2001年11月

オー・ブラザー!11/1シネセゾン渋谷 監督/ジョエル・コーエン脚本/ジョエル・コーエン&イーサン・コーエン
いいなー。最高。ホーボー、囚人労働、ミシシッピ流域開発、ラジオ、C&W、ギャング、銀行強盗、KKK、インチキ薬売・・・1930年代の世相や出来事をてんこもりにしながら、それが見事なつづれ織りになってストーリーに仕上がっている。この快感。映画を楽しむ醍醐味というのは、ここにあり、の見本みたい。身を委ねて見てしまった。3人の囚人のキャラクターの掘り下げもしっかりしてるし、脇役もそれぞれ十分な演技ぶり。意味なくでてくるキャラがいないのが、見事。脚本と演出の力が十二分に発揮されている。でも中盤、少しだれた。薬売りに簡単にのされてしまうしまい、ひきつづいて元女房の彼氏にノックアウトされるのは、ちとテンション下がる。このあと、3人が選挙パーティ会場に乗り込むのだけれど、元女房の彼氏が選挙参謀をやってるというのを早めに出しといたほうがよかったような気がする。現知事が乗り込むシーンで名前だけ出ているけれど、ピンとこなかった。それが頭に入ってると、ラストまでスムースにいったんだけど。それと、3人が現知事側に囲い込まれてハッピーエンドっていうのも、ちと納得行かないんだけどね。どっちかっていうと、自力で爆発して欲しかった。でもま、それは贅沢なお願いか。いや。ほんと。満喫。
オー・ブラザー!11/1シネセゾン渋谷 監督/ジョエル・コーエン脚本/ジョエル・コーエン&イーサン・コーエン
2時40分に東京国際映画祭の「The Chimp」が開場する。けれど、1回目が終わって11時50分。2回目が終わるのが2時10分で、十分間に合うので、もういちどつづけて見てしまった。最初のトロッコの黒人爺さんのいった言葉が、なるほどと思われた。「宝は見つからない。納屋の上に乳牛がいる・・・」うーん、あれがそうだったのか。なんて。
The Chimp
(「旅立ちの汽笛」で2002.9公開)
11/1渋谷ジョイシネマ監督/アクタン・アブディカリコフ脚本/アクタン・アブディカリコフ、アヴタンティル・アティクロフ、トニーノ・グエッラ
[コンペティション]つまんない。眠くなった。なんのドラマも起きない。ロシアから独立したどっかの国みたいなところの17歳の少年少女の少しエッチな衝動。バカで得体の知れない大人たち。その中で、寡黙で、何を考えているか分からない不気味な主人公の少年。その主人公の少年の酔っぱらいオヤジ。それを見捨てて実家に帰った妻と娘(妹)。田舎の駅の保線夫たちのわけの分からない行動。その彼女たち? らしき太った女と顔に痣のある女。その日常がだらだらと描かれているのだけど、人物への洞察が足りない。人間が浮かび上がってこない。個性も名前もない人間がわめいていたり、路上でひっくり返っていたりするだけ。主人公の同年齢の少年少女たちも、何をしている(働いているのか学校に行っているのか、誰と誰が好き合っていて、どういう連中と諍いしているのかといったこと)が、とても分かりにくい。だから、どの人物にも感情移入できないし、共感もできない。やがて徴兵されるという緊張感も描かれていないし。ほんと、つまんねー映画だった。
■第14回東京国際映画祭6日目である。昼を食べていたら時間を食ってしまう。到着は開場直後。席は次第に埋まって、ほぼ満席。最初に監督、プロデューサーらの挨拶。監督の3部作の3作目で「人間の精神的な成長を表現した」とのこと(だが、映画を見てそんな風には見えなかったぞ)。
上映後にティーチイン。これで、やっとこの映画がキルギスタンのものであることが分かった。
・1作目は白黒、2作目は30%ぐらいカラー、3作目はカラーだ。これはコンポジション(組立)を考えてのこと。とくに、3作目のこの作品はテーマが暗いので、それを和らげるためにもカラーがいいと思った(ってーことは、暗〜い人間的な成長ということか? テーマ事態がよく分からなかったが)。
・小道具は、雰囲気をつくっていくシンボルとして使っている。牛は、辛いことを経験するイメージ。決して父親の象徴ではない。
・これは主観的で自伝的な映画である。誠実かつ正直につくっている。
・プロの役者は使っていない。みな、撮影した近辺にいる人々を使っている。唯一違うのは、シリーズに登場している私の息子だが、これも演技を学んだ訳ではない。
・時代はとくに設定していない(レコードが登場して、“ビーナス”なんて流行歌が奏でられていたがね)。
・撮影したのは、首都から200キロほど離れた場所。殺風景な場所だ。鉄道の終着駅となっている。
イタリアの有名な脚本家が参加しているが、どのシーン。どのシークエンスをかき分けたかはいえない。しかし、いい経験だった。
で、最後に「この見ていても辛いような映画につきあってくれて、しかも、聞いていても面白くない話につきあってくれてありがとう」と監督がいった。ってことは、この映画がつまらないということを確信犯でやってるってことだな。こういう映画を撮れば海外で評価されるという戦略を採っているのではないのかなあ。と、邪推。
ヴィドック11/2オーチャードホール監督/ピトフ脚本/ピトフ&クリストフ・グランジ
[特別招待作品]疲れていて眠かった。あくびをこらえながら見ていたのだが、途中半睡眠状態。というわけで。ヴィドックってのは悪漢の名前かと思ったら、悪漢転じて探偵のね実在の人物らしい。というのが分かったのは映画を見た後。だから、冒頭で新聞記事がヴィドックの経歴を描くのが、なんだか意味不明だった。で、入場したときにアンケートが配られ、中に「どんな映画を連想したか」っていう項目があって。ああ、そういえば、って思ったのが「アヴァロン」だったよ。ノワール風な暗さというかテイストがそっくり。何年か前に「スボーン」ってアメコミの映画かというのを見て完全睡眠したけれど、これにも似ている。そういや「ダークシティ」にも雰囲気が似ている。いずれも映像の凄さを謳っている割に中身のない映画だった。これも、そう。犯人があいつだつてことぐらい最初から感じ取れるし(だって他にだれがいる?)、ヴィドックが死んでいないってことぐらい誰だって分かってるはず。それで、あのラストではお粗末もいいとこ。ビデオ撮りの悪いとこばかり目立つし。CGに頼りすぎて人物がまったく描かれてない。つまんねーよー。それにしてもあの犯人はいったい何だったんだ? 人間なの? 何でガラスの仮面なんかをかぶってたの? どうして魂をガラスに封じ込めることができたの? 私の寝ている間に説明してくれたんでしょうけど。
■第14回東京国際映画祭7日目である。ちと歩いて風邪気味で疲れていたので、席に着くなり疲れてダウンです。襟川クロ司会で最初に監督とギヨーム・カネという役者が挨拶。
ソードフィッシュ11/4上野東急監督/ドミニク・セナ脚本/スキップ・ウッズ
オープニングのトラボルタのモノローグ? 実は会話なのだが、「狼たちの午後」の映画評からカメラが引いていくと、そこはある店内で人質をとって立て籠もっているところ・・・というスリリングなオープニング。そして、警察との駆け引き、爆発。このテンションが素晴らしい。人質を殺さないという暗黙の了解のようなものを一気に突き破っていく、そのぎりぎりさ。そうだよ。こういう展開だってあってしかるべきなんだ、映画なんだから、と。罪なく殺される人質への情感を排除していく冷徹な思想が、クール。現実のニューヨークの事件があったればこそ、よけいにリアリティをもって突き刺さる。ラスト近くでも「映画はハッピーエンドがいいんだろう?」なんて会話があって、めでたしめでたしに終わると見せかけて、したたかに“我が思想”を遂行するトラボルタも、なかなかカッコいい。全体にテンポがよく、次の展開が読めない。だから、見る者はストーリーにどんどん引きずり込まれていく。その巧みなこと。達者といっていい。で、いささかの疑問を書いておくと、最後の方でハッカー1人を現場に引き戻すために、ハッカーの子供を人質にするというのが解せなかった。しかも、実の母と義父を殺害してまで。ハッカー本人をちゃんと拘束しておけばいい話で、わざわざ手の込んだことをする必要はないだろうに。トラボルタの目的はテロ撲滅。ならば、上院議員とつるんで大金横領をする必要はないじゃないか。最終的にも自分で実行してしまうのだから。話を複雑に見せようとしたのかも知れないけど、疑問が残る。それと、わざわざワールド・バンク前の店へ乗り込んで銀行振込をする必要があったの? あんなことは、リモートでできるんじゃないの? っていうのも、疑問。で、ラストの逃亡でバスをつり上げるのは、めくらましだろうと思うのだが、バスが落下しそうになるというのまで計算に入れていたのか? いなかったとすれば、大ボケだな。それに、あのヘリの操縦士は簡単に捕まってしまうだろう。というのが、とても気にかかった。で、ラストの金髪のトラボルタ。なに。生きてるの? と驚いて、エンドクレジット。戸惑った。クレジットが流れるのを見つつ一瞬考えて納得。そうか。あのワイン蔵のアレは、変装用マスクスーツだ。いつ入れ替わったのかは分からないが、本人はバスに乗る前にでも別ルートで逃げたのだろう、なあ。と、疑問はいくつかあるのだけれど、なかなか面白い。それにしても、つり下がったバスが高層ビルのオフィスに激突するシーンなんか、まさにニューヨークの事件の現場から外を見ているような気分になって、うわあ、と思ってしまう。で、最後に。テロを徹底的に撲滅するために公金横領も殺人もいとわないという、逆テロ発想。これが、あの事件の前にハリウッドで制作されていたということに、驚愕。あれが、民意を代表するものではないにしろ、少なくとも共感される素地があったということだ。これは、なんとも言いようがない。
■と書いて、上記少し反省。2ちゃんねる読んでたら、ワイン蔵のアレはダミー死体とあって、ああなるほど、と思った。私の解釈が浅はかだった。そうだよな、かぶりものの死体ではすぐバレちゃうものな。うーむ。深く反省。
スウィート ノベンバー11/4渋谷東急監督/パット・オコナー脚本/カート・ボルカー
日曜午後3時30分からの回に見たわけだが。東急文化会館のエレベーターは、若い女性でいっぱいであった。うへー。泣ける(らしい)ラブストーリーってふれこみだと、女は寄ってくるんだな。まあいいが。結論をいってしまうと、ネルソン(キアヌ・リーブス)、サラ(シャーリーズ・セロン)が同居し始め、愛し合うという過程に説得力がないので、感情移入できなかった。まず、最初に免許更新試験会場に登場するサラはイモである。センスが悪い。次第に魅力的なファッションにもなっていくんだけど、動物愛護や自然食を推進している女性、という設定にする必要があったのか、疑問。1カ月おきに男をくわえ込み、ポイ捨てして想い出をつくろうなんていう発想自体、自然主義と相容れるのか、疑問。ネルソンがいやいやながら同居し始めるのも、根拠が薄い。もっと巻き込まれ方に説得力がないとなあ・・・。サラはネルソンの仕事依存症を治そうとするけれど、それも主題が前面に出過ぎて、うっとーしー。ネルソンが、仕事至上主義で冷徹な自分を発見する再就職の面接での出来事、つまり、ウェイトレスが水をこぼすところだけど、たかがあんな事でこれまでの全人生をひっくり返せるか? もっと衝撃的な出来事を私は期待するね。で。サラがどうしてこういう生活をし始めたか、という謎解き(謎にもなってないと思うが)がつまらない。だれだって病気だろうと気がつくよ。だから、そう気づかれてもなお「なるほど」という部分がないと、すんなり体の中に沁みてこないんだよね。映画の素材はいい。けれど、料理の仕方が雑過ぎるのだ。というわけで、私はかわいいシャーリーズ・セロンの口元だけに注目していたのでありました。
神の子たち11/13東京都写真美術館ホール監督・編集/四ノ宮浩撮影/瓜生敏彦
カラースタンダード、16mmかな? 前作である「忘れられた子供たち/スカベンジャ−」は、多分テレビで見たのではないかと思う。ある晩、眠れずにテレビをつけていたら目に入ってきたドキュメンタリーだったような気がする。ゴミの山に生活している家族を追っている姿勢は、そのまま。しかし、前作ではゴミの山から人間の足が1本出てきた、ってのがグロででてきたのみだったように思うが、今度のは凄い。いきなりゴミの山が崩落するというアクシデントに遭遇して、その救出現場を生々しく映し出すのだ。助けられた人、だけではない。泥に埋まった真っ黒な死体、内部の熱で真っ黒に焼け、膝から下がない死体なんてのがでてくる。幼児と母親の死体。数日後に発見された汚水の中の死体・・・。これでもか、という死体に、私はいささかくらりときた。それは可哀想とかいうのではなくて、やっぱりグロテスクな衝撃だったからだ。こういう事実を直視しなくてはならないのは分かるけれど、見なくてもいいだろうという逃げの姿勢も湧いてきた。死体を見ることに慣れていないせいかも知れない。まあ、慣れたいとは思わないけれど。で、数百人は生き埋めになったゴミの山からの救出活動は、さっさと中止される(比較するのはなんだが、ハワイで沈んだ実習船のことを思い出さずにはいられなかった)。その死体も埋まっているゴミの山の上を、人々はゴミを求めてうろつく。政府の指示でゴミが運ばれてこなくなったからだ。ゴミは危険。でも、ゴミで生活の糧を得ている人にとって、ゴミ搬入ストップは死活問題・・・ってところから、物語がはじまっていく。過激な最初の20分ぐらいを過ぎると、大人しくなってくるので、ちと安心。数家族の様子を追っていくのだけれど、子供や幼児たちが病気になり、死んでいくのが主なエピソードとして積み重ねられていく。焼けたゴミからでるダイオキシンなどの公害などが、妊婦に影響を与えているのは間違いない。「病気になっても様子を見るしかない、いざとなったら霊媒師に見せる。だって、医者は金がかかるから連れていけない」という環境のものすごさは、不況のどん底とはいえ日本が天国であることを自覚させる。でも、そこで暮らすしかない人々の苦悩。そのジレンマは、どうやったら解決できるのか。入場したときにくれたチラシの中にユネスコ募金のような振込用紙があったが、なんど読んでもそれがユネスコ募金なのか、上映資金のための寄付のためのものなのか、理解できなかった。そういう不手際も問題だが、もしこれが単純なユネスコ募金のものだったら、それはムダだから私は参加しない。私は募金の類をあまり信じていない。しかも、募金は対処療法であって、根本的な解決にならないからだ。じゃあ、上映支援のためなら1口1万円だすか? といわれたら、心は動くのだが財布の口があかない、と応えるしかない。この映画を多くの人に見てもらいたいという気持ちは十分にある。けどね、すいません、です。思うのだが、こういう社会問題などに関心がある人は、見ろといわれなくてもどこかで見るんだよな。でも、見て欲しいと思う多くの人々というのは、多分見ないんだよ。見ろといっても、見ないんだと思う。たとえばそれは、朝日新聞の「声」欄に書いている人と、読んでいる人が同質の人種である、というのと似ているのと思う。「声」欄で問題になるような行為をしたりする人は、一生涯「声」欄を見ない人たちでもある。一部の、自分は意識が高いと思っている、そして、なんとかしなくては、と思いこんでいて、正義感に燃えすぎて、なおかつ人にもそれを強制するような、しかも、自分の文章で人の目を引きたいと心の底で思っている方々が、「声」欄に投降する。そして、そういう人たちが、あーでもないこーでもない、といっている。あー、話がズレすぎた。・・・とはいうものの、だ。こういえ映画は全日本人に強制的に見せた方がいいんじゃないか、と思うドキュメンタリーだ。考えない、考えることから逃げている人々には、縛り付けてでも見せるべきだよなあ、と思ったりもする。かなり傲慢で偉そうだけど。それにしても、あの水頭症の少年の、笑顔が忘れられない。
■写美館は何度も行ってるが、ホールは初めて入った。キャパは150人程度? 椅子がいい。肘掛けが大きくて、ふたを開けるとテーブルが出る仕組みになっている・・・。勉強もできるってわけか。入れ替え制。私は最初の13時の回に入った。4〜50人ってとこかな。映画館ではないからムダな灯りがない。非常口のライトも、椅子の下の足下を照らすライトもない。映写室の灯りと、非常用の赤いライトが背後にあるだけ。ほとんど真っ暗。映画にはいい環境なのだろう。けど、明るい小屋に慣れすぎた私には、ちと圧迫感もあったなあ。ま、それも最初だけだけど。で、驚いたのは終映後場内があかるくなると、いきなりマイクの声で「監督の四ノ宮です」と響きだしたこと。平日にもかかわらず来てくれた事への感謝、さらに、上映活動などへのPRなどを簡単にしていた。そして、質問にはロビーで応える、とも。うーむ。この真摯な態度に敬服してしまった。こられるときは来ている、って印象だったね。 
赤い橋の下のぬるい水11/15渋谷東急3監督/今村昌平脚本/冨川元文、天願大介、今村昌平
何をいいたいのか焦点がぼけてるね。話を広げたのはいいけれど、収拾がつかなくなってしまった感じもある。前半の、リストラ男があてもなく富山へ行って女と出会い、漁師になる・・・あたりまではいいのよ。そのあとがね、ぜんぜんわくわくしない。どうなるんだろうって、興味も湧かない。だいたい先が見える。そして、意外性もなくなんとなく終わってしまう。たいした仕掛けもないしね。興味深いキャラ、たとえばホームレスやアフリカ人駅伝ランナー、3人の老釣り人、まずい飯しかつくらない旅館のオバサン、漁師なんかも、だからどうしたの役回りしかしない。ぜんぜん機能していない。潮吹きのシーンもさあ、「椿三十郎」じゃあるまいし、もうちっとなんとかならなかったのかね。後半は、ひどく退屈。それにしても、高田渡はどこにでていたんだ?
怪盗ブラック・タイガー11/19朝日ホール監督/ウィシット・サーサナティヤン脚本/ウィシット・サーサナティヤン
摩訶不思議なタイ映画。本気なのか、お笑いを狙っているのか。明らかにギャグらしいもの(弾丸があちこちぶつかって敵に当たるのだが「分かりにくかったからもう一度」なんて字幕がでて再現してくれるとか)もあるが、全体にはそういう傾向はない。大まじめに大時代的なことをやっているおかしさはあるのだけれど、監督はそれを分かってやっているのか? それとも、実は大まじめなのか。多少遊んでいるのか、よく分からない。西部劇である。まるっきり西部劇。タイの風土の中に、ウエスタンの格好をしたタイ人が登場して、拳銃を撃ちまくる。これはこれで、なかなか様になっているからおかしい。(監督が日活ニューアクションを見ているのか知らないが、設定だけでなく、登場人物との対立なんかでも、日活風がみられた。幼なじみの意地悪3人組との意地の張り合いなんてのは、まさにそれではないか?)が、突如、ハワイアン風になったりする。これがまた、絵はがきの世界そのままで、なんともいえずおかしい。さらには、1920年代の中国上海みたいな雰囲気っていうのか、ノスタルジックなのどかさが漂ったりする。間が抜けているところもあるのだけれど、それはそれで様になっているのだから、おかしい。演出も、少し大げさ。意図して絵はがき映画をつくっているのか、結果的にそうなっちゃったのか知らないが、奇妙な雰囲気の映画である。もっとも特徴的なのは、色彩。洋館全体をピンクに塗ってしまったり、壁の配色をパステルピンク、パステルブルーで色分けしたり、とても様式的なのだ。これは徹底していて、服や背景の木々、空などすべてに踏襲されている。自然までが、ああ着色された世界というのは、自然の対極にある世界だ。こういうほんわかした画面なのに、血糊は派手に吹き飛ぶ。肉片が弾け飛び、脳味噌が吹っ飛び、もげた腕までが降ってくる。打たれた役者は血みどろで転がる。なんか、この辺りのリアルさの追究は、妙に浮いていて違和感もあるが、その違和感も、この映画全体の違和感の中では大したことはないのかも知れない。すべてが冗談。それで済まされそうな気もするが、ひょっとしたら、パロディではなく様式美の中にリアリティを追求した映画かも知れないと思うと、頭が混乱してくる。そう。ストーリーは、あまたある西部劇のパロディのようなパターン化された物語のつぎはぎで、目新しさも何もない。けど、おかしい。そうそう。芸が細かいのも特徴。10年前のシーンでは、「大列車強盗」みたいな古色蒼然たるかたかた映画になって、コマがとんだりする。しかも、幼いヒロインがあかんべしたりして、もうサイレント映画そのもの。こういう遊びは随所に見られた。惜しむらくは、ヒロインがオバサン面だつていうことかな。タイでは、ああいうの美人なのか? それと、撃たれた瞬間、動かないでいる間がある不自然さ。あれは、頭を数コマ切ればもっとテンポよく、迫力もでると思うのだが・・・。タイトルに、漢字の題名も書かれていたが、タイでは漢字も使われるのだろうか。
■第2回TOKYO FILMeXである。前回のル テアトル銀座から会場が有楽町マリオン内の朝日ホールに移った。集客のためにロケーションを考えたのだろうか。さて、私は回数券を購入した。3回卷3000円というやつだ。しかし、回数券はe+でしか取り扱っていない。仕方ないのでe+に愛飲登録して、3回券を2枚、6000円払った。そうそう、配送料が500円もかかった。それでも1回卷の前売りが1200円だから、ちっょとはお得だ。で、気になったのはチラシの注意事項だ。「ご入場は券面に記載された整理番号順での入場となります」「回数券の方は来場時に引換券をお渡ししますので、受付までお越しください」「受付終了後、列にお並びいただきます。回数券のお客さまの列は、前売り券(一回券)のお客様とは別の列になります」といったことが書いてある。はっきりいって、よく理解できなかった。なぜなら、回数券には当然ながら整理番号は記入されていなかったからだ。1回卷では、プレイガイドで買ったときに整理番号がプリントされているのか? 列が違うってことは、回数券の客は1回卷の客の入場が終わってから入場するのか? だったらやだなあ。なんて、不安になる。なんか、よく分かんないのである。さて、私は本日6時30分過ぎに朝日ホールに着いた。入場は6時40分。ロビーには5、60人の客がたむろしている。私は係りの青年Aに 「回数券はどうすればいいのですか?」と聞いた。すると、階段の上を指して
「上の受付にあがってください。受付が終わったら、そちらでお待ちください」といった。
下にいる1回卷らしい客と入場がどう違うのか気になったので、
「入場は一般のチケットをもっている人が終わってから入場するのですか?」と訊いた。すると
「一緒に入ってもらうようになります」という。
どういう具合にするのかわからないが、並んだ列が平行して入るのだろうか。半信半疑のまま、上にあがる。受付のとてもきれいな女の人に回数券を渡すと、半券を千切られた。そうして、「怪盗ブラック・タイガー」を見るかどうか聞かれたので、見ると応えた。すると、ハガキ大で1、2、3と数字の書いてある紙(これが引換券なのか)の1のところにその場で×印をつけると、それを渡された。ここで、「じゃあ明日の映画の予約もいまできるのか?」とつっこみを入れたくなったが、それはやめておいた。さらに、4センチ角ぐらいの整理券のようなものを渡された。それには025と番号が振ってあった。そして、彼女は下で待つように渡しに言った。なんだ、青年Aがいってることと違うじゃないか。
下のロビーに降りた私は、そこでしばらく待った。すでに50人以上の人がいるのだから、自分の21番という番号は「回数券の人の列の番号」だと確信して疑わなかった。
6時40分近くになり、階段の所にいた青年Bが、数字の早い人から階段に並ばせ始めた。客はぴあで発行されたようなチケットの表面をみて、番号を確認している様子。で、どんどん列が階段を登っていく。入場がはじまり、青年Bは「前売り券の番号が100番代の方ぁ!」なんていっている。ロビーに残っている客は残り少なくなった。回数券で整理券を貰った私はどうなるんだ。いらいらがつのり、青年Bに近寄って言った。
「回数券の人はどうなるんですか?」
すると青年Bは私の整理券の番号を見て「これ、25番ですよ。どうぞ」という。なんだよ、おい、である。
「25番って、だって、あなたは前売り券の番号って言ってたじゃないですか。回数券の番号の人って言ってなかったじゃないですか。そんな分かりにくいこといわれちゃ、困るよ」
「上で言ってるはずですよ。一緒の番号だって」
「そんなこと、言われてないですよ」
「じゃあ、そういうことは上に言ってください。わたしは言われた業務をやっているだけです。入場の方で忙しいので・・・」
「あなただってスタッフだろう。分かりやすくいうのが務めだろう。だいたい、上ではそんな説明は受けていない」
「そんなこと、いままでに言ってきた人はいませんよ」
「あのねえ、最初にあの人(青年A)に、上に行って待てと言われたんだ。そうしたら、上では下に行って待てと言われた。しかも、一般の前売り券と回数券の違いも説明されない。それじゃあ、客は戸惑うだけだよ。第一、スタッフ間の連携もとれてないじゃないか」
すると、横にきていた青年Aに、青年Bが「そんなこと言ったの? どう説明したの?」なんて聞いている。
と、気がつくと階段の上から青年Cが降りてきて、横で話を聞いていた。で、「システムの問題のようなので、実行担当(っていったっけかな)の私が伺います」という。
「システムの問題と言いますけれど、スタッフそれぞれが内容を把握しないでまちまちな説明をしている。システムだけの問題ではなく、スタッフここの問題でもあるでしょう。だいたい、さつきから横で聞いていたのなら、分かるでしょう?」というと、分からないようなのでもう一度説明。
うなずきながら聞いている。で、「もう入場時間ですので、上に行って入場してからにしましょう」などといって、階段から私を連れ出そうとする。受付前近くの階段でごたごたを披露したくないのかも知れない。やれやれ。それにしても、同じ様なことを何度もいうのは疲れる。で、青年Cは「はいはい」と素直に話を聞いている。理解しているのか、反省しているのか、システムミスを改善しようとしているのか、それがまったく分からない。丁寧に謝られた記憶もない。たぶん「気をつけます」と言われただけなのかも知れない。
なこんなで、いらいらしながら入場。で、トイレの後で、言っておくべきことを思い出したので、青年Cを探して、チラシに「一般の前売りと回数券の客は並ぶ列が違う」と書いてあったので、回数券の客は同じ列に並ぶとは思わなかったのだ、と付け加えてやった。しかし、「はいはい」と返事をしているだけで、どーも暖簾に腕押し状態だ。
こういうことがあったので、映画の上映が始まっても、ああいえばよかった、こういうべきだった、なんて考えて集中できず。やんなっちゃう。それにしてもおかしいのは、回数券なのに、開場前10分にきて番号25番の整理券がもらえたこと。このことひとつを取ってみても、いったいどういう根拠で回数券の客の整理番号を出しているのか、理解に苦しむ。みょうな「システム」をつくって「システム」を複雑にすればするほど、トラブルというものは発生するものだ。
で、客は150人ぐらいかな。600人は入るホールはすかすかである。後方扉から入ってきたカメラ担当男性2人が「すかすかだなあ。これじゃあ、どうやって撮っても満員には見えないわなあ」と、笑いながら言い合って入ってきた。最初に受付に上っていくときにも、いきなり正面からフラッシュを浴びせられてギョッとしたが、この会場内では記録のためなのか写真を撮りまくっている。至近距離でフラッシュを焚かれるのは気分のいいものではない。そういうことを、主催者は理解していないようだ。
さて。上映前に女の人が現れ、来日できなかった監督のメッセージを、日本語読みの英語で紹介した。そのあと、すぐ上映になるかと思ったら、彼女が「審査員の1人がまだ到着していない。この時間に見てもらうしかないので、まってくれ」という。やれやれ。しばらくして、らしき一団が現れて、席に着く。時間は、予定時間を10分過ぎた7時10分だった。
受取人不明 / Address Unknown11/20朝日ホール監督/キム・ギドク脚本/●
韓国映画。とんでもない物語を、さりげなく淡々と描いている。そのもの凄さが物哀しく、切ない。1970年代の韓国。朝鮮戦争の名残も濃く、米軍が駐留している。兄の火縄銃で片眼を傷つけられた少女。その彼女に手術を勧め、その代わり身体をいたたく若い米国兵。朝鮮戦争の時に黒人の子を孕んだ女。米軍払い下げの赤いバスに、ハーフの息子と暮らしている。彼女は米国にいるはずの黒人兵に手紙を出すが、宛先人不明で戻ってくる。その彼女の現在の男が、凄い。犬殺しだ。周辺から犬を買い、首をつり、撲殺して処理し、犬肉料理店に卸す。ハーフの少年は、その手伝いをしている。朝鮮戦争で勲章をもらい損ねた村の金持ち、その息子は肖像画の店で働いている。彼は片目の少女に恋している。その彼をいじめる不良の2人組。こう書いてきただけで、暗い背景を背負った 連中ばかりだ。まともな奴はいないのか、と叫びたくなる。時代性と田舎の土俗性がどろどろとしみ出してくる。片目の少女と米国兵のロマンスもどきは、赤いバスの女の物語に重なる。赤いバスの女は昔覚えた英語をつかい、いつかはアメリカへと望んでいる。不良の2人組はアメリカかぶれで、英語使い。黒人のハーフは、最下層の仕事しかできない。唯一高校に通っている少女は、片目が白眼で、しかも、米兵のパンパンと化す。なんか、ものすごいぞ。犬殺しの、荷台に檻をつけたバイクは「道」のアンソニー・クインを連想させる。この存在だけでも、海外で上映したら非難轟々だろうなあ。しかし、犬殺しの存在が、この映画の魅力になっているんだよ。詳しくはふれないけど、そして、みんな死んでいく。この、得体の知れないものに囚われたかのような様は、凄いぞ。なんかを訴えている、ってわけじゃないんだ。社会派映画っていうんじゃないんだよ。米国への非難がことさらにある、ってわけでもない。朝鮮戦争で引き裂かれた辛さがあるわけでもない。貧困への怒りがあるわけでもない。差別を訴えている、というわけでもない。そういう部分は、とっても希薄で、いったい、この人たちはそれほどまでにいがみ合い、ののしり合わなくちゃならないの? って、思うぐらい。それぐらい、情念というか、恨の臭いはしない。あたかも、これが当たり前の世界のように、その時代性を受け止めている。そんな気がした。そんな重苦しくないんだよ。むしろ、懐かしささえ感じてしまうんだよ。ああ、昭和30年代の日本も、こんなだった、って。そんな、不思議な魅力と、人間のどうしようもなさを、あからさまに、しかし、淡々と描いている映画だ。これ見てて、「ああ、日活ロマンポルノじゃん」って思ったんだ。あの時代のロマンポルノは、こんな感じだったよ。ビニールハウスでのセックスと強姦、米兵と少女のセックス、少女の犬を使ったオナニー、赤いバスの女の色気。そういう部分に裸をだしていけば、もうそのまんま日活ロマンポルノの傑作になっちゃいそうな気がする。でてくる要素も、面白い。弓矢、犬、檻、針金、拳銃、手製の火縄銃、骨、眼、麻薬、バス、手紙、勲章、バイク・・・。ひとつ注文をつけるとしたら、ハーフの少年の死に方と、彼を発見する母親っていうシーンは、ちと現実離れしていてへんだった。それを除けば、なかなか高度な映画だと思う。
■第2回TOKYO FILMeXである。
1時からの回だったけれど、観客は150人ぐらい。整理券の必要もなく座れた。
天有眼 / Comeuppance11/20朝日ホール監督/趙崇基(デレク・チウ)脚本/●
中国映画。だけど、香港辺りが舞台になっているのかな。いきなり、殺人事件。これは、香港映画も驚くアクション映画か、と思っているとさにあらず。なんか、話はもったりと進んでいく。最初の5〜10分は、ほとんど意味が分からなかった。みんな顔が似ているし、中国人って服装もみなラフで、だれが刑事でだれが犯人でだれがヤクザかって、区別がつかない。そのうち、刑事、ライター、犯人の3人の輪郭がしっかりしてくるのだけれど、ほんとうに巻頭の10分近くはわけが分からなかった。もう一度見て、確認したいところだが、こういう映画祭ではそれが不可能なのがやりきれないね。3人は接近しつつ、接触しない関係なのだけれど、中盤になってライターの書いた新聞小説をヒントに犯罪が行われている、ってことが分かる。こういうのって、もっと早めに、はっきりと表現しないとつまんないだろうに。それに、中国マフィアが狙われて毒殺されていくのだが、その対立するマフィア集団の相互関係図っていうのが分からない。こういうの、いい加減に表現するならするで、それでもいいのだけれど、黒服集団の、まるで日本のヤクザ映画みたいな葬式シーンが描かれたりして、なんか意味があるのかな、と思っていると、さしたる意味がなかったりする。スリルもなければサスペンスもない。暴かれて驚く秘密もない。第一、犯人が犯罪をつづけている理由も分からない。異常心理ってことを強調もしていない。しかも、ラストは刑事と犯人が仲良くして、ついでにライターも中に入って乾杯じゃあ、なんのことやら分からないよ。3人が連んでいたっていうのかい? そんな様子は見えなかったけどなあ。なんだか、よく分からない映画である。
■第2回TOKYO FILMeXである。
4時からの回だった。観客は200人ぐらい。上映10分前に入っても、余裕をもって座れた。
少年と砂漠のカフェ / Delbaran11/21朝日ホール監督/アボルファズル・ジャリリ脚本/●
イラン映画。今日入場したときに「少年と砂漠のカフェ」というタイトルの付いたチラシをもらった。公開が決まったのは最近なのだろう。きっと、アフガニスタンとイランの国境・・・てなところに動員が見込めるとの皮算用のはず。けどなあ。中身がないよ、この映画。まず、ストーリーやドラマが、ない。映されるのは断片的な映像、そして、スチル写真のような風景や人。言葉で言えば、接続詞や修飾語や接頭語や接尾語や副詞なんていうのがなくて、名詞の一部がちょっちょっと見える程度。しかも、その映像が単調極まりない。うすっぺら。右からくるバスをずーーーっと映していたり、左からきたバイクをずーーーっと映していたり。ババアが2階の窓から首を出していたり。そういう、何の変哲もないモノが写っているだけ。とても眠くなった。砲撃や銃声があるときは、枝だが揺れたりする程度で、具象性はまったくない。アフガンから不正入国して国境の村で働いたりしているらしい少年の日々をだらだらと追っただけで、人間に全然迫っていない。とても退屈で、つまらない。が、ひとつだけ、興味深いことがあった。イランの方じゃ、年上の人を敬うっていう態度はないのかな。少年は大人と口げんかしたり、さんざん嫌みをいったりする。おかしいのは、カードゲームの些細なことで「いかさまだ」と大人2人が平手ではたき合ううち、側にいた少年までが相手の大人をひっぱたくんだ。これは、とても不思議だった。それと、大の大人がいとも簡単に喧嘩し合う風土というのも、アフガン問題がクローズアップされている今、なんか象徴的だった。で。なんで「・・・カフェ」なんだ? と、チラシを読んでみると、少年はカフェを営む老夫婦のところで暮らしていた、らしい。う〜む。カフェのようなところって、あった? 全然わかんなかったぞ。最後に「この映画をすべての戦災孤児に捧ぐ」と字幕がでて、おお、あの少年は戦災孤児だったのか、と思い至った。劇中、「父親はタリバンと戦っている」というセリフがあったので、「ああ、北部同盟ね」ぐらいには思ったけれど、孤児とは思わなかった。かなりワイルドな少年だったし。で、どうやら近くにいい道ができて、デルバランの町にはクルマがやってこなくなって、少年は新しい道に釘をぶちまけに行く・・・って、そーか、カフェに客が来なくなったからそうしたのか。そんなの、パンフレット見なくちゃ分かんなかったよ。
■第2回TOKYO FILMeXである。4時からの回で見た。客は、200人ぐらい?
イチかバチか / Go For Broke11/24朝日ホール監督/王光利(ワン・グァンリー)脚本/●
中国映画。リストラされた男が建設会社を興し、同様にリストラされた仲間を募り、四苦八苦する話。不思議なことに、人物が登場すると「誰それ、どこどこを首になる」と日本語の字幕では紹介されるのだが、中国語のナレーションもスーパーもないこと。じゃあ、中国人は、事前にその内容を知っているのか? これは、2作目で、1作目でリストラされる経緯が紹介されているのか? と疑問に思った。社長になる男だが、会社を首になって、どうやって会社を設立する資金があったのか、不明。その他、全体に大アバウトで、説得力に乏しい。ドキュメンタリー風に撮っているけれど、風というだけで、つっこみがない。途中、宝くじにのめり込んだりして、なんなんだと思う。面白いのは、宝くじが当たったと分かるや、みなで高級レストランにでかけたり、年寄りに大盤振る舞いしたりすること。地道に貯める、ふやすてなことを考えないのかね。最後は、集まった仲間たちも辞めていき、バラバラになってしまう。なぜそうなるのか、これも大アバウト。そういえば、巻頭ででてきた男女と宝くじは何だろう、とずっと思っていたのだけれど、最後にちゃんと分かるようになっていた。会社の末端労働者で、仕事で改築するマンションの片隅に寝泊まりしていたのだね、あれは。で、宝くじを貼りつけたドアをもって出てしまう・・・。しかし、これは、映画の本筋とあまり関係ないと思うのだけれど。映画が終わって、クレジットの前に、主要出演者4人がでてくる。で、みんな素人で、職業もほとんどそのままで映画に出ていたことが分かる。これが、一番インパクトがあった。あの、タクシー運転手の双子の子ども、小児マヒのようだけれど、あれは映画のための演技ではなく、本物なんだ・・・。あの子の明るい笑顔、保育園に預けたときの泣き顔。あれは、本物なんだ。と、思ったら、ちと打たれた。
■第2回TOKYO FILMeXである。10時からの回で見た。客は、150人ぐらい?
ワイキキ・ブラザース / Waikiki Brothers11/24朝日ホール監督/イム・スルレ脚本/●
韓国映画。「青春デンデケデケデケ」のような陽気でノスタルジックな映画だと思っていたら、暗く重い映画で少しガッカリ。しかも、引きのショットばっかりで、ヨリの画面がない。高校生時代のヒロインのヌキのショットぐらい、サービスで入れろよな、と思った。引きが多いから、大量に登場する人物の区別がつかなかったりする。相米慎二もこんな感じの映画を撮っていたけれど、この映画は、人物を群衆として扱うべきではなく、個人個人をもっと掘り下げて描くべきだと思うので、せめて冒頭の部分などは人物紹介もかねた説明のカットを入れるべきだろう。それも、ちゃんと、こいつが主人公だぞ、ということがはっきり分かるように描くべきだろう。で、冒頭20分ぐらいは現実のドサまわりバンドの様子。仲間が1人抜けて、3人になって地元の温泉の余興をすることになる。で、中の1人のギター弾きが昔の歯バンド仲間と会う。いまは、薬屋、公務員、市民運動家になっている。で、高校時代の回想に入る。ここで初めて、ああ、このギター弾きが主人公なのかな、と分かる。けど、どいつが薬屋で、どいつが公務員なのかはよくわからない。さて、ワイキキ・ブラザースというグループ名は、この高校の時に偶然決まってしまうのだが、じゃあ、なぜ現在も使っているのだろうか? だって、現在のバンド仲間は、高校時代の仲間じゃないんだろ? 高校時代の仲間だったら、ドラム男とキーボード男も薬屋、公務員、市民運動家と知り合いではなくてはならないけれど、どうもそうではないらしい。なのに、なんでワイキキ・ブラザースを名のっているのだ? 現在のバンドーのリーダー的存在であるヒゲの先輩は、冒頭で「俺はプサンへ行く」と、グループを抜けている。だから、ギター弾きはリーダーではない。なのに、なんでワイキキ・ブラザースなんだ? という疑問がずーっと抜けなかった。というわけで、前半の60分は、なにがなんだか分からないけれど、ドサまわりのバンドが瓦解していく様子。これはあんまり面白くなかった。つまり、映画の作り方が未熟で、見て分かりやすく、映画の世界にするすると入り込めるような作り方をしていないな、と思ったからだ。高校時代の回想にしても、愉快な想い出ではなく、たんに薬屋、公務員、市民運動家の存在を示すため、そして、ヒロインを登場させるためのもので、なんかじんわりこなかった。で。そのヒロインと10何年かぶりで再会するのだけれど、あの気位の高そうな、門のある立派な家のお嬢さんが軽トラ運転して八百屋をやっているのにはびっくり。しかも、がらっぱちのオバサンになっちゃってる。なんだよ、これじゃ感情移入できないよ。で、やがてギター弾きも現在の仲間を1人1人と失って、ひとりでカラオケ流しみたいな転落人生。う〜む。ここらへんから、主人公らしい扱いになってきた。的も絞れてきて、分かりやすくなった。それにしてもさあ、高校時代は他校の女生徒であるヒロインにしつこくまとわりつく積極性があったのに、現在ではなんであんなにストイックなの? っていう疑問があったりするけど、まあ、この映画では人物の造型にはあまり力を入れていないようだから、仕方ないか。落とすところまで落としておいて、結局、再起への道を示すのは、映画の常套手段だろう。ヒロインが結局ステージに上がるだろう、というのは見え透いているので意外性はない。むしろ、客のいないところで一人で弾き語りをしていたので、その曲がなんと韓国のヒットチャートにのってラジオから流れてきて・・・。っていうラストを期待していたのだけれど、そこまで露骨にハッピーエンドにはしたくなかったらしい。まあ、それは監督の考えなんだろうから仕方ない。けれど、私としては、未来をもっと見せて欲しかった。サブキャラには、面白いのがいる。金髪の温泉マン。あのキャラクターが一番いい。温泉の支配人も、もっと有効に使えただろう。もったいない。高校時代の恩師は、教訓臭いキャラなので嫌いだ。というわけで、結論をいえば、話は面白いのだけれど、映画言語を知悉していないところがあるのか、分かりにくい。もっと整理して、人間を掘り下げることが必要。それと、どういう町なのか、町の様子を映すことも必要だろう。いつもステージばっかりでは、人間が生き、暮らし、また、訪れてくる町の雰囲気はとてもつたわらない。まあ、でも、こういう多くの欠点がありながら、なんとなく惹かれてしまうところがあるのは、このテーマがなかなか興味深いものをもっており、エピソードも心をくすぐるものがあるからだろう。まあ、そのせいで、かなり歯がゆいのではあるが。
■第2回TOKYO FILMeXである。1時からの回で見た。客は、200人ぐらい?
今回の映画祭で初めてのティーチ・インに出くわした。プロデューサー氏が登場。「JSA」「魚と寝る女」の製作もしたのだと。前作の「スリー・フレンズ(?)」があまりに暗い映画だったので、監督はできるだけ明るくしようと努力したのだそうだ。登場しているのは舞台俳優など、なじみのない役者が多く、主人公の男性の歌声はダミーだけれど、それ以外は本人が歌っていると。そうそう。評論家の佐藤忠男さんが来ているのが見えた。

 
 

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