2002年2月

レイン2/8渋谷東急3監督/オキサイド・パン、ダニー・パン脚本/オキサイド・パン、ダニー・パン
タイ映画だという。タイ映画といえば、去年は東京国際映画祭で「怪盗ブラックタイガー」なるものを見たが、タイ映画も堂々とロードショーされる時代になったのだなと、時代の移り変わりを思ってしまう。で。見ている途中で「これがタイ映画だ」と気付くシーンはあまりない。ぐにゃぐにゃ曲がる音符のような文字が出るときぐらいかな。印象は、そうね、低予算の日本映画か香港映画って雰囲気だ。殺し屋の映画だというのは、キャッチフレーズ分かってしまった。で。感想をいうと、ひたすら退屈。その要因は、ドラマがないということに尽きる。みんな、中途半端なエピソード。安手の、どっかで見たことのあるような枝葉の話。1本つっと貫く串がないから、映画の中に入り込めない。誰にも感情移入できない。冒頭近く、狙撃場面を少女に目撃される場面があって、それで、おお、なんかあの子供が目撃者になって誘拐されてなんたらかんたらあるのかな、と思ったら、なーんもない。なーんもない話の積み重ね。眠くなった。主人公は椎名拮平みたいな感じ。でも、薄ら髭が貧乏くさい。だらんとしたシャツの着こなしも、だらしなく見える。「これはタイの文化だ」といわれれば、ああそうですか、と引き下がるしかないけれど、どーも見ても恰好いい男には見えない。その相棒で師匠でもある男が、長髪さらりで小室哲也みたい。その彼女が、ホイットニー・ヒューストン見たいな顔つき。その彼女に暴力を振るうギャングが、つのだじろう似。どーも、でてくる男はみな悪人に見えてしまうタイ映画。ヒロインが、ちょっと西田ひかる似。つまり、まあ、タイ人っぽく見えない。ホイットニーがつのだじろうに暴力をふるわれ、その復讐に小室哲也がのりだして、逆にやられてしまって、その復讐に主人公がでかけていく、というメインのお話が始まるのは、1時間をかなりすぎてから。おら、退屈で、退屈で。そうそう。主人公が相手を知らずに殺ってしまったターゲット。その相手が誰かを知って主人公は動揺するけれど、そこのところが何故だか不明だったなあ・・・。さて、「レイン」のオフィシャルサイトによれば、「タイの殺し屋防止センターが99年に作成したリストによれば、タイにいる殺し屋の数は866人。他の犯罪情報機関のデータを併せればタイ国内の殺し屋の総数は1500人にのぼるとタイ警察では見ている。警察はリストに載っているほとんど人物の氏名と住所を把握しているが、それでも殺し屋のほとんどは捕まっていない。」なんだと。うわ。そういう事情があったとはね。
フランシス・フォード・コッポラ
PRESENTS
ジーパーズ・クリーパーズ
2/16渋谷東急2監督/ヴィクター・サルヴァ脚本/ヴィクター・サルヴァ
いやー、怖かった。前半の途中、穴に落ちてからは背筋も凍るオソロシサ。びくびくもので見ておった。なにせ、こういう類の映画は苦手なのだ。といいつつ、全編引き込まれてドキドキもので食い入るように見てしまった。主演の姉役の女の子が、決して美人じゃないけれど、なんとなく魅力的だったのが私にはよかった。もっとも、弟の方は間抜け面だったけど。オープニングの、ドライブ中の2人。ナンバープレートの語呂合わせや言葉遊びが、お気楽な2人を象徴している。で、いきなりスピルバーグの「激突」になって。「不思議の国のアリス」のように穴に落ちる。この、穴に落ちるというのは予告編で知っていた。あとは、この映画については何も知らなかった。だからよかったんだろう。予想もつかない展開で、おおおおおっていってる間にとんでもないことになっちっゃた。ヒチコックの「鳥」もあったし。たぶん、私の知らないいくつかの映画が、他にもオマージュされているのだろう。さて。最初、強引に穴を見ようといったのは、弟。姉は拒否していた。それが、途中からは姉が積極的になって、弟が腰が引けてくる。そのあたりは、こういうホラーものの定番といえるドラマ展開だ。とはいいつつ、やっぱイザとなると女は度胸が据わるもんだと感心する。・・・映画なのに。まあ、あと、弟がどうやって穴の中から脱出できたかは問うまい。この「問うまい」という気分にさせてくれる映画なのだ。2人が食堂にたどりついて警察に連絡しようとするが・・・。おら、あの食堂の連中はみんな仲間(穴の中のあれの)かと思ったよ、はじめ。つまり、みんなドラキュラか?と思っちゃった。違うんだけどね。つまりさあ、最初にクルマに乗っていて、「止まれ」って標識があったところで、2人は異空間というか禁断の侵入不可の村に迷い込んだのかな、って思ったのだ。けど、決してそういう訳ではなかったみたい。まあ、論理的に破綻もなく・・・っていうか、破綻なんて関係ない強引さで、これでもか、これでもか、って畳みかけるドラマ展開が、凄い。先の読めないホラーほど怖いものはない。とはいいつつ、後半、あの現物がナマでてしまうと、やっぱり怖さはかなりトーンダウンする。笑っちゃう部分もあった。だから、前半は恐怖のホラー。後半は、SFXサスペンスって言った方がいいかもね。それにしても、怖かった。
オーシャンズ112/18上野東急監督/スティーブン・ソダーバーグ脚本/テッド・グリフィン
つまんなかった。どこでスカッとすればいいのやら、いつハラハラすればいいのやら。いつのまにか終わってた。人物の掘り下げ方が甘い。中途半端で類型的。魅力的な人物、感情移入できる人物がいない。さらに、11人の結束が曖昧で、チームとして信頼に足るのだろうか、という疑問がつきまとう。編集はテンポがいいけど、よすぎないか? とも思う。説明不足の部分が多々あるような気がする。まあ、このへんは、人物の掘り下げが足りないところと重なるんだけどね。主人公オーシャンにも魅力がない。とくに、女をとられた腹いせに強盗・・・ときては、どーもなあ。地下金庫への侵入もあまりにご都合主義的で、ううむ。
実をいうと、数週間前に「オーシャンと11人の仲間」をテレビで見た。リメイクなんだし。知っている人は知っている映画なんだし。順番とすればシナトラのこっちの方が先なんだから。見たって別に問題あるめえって、ね。どう変わっているのかも興味あったし。一目見て古さを感じた。現代の映画のようなリアリズムは、かけらもない。書き割りの上でお芝居をしているようなもの。50年代のミュージカルっぽい画面だよ。牧歌的だなあ。で、強盗シーンより人物関係にかなり時間を割いていた。見ているときは、かったるいぜ、なんて思っていた。けどさ、新作の「オーシャンズ11」を見たいま、旧作の方が印象に残ってるってのはどーゆーわけだ。旧作は、オーシャンが軍曹(?)かなんかで、相棒の坊やっぽいのが将校なんだよ。それで、朝鮮戦争だかで一緒の部隊で生死を分けた仲、ってのがあって、結束力も信頼関係も、忠誠心もちゃあんとできていた。しかも、シナトラのオーシャンは女房なんかそっちのけでカジノ強盗に入れ込んじゃう訳だ。そのあたりのバックグラウンドが、いささかの感情移入を手つだってくれたのよ。それが、新作にはない。骨子だけをいただいて、手際よく処理しているだけで、魅力がない。そうそう。旧作には、警句というかどんでん返しもあった。強盗の途中で仲間が1人死んでしまうのだけれど、その彼の棺に盗んだ金を隠しておいたら、それか火葬されてしまのだ。悪銭身につかず、というわけだ。大計画が水泡に帰した10人が街をうつろに歩く、そういうシーンで終わっていた。ところが、新作はまんまと成功してしまう。もちろん、カジノのオーナーの手先になぶり殺されるのかも知れない・・・という余韻は残しているけれど。けどさ、そういう心配は、オーシャンがカジノのオーナーと対立した時点からわかってるはずじゃないか。ちょっと、杜撰な感じがするぞ。面白かったのは「テレビから映画に行くのは難しい」なんてセリフが、ジョージ・クルーニーのいるシーンで交わされるところぐらいかな。しかし、あのカジノの名前は本物なのか? それと、金庫も本物に近いのだろうか? という疑問が残るな。
近くの席に、4歳ぐらいの男児を連れたバカ女がいた。ガキが飽きてむにゃむにゃいったりもぞもぞ動いたり、後の席を覗いたり(オレと目があった)していても、平気の平左。信じられんバカ親だ。
夜風の匂い2/20銀座テアトルシネマ監督/フィリップ・ガレル 脚本/●
この映画を見るつもりはなかった。たまたま八丁堀で打ち合わせがあって、暇つぶしに1本・・・。と思って交通会館にあるチケットビューローに行った。で「恋ごころ」のチケットを1500円で買ったのだけど、そういえば水曜日はテアトル系が1000円デーだったなと思い出して、レバンテでカキフライ1300円を食べた後、銀座1丁目に逆戻り。12時に入るとさすが自称文化に触れてざあますオバサンが50人ぐらいすでに並んでた。ま、いいか。で、12時15分の開場まで並んで、見てしまったのだ。「そういえば、ドヌープの映画やってたよなあ」ぐらいの知識しかなかったのだけれど、90分余りの尺だったのでちょうどよかったし。1000円だし。
でもってどーだったかっていうと、「あー、フランス映画だな」っていうのが1つ。「なんだかわからん」というのが1つ。「屑フィルムだけで映画が1本撮れてしまうのだな」というのが1つ。「ピントが合ってねーぞ、後ピンばっかじゃねーか、こら」というのが1つ。別に感動もなければ怒りもない。「だからなんだってんだ」と言うぐらいが関の山だね。相変わらずフランスって国は、こんな映画を辛気くさく、思わせぶりに、いかにも“ここに人生と哲学がある”ってな具合につくっておるね。いやあ、ほとんど意味ねえぞ。人物の、「どこからきて」「どこへいくのか」といったドラマについては一顧だにせず、ドラマには無縁のだらだらとした行動を撮り、自殺で終わらせてしまう。中年女は性欲にもだえ、中年男は人生に疲れ、若い男は薬と性を求める。うーむ。なんともフランス映画だ。うーむ。60年代末の学生映画そのままだな。って、ちゃんと、建築家は5月革命の闘士だって? そんなもん引きずってるって・・・。日本でいえば、東大闘争に敗れた団塊の世代のオヤジだぜ。そんなのが自殺したって、なんかなあ、共感もなにもないけどね。まいいや。断片な的な感想でも書いておこう。丸に斜線の道路標識。その他、道路標識、横断歩道、信号、無機的なハイウェイ。真っ赤なポルシェ。なんだよ、クルマのCMかっつーの。オレンジのコート。鍵。部屋の鍵。ホテルの鍵、クルマの鍵。画面からは排除されたSEX。廃屋。羊。ガソリンスタンド。・・・うーむ。こうして見ると、あんまり意味深な要素はないね。意図的に意味を込めた“何か”は、たいしてないのなかも知れないな。ま、どうでもいいや。疑問。イタリアからたまたま同乗した若造に、どうしてあれほど親密になるのだろう? 建築家が後を託す妹は、なんなのだ? あの写真は妹? 死んだ奥さん? 彼にとって重要な人物なの? どのシーンがイタリアで、どれがフランスだ? あの娼婦のいたところは、イタリア? なんか、よーわからん。ま、分かってもたいして関係ないことかも知れないが。
1階から上へ行くエレベーターに乗るとき、横にいたオバサンが、開く扉に接近して真ん前で待ち受けた。ドアが開く。降りようとした人がよけていた。列ができていた。前の方にいた女性が、後方に連れを見つけて呼んだ。呼ばれた女性が前に来て、おしゃべりを始めた。2人は私より先に入っていった。んなろう。文句いってやろうと思ったけど、周囲はオバサンばっかりだったので、やめといた。映画が終了すると、エンドクレジットが始まると同時に暗い中を階段を降りていくオバサンたち。3分ぐらい待って、余韻を楽しんでからゆっくり降りんか、こら。「40の役はムリよね、いくらなんでも」なんて、帰りしなに聞こえたオバサンの感想。ま、そりゃそうだ。ま、銀座で文化を楽しんだあとはゆっくりと食事をして、カルチャーセンターにでも行ってくれ。
WASABI2/22上野セントラル2監督/ジェラール・クラヴジック脚本/リュック・ベッソン
話題作。凄い! とは言わないが、面白かった。スピード感、アクションの面白さ、そして、中身のない薄っぺらさが、いい。「ヤマカシ」でがっかりさせたレベルを「TAXi」レベルまでリカバリして、リュック・ベッソン面目躍如ってとこか。これだけ見せ場のある映画を外国チームが日本で撮影できるのなら、日本のクルーだってできなくてはおかしい。ってことは、屋外ロケの制約がどーのこーのという問題ではないってことだ。ってことは・・・。多くは語るまい。さて。アクションっていっても、デパート内のシーンでもわかるが、これ、リアルなドラマじゃまったくない。コメディだ。それと、日本が舞台だから日本文化が色々でてくるけれど、外国人の見る日本がでてくるのは演出上しょーがないだろ。勘違いというより、意図的なものだと思う。けど、骨壺が違うとか焼き方が違うとか、霊柩車がどーしてそんなとこにいるんだ、ってのは違和感を感じた。ま、新宿といいつつ秋葉原がでてきたのには、「ああ、日本といえば秋葉原」なんだな、という認識を改めて新たにした。笑えるのは、日本人誰もがフランス語がしゃべれること。不自然なのは、ジャン・レノの元彼女が若々しいのに、その姉(広末の伯母さん)がいかにも老人だったりすること。そうそう。広末の部屋に滝平二郎の切り絵のカレンダーがあったけど、あれを見た日本人は「ダセー」っていうに決まってるぞ。それと、レノの元同僚で20年は日本にいるモモが日本語しゃべれないってのも変だ。で、基本的な部分で分からないことがあった。どーして広末が「24時間爆弾」なのかということだ。このフレーズは広告宣伝の惹句だけれど、20歳未満であることと銀行口座を自由にできるできないということが、どーして映画のキーになるのかが分からなかった。単に私の常識の欠如かも知れないけどね。それと、その数日間をレノにボディガードさせようとした元彼女のプランが上手くいってないのも気にかかった。だって、広末の口座に20億ドルもあるってのが分かったのは、レノが親心をだして幾らかフランを入金したからでしょ。でも、元彼女はメッセージを、遺品として残した鍵に託していたんだよ。でも、その鍵がどこのものか気がつくのは大分時間がたってからだぜ。ってことは、諜報部員同士のメッセージ伝達にしては、お粗末過ぎるな。なんてことを感じたのだった。
ところで、この映画でスタントをやった日本人の日記「ある日の現場日記」というサイトがある。なかなか面白かった。そーか、そういう風に撮影がはじまり、過ぎていったのか、ってね。
恋愛回遊魚2/22ユーロスペース1監督/ウー・ミーセン脚本/●
台湾映画。原題は「起毛球了」。60分余りの中編。なんだかよく分かんないな。映画の文法をスキルとして身につけていないのか、あえて壊そうとしているのか、どちらか分からない。表現したいものやメッセージ(のようなもの)はあるのだろうが、それがまるっきりつたわってこない。そういう意味で、稚拙。かといって、学生映画のような下手さというのではない。いいセンスは感じられるのだけれど、表現レベルに達していない、というようなもどかしさ。かな。状況設定や人物の輪郭が曖昧だから、いかようにも解釈できる。そこが、いいところなのかも知れないけれど、私はイライラした。これが、監督さんのスタイルであるならば、私は好きではないが、稚拙さであるならば、研ぎを入れていくことで、見られるものになる可能性がある、ということだな。
主人公は自称歯医者の青年萬。彼は、スチュワーデスやパーマ屋の店員とつき合っていながら、自称レズでCMタレントまでこなす高校生(みたいな感じ)の少女妙妙とつき合っている。レズ少女とはセックス関係があるかは分からない。ストーリーは萬と妙妙のからみが中心。そこに、CM俳優の青年や日式ラーメン屋の親子(?)や街頭歯科医(としか思えないような不潔さ)やなんかが絡んでくる。といっても、真っ正面から絡むのではなく周囲に彩られているだけで、存在感は希薄というか、よくわからん。ストーリーはあるようなないような。時制ももずれているので分かりにくい。昔の出来事らしきことが後半にでてきたりね。しかも、夢か現実か、わからない部分もあったりして、困惑。ま、それはそれでいいんだけど。そういう映画だと理解すればいいだけの話だから。でも、話がストンと落ちないもどかしさが、やっぱ残るなあ。意味が分からないけど面白かった大道具は、毎日のように上げ下げされる看板。ラストでカツラが脱げている意味はなんだ? 面白かった日本文化・・・だんご3兄弟のぬいぐるみ、くれよんしんちゃんの目覚まし時計、ヤクルトの冷蔵ケース(萬が冷蔵庫代わりに使ってる)、川端康成の小説、CMナレーションに日本語、日式ラーメン店、宵待草の歌(って、これは日本だよな、違ったっけ?)。
というわけで、ここまで書いてやっとチラシを読んでみた。すると、どーでしょー。ちゃんとストーリーらしきものが書かれているよ。おいおい。どーやったらここまで、あの映画から読み取れるんだ? ううむ。なーるほど、そーだったのか。って、感心していてもしょうがないな。しかし、チラシを読まないと分かんない映画って、意味あるのか? ねえぞ、そんなもん。
このチケットはBS日テレの「恋するシネマ倶楽部」の懸賞に応募してゲットしたもの。開映が9時10分のレイトショー。もらったチケットでもなけりゃ誰がこんな時間に渋谷なんかに行くもんか。ユーロスペースには初めて入った。80席足らず。ほぼ満員。しかし、椅子がぺなぺなで、足を組んでも体を移動しても響くのにはまいった。しかも、セロハン紙から取り出してものを食っている鈍感な客が1人いたのにはまいった。どこに神経が通っているのだ。それと、60分ほどの映画なのに、30分もしないのに女性客が前の方から退出したのにはたまげた。小便の調節もできねえのか。(お小水じゃなかったりして。って、なんなんだ?)ま、再び入ってきても席に戻らず後ろで見ていた態度には敬意を表してやろう。

 
 

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