2002年3月

モンスターズ・インク3/4上野東急監督/ピート・ドクター脚本/アンドリュー・スタントン
予告編はあまり面白くなさそうだったけれど、本編は満足度が達成できるデキ。子供の絶叫がモンスター世界のエネルギーっていう設定が、おかしい。なるほど、なにごとにも理由がある、ってわけだ。こういう、事象の裏に妖怪ありは、日本の昔話の得意技のような気がするけど、まあ、西洋にも同じようなものはあるんだろう。妖精なんかが、いろんないたずらを仕組んでいる、なんて話は聞いたことがあるしね。さて。モンスターたちがいい。みな、キャラがたっていて好もしい。愛らしく、また、可愛い。そーか。モンスターたちは、余儀なく仕事として恐ろしい顔をして、子供たちを脅かしていたのか。どこでもドアみたいな、子供部屋への入口も面白い。こういうささいなアイディアの積み重ねが、話に厚みをもたらすんだろうな。キャラの中では、事務担当(?)で、実はNo.2で、調査官というオバサンがよかったね。存在感たっぷり。問題は、主人公の少女だ。これが、可愛くない。表情が単調で、動きも乏しい。すっぽりかぶるワンピースのパジャマのせいか、手足の動きが見えないのも、デメリット。もうちょいと手足の表情を活かせばよかったのに。このキャラがたったなら、もっと泣けるアニメになったろう。子供の笑い声がラストにつながるのは、早々に分かってしまうのが難点。もっとも、子供が見て理解するためには、あのぐらい露骨な布石でもいいのかも知れないけど。日本的なるモノが寿司レストランや日本間(あとひとつあったような気がしたが忘れた)なんかに登場してくるのは、まあ、日本がポピュラーになったということかも知れないけれど、これが中国ではないことが、いまひとつ合点がいかない。ネパールの子供部屋がでてくるところなど、反中国・親日本ってな印象を受けて、興味深い。政治や経済とも関係がありそうでね。ひょっとして「パール・ハーバー」での日本の扱いの謝辞が込められていたりして・・・ってのは、深読みのしすぎだな。オープニングのドアのアニメは、ちょっと感覚が30年前って雰囲気で、ダサイ。あれは、嫌いだ。そうそう。本編のはじまる前に、製作会社(?)PIXERによる鳥の短編がおまけについていた。これは、笑えた。
恋ごころ3/5日比谷シャンテ・シネ1監督/ジャック・リヴェット脚本/パスカル・ボニゼール、クリスティーヌ・ローラン
リヴェットが何者か私は知らないが。ま、フランス映画なんだろ。いかにもフランス映画らしいムダな饒舌がいっぱいあったからなあ。ほとんどストーリーには関係ないだろ、ってなエピソードがたっくさん。だから、2時間30分以上も必要になるんだ。ま、その饒舌はちと退屈ではあったけれど、一番神経に障るのは、音楽が全然ない(ラストにかかる1曲を除いては)ってことだ。音楽がないと、これほどまでに憂鬱な気分になるものなのだと思い知らされた。これ、軽快な音楽があれば、ぜんぜん雰囲気違うだろな。もっと軽い感じになるだろうし、感情移入もしやすいはず。それをせずにあえて重苦しくしているのは、なぜなんだろ。気分を散らさないで、ちゃんと会話を聞け、画面を見ろ、とでもいうのかい。うーむ。会話は、よく分からないよ。女優と男優が、女優の元彼の家に招待されて食事して帰って、女優が男優である彼氏に「見下してた」云々と怒るのはなぜなのか、よく分からなかった。そんな素振りって、フランス人の皆様には分かるのだろうか? 哲学者だの劇作家だのの蘊蓄は分からないよ。しかし、いまだにハイデガーなんてのを研究してる教授がいるのかい。まあいい。男優と女優を中心に、元彼の哲学者や、たまたま図書館であった女学生ドミニクだの、ドミニクの異母兄(この男が哲学者の現在の彼女でもあり、女優とも一夜の契りを結ぶという、ふざけた役でスケコマシ野郎の泥棒野郎)なんだかんだと男女関係がもつれて、絡み合う。それ自体は面白いんだけどね。いまひとつスッキリしないのは、やっぱフランス映画なんだなあ。劇中劇がやたらとインサートされるのも、よく分からん。意味あるのか? 何やら分からなかったぞ。ハリウッドなら、もっとオシャレで、コメディにしちゃうかも。ま、そうなったら、見ている間は楽しいけれど、終わったらすっかり忘れてしまう、しょうもない映画になってしまうかも。この映画にもユーモアはあるのだけれど、明るく笑えないところがあったりするのは、フランス映画だから・・・じゃねーだろ。すこん、と抜けてないからだろうな。ま、その陰気さというか、屈折したところがまた味なのかも知れないけど。ラストが、いいね。みんなが登場人物って風で舞台に現れて、みんな元の鞘におさまっていく。一瞬の恋のお遊び、ロンド。過剰な描き方ではなく、素っ気ないぐらい普通に描かれているのも、面白かった。そうだ。哲学者の現在の彼女が、浮気相手の泥棒に眠らされているところに女優がやってきて、頬をひっぱたいて叩き起こす場面があったけれど、あれはどこだったんだ? 哲学者の家か? そんなことないだろ。ううむ。よくわからん。で。いいんだか悪いんだかよく分からないけれど、印象には残った、という結論。・・・っていうか、人間てのは50歳を過ぎても、異性には惹かれつづけるスケベものだよ、っていうのが、真相?
で、シャンテのように入れ替え制でなければ、最初の1時間ぐらいもう一度見て、ああ、なるほど、っていえるんだけどね。くそ。それにしても、上映が始まっても客が何人か入ってきていたのはどういうわけだ。入れ替え制だから、つづけては見られないんだろ? 入れ替えだからこそ、上映が始まったら客は入れない、ってスタイルを貫くべきだと思うが、どうだろう。
キリング・ミー・ソフトリー3/6渋東シネタワー1監督/陳凱歌(チェン・カイコー)脚本/カラ・リンドストロム
映画の日で、1000円。11時15分の回を見たが、みごとにガラガラ。「ロード・オブ・ザ・リング」や「モンスターズ・インク」に流れているんだろう。たまたま時間が合ったから入ったまでで、直前までは対面でやっている「アモーレス・ペロス」に入ろうと思っていたんだけど、こっちは11時55〜3時過ぎだから腹減っちゃうしなあ、と、たまたますぐ見られる映画にしたまでのこと。誰がでるんだかも知らないで入った。で。主人公のアリスはどっかで見たことある女優だなあと思いながら、分からず。終わってから、「オースティン・パワーズ:デラックス」だと気がつく。どうせその程度の記憶力と知識しかない私である。男アダムの方は、「恋に落ちたシェイクスピア」の彼だとすぐわかったけどね。といっても、芸名が分からん。というより、覚える気もないというのが正直なところだ。金髪で小顔で目玉がでかく足も細いアリス。ううむ。可愛くていいね。とは思うけど、こういうカニの横這いみたいな個性的で濃い顔は、1カ月もすると飽きるというか、うっとーしくなるだろうな。って、それは単に私の好みのことをいってるだけじゃないか。このアリスはドットコム企業向けのWebサイトや教育ツールをつくっている会社にいる・・・ってんだけど、どーみてもそういう会社には見えないぞ。会社がきれいすぎる。コンピュータに囲まれていない。そんなのんびり外出している時間なんてあるわけないだろ。とかね、半畳を入れたくなった。その女が、たまたま横断歩道で男に一目惚れ。猛烈アタックしてその日のうちに猛烈○○○○しちゃうという。なんとも奔放というか、うらやましいというか。(アリスは、おっぱいも大きかったし・・・)まあ、映画だからそういう話があってもいいんだけど。登山家の彼がミステリアスだから、許しちゃおう。というわけで、下半身からお近づきになった男女。しかし、男にはなにやら隠している事実と過去が・・・。っていう、最初の30分ぐらいまでだな、金が取れる部分は。あとは、ぜんぜん盛り上がらない。ミステリーでもないしサスペンスもない。最後に至っては、とりあえずつじつま合わせましたから、これでいいでしょうか、ってなレベルで、とても人に見せられるようなデキじゃない。もう、中盤からは退屈で退屈で。ひょっとしたら「ジーパーズ・クリーパーズ」みたいに、男が実は悪魔で、いつか羽が生えてくるんじゃないかと期待したんだけど、そうはならない。もっとドメスティック・バイオレンスするのかと期待したけど、それもない。どっこも怖くもない。それじゃ、サスペンスも何もないだろ。いったいクライマックスは、どこにある。ってなうちに大団円。なんと、真犯人は○○○だっという、あまり意外じゃない(というか、他にいないだろ)人物だということが判明する。おいおい。安直すぎないか。するってーと、アダムが雪山で殺したかも知れないってのも全部ガセで、レイプ魔というのも嘘(とは言い切れないな。姉を襲ってしまうぐらいだから、精力が有り余ってたんだろうし)ってことかい。うーむ。どーも、真犯人の動機に納得がいかないぞ。それに、どうしてアダムは人妻から貰った別れの手紙なんかを後生大事にしまっておくんだ。そんなもの、捨てちまえよ、さっさと。アリスも、アダムがおかしいと思いながら、実の姉の所に訴えに行くっていうのも、どうかな。近親なら仲間と考えるのがフツーじゃないか?
エンドクレジットが始まると、後方の出口からでていく客。しかし、それにしても後方から光が入りっぱなし? と、見ると外に大きく開かれて、横にスタッフがたっている。これは・・・と、おもって近づいて、ロックされている扉を閉めさせる。男のスタッフ曰く「客が後ろからでる。ドアを開閉すると音がする」だと。アホか。「クレジットが終わるまでは映画は終わってねーんだ」と、いってやった。
メメント3/6シネクイント監督/クリストファー・ノーラン脚本/クリストファー・ノーラン
「キリング・ミー・ソフトリー」が終わって勝一でとんかつ食って、たらたら歩いてパルコの近くにでたら、この映画がまたまた時間がいい。ってなわけで、シネクインとは初めて入った。すでに50人以上が並んでいる。で、10分ぐらい並んで入場。スタッフの客を並ばせる手際は、なかなかよろしい。椅子が、ちょっとべこべこ。もっとがしっとした椅子じゃないと、横の人が体を動かすだけで響く。これは、困るよな。で、映画だ。記憶がなくなる男の物語だけれど、これが、現在から過去へと遡っていく。遡りながら、結果の原因が少しずつ解き明かされていく。つくりの手法は「ペパーミント・キャンデー」と同じだけれど、こちらの方がスパンが短く、原因と結果の解き明かされ方がスリリングでスピーディ。そして、10分前の記憶がなくなる、という障害の男の、消えたはずの過去の記憶が再生されるカタチで遡るので、他人の過去を覗き見するような興味深さがある。とともに、観客もよーく見てないと分からなくなる傾向はあるんだけど、それほど翻弄はされなかった。実をいうと、昼ご飯を食べたせいで、見始めてから10分ぐらいしてから眠くなって、なんとか画面を追いつつ30分ぐらい睡魔と戦ったんだけれど、それでも何とか粗筋は分かったからね。ラスト、というより、事の起こりは、な〜んだ、というようなもの。記憶がなくなるという障害と密接に結びついているものだった。しかし、気になるのは、こんな病気が原因の事件なんて、日本じゃとても企画できないだろうということだ。障害者を差別するのか、なんて反対意見がどっかからでてきそうだよな。記憶障害者は危険だから、外にだすな、なんてメッセージにも見えてくる。ま、なんとも難しい問題だ。とにかく、仕掛け勝負でとりあえず1勝しちゃったという映画だね。ディテールの読みは、いろいろ解釈できそう。時間軸に切り離してつなぎ直してみたら、どういう映画になるんだろう。つまんないものになるのかな。
マルホランド・ドライブ3/10渋谷東急3監督/デイヴィッド・リンチ脚本/デイヴィッド・リンチ
不協和音の面白さ。そんなことを思いながら見ていた。さまざまな要素がぱらぱらと不規則に放り出され、放り出されたまま謎を放つ。その混迷した要素をつなげるのは、謎の黒髪の女と女優志願の金髪の娘・・・。おお、ミステリアス、なんて見ていた。1時間30分ぐらいは、次ぎに何が起こるかわくわくさせる。ところが、黒髪の女が深夜でかけようと言い出して、テープに録音してある音声でのショーに入ったところから、がぜんつまらなくなった。後は、もう、わざとらしい謎のオンパレード。意味のない謎を披露して、ほくそえんでいるのか。それとも、収拾がつかなくなって適当に誤魔化しているのか。よー、わからん。でも、まともな神経していたら、あんなシナリオを初めっから書くことはできないだろな。結局、撮りながらか、撮り終わった後の編集の妙味なんじゃなかろうか。・・・にしては、ラストの監督宅のパーティでは、さまざまな要素が一緒くたになって展示されていたけど。ま、どうでもいいや。コメディ風の所も面白かったし。とくに、ブラックリストの手帖を盗むシーンで、自殺に見せかけようとしてどんどん殺して行くところなんか、大笑い。わけの分からない人々も、面白い。惜しむらくは、分からせようとする親切心がかけらもないことだ。
ロード・オブ・ザ・リング3/27渋谷パンテオン監督/ピーター・ジャクソン脚本/ピーター・ジャクソン、フィリッパ・ボーエンズ
ファンタジー小説など読まないので、「指輪物語」がどういうものか知らないし、興味もない。というわけで、なんの知識もなく見たわけだが、つまんなかった。眠くなりそうだった。たまたま昼飯を食わずに3時30分まで見たのだが、これ、上映前に飯でも食らってたら絶対寝てたな。それぐらい、刺激がなかった。まず最初の30分がこれまでのあらすじ。固有名詞を覚えるのでたいへん。次の30分が踊る子馬亭あたりが中心で、まだドラマがない。さらに、エルフの国にたどり着いて、ここまでで1時間30分。で、やっと指輪を溶かしに行くというハッキリした目標が登場して、ドラマが動き出す。それにしても、それまでは(これ以後もだが)、誰が、なぜ、どうしてってな部分がほとんど分からない。ホビット(小人族)のフロドがなんで指輪の持ち主に指名されたのか? 彼はなんでエルフの国をめざしたのかが分からなかった。ところが、エルフの国につくと、「エルフに指輪をもってくるのが使命だった」なんていう。しかも、エルフには指輪の前の持ち主である111歳のじじいビルボがすでにいたりする。なんだよ。だったら、お前がもってくりゃよかったじゃん。それに、エルフの国で突然登場する沢山の副主人公たちはなんだあ。ガンダルフってのはなんでフロドと知り合いなんだ? サルマンっていう妖術使いより、なんで弱いんだ?(サルマンは自分で塔のてっぺんに登れるが、ガンダルフはてっぺんから逃げられない?) 指輪は悪の親玉がもって威力を発揮するとかいいながら、なんで他のやつらがみんな欲しがるんだ? とかね、合点がいかないことがあんだよ、他にも。んでもって、フロドってのはなんにもしない。ただ逃げているだけ。逃げてケガしたり足手まといになったりしてるだけ。つまんない。殺陣も下手だね。ダンジョンでの戦いなど、カメラ振り回しているだけで、目がチカチカしちゃう。SFXもCGでやってんのか、って思うだけで迫力が感じられなくなる。おお! ってな驚きに欠けるのだ。とにかく、ドラマがない、意外性もない、魅力的なキャラクターもいない。わかりにくさはたくさんある。やれやれ。という中で、ぞくぞくっとしたシーンが2カ所。ビルボがやっぱ指輪が欲しい、ってフロドに手を伸ばすところ。それからエルフの女王(ケイト・ブランシェット)が指輪に手を伸ばすところ。欲と本音で形相が変わるのが、鋭かった。あとは、べつにどーってことないっていうか、つまなんない。もうちょっと面白くなんないの? そうだ。これを見て思ったのはドラクエなんかの設定やアイテムが、こういうところからほとんど取られているのだな、ということ。なるほどと思った。しかし、なんで妖精といわずにエルフで、小人といわずにホビットなんだ? 一般人にはよくわからんだろ。
ウォーターボーイズ3/29新文芸座監督/矢口史靖脚本/矢口史靖
ちょっと感動したぞ。ぼや騒ぎでプールの水がなくなって呆然・・・のところに、桜木女子の生徒会長らがやってきて無事シンクロ開催てなあたりから、目頭が熱くなってうるうるしてしまった。少年たちの純真で一本気なところ。りくつなくがんばっちゃって、場所がどこだろうと一所懸命たのしくエンジョイしちゃうところに、感動しちゃったんだ。ま、もう一度見たら、泣けるかどうかわかんないけど。最初の30分ぐらいは、正直いって「これが話題になるほどの映画か?」と思っていた。実際、テクニックなんかはたいしたことはない。かつての東宝のティーンコメディと同レベル。荒っぽいし雑なところが目立つ。順撮りしたのだろうか。途中から、とくに、イルカの世話をするあたりから次第に密度が高まっていって、布石なんかも効いてきてテンションが高まっていく。だんだん撮る方もノッてきてるのかな、なんて思わせる。男子のシンクロっていう設定で高得点したうえに、さまざまな要素がほどよくキマッてきて、プラス加点って感じ。まあ、欲をいえばもっと緻密に撮れればなあ、ってところか。中心になる5人のキャラが存分に活かし切れていないのもいないのも残念なところ。最初の方で1人につき3〜5分ぐらいかけて個人のエピソードを描き込めば、もっとキャラが浮き立って、もっと感情移入できるはず。それに、主人公の彼女があんまりでてこないのもつまんないね。予備校でのエピソードに時間を割きすぎ。もうちょっと違う視点から切り込めるだろ。オカマバーも、通り一遍の感じがある。それと、桜木女子の登場を、もっと早めにしておいてもよかったんじゃないかな。もうちょっと煮詰めれば、すごい傑作になったんじゃないか。つまりは、でてくる人物たちの映像ではでてこない部分での人生の部分が足りないんだよな。それが描かれれば、凄くなるはずなんだけど。・・・プールで投げられたりした魚たちの生死が、とても気になったぞ。それと真鍋かおりの水着姿の腹がでてるなー、と思ったら、あれはちゃんと次ぎにつながっていったのがお見事。
ゴーストワールド3/29新文芸座監督/テリー・ツワイゴフ脚本/●
わけ分からん映画だな。高校時代にセックス&ドラッグやりまくり・・・という割には、主人公の2人イーニドとレベッカは、見かけダサイ(自分じゃかっこいいと思ってんだろうけど)。「スクリーム」だの「パラサイト」なんかにでてくる田舎町の女の子の方が色っぽいし、遊びも上手そう(ま、そんな風にはなりたくないと思ってるんだろうけど)。イーニドとレベッカときたら、ファッションもひどい(1960年代のオバサンみたい)し、見かけもとてもセクシーとはいえない。イーニドはパンク志向らしいけど、それも表面的? 人の悪口ばっかしゃべって満足している。とくに、イーニドの方は自分が世界の中心みたいに思ってるから、友だちであるレベッカから絶交をいいわたされると落ち込んじゃう。なんか、見ていていたたましい。こいつらバカじゃん。と、思うのは簡単だけど、これまでの社会不適応はなんなんだ? イーニドの家庭は離婚? かなんかで父親と2人。そこに再婚話が・・・ってのはあるけど、そんなのザラにあることだし。要因のひとつにあげるには些細すぎる。店員の仕事で、なんとか社会に適応し始めるレベッカに対して、イーニドはまるで社会を憎んでいるみたい。見ていて哀れになってしまう。そんな彼女がシンパシーを演じるのが、ブルースおたくの中年オヤジ。って、どーゆー設定なんだ、これは。まあ、このブルースおたくも社会不適応かも知れないけど、まあ、このレベルのマニアならどこにでもいるだろ。なんかさ。社会に対して不平不満があるなら、徹底的に戦えよ、といいたい。不満ばかりいうくせに、社会(周囲)から相手にされなくなると、憂鬱になっちまうなんて、腹が据わってねえぞ。と、いいたい。たとえば、卒業のための補習で、美術の授業を受けるところなんか、媚びているよな。いまどきコンセプチュアル・アート至上主義なんて古いと思うんだけど、そういう教師がいて。その教師に受けるようなことを考えついたりしているんだから。だから、社会から逸脱したいとは本音では思ってないはず。なのに、自分が疎外感を感じたり反攻していることの原因もわからず、だれからも見捨てられていく。そう。あの来るはずもないバスをベンチで待ちつづけるじいさんのように。なんてズレだ。でさ。あそこにバスが来るだろうことは映画を見ていれば読めるのだけれど、さいごにイーニドまで乗ってしまうとは思わなかった。だって、じいさんがバスに乗ったってことは、天に召されたってことだろ。ってことは、イーニドは自殺したってことになるじゃないか。俺は、イーニドがベンチに座りつづけるシーンで終わるのかと思ったら、そうじゃなかったので、意外だった。こんなイーニドみたいな少年少女がたくさんいるとは思わないぞ。で、音楽。映像に合う音楽が、故意に使われていない妙な感覚。ほとんど音楽なしといってもいい。だから、映画は妙に重く感じられた。もっとも、挿入される音楽はいっぱいある。でも、それはブルースおたくがらみの音楽で、あんまり本筋とは関係ないように見えたりするのだ。映画のリズムとも合ってないしね。まあ、歌詞が関係あり、って可能性もあるんだろうが、私には理解できないから。そういえば、最後にかかった曲は、インド音楽みたいだったなあ。イーニドが聞きたいといっていた、インドの音楽なんだろうか。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|