2002年1月

バンディッツ1/10上野東急監督/バリー・レビンソン脚本/ハーレイ・ベイトン
「バンディッツ」といえばエルモア・レナードのミステリがすぐ浮かんでくるんだけど、それとは関係ない。アメリカ映画らしからぬ、それも、大スターの出るハリウッド映画らしからぬ、ほわんという空気感の漂う映画。あふれかえるムダなシーンは、ちょうどフランス映画を連想させる。こっちはドンパチのアクションもの、と思って見始めたので肩すかしを食ったけれど、その時間の流れがとても気持ちがいい。ジョー(B・ウィリス)、テリー(ビリー・ボブ・ソーントン)、ケイト(ケイト・ブランシェット)、そして、ハービー(トロイ・ガリティ)のキャラクターがそれぞれとても愉快。孔子や孫子ばかり読んでいるジョー。神経過敏の神経症で病気マニアのテリー。これだけでも十分笑える。ケイトは夫に不満たらたら。スタントマンのハービーは惚れっぽい。こういう連中が徒党を組んで銀行強盗をするんだ。とても格好いい、というわけにはいかない。はっきりいってズッコケ4人組。4人のキャラクターを活かして、紆余曲折の強盗ツアーと相成るわけだ。ケイトがジョーとテリーの2人を好きになってしまうのは「明日に向かって撃て」のようであり、強盗ツアーは「俺たちに明日はない」のよう。バンジョーの代わりに、様々な流行歌が流れてくるのも楽しい。海岸の花火(北野映画のよう)や、モーテルでのジョーとテリーのケンカ。ピンクフラミンゴいっぱいのモーテル。ハービーをとりこにするピンクの靴の可愛いヒッチハイカー。そうそう。お泊まり強盗でも、いろんなエピソード満載。最初の頭取の家では奥さん泣きっぱなしで娘たちはゲップする。次の頭取はビックリすると寝てしまう病気だし。とんまな警官を騙すために3人が銀行員に化けたり。そうそう。事故った現場を素人ビデオに撮られてしまうエピソードもおかしい。そういった要素が、この映画にはごちゃまんと入ってる。この、どうやってもストレートに真っ直ぐ行かないよれよれ具合がいいね。しかし・・・ラストは >>ちょいとご都合主義的。銀行強盗に入ったジョーとテリーが撃ち合って死んだ・・・と、思わせて、実はスタントマンの議事着火弾を利用した擬装死。ハービーとピンク娘が鑑識(?)だかなんかに化けて2人の死体と現金をかっぱらい救急車でとんずら。しかも、救急車を途中で炎上させて2人は完全に死亡・・・。めでたしめでたし。ってなラストになるんだけど、そううまくだませないだろ。いくら救急車が炎上しても死体が溶けてなくなるわけでもなし。だけどね。まあ、それは、この映画全体がお遊びとしてつくられているからまあいいか。だけどね。久しぶりに見終わって、ちっょとスッキリして気持ちいいなあ、と思わせてくれた1本でした。エンドクレジットにでてくるおまけ映像は、彼らのその後、を見せてくれる。ケイト・ブランシェットは、その顔立ちからしてセクシーではないし可愛くもないし陽気そうでもないんだけど、なんかこの映画ではちょいと小悪魔的な部分を出そうとしていて、まあ、それはあんまり成功しているとはいえないのだけれど、不思議な魅力がでていたのは確か。B・ウィリスよりもビリー・ボブ・ソーントン、トロイ・ガリティの2人の方が儲けたような設定の映画だな、こりゃ。
アトランティス/失われた帝国1/11渋谷東急2監督/ゲイリー・トゥルースデイル、カーク・ワイズ脚本/タブ・マーフィー
日本アニメの盗作でははないか、という話もあるようだけれど、私はその元ネタになるアニメを知らない。知らないでいうのもなんだけれど、まあ、お話としてはとくに特許がとれるほどオリジナリティあるようには思えなかった。どちらかといえば、ありきたりで、アトランティスを探検する、という設定にすれば出てきそうなお話だ。まあユニークなところは、あの光る石かね。あれがすべてのエネルギーとなって、それも、選ばれた者が光る石と一体となって危機を防ぐ、てなところがポイントなんだろうけど、いわれてみりゃあ、そんな話は日本のアニメにはごろごろあるから、盗まれてもおかしくないだろう。といっても、誰でも思いつきそうな話? あとは「天空の城ラピュタ」を連想させる部分がたくさんあった。ま、どうでもいいや。それだけ日本がアニメの先進国になったっていうことになんだろ。手垢のついたような冒険譚ではあるけれど、アニメの質が高いから、ビジュアルはそこそこ見せる。といっても、アップにしすぎて線が極端に太かったりしていることもあったし、少しだけれど雑だなあと思える部分もあった。興味深かったのは、火が燃えている暖炉の石組みが膨張してゆらゆらしていたこと。ほー。こういう動きを盛り込むのか、と、ちとビックリした。で。ディズニー特有の線画のアニメとCGの融合は変わらないけれど、CGがさほど目立たず、アニメらしいアニメ(線画の絵が動くってこと)になっているのは、好感が持てる。しかし、ドイツ帝国の手先らしいヘルガのキャラなんか、ディズニー調のタッチじゃないよな。リキテンシュタインのリトグラフのアメコミ女みたいで、「ルパン三世」あたりに出てきても違和感がないような造型だ。ヒーロー、ヒロインは、まんまディズニー調だけど。で。いきなりアトランティスの陥没のシーンから始まるんだけど、これがまるで「スターウォーズ」を引きずった日本のSFアニメみたいな飛行物体。これが攻撃しているのかとみれば、そうではなくような・・・。で、1910年代のアメリカに時代が移って、主人公が登場と相成るわけである。とかし、展開がめまぐるしくてスピーディなので、正直いってついていくのだけでも大変だ。スピーディといっても、論理だってめまぐるしいならいいんだけど、大ざっぱに端折りすぎで早いから、これが大変。理屈に合わない部分もたくさんあるし、でも、そういうのをいちいち考えていると置いてきぼりにされてしまう。でも、潜水艇を襲った大エビは機械らしいけれど、誰がつくったものだ? とか、文字を失ったっていうけれど、かつて生きていた王が現在も生きているのに文字が読めないってことはないだろう、なんてね、根本的につじつまがあわないところもあったりして、いまひとつストンと納まらない。それに、主人公の祖父の友だちというあの爺さんは何を企んでいたのか? となると、これはこれで大変に怪しいわけで。もともと光の石を狙っていたのはあの爺さんで、ドイツ帝国とつるんでいたかも知れないわけだ。それに、祖父が主人公に、と残した例の日記は、探検隊の連中が発見したことになっていたけれど、するってーとその時点では主人公の祖父は生きていたわけで、じゃあどうして祖父はさっさとアトランティスに行かなかったのか? 祖父が死んだ年はいつなんだろう? 10年も前のことなら、探検隊の連中もかなり若かったはずだが、発見時の探検隊の写真はそんなに時間がたっているようには見えなかったぞ。それに、母艦から逃げた潜行艇の中に掘削機のついた乗り物やトラックが何台も入っていた、っていうのも、それはないだろ、と言いたかった。とにかく、いろいろ不可思議な部分が見えてきて、もやもやーっとしてスッキリしない。けどまあ、これもまた「スパイ・キッズ」と同じように、ストーリーのディテールにこだわらず、感覚で見ていれば、見られるアニメなのかも知れないけど。うーむ、だな。アニメとしては楽しめたけど、お話はいまいちという、なんか妙な感じだよ。
渋谷東急2のトイレがとてもキレイになっていた。面白かったのは、大人の便座の上に子供の便座がセットされていたこと。これは、アニメを上映している間だけなのか、わからないけれど、なんか妙に愛らしい風景だった。
アメリ1/16シネマライズ監督/ジャン=ピエール・ジュネ脚本/ギョーム・ローラン
私は、どちらかといえば、人間を形成するのは環境にすべてを負うわけではない、という考えをもっている。だから、これこれこういう幼少期を送ったから、こんなふうになった、と決めつけるような人物造型にでくわすたびに、またか、と思って少しげんなりする。アメリも、小さいときに父親から心臓病のレッテルを貼られ、学校に行かず母親から学問を習ったという設定になっている。だから、友だちと遊ぶことがなかった・・・。だから、こんなふうになった、と言いたいのだろうか。アメリが一目惚れするポルノショップの店員にも、小さいときはイジメられっこで、ドジだったせいでこんなになった、とでもいいたいみたいな表現がある。こんなに、っていうのは、生乾きのセメントに残った足跡のコレクションや、駅の証明写真のコレクションをするような、ちょいと変わった偏執狂的な人格、ってことだ。そういう性格づけに、原因は要るんだろうか? 別に必要はないんじゃないかと、私は思う。カフェの客で、嫉妬深い男がいるけど、あいつの方がよっぽどはた迷惑な性格だぜ。では、彼も子供のときに何があったのかな? それは、この映画では説明されてないけどね。まあとにかく、登場する人物は誰から誰まで一筋縄ではいかない、変人ばかり。まあ、いってみれば、この世の中は変人ばかりの集合体だ、と言われているようで、それはそれで納得できる意見なのだけれど。で。よく分からん映画だった。何を言いたいのか、曖昧。最初に、登場人物の紹介のようなものが延々とされる。あれが好きでこれが嫌い。こういう癖や性格で・・・とかね。これが、面白かった。うんうん。そうそう。いるいる。あるある。・・・なんてね、共感してしまうような何気ない部分が描写されていている。で、そんな何気ない人物のつづれ織りのようなことでドラマが進むのかと思いきや、違うんだよ。さて。アメリが部屋の壁から40年前のオモチャを発見して、持ち主を捜すエピソード。これは、秀逸。これも、共感できる何気なさの部類に分類される。けどさ、それからがアメリのダッチロール状態。たまたま駅で見かけた男(捨てられた証明写真を拾い集めているところだぜ)に、気が残ってしまうわけだ。ここんところが、合点がいかぬ。なんでか? まずさ。幼少時に友だちとのつきあいがなかったから、奥手、引っ込み思案、人とのつきあいが下手・・・。っていうような描き方なのに、アメリはカフェで普通に働いているし、八百屋や売店のオバサンとも馴染みで軽口を叩く。曲がりなりにもセックスの経験もある。知らない家に突然訪ねていって、咄嗟にでまかせだってしゃべれる。別にさ、フツーじゃん。奥手でもなんでもない。毎日の暮らしを見てもあれになりたい、こうしたいという夢があるわけでなし、特別な才能や能力があるわけでもない。背伸びせず、ごくまっとうに生きている平凡な女だよ。しかも、この映画では彼女は誰にも惚れられる対象になっていない(これは、アメリの器量を考えたら、どう見たって不自然だよな)。その彼女が、オモチャを50男に返してやる(それも、直接会わずに巧妙に仕組むんだけど)ことで、人との接触に自信をとりもどす、ってことになってる。それって、彼女が大きな壁を超えたっていうことかい? そうは見えないよな。もともと彼女は悪知恵が働くっていうか、悪戯好きというか、ひねた娘だと思う。ほら。嫉妬深い男と同僚の女給をなにげで結びつける策を弄したりさ。そうそう。小人の人形で父親を煙にまいたり。証明写真コレクターの彼を待ち合わせに誘っておいて、翻弄してみたり。あれは、単なる奥手というだけでは説明がつかない。人を煙に巻いて喜んでいる、ともとれる。どーみたって、人を幸せにしようという心やさしさは見えてこない。いや、その前に、話はもとに戻るんだけど。どーしてアメリが彼に惚れたのか、その理由が分からない。分からないから、恋を成就させる物語も、共感できない。せいぜい、スキンヘッドの怪しい写真の主が誰か、という謎が面白かったぐらい。そうそう。八百屋の主人が店員をいじめるからか、主人の家に侵入していたずらしまくる。あれも、なんで? の疑問のひとつだな。そりゃ、店員は主人に蔑まれていたけれど、他人のアメリがああやって仕返しするほどのことかあ? で。アメリの一方的な恋は、成就する。だからどうした。ってな気分。むしろ、互いによく知らない同士が、恋もないだろうという不安な気持ちにさせてくれる。きっとすぐ別れちゃうよな、って思うぞ。で、その一方で、うすのろと蔑まれていた八百屋の店員は絵画の才能を花開かせるし、彼に絵を教えていた立場のルノアール模写ひとすじのガラスの骨じいさんは、あの歳でやっと自分を発見して、自分のタッチで絵を描き始める。それはそれでいいんだけど、こういう変化も、アメリの影響でそうなった、っていうのかい? そりゃ、牽強付会ってもんだろ。アメリは妖精のような存在で、周囲にどんどん影響を及ぼす不思議な娘・・・って理解もできなくはないけれど、そういう演出が明確にされているわけでもない。うーむ。なんか、中途半端なんだよなあ。
とまあ、あれこれ揚げ足取りをしているけれど、映画としては面白い部分が多かったのは確か。飽きずに一気に見られたのだから。とくに、前半がいい。後半は、ちとだれる。様々な要素が画面にあふれて、情感豊かで奥行きも深い。いかようにも読み込みができるだろうし、1度見ただけではとても把握できないほどの情報が含まれている(字幕が読み切れないほど、ね)。今日も、もう一度つづけてみたいな、と思ったぐらいだ。でさ。アメリが拾う石ころは何だ? 単に、水切りのために取っておいたのか? ここぞという大事なシーンで拾った石は、水切りがいいのかな? なんて考えさせるのも、面白い部分。そんな要素やエピソードを探していけば、話は尽きない。けど、どこに収斂していくのかと考えると、ちょっと途方に暮れてしまう。浮世離れした、いたずら好きで、妖精のようで、小悪魔的な娘の、恋物語。それでいいんかいな? それだと、シンプルな内容を、いかにも思わせぶりに表現しただけ、ってことにならないか?
1回目、9時50分(本編は10時05分)からの回を見たのだけれど、2階は6割ぐらい入っていたぞ。出るとき見ると、次の回を見るために並んでいる若い女たちがうじゃうじゃ・・・。うーむ。なんで、こんな時間に、彼女たちは映画が見られるんだ? 余計なお世話。
というところで、2日おいてなんとなく結論が見えてきたぞ。この映画はすべてがファンタジー。お伽噺。で、主人公のアメリは、外見は20代の半ばの女ではあるけれど、実は10歳ぐらいの少女のまま成長を止めてしまったんだよ。おそらく、大人になることを拒否しつづけているんだと思う。だから、考え方も行動も、小学生レベル。そうなった原因が、延々と最初に描かれる生い立ちのあれやこれやに寄る、っていうことなのだろう。それはたとえば、母親の死を間近に見て、死に近づきたくないというトラウマをもったからかも知れない。平気で嘘をつく隣家の主人に愛想が尽きて、ああはなりたくないと思ったからかも知れない。とにかく、アメリは幼児性を残している。たとえば、手のひらでものを確認する行為=豆の中に手を突っ込んだりする行為は、幼児性の現れだ。また、ラストで彼にキスするとき、いきなり唇にキスできないのも、まだ大人ではない証拠。アメリは理由もなくいたずらするし、些細なことで感動し、セックスにも興味が持てない。それも、幼児性からきている。また、父親から親離れもできていないというのも、子供であるしるし。その彼女が、突然の一目惚れ。といっても、相手は変人。こっちも子供がそのまま大人になったような、童心そのものの男ってわけだ。そう。これは少年と少女の初恋物語。すこしずつ束縛から溶けだし、アメリが少女から娘へと変貌を遂げていく、という物語なのだ。だからこそ、2人のキスは、まるで子供がするキスのようなのだ。・・・と、そういうことにして、納得することにする。で、そういう視点で振り返ってみると、いろいろと合点がいくところが多いと思うのだけれど。ま、これは勝手な解釈だけどね。
ヴィドック1/16渋谷東急監督/ピトフ脚本/ピトフ、ジャン=クリストフ・グランジェ
去年の東京国際映画祭で見てるんだけどね。あのときは疲労からか眠くて、熟睡はしなかったものの半睡朦朧状態。ひょっとしたら重要な要素を見逃しているかも知れない、という一抹の不安があったのだ。で、本日。やっぱ眠くなっちゃったよ。まあね。「アメリ」を見た後でたぬきそばととろろご飯の定食850円を食べてすぐに劇場に行いったってのもあるんだけど。腹の皮つっばれば目の皮たるむ、っていうやつだよ。けどねえ、いくら疲労で眠くたって、こちらの脳味噌を働かせようという刺激的な映画なら、目も冴えちゃうのが普通なんだけどなあ。見ているうちに、だんだん目の焦点が合わなくなってくる。広角でカメラをぶんまわすから、目もくらむ。ビデオのざらつく画質は、ケバイ。ハイライトの部分がじゃりじゃりしてるよ。しかも、人間性だとか、個人の趣味嗜好に一顧だにしないというのは「アメリ」と正反対。単純すぎるストーリーを、せわしなく、せせこましく、いささかおどろおどろしく描くだけ。観客はなにも考えずに映像を見ているだけ。こんな、与えられれるだけの映画じゃ、脳味噌も働かぬ。しかし、イメージを追っていったら、去年見たとき寝た、といいつつ、肝心なシーンのイメージだけはちゃんと残っていたから、目玉は開いて、脳味噌が寝ていたのかも知れない。
仄暗い水の底から1/25上野東宝劇場監督/中田秀夫脚本/中村義洋、鈴木謙一
画面が暗くて、荒い。それを見ているだけでも、気が滅入る。実をいうと、テレビでこの映画が紹介されていて、中で「赤いカバンへのこだわり」というメッセージと、映像では「蛇口から髪の毛」「赤いカバンが浮いてくる」というシーンを見たので、この映画の底まですべて見えていた。こりゃあ、貯水槽に子供が沈んでいるに違いない。こんなこと、バカでもわかる。では、オレはバカか? ・・・って、そういう話ではない。すべてが読めてしまう底の浅いお話なので、いきなりビックリ、ということがない。だから、そのぶん、恐ろしさは減点。また、そもそもの基本である、なぜ水槽の中の女の子が登場人物にメッセージを送ってきたか、という理由付けがまるでできてないので、説得力もないし、恐怖面でも減点。だって、世の中に同年齢の子供をもつ母親はごまんといるのに、どーして黒木瞳親子を指名するように狙ったのか? なに。そういう理屈づけは、この映画には要らない? へいへい。そうですか。では、溺れ死にした女の子の怨念はなんだったのだろう? この水槽から出してくれ! じゃないのかな? と思ってみていたのだけれど、ラストの展開からするとそーでもないらしい。母親への飢餓感、母親を独り占めしたい情念のようでもある。って、だからって、黒木瞳を狙ったのはなぜなんだ? って、そういう疑問はもつな、ってことか・・・。まあ、そーゆーレベルの映画なんだろ。それにしても、黒木親子以外に人は住んでおらんのか。上の階が水浸しになっても問題にならないほど、人は住んでおらんのか? そういう住宅に、常駐の管理人なんて、いねーぞ普通。あの、水浸しになった上の階から、たった1日で水が引いてしまったのはどーしてだ? だれも文句いわないのか? で、最後に、黒木瞳と水槽の子はエレベーターで急上昇して、どーなっちゃったんだ? という、わけの分からん映画だった。人物がぜんぜん描けてなかったな。意味なく不気味な保育園の園長と、でぶと言われて怒る保母。なんか得体の知れない出版社のオヤジ。なーんも本筋に関係ないじゃん。ばっさばさと切っていって、45分ぐらいにまとめたい内容だな。黒木瞳の母親は、みていていらいらするぐらいバカ。身勝手で、まるで子供を慈しんでいるようには思えない。言葉では子供の名前を叫びまくっているけれど、ほったらかしにしているときの方が多い。ヒステリックで、これじゃ離婚されるのもむべなるかな、と思ってしまう。とても同情はできない。もっとも、離婚の原因ははっきり描かれていないが、夫が後添いを貰ったということからして、浮気か? やっぱり、こういうことは、はつきり描いて欲しいところ。人間の造型に大きく関係することだからね。冒頭の20分ぐらいは、なーんも語ってなかったし。いくら「リング」で売れたからといって、1本立てロードショーはきついなあ。やっぱ、2本立てのレベルだぞ、これは。脚本も、説明的なダイアログが多い。情感や深みのある会話というものを、もっと考えないとな。また、次第次第に高まる恐怖感というのにも欠けている。筋立てが平板で、クライマックス・・・まあ、“どっきり”はラスト近くに用意されているけれど、そこへのもっていきかたが、下手くそ。それにしても、保育園と幼稚園の違いぐらいちゃんと分かって登場させろよな。

 
 

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