と「LOVE/JUICE」の新藤風が登場。壇上には新藤兼人おじいちゃんと、新藤次郎おとうちゃんがいる。親子3代の映画人。父親の仕切で、祖父から賞を受ける娘。うーむ。本人も挨拶で「新藤風が新藤賞をもらうっていうのは・・・」といってましたが。選考委員の1人がいうには、圧倒的に「LOVE/JUICE」が押された、という。銀賞は「VERSUS」と篠崎誠「忘れられぬ人々」が争って、挙手で決定したらしい。ふーん。
夜の哀しみ5/12ル テアトル銀座監督/岡泰叡脚本/佐伯俊
それで、女房の不貞と自殺の原因は、貧乏や出稼ぎだといいたいのかい。説得力ないでしょ、それじゃ。同じ様な境遇の人はたくさんいるんだし。そうそう。「淫乱」なのよ、おばさん。うーむ。平淑恵は逆立ちしても35歳には見えないぞ。いっちゃなんだが、この映画はポルノ映画にでもするしかないような主題だよね。こんなテーマの映画を見て、面白いなんてだれが思う? 思わないって。大変だね、とも、辛いねとも思ってくれないよ、だれも。SEXのない夫婦なんていくらでもいるんだから。しっかし、演出の陳腐さ、類型的さにはたまげたね。舞台芝居も真っ青になるぐらいだ。たとえば、石原良純の家に行った(石原の女房の涼風真世が病気で入院中で、漬け物の具合を見てきてくれっていわれたとあるが、石原がいうには、うちのは家事をしない、だぜ。家事をしない女がなんで沢庵をつけるんだ?)とき、女房の悪口を言うのだけれど、ビールを飲んだ後、いたたまれたかのように水道に走り寄り、蛇口から水を出して飲む。そんな行動をだれがとる? 平淑恵が、友達である涼風真世の死を知らされたとき、走り去っていくが果たしてあればどこへ向かって走っていったのだ? 石原が後添いを貰うことになって、平淑恵と食事をする。手切れ金を渡すが拒否されて、石原は席を立って窓際に立つ。そして、分かれる何のとご託を並べる。すると平淑恵も立ち上がり石原と並んで窓に立つ。2人の背中ごしにイトーヨーカドーが見える。2人の手が結ばれる・・・。って、おい。ホテルのレストランだとしたら、とんでもなくみっともない様子になってるはずだぜ。それとも何かね、あれはレストランじゃなくて個室なのか? 平淑恵の子供もワルだよな。母親が石原と寝ているところを目撃して、ぐれるとか落ち込むなら分かるが、「父ちゃんに言わないかわりに靴を買え自転車を買え」と脅す。継子ならまだしも、実子だろ。ふつうそんなことしないって。それにしても、実の母親脅してさんざ買わせた割には帽子だけはずっとボロボロなのはなんでだ? とか、不自然さがごまんとある。だいたい、堕ちていく女のせつなさがない。多少あってもセリフで説明されていて、映画になっていない。この女、自分がしていることに痛みを感じていないな、と思えてしまうほど図太い様子。これじゃ感情移入はできないよ。で、でんでん(役者の名前)の死体は、ありゃあ荼毘にふしたのか? それともどこかに投げ捨てて、リアカーだけ燃していたのか? 最後も血を吐きながら働き口を探そうとするんだけど、そういうことする前に、病院へ行けよ。涼風真世が入院したとき「悪くなるまで放っておくなんて・・・。夫婦なら殴ってでも病院に連れていくものよ」といっていたのに。よくわかんない映画だね。
プロデューサーの高畠久さんが壇上に上がり、ロケのことや予算のことを話していた。で、そのときに司会の女性がいったんで分かったんだけど、今年は去年まであった役者や監督の舞台挨拶を止めた。日映協がプロデューサーの団体だから、プロデューサーが挨拶することにしたらしい。なんか、華がないなと思っていたのは、このせいだったのね。
スリ5/12ル テアトル銀座監督/黒木和雄脚本/真辺克彦
おお。やっと映画らしい映画だ、とほっとした。美術は木村威夫。やっぱり、画面もぴしっとしまる。夾雑物が画面に介入せず、隅まで神経が行き届いているのが分かる。セリフも過剰でないしね。そういう前半はいい気分。でも、後半ダレた。焦点ぼけ。たとえば、風吹ジュンが原田芳雄を好きになっていった理由とか、子供みたいに思っていたチンピラの兄が原田芳雄を憎む理由、わざわざ殴りにやってくる理由、妹の方がスリ志願の青年に惚れていく理由なんていうのが曖昧なので、ドラマとして惹きつけられない。香川照之もいい味を出しているんだけど、メインのストーリーとはからまない。なんか、いまひとつ収斂していかないところが不満だ。伊佐山ひろ子・・・内田春菊かと思ってたよ。らら。芝浦の船員会館がでてたね、立派に。「東京攻略」にもでていたけど、こちらはちゃんと元見番として、本来の建物の使われ方を示唆していた。
核のない21世紀を5/12ル テアトル銀座監督/片桐直樹脚本/片桐直樹
前半の第二次世界大戦の経過や広島の原爆投下あたりまでは、よく見るニュースフィルムなので退屈した。ロシアの原爆実験での頭のでかい乳児や胎児の死骸には、ちとドキリ。さらに、外国人の被爆者の多いのには驚く。映画全体としては、核の歴史をなぞったというレベルで、いまひとつ訴えが足りないと思う。
NAGISA-なぎさ5/12ル テアトル銀座監督/小沼勝脚本/斉藤猛、村上修
これが映画だ、って感じ。久しぶりに日本映画で味わった。とくに、昨日今日と勘違い映画ばかり見せられてうんざりしているところに、スカッと爽やか。胸がすく。この映画に関しては全部好き。ザ・ピーナツの「恋のバカンス」でびりびりっときて、悪ガキ3人相手に立ち回りを演ずる主人公なぎさに魅せられた。いや、その他、出てくるもの、人物、音楽のすべてが映画だ。余分なものはない。身をまかせて泣いたり笑ったり、いい時間であった。最高! 時代考証がむちゃくちゃなのは、まあ、しょうがない。1960年代を出すのは、困難だろうし。海水浴客で賑わうビーチを撮らなくてはならない、という時点でもう考証は放棄したのではないかな。
今日から始まる5/12ル テアトル銀座監督/ベルトラン・タヴェルニエ脚本/●
これは、もう、話に引きずり込まれてしまった。社会的主張もちゃんとしながら、ドラマとしてもスピード感と緊張感を保った傑作だ。舞台はフランスの炭坑街。かつての賑わいもなく、失業者があふれている。当然ながら町の予算は赤字。低所得者への対策費も削られっぱなし。そんな町の幼稚園の園長が主人公だ。熱血で、町長に食ってかかったり、担当者とやりあったり、女性の先生たちから信頼も篤い。一方、子供たちの家庭といえば、稼ぎもなく電気も止められ、食べ物もなく、母親はアル中で父親は出稼ぎなんていうのから、幼児虐待までひどい有様。事件はひっきりなしに起こる。彼の彼女は30歳ぐらいの未婚の母親。17歳のときにすれ違った男の子供がいる。反抗期に入り、町のワルともつきあっていて、こちらも大変。そのうえ、父親が心臓病で倒れる。この父親には昔いじめられた想いがあったりする。まあ、なんて複雑で入り組んだ設定。しかし、演出はジェットコースターに乗っているような気分にしてくれる勢いのよさ。人が走ればカメラも走る。短いカットでどんどん進む。めくるめく進展に、これからどうなるんだ、なんて心配している暇もない。一気呵成でラストへ。しかし、フランスにもバカ親というのがたくさんいて、社会問題化している様子が見てとれる。低所得者層も、大変だねえ。日本だけじゃないんだな。と、考えさせられもする。それにしても、外国の映画はなんで日本映画と違って画質が際だっていいんだろ?
FAMILY5/13ル テアトル銀座監督/三池崇史脚本/真樹日佐夫
なんか、真樹カラテ道場のPR映画のような感じ。真樹本人も出てきているんだけど、いやー、どうも・・・。ストーリーは単純で、やくざ、自衛隊員、チンピラガンマンの3兄弟が復讐劇を演ずるというもの。しかし、本当の敵は身近にいた・・・。なのに、おどろおどろしい感じを出すためか、わざと粒子の粗い画面を多用したり、「仁義なき戦い」のようにナレーションを入れてみたり。でも、そういうのって効果が出ているって印象より手を抜いているって印象の方が強い。とくに、デジタルビデオであることを故意に意識させるような撮影の仕方をしていることに、なんか、本気で撮影しているというより、いろいろ実験でもしてみるか的な意図が見えてしまう。岩城晃一も加勢大周も迫力不足。戦車が出てくるのには驚いたけど、それ以上ヒートアップしない。付け足しのようなフィリピンの銃撃戦。うーむ、いらいらするです。
三文役者5/13ル テアトル銀座監督/新藤兼人脚本/新藤兼人
実をいうとあまり期待していなかった。新藤兼人の映画ってメッセージ性が前面にですぎてうっとーしーと思うことがよくあるからだ。ところが、この映画は強引さがあまりなく、殿山泰司という人柄がいかにもよく出ていて、竹中直人がよい。荻野目慶子もいいが、個人的には吉田日出子がいい。それと、ちょっとしか出てこなかったけど、広島の酒屋の女将役の波野久里子がとてもよかった。それと「スリ」にもでていた真野きりなという役者が気になった。エンドロールを見たら、江角英明が自転車の亭主ででていた。どこにいた? 天井からの小便入りの酒を飲む男か? 本筋の断片的な進行を深みあるものにしているのが、乙羽信子の存在。過去のフィルムをうまくつないでいる。うーむ。あっという間の2時間あまりだった。
上映前にプロデューサーの新藤次郎さんが壇上に。その話が面白かった。“「三文役者」は、近代映画協会の50周年記念作品となった。シナリオを見たとき、あまりにも近代映画協会の歴史そのものになっているので、商業映画として製作するのはどうだろうかと首をひねってしまった。この映画が賞をもらい、その授賞式で制作者が呼ばれて壇上に私が立った。私1人しか立たなかった。現在、制作者が1人というのは珍しいこと。ふつう、何人の制作者が同時に受賞するのがいまの傾向。これは、この映画にスポンサーがつかなかったということでもある。近代映画協会としては、これからは複数の制作者による映画制作を目指すようにしたいと思っている。企画は前からあった。その後、乙羽信子の余命が幾ばくもないことが分かり「午後の遺言状」を先に撮ることになった。そのとき、新藤兼人は乙羽信子が映画1本を撮りきる体力があるかカメラテストをした。ふつうならセリフなど言わせない。が、すでにできていた「三文役者」のセリフを語らせてテストした。新藤兼人はそういう人なのだ。その後、新藤兼人が病気をして、死を意識したのか「生きたい」という映画のシナリオを病院で1週間で書き上げた。そして、これを先に撮ることにした。「三文役者」は、すでに竹中直人に了解を取り、撮るつもりでいたが、こうして再度の延期となった。独立プロの世界では、延期というのは中止と同じ。何らかの事情で続けられなくなったときにでる言葉。しかし、去年撮影に入ることになった。たまたま近代映画協会の創立50年目だったので、50周年記念作品とした」”といったものだけれど、完成までの経緯などが興味深く聞けた。
独立少年合唱隊5/13ル テアトル銀座監督/緒方明脚本/青木研次
実を言うと期待していた。外国で賞を貰ったということ。香川照之の演技も評判になっていた。しかし、がっかり。なんだこれは、何が言いたいのかさっぱりわからん。少年の父親が危篤。少年は父親の呼吸や脈拍(なのかな?)をグラフにしてつけるほど几帳面=神経症的。父親が死ぬ。実家の写真展は閉店。兄に連れられ、山奥にある神学系の中学校に転校する。・・・と、ここまでいろんな要素が出てきている。けれど、いずれも大した伏線として使われない。こういういい加減さが、理解不能。さて、少年はどもりであることが観客に分かる。同級生の中で1人、ウィーン少年合唱団に憧れるテノール声の少年がいる。2人は、なぜか気が合う。(このなぜ気が合うのかを説明して欲しかった)学校には、元学生運動の闘士の音楽教師(香川照之)がいる。かれ古材木を集めて家を造っている。(この行為がなにを指すのかもわからない)どもりの少年はグリークラブに入り、歌ならどもらないことを知る。そんなとき、香川照之の昔の同士の女がかくまってくれとやってくる。香川は「革命などできない」と彼女を言い含めようとする。けど、これって不自然。1970年前半はまだ挫折の時代で、ああまで自己否定して革命は無意味、なんて言い切れる元闘士なんていないぜ。香川照之が学生運動で何も背負っていないことの現れだ。これもちんけ。女性闘士は警官に追われてダイナマイト自爆。うーむ。これも大仰な。夏が過ぎ、テノール少年は東京に行って革命思想を植えつけられてくる。代わりに、声変わりによってテノール声を失う。どもり少年をだきこんで、グリークラブは赤い喉はちまきをする赤軍になっていく・・・。って、思春期の心の動きを表現しようとしているのかも知れないけど、リアリティが感じられない。彼らのグリークラブはコンクールに出て地方大会の3位で終わる。ある日、香川照之、元どもり少年(治ってしまっていた)と材木をもらいに行き、材木の片隅に女性闘士がかつて自分にくれようとしたウィーン少年合唱団のレコードの破片を発見して、とつぜん軽トラックを運転して橋に激突して・・・。死んだのだと思うけれど、正確にそう表現されていなかった。そして、最後は、テノール声のまんまだったら、こんな合唱ができたろうに、というイメージで終わる。・・・のだけど。主人公がだれなのかよくわからん。どもり少年は最初に出てきていながら、次第に影は薄くなっていく。香川照之は、いったいどういう役まわりかわからん。女革命家も中途半端。そう、みーんな中途半端。「がんばっていきまっしょい」みたいに、ある目的に邁進する集団というカタチでもとってくれたほうが、分かりやすいし共感しやすいのに。少年たちもたくさんでていながら、個性が強調されるのは2人きり。もっと、少年たちを個別に描き込むべきだよな。ということが前提としてあって。この監督は妙なロジックに凝っているね。喪う(父を、声を、過去を、夢を、などなど)というロジック。そして、獲得する(大人の声を、どもりでない声を、などなど)というロジック。その対比。夢を獲得できない2人(ウィーン少年合唱団に入れない、革命が達しきれない)は、自爆して死んでいく。さらに、妙なエレメントが登場する。軽トラック(テノール少年が運転したいとしきりに願っている。なんの象徴だろう?)、石ころ(テノール少年の身代わり)、廃材の建築物・・・。しかし、どれも効果的に機能していない。それと、構図へのこだわり。シンメトリーや平行線や、いろいろ。けど、これも大して機能していない。くだくだ書いたけれど、なんだか分からん映画だった。
隣のヒットマン/“The Whole Nine Yards”5/15上野東急2監督/ジョナサン・リン脚本/ミッチェル・カプナー
宣伝文句の通り、先が読めなくて、しかも、楽しいコメディ。コメディといっても、表面的にそう見えるだけで、演出を変えればシリアスなドラマにもなりそうな程だ。人もどんどん殺されるし。もっとも、血糊がないからなーんも感じないが。それにしても登場人物の思惑や行動など、ほんとうに分からん。複雑すぎて、迷ってしまいそう。コメディといってもドタバタではない。なかなか洒落ている。しかも、直接見せないウィットもある。B.ウィリスの妻と歯科医のマシュー・ペリーが寝たあとの情景・・・ベッドの上の額がひんまがり、ベッドサイドのライトが倒れている。これで、激しいセックスがあったことを忍ばせたり。または、M.ペリーの妻が、クルマの中で雇った殺し屋(実は警官)のチンポを舐めているとか。ともすると見逃しかねないところに、いろいろと笑える部分を配置している。その感覚もなかなかいい。最も気に入ったのは、歯科助手のジル(アマンダ・ピート)かな。品のない容姿が、なかなか決まっている。ヌードも見せてくれるし。それと、全編で流れるジャズ。エンドクレジットは演奏の映像つきで、また、いい。気になったのは、○○スキーというような、ロシアか東欧っぽい名前。それで、歯科医と殺し屋は気が合うのか? それに、歯科医の悪妻のフランスっぽいというか、わけ分からんアクセント。あれは、何をいわんとしているのだろう。
ショコラ5/18上野セントラル2監督/ラッセ・ハルストレム脚本/ロバート・ネルスン・ジェイコブズ
この程度の映画がなんでアカデミー賞ノミネートなんだ? というのが素朴な疑問。保守的で閉鎖的な場所に、価値観の異なる人間が入り込み、それを排除する勢力と戦うというもので、筋立てとしては昔からよくある。目新しさはない。ジャンヌ・ダルクの話にもなるし、魔女狩りの話にもなる。マーク・トゥエインの「不思議な少年」や「ハドリバーグを堕落させた男」なんていうペシミスティックな小説にもなっちまう。で、この話はチョコレートをつくる漂流民って設定。わたしは、親子が「魔女である」と引きずり回され迫害されるのかと思っていた。ところが、町の指揮を執る伯爵は気が弱いというか、そこまでの圧力はかけられない。結局、おいしいものを食べないでいたアホ、ホントは食べたかったくせに、我慢しちゃってえ〜、的な終わり方。まことに平和である。平和すぎて眠気が襲ってきた。心安らぐほのぼのとした雰囲気もないし。ええい、もっとぴちぴちした若い女をださんかい! すけすけオッパイも見せずに、金とって映画なんか上映するな! という気持ちは十分に感じている。ところで、ここを出ていこうと決心した主人公を引き留めるため、居酒屋の女房が町の連中を集めてチョコレート教室を開いていたけれど、あそこに伯爵の秘書が来ていたのはどういうわけ? あの女は、主人公を嫌っていたはずなのに、どうやって懐柔したのだろう。それが不思議である。
上野セントラル2は、地下にあるミニシアター。席は90ぐらいか。客は15、6人。場内が明るすぎるな。それに、外の音がどんどん聞こえてきて、画面に集中できないぞ。なんとかできんかね。
ガンシャイ5/25シネマミラノ監督/エリック・ブレークニー脚本/エリック・ブレークニー
マジなんだかシャレなんだか、よくわかんない映画だな。その調合具合がいささか中途半端。も少し、「これはコメディ。様式主義的につくってあるんだから、笑ってくれよ」と分かるようになってれば本気で笑えるんだけど、そうなっていないところが辛い。過敏性大腸炎の囮捜査官(リーアム・ニーソン)。彼を治療する浣腸の女王(看護婦)にサンドラ・ブロック。恐妻家のイタリアマフィア。ホモのコロンビアマフィア。囮捜査の傍ら通うセラピー仲間・・・。みなそれぞれにトラウマをもっていて、社会不適応だったりする。「アナライズ・ミー」なんて映画もあったが、精神世界は映画のテーマになりやすいのかな? 設定は非常に興味深い。けど、消化不良だな。だいたい、オープニングから30分ぐらいはいらいらしながら見てたんだ。スイカで尻に拳銃のシーンは、ありゃあ夢の中の妄想に違いない・・・とか思って見てたんだもの。ところがどっこい、捜査官が過敏性大腸炎というか神経症になった原因そのものだったんだ。やれやれ。もうちょいとやりようがあったろうに。もったいない。イタリアマフィアの家のセットなんか、ワザと小さく作ってあったりして、面白かった。それに、やたらと額がかかっていて絵や写真が登場する。精神科の医者のデスクには、仮面があったり。いろいろ凝ってるところもあるんだけど、総合力として収斂されていない。こういうテーマなんだ、洒落っ気がもっとなくちゃ面白くならないよ。で、ゴリラ顔のサンドラは出番が少なかった。彼女、プロデューサーもやってんだね。だったら、自分で出ないで、もっと肥やしが似合う女優をキャスティングすればよかったのに。ねえ。そういやリーアム・ニーソンって「レ・ミゼラブル」にでてた役者だな。なんか、主演には風格が足らないな。魅力に欠けると思う。

 
 

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