2002年5月

ビューティフル・マインド5/1渋東シネタワー1監督/ロン・ハワード脚本/アキバ・ゴールズマン
天才と吉害は紙一重を映画にすると、こうなる? ほとんど予備知識なしで見た。アカデミー賞を取ったことは知っていたが、「ビューティフル・マインド」「シッピング・ニュース」「光の旅人」の3本がごっちゃになって、なにがなにやら・・・。というわけで、見始めて「ああ、これがアカデミー取ったやつだな」と判明。で、前半は完全に騙された。奥さんが家の近くの小屋に入ったところで、ああ、分裂病は事実だったんだな、と分かった。それまでは、本当にスパイにされて軍に追われているのかと思っていた。つまり、途中からサスペンス映画になってたのかと思っていた。それにしては、なんか辻褄が合わないなあ、とかね、思ってたよ。軍との連絡役の男がいつも黒ずくめで同じ帽子で同じクルマっていうのは、変! とか。提出したはずの書類が奥さんの手にあったとか、ね。でも、それも次第に解き明かされる疑問のひとつかと思ってた。というわけで、主人公は吉害だったのか・・・と、分かってから、ああ、そういえばアカデミー賞をとった作品は、分裂病と闘いながらノーベル賞を、とかいってたのをうっすらと思い出した。ははは。そうだそうだ。しかし、先入観なく見たおかげで、どんでん返しを味わうことができたわけで、それはそれで嬉しい。で、まず思ったのは「吉害」も「分裂病」も、crazyなのね、ってことだ。分裂病を統合失調症なんてわけわからん言葉に置き換えて喜んでる人々がいるというのを思うと、なんともはやだ。そういえば、昔は早発性痴呆ではなかったかな。言い換えたって、実体はなにも変わらないのに。というわけで、こんな内容の映画を日本でつくったら、そーゆー団体の方々から、「この病気はあんなふうに幻影が見えるわけではない」とか「直る可能性が高いことに言及すべきだ」てな横槍が入るに決まってるよなあ、と思った。外国映画には、なぜいちやもんつけないんだろう。そうだ。「ER」でも、カーターとルーシーを刺したのは分裂病患者だったけど、それに文句を言ったという話は聞いてないな。まあいい。最初に感じた感想が、それだ。これは実話らしいけれど、なんかきれい事の部分だけで話をつくっているな、って気もした。映画だから当たり前じゃないか、といわれそうだが。でもね、奥さんの苦労があまりにもあっされと描かれ過ぎているような気がする。もっと、家庭がひっくりかえるぐらいの大騒ぎがあったんじゃないか? 離婚、もし自分がそう望まなくても両親に言われるとか。また、周囲の偏見の目だとか圧力だとか。そういうのと闘った部分がある程度描かれていないと、なんかリアリティがない。つまり、主人公本人が幻影や幻聴と闘うのは当たり前の話だけれど、むしろ、周囲の方が大変だろうに、と思ってしまうのだよ。ところが、映画は本人の闘いに重点を置きすぎている。私としては、困難に圧倒されながらも支えつづけた奥さんと息子の方を、もっと見たいと思った。本当に辛いのは、きっと彼らのはずだから。それにしても、プリンストンで優等生になって行きたいところが、国防省だっていうのが、どーもなあ。そーかそーか、と喜んでやれないところがあるなあ。国のために暗号説いて評価されてフィールズ賞を穫るってのが、人生の名誉栄達なのか? (国防省で暗号を説いたところは幻覚じゃないんだろ?)もっとも、フィールズ賞ではなく、ノーベル賞になっちゃったみたいだけど。で、その賞の対象になった理論てのは、なんだ? あの、ブロンドの女を外してみんながハッピーになれる理論のことか? よく分からんです。
光の旅人 K-PAX5/1渋東シネタワー3監督/イアン・ソフトリー脚本/チャールズ・リーヴィット
映画1000円デーなので、勝一でメンチカツ800円を食べて1時35分の回を見たぞ。食事の後すぐなので、つまらなかったらすぐ寝てしまうかも・・・と、ちと不安を抱きながらだった。けど、「ビューティフル・マインド」より、こっちの方が好きだな。私は。奇しくもというか、なんというか、2本とも吉害がモチーフになっていた。しかも、星座がでてくるところとか、カットグラスの光の反射とか、同じようなシーンがでてくるのには驚いた。あちらの世界の方2本立を見せられたような気分だ。前半の、主人公がK-PAX星人だと主張したため精神病院に入れられ、でも、不思議なことを行い、患者たちの尊敬を集めて行くところは、なんだか「まぼろしの市街戦」を見ているような気がして感動的だ。もちろん、「まぼろしの市街戦」と設定は違う。けど、正常と異常の境界線なんて、だれがどうやってひけるのだろう、という問いかけは同じ様な気がしたのだ。狂人たちのキャラクターも、いい。そして、医師をわざと困らせる主人公も、いいね。ジェフ・ブリッジスは好きな役者なんだけど、疑問を抱きながらどんどんK-PAX星人にはまっていき、魅せられていく様子がなかなかよろしい。疑問点というと、なぜK-PAX星人がわざわざ精神病院に入り込み、投薬や分析を受けているのかということかな。そんなことをする必要が、K-PAX星人に必要とはまったく思えない。それと、突然、水を恐れた理由というのがあんまり説得力がなかったね。ラストで、そうなるだろうという感じで終わるのも気持ちがいい。ふわっとしていて、自分の生き方を再確認させてくれそうな(そんなことはないだろうが)映画だ。・・・エンドクレジットのあとで、ジェフ・ブリッジスが反射式天体望遠鏡をのぞくシーンがあるのだけれど、大半の人は見ていないんだろうなあ。可哀想に。
アザーズ5/10上野松竹セントラル3監督/アレハンドロ・アメナーバル脚本/アレハンドロ・アメナーバル
ラスト10分ぐらいで真意がわかって、なーるほど。こりゃあ一発ネタの映画だ。ある意味「シックス・センス」と同じ。でも、ラストまでもっていく力が、違う。「アザーズ」の場合は、ひたすら退屈。もちろん、脅かそうとしているシーンではちゃんとゾクゾクするけれど、テンションが高まっていかない。次第に明らかになってくる正体、とか、じわじわ怖くなるということがない。まあね。終わってみれば、そうならざるを得ない理由も分からなくはないんだけど。なんたって、×××××なんだから。そう考えると、あれでいいのかも知れないけど。でも、見ている間は辛かった。だって、つまんないんだもん。それに、なんで彼女には友人知人がいないんだ、どうして外出しないんだ、夫も陰気だし(戦から帰ってきたんだから妻を激しく求めてもいいのに、とか)変な家族、と思ってた。かといって人間が描かれてない、ドラマがない、と文句をいおうにも結末がアレじゃあね・・・。一発ネタとしては、105分はちょっと長い。ニコール・キッドマンも、長時間の鑑賞に耐えるとも思えないし・・・ね。
平日の13時15分から見た。小屋は100席足らず。ビデオシアターみたいな感じ。客はそこそこ入ってるんだけど、いらいらした。まず、出入りが激しい。始まってから終わるまで、のべつ後ろや横の扉が開く。遅れてきた人、トイレらしいもの、飲み物を買いに行く人・・・。しかも、外光がモロに入って明るくなる。弁当なのか、カシャカシャ音を立てるやつがいる。隣のセントラル2でやってる「ロード・オブ・ザ・リング」の音声が漏れ聞こえてくる・・・。次の回を待つバカ女のおしゃべりが聞こえてくる・・・。もう、最悪。映画を見ようという客よりは、雨だから時間つぶし・・・なんて客が多いのかもね。上野だし。これで、立派なロードショー館と値段が同じ、っていうのが納得いかん。500円ぐらいでいいと思うぞ。
スパイダーマン5/17上野宝塚劇場監督/サム・ライミ脚本/●
そこそこ、ってな印象だ。前半の、ドジで気弱な少年がたまたまクモに噛まれてパワーをつけて、格闘技コンテストにでるとか、正義のまねごとを始めるあたりは、出世譚として見ていられるから楽しい。ところが、敵役ゴブリンとの戦いになるとつまんなくなる。なぜって、ゴブリンが悪者に見えないから。もともとは研究者で、たまたま試薬を飲んで二重人格になっちゃっただけで、いわば犠牲者。戦うより、治療してやる方が先じゃないのか? と、思うし。そのゴブリンの息子が、ヒロインを好きになるという話もある。これだって、ピーター(スパイダーマン)がとろとろしているからで、決して悪役じゃない。こうしたあたりの、正義と悪役の対立が曖昧で、にっくき敵役になっていないところに、弱さがあると思う。ストーリーがチンケなのは、原作に近いからなのかな。どーも、現代のスーパーヒーローにしては、やることもせこいし。テレビのバットマン→映画のバットマンぐらいの違いがあるのかと思っていたので、ちとがっかり。それにヒロインが(雨に濡れて乳首が・・・というシーンはあったけど可愛くない。ピーターを噛んだクモは、どうなったのか? という心配もあり。そうそう。あのスパイダーマン・スーツは誰がこさえたんだ? まあいい。予告編を見たときは、おお、凄い映画かな、と思ったんだけど。アメコミの枠が超えられていない。ってか、わざと超えていないのかも知れないが。それにしても、ニューヨーク・マンハッタン。サントリー響、TDK、カップヌードルの大看板があんのね。恥ずかしい。韓国サムソンのロゴタイプもあったなあ。
トンネル5/24日比谷シャンテシネ1監督/ローランド・ズゾ・リヒター脚本/ヨハンヌ・W・ベッツ
2時間50分という尺を、ちと恐れた。朝はみそ汁とお茶1杯。水1/2カップ・・・って、レシピじゃないって。で、11時55分の回から。飯もくわずご苦労なこったい。って、上映時間をちったあ考えたらいいだろうに。10時45分ぐらいに始めれば、2時前に終わってランチタイムに間に合うんだから、そういうことをちったあ考えてタイムテーブルを組んで欲しいものだ。で。やっぱり長かった。前半の途中では何度もあくびがでた。全体に地味で、いざ脱出というのが2時間20分目ぐらいから。ここらはなかなか緊張感。しかし、この盛り上げまでが、たるい。とくべつサスペンスやドラマチックがあるわけでないのを、トンネル部分にかなり時間を割いて、さも大変そう、凄そうに描いているのが、ちょっと哀しい。まあ、中心人物の女性フリッツィ(いかついオバサン顔だったな)の彼が壁を越えようとして撃たれるシーンは、ちょっとしみじみしたが、でもあのシーンも引っ張りすぎで長い。そう。全体にムダが多いというか、思わせぶりにシーンが長い。思い切って半分ぐらいに切っていけば、テンポがよくなるだろう。それと、中心人物の元水泳選手ハリーだけに人物造型が割かれ、あとの人物はおろそかすぎる。義足のアメリカ人とかレジスタンスの老母の死でこわばる男と、逃亡のとき妻と別れてしまった設計技師とか、人物がとても薄っぺら。出番はかなりあったのだから、そのなかで描写していけばいいのに、もったいない。そういうツメが甘いのが、この映画の特徴かな。オープニングの脱出時から、その12日前の水泳選手権、その前の(?)東西分断の時、さらに、ハリーがデモかなんかで逮捕されたときといった時制で映像的・会話の中で遡られるのだけれど、どの映像がどの時代のものか判然としないところがある。フリッツィが母の死に立ちすくす場面も、次のシーンでハリーのベッドの前なので「あれっ?」と思ったのだけれど、大胆すぎる省略で困惑した。まあ、そういう不満はあるものの、タイミングとしては中国の日本大使館へ北朝鮮難民が飛び込んでくる事件が最近あったものだから、なかなかリアリティがあった。繰り返すけれど、ラスト30分ぐらいはなかなかの迫力だ。そういう映画のつくりとは別に、勉強になることもある。ベルリンの壁も最初は人間の壁のようなものだったのが鉄条網になり、コンクリになりといった過程があって、バスで壁をぶちこわして強行突破なんて時代もあったの興味深い。しかも、逃げる東ドイツ市民に、ロシア兵か東独兵かしらんが、銃を向けることもなく「しょうがねえや」ってな顔で傍観していた時代があったのだな、と認識を新たにした。だからこそ、そのすぐ後で東独兵に撃たれる恋人の青年の姿がいたましい。それと思ったのは、東独に住むことの悲惨さが感じられなかったということ。逃亡する東独市民に対し、東独の軍隊はさほど冷徹に見えない。独房で拷問したり、強制収容所から出さない、っていうのではなく、スパイ行動と引き替えに刑務所からだしたり、義足のアメリカ人には独房に入れたまま何もしない(なにもしない恐怖もあるのだろうけど・・・)とか、なんか、痛めつけて痛めつけて、徹底的にぼろぼろにする、といったように見えないので、東独に対する畏怖や恐怖が強く感じられなかったところもある。また、西独に逃げてくる層が、有名人や知識層、金持ちなんてのばかりで、フツーの市民はそういうチャンスもなかったように見えて、そういうところも考えさせる。それにしても、東独の幹部になるのを喜んでいたハリーの義弟が、最期はほいほいと西独に逃げてきてしまうっていう節操のなさは、どーかと思った。
パニック・ルーム5/28上野東急監督/デビッド・フィンチャー脚本/デビッド・コープ
瑕疵が多くて、見るに耐えない。ツメが甘いもなにも、話になっていない。ニューヨークに1200平米の家だと? おい、うちの何10倍なんだ? それだけで、リアリティがない。で。襲撃するのが割とステレオタイプで、いい黒人、狂った白人、足りない白人の3人組。これだけで何となく成り行きまで想像できそうじゃないか。で、終わってみれば「やっぱりな」という気分になる。意外性が、ないのだ。シェルターのようなパニックルームに逃れた母子も、なんかトロイ。食べ物を探す子に向かって諫める言葉を投げつけるのだが、のちに子供が若年糖尿病(?)で、血糖値の低下が命取りと分かると、なんだ、子供の必死な形相に気がつかない母がバカじゃん? と思える。3人組は、自分が監視カメラで見られていることが分かっていながら、カメラを壊そうともしない。バカじゃん?(後で自分たちが閉じこめられてから「先にやっときゃよかった」とつぶやくから、またまたバカじゃん?) のそのそ入ってきて殴られる元亭主。可哀想にとしか思えない。それに同情も示さない母親って・・・。いくら若い女に亭主をとられたからって、助けを求めておきながら、あんなことされて、元亭主可哀想だ! パニックルームを逃げ出した母親。さっさと警察に連絡すればいいのに、なんでだらだらやってるの? バカじゃん? パニックルームに閉じこもったまま金庫を開ける3-1人組。どーやって逃げるんだよ。考えてるのか? バカじゃねーの? 監視カメラを壊して鏡を割る母親・・・。なんで鏡を割るの? 闇の中でガラスを踏んづける音をさせるため? の割には裸足の子供への配慮がない。バカじゃん? で、金庫を開けたら、さっきまで母親の持つ拳銃が怖いいいつつ、さっさと外にでるって、どういう神経だ? 最期も最期で、逃げられると思ってるのか、3-2人組。バカじゃん? というわけで、脚本がむちゃくちゃでございまするがな。それから、室外からの声はパニックルームに聞こえないはずなのに、母親が話しかけていたけど、あれは矛盾しないのか? 最期の、目を見開いたままの驚きの母親の顔になるんだけど、安心してる表情じゃないなあ。あれはなんなんだ? うーむ。よかったところろ。うーむ。文字が宙に浮かんでいるタイトル、かな。
騒音に鈍感な奴というのは必ずいるものだけれど、今日のノイズは神経を逆なでするものだった。でかい音ではない。ほとんど間断くつづくパンかなんかのセロハンのかしゃかしゃ音だ。昼過ぎの2時からだから、パンぐらい食うやつはいるだろう。けど、そんなもの5分もあれば食い終わる。しかも、フツーなら音を出すことに申し訳なさも感じている様子も感じられることが多い。ところが。今日の発生源はカサカサ・・・カサカサ・・・と、止まるところを知らない。しかも、1時間ぐらいはつづいたぞ。映画なんてものは生活音があふれているところでは、集中なんかできないものだ。途中ででちまおうかと思ったぐらいだ。他の観客は、ほんと、辛抱強いね。やっぱ、千葉・埼玉に近い上野という土地柄でしょうか。こないだも「アザーズ」でしひどい目にあっているし。さて、終映後に確認したら、発生源は4人の中学生のようだった(高校生にしては幼く見えた)。こんな奴らだったら、近くによって「るせー」といってやりゃあよかった。外にでて歩いていたら、その彼らはすぐ近くのゲームセンターに連れ立って入っていくのだった。おまえら。他にすることはねーのか。って、余計なお世話だって? あー。そーでしょうよ。
ALI/アリ5/29渋谷東急2監督/マイケル・マン脚本/マイケル・マン
人種差別や公民権運動、ムスリムについての宗教問題、ボクシング。だいたいこの3点からの視点に切り分けられるが、すべて中途半端。なんだかよく分かんない、である。欧米のテレビ局がつくるドキュメンタリーで、実写フイルムと関係者のインタビューを積み重ね、ナレーションでつないでいくタイプのものがあるけれど、そういう作り方をした方がはるかに理解しやすく、感情移入もできたろう。そうしたドキュメンタリーの方がおそらく事実により近いはず。だから、わざわざまだ生きている人の伝記をつくる意図がわからない。公民権運動やマルコムX、キング牧師なんていうのはアバウトには知っているが、細かい経緯は知らない。だから、こうまであっさりと流されるとなんのことやら怒りもなにも湧くひまがない。イスラム教にしても、そこに「なぜ?」が描かれていないから説得力がない。ボクシングでは、のしあがっていくストーリーが希薄だからつまらない。たとえば、奴隷としてつけられた名前を拒否する、という理屈。それはそれで理解できる。だからって、どうしてイスラム教になるんだ? その飛躍はなんだろう? イスラムの非戦の思想であるのなら、ボクシングで相手を倒すのはありなのか? また、人種差別といいながら、ボクシングでの敵は同じ黒人ばかりってのはどうなんだ? チャンプ・アリに群がる金の亡者どもがアメリカでもアフリカでも黒人ばかり、いや、ムスリム自体もアリにたかっていたという事実はどうなんだ? いったいアリの徴兵拒否は、確たる反戦思想に裏付けられたものだったのか? 反抗心が強かったってだけじゃないのか? 当時の黒人のおかれた立場がどーのこーのという背景が分からないと、つたわってこないのかも知れない。または、その当時であっても、たんなるへそ曲がりだったって見方もできるかも。とかね。いろいろ疑問が湧いてくる。そうそう。最高裁で一転してアリは無罪になってしまうってのはなぜなんだ? その知らせが、裁判所からではなくニュースキャスターから自宅でパーティ中のアリのもとに届くのはなぜなんだ? 浮気っぽいアリだけど、イスラム教徒は奥さんを複数もってもいいんだっけかなあ・・・。忘れた。おそらく、アメリカ国内では周知の歴史的事実なので、細かいところまで描かない、説明しない映画なのだろうけれど、あまりにも何だか分からない部分が多すぎるので、人物の誰にもシンパシーを感じることはなかった。それ以上に、次から次へとでてくる人物が大して解説されずに突然現れてさっと消えていったりするから、またまた混乱。っていうか、もうどーでもいーや、ってな気分になってしまう。だから、人と人との対立や交流というものが厚みをもって描かれず、すべて通り一遍にしか感じられない。ドラマがないからつまらない。時代をなぞっているだけ、って感じ。さらに、時間経過がぜんぜん分からない。あれあれというまに10年たっていたりする。節目節目が分からない。とてもイラつかせるつくりだった。アフリカでフォアマンが顔を切ったから試合延期で帰る、っていってたのがいつの間にか試合することになってたり、なんだ? とか。そんななかで興味深いのは、アリを助けようとするライバルのジョー・フレイザー。かっこいいね。で、いろいろ根回ししている姿を見ると、アリがかなりの知恵者だったことが分かって面白い。それと、真の理解者らしき人物が白人の老スポーツ・キャスターだっていうのが、強烈な皮肉に見える。おっと。オフィシャル・サイトで見たら、このキャスターをやってたのはジョン・ヴォイトだって!? わかんなかったぜ。ウィル・スミスは、顔が笑ってるから皮肉っぽさとか悪役に見えないし、首が細いところがタフガイに見えなかった。衣服をまとっていると、とても華奢。でも、リングに上がるとなかなかのムキムキマンになる。これは、CGで修正しているんだろうか? アリの恋人っていうか不倫相手に「ER」のクレア役の半睡目の女優がでてたなあ。「いろいろ混じってるのか?」なんて、純粋黒人でないことに興味を示すアリに、おいおい、そんなでいいのかよ、と声をかけたくなった。だって、最初の彼女が襟ふわふわの格好でやってくると「白人の真似なんかしやがって」と怒るクセして、やっぱアリも白人好み? と思わせたから。もっとも、白人の文化文明を拒否するなら、背広も靴もボクシングも言葉さえ拒否しなくちゃならなくなるわけで・・・。

 
 

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