2001年12月

ブレス・ザ・チャイルド12/7渋谷東急3監督/チャック・ラッセル脚本/トム・リックマン
脚本が変だなあ。本来は、この倍ぐらいあって、それをかなり間引かれているのではないか。ってな、ぼろぼろの本だったな。なにをいおうとしているのか、意味不明だらけ。みんな中途半端。それでも仕上げなくてはならなかった理由があるんじゃないか。ラスト近くの、少女を取り返して主人公がクルマで逃げるシーンは雨だったけれど、雨である必然性などまるでない。たまたま撮影日が雨だったからそうしたみたいな、そんないい加減さ。後半でてきた学者風の老人や教会のシスターたちなど、唐突以外の何者でもない。そういえば、ヤク中で病院にやってきた少女(あとで地下鉄で殺されてしまう彼女)なども、どういう因果関係ででてきているのか分からん。そもそもが、これは悪魔がいる、天使がいるという前提でつくられているのだろうか? あれはイリュージョンではないのか? という疑念が残った。そりゃあさ、あれだけ悪魔が空を飛んでいればオカルト映画だろうよ。だけどさ、その具合が中途半端なんだよね、あの新興宗教の教祖が悪魔に心を売り払ってこの世を邪悪にしようとしている、というのなら、そういう部分をキッチリと描かなくちゃいけないんじゃないのか? 悪魔の手先にしてはパワーがなくて、こいつはタダの人間じゃないのか? と思っていると、最後はあっけなく銃で死んでしまうしさあ。そもそも悪魔の手先である教祖は、なんで神の子を探し出して傘下に入れなくてはならなかつたのだ? ってなところが、私には分からなかった。キリスト教徒なら分かるのかな? それに、やることもトロイ。悪魔がバックにいるのならさっさと見つけて、さっさと手下にできるだろうに。それけをしないでたらたらやっているのは、映画のストーリーをもたせるためのご都合主義でしかないじゃん。キム・ベイシンガーもさあ、もっと泥だらけになって這いつくばって悪魔や教祖と戦うのかと思いきや、なんかトロトロ動いている。東南アジアっぽいオカルト専門のFBI分析官と、もっとハードに手を組んで戦わなくちゃいかんよ。ラストの、教祖の別荘に潜入するのも、いかにもあっさり入り込んでしまっていて、おいおい、誰も見張りがいないのか? と突っ込みを入れたくなるし。とにかく、ぜーんぶ中途半端。おどろおどろしくもないし(といいつつ、ドキッとしたところはあるけどね、数カ所)、その不気味さがじわじわと加速することもない。もちろん、人物の造型などなーんもできていない。とりあえず、1本撮ったかんな、という感じ。こういう映画を日本で公開する意味があるのかも、疑問。だって、逞しいけれど、オバサンになってしまったキム・ベイシンガーを見ても大して楽しくないしねえ。彼女の妹役の牧瀬里穂似のスレンダーな役者は、ちとそそられたけれど、見せ場というものがなかったしなあ。ずっと同じ顔だったし。「アダムス・ファミリー」の丸顔の彼女(地下鉄で殺される彼女)も、見せ場がない。もうちっょと、力入れて撮れば何とかなったのに、だれもやる気がなかった、ってな印象の1本だったね。
ピストルオペラ12/12テアトル新宿監督/鈴木清順脚本/伊藤和典
つまんなかった。最初の10分間は期待もあった。オープニングのタイトルバックは絢爛豪華で楽しそうだったしね。ポスターもそうだけれど、いっときの横尾忠則風イメージがそそった。で、巻頭の東京駅のシーンも意外性がある。車椅子の男とのチェイスの終わり頃から、つまらなくなっていく。10分過ぎたら退屈してきて、20分たったときには睡魔と戦っていた。まあ、なんとか眠らなかったけど。ストーリーはどうでもいいとして、色彩やイメージの豊饒さを楽しむにしては、かなりチープ。セットもチープ。合成もチープ。故意にチープを狙っているのは分からないでもないが、なんか中途半端。東京たてもの園の部分は露骨に分かるし、銀座の飲み屋・秩父錦もいまひとつなあ。有りものをもってくるときは、もっと有り難みのあるものをもってきていただきたい。すべてが、とってつけたような安手に見える。有り難みのあるチープさというのもあるはずだしね。演技も、凝りに凝ったとはとうてい思えない「ま、いいか」程度のレベルで緻密さに欠ける。ハナから書き割り映画を目指すなら、それなりの書き割りが必要だし、クオリティも問われるはず。なのに、見ていても楽しくないし、息を呑む凄さも意外性もない。妖しさ、いかがわしさが足りないんだよ。ピストルはプラスチックに見えるし、ピン送りはよれよれの部分もあったし、山口小夜子のシーンではマイクが見えているし。わざとやっているんだろうけど、じゃあ、わざとやっている理由は何だ? と問いかけたい。そういうスタンスであるなら、映画全体もそういうスタイルになってないと変だろ。といわけで、見どころは、カーテンに影が映って演技する、昔の清順スタイルがでている部分ぐらい? ああ、つまんなかった。やっぱ「ツィゴイネルワイゼン」がピークで、その後は期待はずれだね。
ハリー・ポッターと賢者の石12/20上野東急監督/クリス・コロンバス脚本/●
やっと見たぞ、話題作。総論をいえば、そこそこ面白い。その理由は、物語に相応しい道具立てがそろっていていて、設定や、人物、エピソードなどが実にきめ細かく描かれているからだ。
ポッター少年は入学時から有名で、一目置かれている存在。血筋を誇りにして階級制度礼賛の態度をとるドラコ少年と同じだけど、貴種流離譚に則れば「物語」の原則であるから、これはよいとして。ポッターをめぐる人物配置が完璧だ。勉強は不得意だがチェスが名人のロン。彼などは子どもたちに夢と期待を抱かせる存在だろう。いざというとき力を発揮して、身を挺して仲間を危機から救うのだから。ちょっと生意気な女の子ハーマイオニーはマドンナとして不可欠な存在。魔法で失敗してばかりの少年もいたけれど、ああいうのも常套だ。さらに、頭は少し足りなそうだけれどやさしい森の番人ハグリッド。意地悪そうな管理人アーガス。一見意地悪そうな先生スネイプ。弱虫先生のクィレル。どっしり構えて見守っている校長先生・・・。キャラクターの造型が見事だし、ファンタジーというかお伽噺の典型のような要素がぎっしりつまっている。設定も、オープニングの継父母の家は、まんまシンデレラだけど、これも常套を踏まえている。まさに、これ以上ないという要素だらけだ。筋立ても巧みで、前半は大ざっぱに言えば仲間探しと対立の設定だ。ボールゲーム“クィディッチ”のシーンは「スターウォーズ」みたいだし、ラストのダンジョンは「インディージョーンズ」か、RPG。いうことないじゃないか。
でもね。実をいうと学校への入学準備のためいろいろモノを買ったりするシーン辺りから、眠気に襲われ、でもなんとか寝ないで見終わったっていうのが本当のところだった。いまひとつワクワクする部分がないんだよ。おそらくドラマが欠如しているからだと思う。善悪の対立が、あんまり明確じゃないのだな。たとえば、最初にポッター少年が叔母の家で可哀想な生活を送っている様子がでてくるけれど、結局のところあれは継子いじめの類ではなく、継父母が心配したせいだと知れる。継父母は、ポッター少年が魔法使いと知っていて、むしろ普通の少年として育てようとしたのだ。なら、悪い継父母じゃないよな。もうひとつの対立項として挙げられるのは、同級生で名門を鼻にかけるドラコ少年だ。この、クリストファー・リーに似た大人びた少年はポッターらに意地悪をするけれど、その根拠が希薄。せいぜい、自分は名門だが、おまえらは階級が下だからという理由。なんか、いまひとつ対立の原因としてはつまんない。他に、ポッター少年に挑んでくる連中はいない。例の、あの人やその配下の連中以外には・・・。といっても、こちらの本来の謎に関しては、わかりにくいところがたくさんだ。最初に森の番人ハグリッドがゴブリンの銀行からもちだしたアレは何だったのか? あの人は一体何者なのか? ポッターの両親はなぜ殺されたのか・・・。そういうことの一切が分からないまま。まあ、次々と続編がつくられて次第に解決するのかも知れないけど、ちょっいと欲求不満。
あと、ゴブリン、ユニコーン、ドラゴンだのという妖精に関連する知識があれば、もっともっと楽しめるだろうなあ。これは日本人にはハンディキャップがあるね。CGは、いまいちだった。“クィディッチ”は、スピードが速すぎて目がちかちかするし、いくら得点してもあの小さな羽の生えたボールをつかまえるとゲームがおしまいというルールは納得いかない。しかしまあ、子どもたちはこんなあら探ししないし、素直に受け止めればいいだけの話だろうよ。というわけで、期待値よりも、いささか現実は下回ったというのが感想だ。
スパイキッズ12/21上野東急2監督/ロバート・ロドリゲス脚本/●
大人向きの映画だと思っていたら、なんだよ。これ、12、3歳対象のジュブナイルみたいな映画だよ。よく、NHK教育でやってるような、あの路線。当然ながら、つくりもあの程度。ストーリーもCGも、その程度。「なぜなんだ?」という疑問は一切お断り、ってな内容だから、こっちも突っ込まない。でも、世界制覇を狙う悪漢がテレビに出ているって設定は、どっかで見たことあるような気もするのだが。まとにかく、がっかりしてしまったせいもあって、とても眠くなってしまった。はじめのうちはお母さん役の彼女を見ていたのだけれど、別にセクシーなシーンがあるわけじゃなし、次第に飽きてきちまう。娘役の少女が「ハリー・ポッター・・・」の少女みたいに、ちょっと妖しく可愛いなら少しはもったかも知れないけど、てんでブスだし。見るところがなくなってしまうと睡魔が襲ってきて困った。後半の残り30分ぐらい、何度か熟睡に落ち込むところを何とか生還した。ま、もっとも、そのせいでストーリーもよーく覚えていないけれど。で、ラストにジョージ・クルーニーがでてくるのがおかしいね。ああいうお茶目なとこ、あんだねえ、彼は。んでもって、エンド・タイトルが終わって・・・と、画面が現れた。家の中をカメラが侵入していく。何かあるのかな、と思ったらなにもなかった。あれは何なのだ? 製作会社のビジュアル・ロゴかなんか?
スパイ・ゲーム12/31上野宝塚監督/トニー・スコット脚本/●
アクションかと思っていた。レッドフォードが中国まで救出に赴くのだとばっかり思っていたのだ。だから、過去のシーンがロケでインサートされるのを除けば、基本的に室内劇であることに驚いた。しかし、なかなかスリリングで、狐と狸の化かし合いのようなやりとりは興味深く見た。とはいうものの、省略が多いのと、客に想像させて話をブリッジまたはリンクさせるような仕組みになっているので、ついていけない部分が多かった。これは、字幕スーパーの端折りすぎによるものか、それとも初めから説明を省略しているのか、それは不明だ。けど、やっぱ分かりづらいよ。レッドフォードにブラピ中国で捕まる、の最初の電話をかけてきたやつは誰なんだ? CIAの会議室で、上官たちは何を相談していたんだ? サイドショー作戦、とかいってたけど。中国との通商会議が迫っているからブラピは見殺しにする、というのなら会議なんて開く必要はないじゃないか。放っておけばいいじゃないか。サイドショー作戦なんてレジュメつくってブラピの過去の資料を集めて・・・なんてことに、こだわるこたーないんじゃないか。その会議スタッフがわざわざレッドフォードを会議に参加させた理由はなんだ? どうしても聞き出さなければならない理由があるのか? なんていうところに引っかかってしまって、室内劇の緊張感は、いまひとつつたわらなかったのは事実。始めのうちは、上官たちはブラピを使って何らかの作戦を遂行中で、それでブラピの資料を欲しがっているのかな? なんて考えてしまったほどだ。それと、最後にレッドフォードは1人で外食作戦をでっち上げるんだけど、あんな命令書ひとつで作戦が遂行できるのか? しかも、刑務所の航空写真は誰がどうやってとどけたんだ? ブラピの彼女が中国に連行されたのは誰の差し金で、何のためだったんだ? とかね。いろいろ考えてしまって、すんなりと落ちてこない。そういう、腑に落ちない部分はたくさんある。小道具も、CIA長官のサインやバハマの航空写真など、あとで効いてくるんだけれど、「おお、なるほど」っていうほど、ずほっとハマル快感がない。ちと、みえみえの感があったねえ。けれど、なかなか面白そうだったのは事実。こけで、すとんとキレイにジグソーのピースがはまってくれたらいうことないんだけどね。ドイツの冷戦前夜やベイルートの知識があれば、もっと楽しめるのだろうけれど。まあ、アメリカの方々は、そういう政治事情に詳しいのだろう。こちとら、よく分かんないところが多くて困ったものだ。それにしても、レッドフォードはなんであんなにしわくちゃなんだ。チャールズ・ブロンソンなんかだったら、ロマンスまで立派にこなしていたような年齢じゃないか。メイクであの老醜は何とかならないのかね。そうそう。Panasonic、TDK!、FUJI FILMと、香港の情景ショットでは日本メーカーの看板が異様に目立っていたのが変だった。

 
 

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