2002年4月

D-TOX4/12渋谷東急3監督/ジム・ギレスピー脚本/ロン・L・ブリンカ-ホフ
原題は"D-TOX/EYE SEE YOU"。もっとましなタイトルは考えられんのか? 典型的なB級映画。金もかかっていないし、スタッフも知恵もない。スタローン、トム・ベレンジャー、クリス・クリストファーソンらもこういう2流映画にでるようになったのね。スタローンの下品でだらしないしゃべり方がとても気にさわる。トム・ベレンジャーは、いつのまにか登場していて、大して見せ場もない。クリス・クリストファーソンは、ああ、あのボスみたいな役割の男か、とあとで気づく。見たことのある顔だというのは分かるけど、役者の名前までは覚えられないのよ・・・。前半の連続殺人。なぜスタローンの周辺の人物が殺されるのか、説明不足。まえの事件でスタローンが犯人に迫ったが・・・というセリフがあったけど、それだけでは納得できなかったな。結局、この犯人の動機が最後まではっきりしないので、説得力なし。後半。矯正施設D-TOXでも連続殺人が起こるが、これは「13日の金曜日」って感じ。しかし、人物が多くてロクに紹介されず、画面に登場していないときにセリフであいつがどいつが、と言われるから混乱。誰が誰やらわからんです。それに、犯人が施設に潜り込んでいるってことは、犯人が顔をバラして潜入したってことで、ますます動機も目的も意味不明。はじめっから「つまんねー」と思いながら見ていたけれど、ラスト30分はほとんど睡魔との戦いっていうか、終わってみれば、熟睡しちまうんだった、という思いが強いです。
ヴァンパイア・ハンター4/17シネマメディアージュ/シアター13監督/J・S・カードネ脚本/J・S・カードネ
わざわざお台場まで映画を見に行ってきた。BS日本テレの「恋するシネマ倶楽部」のチケットがまた当選して昨日とどいたのだ。「アナトミー」「グラスハウス」「ヴァンパイア・ハンター」のどれかが見られるチケットだ。応募のときには「アナトミー」が紹介されていて、これが見たくて応募したんだけど。でも、「アナトミー」も「グラスハウス」ももう終わっていて、見られるのは「ヴァンパイア・ハンター」だけ。それでもチケットをムダにするのは信念に反するので、低気圧で強風がこれで3日もつづく曇天の昼日中に、ゆりかもめに乗って行ってきた。汐留は、ビルが建て込んできているね。完成したら周辺は一変するんだろう。品川あたりにも、ビルが建っている。東京湾から見る東京は、全然ちがう顔つきになってきたな。
さて映画だ。どーせこの手の映画は、チープでいい加減なつくりなのだろう、という先入観があった。ところが、これは裏切られてしまった。なかなか見られるというか、見せる映画になっている。破綻もないし、強引さやムリもない。ごく自然に見られる標準的なホラーだ。見終わって腹が立つとかあら探しをしたいとも思わない出来。まあ、この手の映画はパターン化されているから、そのシンプルな定型を踏襲しつつ小味をつけていけば、そこそこの映画ができるってことかも知れない。で、血はでるけれど、グロではない。もっとも大して怖くもないけどね。よく分からなかったのは、登場するヴァンパイアの謂われ。トルコで生き残った8人の前に死神だか悪魔だかが現れて、8人の中の1人が心を売り渡すのを拒絶したとかで、残りの7人(?)が生け贄にした。そのときから、その連中がヴァンパイアになって、今も生きているのが4人ぐらいだとかいってたな(あやふや)。これまでの吸血鬼物語とは違うけど、だからどーした。そんなのは、あんまり影響がない。むしろ、噛まれた人間に薬が効いて、効いているうちは吸血鬼にならない。噛んだ吸血鬼を始末すれば、体内の吸血ウィルスが互いに感応し合ってウィルスが消滅する、とかいうような話の方が重要なはずだけど、よくわからなかったぞ。もっと、理路整然と分かりやすくして欲しいな。もしかしたら翻訳が下手なのかも知れないけど。まあ、こういう説明を映像で見せないで、セリフで言わせてるところに、予算の壁があるんだろうが。それはともかく、800年(?)以上も生きてきた割には、悪役のヴァンパイアは、ちょっとパワー不足だなあ。もっとがんがん破壊および囓って欲しいところだ。最後も太陽の光で爆死しちゃうのも呆気ない。でもまあ、ロックンロールが好きみたいだから(ヴァンパイアも流行に左右されるのかい?)、許してやろうか。巻き込まれてしまう映画予告編の編集者と、ヴァンパイア・ハンターの青年のコンビが、いささかズッコケなのも笑える。ヴァンパイアに噛まれ、ラリってるか騒ぐかうなされているヒロインは、出番に華がなくて可哀想だった。最後にでてくる気丈な婆さんのほうが、印象的だったぞ。テクニックでいうと、サブリミナル効果の数歩手前ってな感じの、数コマ単位でインサートされるフラッシュバックが、ちょっと多用しすぎかな。大事なところだけでドキリとさせればいいのに、のべつパッパッやられると、目が疲れる。それに、アクションシーンでも、まともな殺陣やCGがない代わりに(爆発の炎は合成だったけど)、カットで誤魔化している気配もある。
さて。シネコンというのに初めて入った。シアター13は100席ぐらいの小ささ。でも、客席に段差があって、シートの前後も広いのでとても快適。音響もこぢんまりだったけど、シャープな定位感で聞き取りやすい。驚いたのは、画質のよさ。画面がぜんぜんザラついてなく、とても美しい。これはビックリした。しかし、館内にトイレなどの施設はなく、半券をもってロビーにでて、そこで飲食やトイレ、休息もするというシステムなのだね。ということは、飲み物なんか、もちこみ自由というわけで、バカ高い缶ジュースも売ってないということだ。ふーん。そのロビーの広々としているのも、ちょっと感激。席は指定ということだったけど、ちゃんと選べるので、それも一安心でした。
コラテラル・ダメージ4/24上野東急2監督/アンドリュー・デイビス脚本/デイビッド・グリフィス&ピーター・グリフィス
単純バカなアクションものだと思っていたので、内容の濃さに驚いた。ストーリーは、復讐に燃えて悪役テロリストをやつつける・・・というものだけど、善悪2項対立の図式になっていない。アメリカだって悪い、それもCIAの工作員がいかんのじゃないの? というスタンスをとっている。なるほど。これじゃ、あの貿易センタービルのテロ事件直後には公開できないわな。「なにいってんだ、テロリストが悪いに決まってら」と、ボコボコにされるのがオチだ。しかし、よくもまあテロリストであるゲリラにまでちゃんとした人格を与えて脚本がつくられていることよ。アメリカ一辺倒でない姿勢に、これは感服してしまう。それでいて、軽快なテンポで飽きさせない。シュワちゃんも、パワー馬鹿的扱いではなく、メカニカルな知識でゲリラに対抗するなど、知性も感じさせる一般人(消防士ってとこがまた、テロ事件を強烈に連想させるな)として描かれている。そして、ゲリラのボスとその妻も、裏の裏の裏があるところまで最後まで引っ張る。よくできた脚本だと思う。最後に、ゲリラのボスが死に臨んで改悛しているというのが、ちょっと意外だったけどね。でも、これもムダな戦い・殺戮はやめようではないかという制作者の意図が感じられて、なかなか。まあ、本物のゲリラはそれほど情にもろくもないぜ、という意見もでそうだけれど。気になるのは、ゲリラのボスがわざわざ素顔をさらして何度もアメリカにやってくるか? 親分が爆弾をセットしたりするか? というところ。まあ、シュワちゃんと対抗するキャラをきちんと描くためには、たんに座って命令する親玉ではなく、行動する熱血漢をださなくちゃならなかったのかも知れないが。まあ、そんなところで、この映画に関してはなかなか満足である。
ブラックホーク・ダウン4/25上野宝塚劇場監督/リドリー・スコット脚本/ケン・ノーラン
ちょっと疲れていた。このまま見たら、途中できっと寝ちゃうかも・・・という気分だった。3時30分からの回。前の回が終わったのが3時10分ちょい前。で、本編上映は3時45分。インターバルが長すぎやしねえか。まあいい。最初はやはり眠気との戦いだった。いがぐり頭で戦闘服で、顔の区別がよくつかない俳優がでてきてあれこれ基地でやっている。登場人物の紹介なのだろうけど、いまひとつ面白くないしだれる。なんで、あくびがでて困った。ところが、何だかよく分からないけどゲリラの居住地区へ人質を奪いに行って、ヘリが1台撃墜されたあたりから俄然目が冴えてくる。おお。これは・・・。てなもんだね。それからは、一気呵成。はっきりいって、画面に釘付け。途中で「あと何分?」なんて時計を見ることも忘れて、見てしまった。90%ぐらいが戦闘シーンなのだけれど、ただ爆発する見せ物としての戦闘ではなく、意味のある戦闘になっている。戦場のど真ん中に置いてきぼりになって、孤立無援で右往左往しながら怯える兵士たちの姿が、よく描かれている。ドラマはない。悪人と善人が対立して盛り上がるという、そういうドラマじゃない。ドキュメンタリー・タッチを狙っているふしもありそう。ひたすら、自分たちであり、仲間である。たまたまそれがアメリカ軍であるだけで、これはどの国の側から描いても同じ様なものになるはず。でも、アメリカと他国じゃ戦争の意味も異なるかもね。世界の紛争の多くは宗教や領土、部族間紛争が原因だ。兵士たちは死ぬことを惜しまないケースもある。こうした戦争にせっせと介入するアメリカにとって、戦争は政治だ。だから、アメリカ人が軍隊に入って他国の戦争に参加して、いったい何に対して命を捧げるのか、ちと疑問ではある。たぶん、いまは徴兵ではなく志願で行ってるはずだけど、男を上げるために行ってるのかな? 映画ではラストに「仲間のため」といわせているが、それで解決されるものではないだろうな。いちおうのカッコつけのためにいわせているんだろう。さて、日本の最近の動きを見ていると(有事立法や個人情報保護法だの)、日本もあと10年もすれば、国際貢献の美名のもとに他国に介入し、死人がでるんじゃないかと思う。そのときには、アメリカ兵の気持ちも分かるようになるのだろうか。分かりたくもないが。それにしても、ピンポイントで機甲部隊を突撃させて作戦を遂行するアメリカ軍も、ちょっとした失敗でガタガタに崩れちゃうんだなあ。なんか、なさけないほどボロボロのアメリカ軍が描かれている映画だ。まあ、負傷兵は必ず救出する、死体もちゃんと持ち帰るというシステムが、リスクを高めているんだろう。攻撃と救援を同時にこなさなくてはならない状況で、捨て身で飛び込んでくる第三世界の敵相手に手こずるのは当然だろう。昨日の「コラテラル・ダメージ」もそうだったけれど、この映画でも、必ずしもなんとか将軍率いるゲリラが絶対悪とはいいきれないようなつくりがされている。そういう部分は、昔と比べてアメリカも大人になったものだと思う。正義はアメリカに、ヒーローはカッコいい、そして友情・・・てな単純さにはなっていない。戦争に行けば、恐怖があり、死がある。指もふっとぶし足もなくなる、命がけだということがよく分かる。日本が国連軍に参加して、同じ様な体験をするようになったら、この映画の見方もずいぶん違ってくるだろう。そういう視点から見れば、のんびりなんて見ていられない。もし自分があの場所にいて、孤立無援になったら足がすくんでしまうだろう。それでも自分の命を守るために、仲間の命を救うために銃を手に市街戦に突入できるか? 戦わなければ仲間からはチキン扱いされ、非国民扱いされて、生きていけるか? いや、そもそも、なんで自分はそんなことをしなくちゃならないんだ? と、問いかけるだろう。でも、戦場にいたらそんなことはいってらんないよな。CNNで見た戦争だ、とロックをかけて意気揚々とでかける部隊も、ヘリが墜落してからは陰鬱になっていく。その対比が見事。ヘリの、墜落するときの地面をほじくるローターの音も、リアル。高速シャッターで撮ったような画像のぱらぱら感も、リアルさに不気味さを加味している。あ、そうだ。あの捕虜になった米兵はどうなっちゃったんだろ?
キューティ・ブロンド4/29渋谷東急3監督/ロバート・ルケティック脚本/カレン・マックラー・ラッツ、キルステン・スミス
日本ならさしずめ、少女コミック原作で主演は吉川ひなの、製作東宝の青春コメディってとこかしら。一見おバカな金髪娘が男に捨てられ、腹いせに男が進んだハーバード・ロースクールへ入学して・・・ってところからリアリティがないので白ける。ほんと、すっごく勉強するシーンがあるとか実は天才とかバックグラウンドがあるならまだしも、ちょっとね。いわゆる立身出世譚にしては、主人公に感情移入できるわけではないので、スカッとしない。徹底的におバカでもなく、ガリ勉くそくらえってわけでもない。中途半端。勉強しはじめていることを、服装が地味になることで示すっていうのも、勉強には化粧は無関係といってるようで、従来の価値観が反映されすぎ。どうせなら、パッパラパーのままインチキでもつかって入学して、カンニングでやっつけるぐらいのおバカで欲しかった。主役の女優はどーみても頭よさそうに見えないし。・・・しかし、ハーバードに入るような女は不細工という固定概念もやめてくれ。最後も、結局、適度に有能ってな将来像を予告しているのも、やな感じ。エンドクレジットでラクウェル・ウェルチがでていたと分かったけど、どんなオバサン役ででていたっけ、と思い出せなかったのが悔しい。
友へ チング4/29新宿武蔵野館監督/クァク・キョンテク脚本/●
生理的にダメだ。「スタンドバイミー」みたいな少年時代が10分ぐらい。「岸和田少年愚連隊」みたいな高校時代が残りの半分。最後の残りは「仁義なき戦い」。こういう話に、「仁義なき戦い」をリアリズムで見せちゃだめだろ。余韻もなにもない。想像力に頼るなら、「仁義なき戦い」の部分は10分ぐらいでイメージ的。残りを高校・少年時代に費やすべきだ。でね。少年時代の友情は大人になっても消えない、みたいなことを言いいたいのかも知れないが、ちっょとムリがあるぞ。優等生とヤクザの子。これで、イコール・フィフティで30過ぎまでつきあえるなんて、そりゃあないよ。相手が殺しも薬もやっているっていうのに、それを止めもせず大学だ、留学だなんだかんだと離れていて、たまに会えばにこにこしていられる関係が、そんなにいいか? よかないよ。優等生の方はさ、友だち関係を流れで体験していないじゃないか。離れていても、分かり合える? そこまで信頼しあっている根拠はどこにも示されてないぞ。昔の友だちがヤクザになってたりしたら、俺だったら怖くて近寄れないな。怖いもん。・・・それに、ヤクザの子と、葬儀屋の子。この2人は親分とバシリであって、友だちじゃないと描かれている。この差はどこからくるんだ? 4人友だちだと思っていると、大間違いだ。ヤクザの子は、優等生に対してコンプレックスをもってるとしか思えない。葬儀屋の子も、ヤクザの子に対して積年の恨みってのがあるのなら、その他の4人の関係性もちゃんと描かなくちゃ。高校時代の描写からは、4人仲良しには見えないんだよ。そうだ。葬儀屋の子は、ヤクザの子の親を、依頼されて殺したんじゃないのか? そんなふうに解釈できる部分があったけれど、説明はされてなかったな。そう。全体に説明不足が多々あっていらいらする。とくに、「仁義なき戦い」の部分に入ると、なにがなんだか分からないところが多すぎる。それに、ボスの片腕というべき男が、実家のあばら屋で1人で無防備で寝ていたり。なんか、あらゆる意味で杜撰な気がする。それに、一貫して優等生の目で見ているというわけでもないのも、辛い。前半では優等生が主人公だとしても、後半ではヤクザの子と葬儀屋の子の2人になってしまう。なんか、曖昧で中途半端だね。1970〜1990年代を描いている割には、日本でいうと1950〜70年代ぐらいにしか見えないのは、国の文明の成長度合いの違いなのかな。
座ったところが右端で、すぐのところに扉があった。これが、上映中の入場扉に認定されているらしかった。もう、映画の始まりから終わりまで、ひっきりなしに人が入ってくる。そして、外の光が入ってくる。これにはまいった。入ってくる人は「暗いわね」とか「あいてる?」とかいいながら、がさこそやる。ラスト近くにもジジイが入ってきて、そのまま立ってりゃいいものを俺の横に座りたいと「すみません」といってきた。ラストの、優等生とヤクザの子が刑務所で会っているシーンだ。こういうところで画面を遮られるのは非常に腹立たしい。だからって、座るなともいえない。くそ。で、5分もしないで映画は終了。クレジットになって、席を立つ人が見えてくる。するとこのジジイが立ち上がって席を移ろうとする。1度ならず2度までも。うるせー。俺は誰にもジャマされず、場内が明るくなるまで音楽とクレジットを見ていたいんだよ。

 
 

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