2002年8月

金魚のしずく8/9新宿武蔵野館4監督/キャロル・ライ脚本/キャロル・ライ、ルイ・ホウチョン
「玻璃、少女/GLASS TEARS」が原題。チョーという娘が、消えた。それを心配する両親が、無人島に住む老父に告げた。元刑事の老父がやってくる。そこに、金を要求する電話がかかってくる・・・。いくと、そこにいた少女は・・・。パラレルで登場していた少女がチョーかと思っていたら、彼女はその友達。では、チョーは? ここまでは、ミステリアス。少女Pは、赤い衣装。刑事の老父は、黄色い携帯に蜜柑にベンチが黄色と、黄色に染まっている。そこに、グリーンがからんで。さらに、チョーの父親はキティちゃんピンク。と、色分けもされている。しかも、時制が逆転(タバコの煙を吸い込んだり)したり、過去の原因がフラッシュバックでインサートされたり。仕掛けがなかなか凝っている。見ていてときめいた。リズムがある。テンポがいい。謎がある。色彩がある。小道具=要素が豊か。これは、すごい映画かもしれない、と。しかし、それは20分を過ぎるとあっけなく崩壊した。あとは、ひたすら退屈な物語と化してしまった。どーしたんだろう、というぐらいの体たらく。志を途中で失ったか、もともと何もなかったのか。ああ、もったいない。人物たちは謎を追うことをやめてしまう。あとは、ストーリーが深化することもなく、ただもう横滑り。少女と元刑事と、少女の友だち"豆腐"のズッコケ3人組がうろうろするだけで、発展がない。つまんなーい。中途半端な青春群像。くだらねー。少女の家にチョーはしばらく居候していたような気配もある。たまたま乗っていたバスと平行して走るバスに、チョーが乗っていたりする。でも、チョーの存在も悩みも、なにもつたわってこない。ツメが甘いと言うより、最初から大して考えていなかったんじゃないのかな。たとえば、母親は、自分の娘時代には反抗期があった、と寛容な態度。父親は、娘の幼児の頃のことしかイメージにない。その幻影を追い求めるだけ。現実を見ようとしない。そういう描写が、活きてこない。老父の無人島。最初に少年が、数人の少年たちにいじめられるシーンがある。(無人島なのにどうして人がいるんだ?)それが何らかの伏線かと思うと、何にもなっていない。後半、老刑事が冷蔵庫からチョーのカギを見つける。おお、何か秘密があるのか? と思いきや、何もない。母親が郵便ポストから思わせぶりに手紙をとる。何かあるかな、と思わせて何もない。それはないだろう、と腹立たしくなったぞ。そう。何かありそう、に思わせて何にもない映画なのだ。イジメ、イジメられる関係なども描かれているけれど、核心に触れているわけではない。わけ分からん映画だ。水を失った金魚や、大魚に食われる金魚なども、暗喩めかして、何も語っていないように思える。すべて、中途半端。弱い存在の子供たちと、大人の勝手さのようなものも感じられるし、何とでも読めるが。子供たちの痛みが感じられない。あれだけのイメージを氾濫させることができるのだから、もうちょっと考えてかろうじてでもいいから関連づけるというか、含みをもたせる映像表現をしてもらいたいものだと思う。若き日の原田美枝子のような少女Pが、ちょっぴり魅力的。父親は、ふぬけの村上春樹といった風貌。
海は見ていた8/12上野東急監督/熊井啓脚本/黒沢明、熊井啓
先の読めるストーリー。深みのないセリフ。間延びしたセリフ廻し。ドラマの希薄さ、というか、話のシンプルさ。40年ぐらい前の映画って感じだな、中味は。「雨あがる」もそうだけど、話が単純すぎると言うか、そういうものしか書けなくなっていたんだろう、黒沢は。または、これは"あらすじ"で、撮りながら変わっていったかも知れない、と理解するべきか。話が単純すぎるとしたら、情感を撮らねばならないはずだが、シナリオに縛られたか、もともと熊井啓はそういう監督でもなさそうだし、"情"のあるカット、シーンはあまりなかった。唯一挙げるとしたら、灯籠流しをしている遊女3人がしゃがんでいるところ。あそこが、とびきりフォトジェニックだった。彩度がないのが、いい。そう。この映画、色が多すぎる。もっと色を抑えるか、またはモノクロでもよかったんじゃないだろうか。遊女の衣装は緋色が基本だろうが、あんなにけばけばしく立つ色だったのだろうか? まして一般の町人たちの衣装はもっと色彩が地味だったんじゃないのか? ライティングがなかなか凝っているだけに、衣装に自然さを持ち込まないのが、もったいないと思った。光は、かなり当時の実際に近いかも知れない。といっても、まだ明るすぎるが、それでも昼なお暗い室内、夜になれば行灯の周囲以外は真っ暗、光源はひとつ、という様子はなんとか守られていた。の点はかなり評価。壁のシミや襖の取っ手の周囲の汚れなども、様子が現れていた。けど、やっぱり"つくりもの"にしか見えないところがある。時代劇の思い切ったリアリズムが(セリフも含めて)、見てみたいものだ。というわけで、身の上相談所みたいな遊女屋「葦の屋」。場所はどこなのだろう。吉原ではないとすると、大川端にあった遊郭はどこだ? オープニングのCGがチャチ。その他、ときどきいいシーンもあるけれど、全体のトーンになっていない。野川由美子よかった。石橋蓮司もなかなか。2人組の三味線で踊る客の痩せている方がよかった。主演の遠野凪子は、どーしても観月ありさに見えてしまう。私には区別がつかぬ。
チェルシーホテル8/15テアトルタイムズスクエア監督/イーサン・ホーク脚本/ニコール・バーデッツ
糞である。頭でっかちの学生が機材とスタッフを集めてつくったらこうなった、という見本。いっそのこと、趣味らしいジャズやブルースのシーンだけを集めたビデオクリップにしてくれたらよかったのに。内容は、ない。からっぽ。テーマもドラマもストーリーもない。あるのは、チェルシーホテルというモチーフだけ。思い入れはあっても、表現にまで達していない。私はひたすら眠くなった。それだけではない。途中退出したくなった。しかし、映画は最期まで見るという信念をいまだ保持しているゆえ、最期まで見た。クズだった。時間の浪費だった。こんな映画にでるやつもでるやつ。それを買ってきて公開する配給会社も、どーかしているとしか思えない。こんなのやらないで、「ピンポン」も、ここでやれ。
その「ピンポン」を見ようとテアトル新宿に行ったんだけど。9時から、1日に上映するすべての回の整理券を配ってるんだと。11時35分の回に行ったら、この回は立ち見なら入れる。整理券は、2時からの回以降のを配布中とかで、その列があった。もっとでかい小屋でやれよどうせなら、といいたい。まあ、どちらにしても、混んでいる映画館で映画なんて見たくない私である。
スクービー・ドゥ8/22渋谷東急2監督/ラジャ・ゴズネル脚本/●
1回目を見るつもりで出かけた。11時5分。ところが、この回には予告編がなかった。くそ。3分ほど頭が見られず、しかたなく、30分ものムダ時間をつかい、2回目の頭を15分ぐらい見たのだった。1回目だけが吹き替えだったのだが、字幕版を見て思ったのか、吹き替えがつまらないということ。分かりやすいかと思いきや、逆。分かりにくい。翻訳からセリフにしているせいだろう。何をいっているのか分からないところもあった。発音が悪くて聞き取りにくい所もあった。流行に合わせようとして、わざと変に発音しているところもある。そんな必要ないと思うのに。どうせ、吹き替えを見るのは小中学生。そんな配慮は分からんだろうと思うような異訳だったりする。それよか、翻訳で字を見た方が、意味が入ってくる。ううむ。これは、果たしていいことか? それはさておき。見る前はバカにしていたのだけど、なかなか楽しめた。細かいことはいい。大ざっぱに、いい。ばかばかしくてよい。まあ、あの子犬が悪霊まで意のままに操ってるっていうのは、どうしてなんだという疑問はちと残ったが。そうそう。Mr.ビーンのローワン・アトキンソンがでていた。吹き替えではフツーに話していたので、生声はどうかと思ったら、こちらもフツーだった。なるほど。
スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃8/22新宿武蔵野館1監督/ジョージ・ルーカス脚本/●
虫を放った女を追いかけているチェイスのシーンの途中から眠くなって、こらえていたのだけれど、母親を探しに行くとこらへんで10分ほど目をつぶってしまった。ははは。寝ちゃったのだよ。エピソード1より面白かったのは確か。けど、結局CGのデキを見せびらかすってだけで、ドラマに奥行きがない。シンプルすぎる。ダースベーダーはいかに誕生したかを、後付け的に説明しているだけ。人間と人間のドラマ、対立、葛藤というものが上手く表現されているとは思えない。かつての、C3POとR2D2のおとぼけコンビの会話とか、酒場のたわいのないギャグとか、そういうのは皆無。全編がスマートでスタイリッシュになっているけれど、親近感が持てないのだ。それに、感じるのは、これは戦争映画なのだということ。しかも、バトルを派手に描いているだけ。そこにヒューマンな部分がない。しかも、戦争の原因が、銀河連合?からの脱出とか、経済的なことだとかだ。なんか、現在の地球の、アメリカ中心の勢力から離脱する国に天誅を加えるような流れで、どーもなあ。出てくる団体も、なにやらその存在がピンとこない。元老院だなんて、そんなローマ時代の組織をだされても、わからないよ。議員? どういう組織の議員なんだ? ヨーダやS.L.ジャクソンは、どういう組織の誰なんだ? ジェダイとは、誰に忠誠を尽くす連中だっけ? お姫様とかが登場する物語じゃなかったっけ? なんて考えていると、わけ分からなくなってくる。とくに謎があるわけでもなし、考えることなくボーッと見ていると、頭を使わないで受動的に与えられているだけなので、睡魔は襲ってくる、というわけだ。まあね。ヨーダがライトセーバーをもって戦い始めたときは、このまま心停止になって死ぬのではないと心配したけどね。それと、あの議員役のお姉ちゃん。私には、テニスのヒンギスに見えてしょうがないんだけど。
ウィンドトーカーズ8/26上野東急2監督/ジョン・ウー脚本/ジョン・ライス&ジョー・バッター
よくできた戦争エンタテイメントだと思う。もっとも、サイパン上陸作戦におけるアメリカ軍の活動を描いた映画だから、もろ手をあげてワクワクなどできるわけがない。日本軍を応援しようとしても、負けは分かっているし、辛いところ。なんとなく、中立の立場で見続けていたというのが、真相。どうしたって、アメリカ軍を応援するのは、できない。ま、最近の人なら、文句なくアメリカ軍を応援するのかも知れないけどね。ニコラス・ケイジの軍曹は、自分の采配ミスで部下を殺してしまった過去をもつ。彼が守るのは、ナバホ族の暗号通信二等兵。このナバホ野郎がマイペースで、見ていて腹が立つぐらい。いくらアメリカ軍は階級の制約がゆるいといっても、友だち気分で話しかけられてはたまらない。私だったら、このナバホ野郎をけっ飛ばしていることは間違いない。とにかく、うざい。戦場に、自分たちの風俗・習慣を持ち込むのだから。軍隊の集団生活が分かっとらんのよ。で、失敗しても、危機にあっても、自分中心。やなナバホである。私は、このナバホの男に最後まで共感することはできなかった。さて、暗い過去からか、日本軍を殺したくて殺したくて、志願して戦場にやってきたニコラス・ケイジ。この設定が、ラスト近くにちゃんと活かされるのが、定番ながら見事。ニコラス・ケイジが、別のナバホ族の暗号兵を手榴弾で殺すのだ。しかし、それかナバホが日本軍の捕虜になりそうだったから。仕方ない。それが命令なのだから。でも、ニコラス・ケイジが守っているナバホは、それを恨んでニコラス・ケイジにつっけんどんになるんだよな。ったって、しょうがないじゃん。気持ちは分かるが、1個人より大事なものが戦場にはあるわけで。で、その彼は、狂ったように日本人を殺す。その姿をみて、つい昨日の自分のように思うニコラス・ケイジ。こんな単純な二重構造でも、戦争映画では効果を発揮する。たんなるドンパチ映画じゃないんだぞ、というメッセージになるしね。他にもナバホを差別していた兵士が、窮地でナバホに助けられる場面とか、シンプルでステレオタイプだけど、万人を納得させる演出がある。こういうフツーなレベルの表現が、まさにエンタテイメントだね。それにしても、戦場シーンが明るい。っていっても、陽気という意味ではない。フツーの、いい日和に戦っているっていう感じなのだ。そこに戦争も、兵士もなければ、のどかとしか思えないような雰囲気の中で、戦っている。その違和感が、不思議に残っている。戦争映画って、暗い空、降りしきる雨、なんてしっとりした演出が多いけれど、こんなにのどかなのはめずらしいように思う。きっと、本当の戦争も、こんななんだろうな、と思わせる妙な不気味さがあった。そんな中で、やっぱエンタテイメントなのは、簡単に死んでいく日本兵。あんなに弾が当たるわけないだろ、と思うけれど、ま、エンタテイメントだからね。ニコラス・ケイジが日本語を使ったり、日本の子どもを守ったりするのも、御趣向? ひょっとして「ぱちんこー」なんて叫びだすんじゃないかと思っちゃったよ。パチンコ・サンキョーのCMによく出てるしさあ。不満は、ヒロインが婆さんだったこと。しかも、予告編ではキスしたりしているのに、本編ではロマンスのかけらもなくなっている。しつこく彼女から手紙が来る理由がよくわからなかったぞ。それと、脇の兵士たちの描き方。なんとなく分かってくるのだけど、もう少し個人が浮かび上がる描き方をして欲しかった。それと、チームを組んでいるナバホを守る役目だけど、いざとなったら殺す役目であることを、もう少し早い時間に描いた方がよかったのではないかと思った。ドンパチは派手だけど、どこまで実写か分からない。これもCGか? と疑いだすと、スゲエ、という気持ちも薄らいでしまうなあ。で、疑問点1つ。味方の砲撃で困るシーンがある。そのちょっと前に、ある兵士が「海兵隊を攻撃するのは気が重い」てなことを言っていたのだけれど、あの味方への攻撃は故意なのかな? と、思っていた。ところが、そういう流れにはなっていない。一体、あの兵士の発言の意味は、なんだったのだろう? まあとにかく、いろんな要素がいっぱい詰まって、しかも、流れるように話が進む。対立を超えた男の友情。ジョン・ウーだなあと思った。
バイオハザード8/31新宿ピカデリー1監督/ポール・アンダーソン脚本/●
一気呵成。息をつかせぬ間もなく疾駆する映画だよ。完成度が非情に高い。ほとんどわけが分からないオープニング。研究所で何かあったことだけが知らされる。次に、ヒロインが半裸で浴室。侵入者。地下の研究所へと潜入して・・・。あとは、脱出劇。「エイリアン」の脱出劇も長く緊張感があったけれど、こちらは全編がもう侵入から脱出だけといっていい。室外はほとんどない。なのに、1本の映画をこれだけスピーディかつ適度な興奮で引っ張っていく手腕は、なかなか。次から次へと襲ってくる危機、それが、ほどほどのサスペンスと疾走感をもっているからだろう。見るもおぞましいものやスプラッター系はない。からりと乾いている感じすらする。なるほど、これがゲーム感覚なのだろうか。主人公のヒロイン。時間がたつに連れて魅力的に見えてくる(あの鷲鼻が気になってね)。潜入者の女性メンバー・レインがまた魅力的。三白眼を見ただけで「ガールファイト」の彼女と分かったけど、不適な感じがたまらない。あと、早くに死んでしまうのだけれど、黒人の隊長が印象的だった。その他の隊員、人物に関してはいささか印象が弱い。ゾンビ状態で一瞬出てくる、警官の妹役が記憶に残っている。ま、人物紹介に時間を割いているひまはないだろうから、難しいところ。ちと分からないのは、青のウイルスをなぜ彼が割ったかだ。市民運動家の兄妹がヒロインと彼に近づいた。ヒロインと彼は内部告発を了承する。ヒロインと彼がウイルスを奪取するが、彼はウイルスを外部に売ることを選択。研究所を破壊するためにウイルスの瓶を割って感染させた・・・のかな。まあ、いい。そう理解しておこう。脱出劇。面白くできているけれど、ちとご都合主義的。コンピュータをリブートしたあと、割と簡単にするすると脱出できるのがもの足りない。いつのまにかゾンビ状態の死人たちは出てこなくなったりしてね。変身した怪物のCGが、ちとチャチ。ラストも、ありがち。というようないくつかの瑕疵はあるのだけれど、全体をみたら上出来。とくに、わけ分からないままに疾走し、徐々に解明されていく(ヒロインが記憶喪失という設定で、次第に記憶を回復。その過程で彼女の役回りが解明していくのだ)手法は、観客の興味を引きつける上で効果的。久しぶりに堪能。
映画初日初回に見るなんて初めてじゃないか。ま、その理由はさておき。満員かと思ったらさにあらず。半分も入ってなかった? 小屋が大きすぎたかな。通路を挟んで斜め前に親子連れがいた。子どもがときどき立ち上がって父親と話している。それが何度かつづき、子どもが通路側座席についた。と、子どもは座席下の灯りを頼りにマンガを読んでいるではないか。そーか。奥の座席ではマンガが読めないと親に注文をつけたのか。それにしても、字幕も読めない小学校低学年を連れてきてもしょうがねえだろ。子どもはしばらくして席をたって、ロビーへ行ったようだ。こんなのがなけりゃ、もっと画面に集中できたんだけどね。
ル・ブレ8/31新宿武蔵野館2監督/アラン・ベルベリアン、フレデリック・フォレスティア脚本/●
面白かった。といっても、最初の印象とは違う。シリアスな部分が多くて笑いがそこそこの映画と思っていたのだが、冗談が大半でシリアスな部分がどんどんなくなっていくのに戸惑った。たとえば観覧車のシーンは、どこまでCGが分からないけど、なかなか大胆。こんな圧倒的なアクション+シーンの連続で後半までチェイスがつづくのかと思っていた。ところが、相棒の看守のキャラクターがどんどん濃くなっていく。アフリカに行ってからは、ほとんどコメディ。アクションがあまりなくなってしまう。アクション部分を省略してしまうシーンもあって、おいおい、という印象。というわけで、後半はもうクスクス笑いながら見ていたという次第。観覧車を登場させたことを考えると、何だかもったいないような気がしてならない。だって、最後はもうおバカ映画なんだもん。わけ分からん人物が入り交じって、ドタバタコメディ。それはそれで、まあ、悪くはないんだが。そんな中で、看守役のキャラクターが、どーしようもなくおバカでいい。その妻がまた容貌魁偉で、圧倒的。クルド人と間違えられるのを不愉快に思うトルコという名のギャングも、おバカ。トルコの子分の巨人もまた、存在そのものがパロディでおかしい。もう、どーなっちゃうのか分からない、とんでも映画。実をいうと「バイオハザード」の快感の直後に見たので、当初はちとタルイ感じがした。けど、このペースに乗っかってしまえば、なんのことはない。フランス映画のバカさ加減に十分に浸ることができる。ただし、宝くじの在りかをアフリカへ行く前にバラしてしまったのは、あれはミスだね。あれは、最後まで観客には知らせずにいた方が絶対にいいと思う。それにしても、音楽はスティービー・ワンダーみたいに聞こえたけど、剽窃?
初日の2回目。こんな日に見なくてもいいんだけど、事情があってね。で、整理券番号は50番。右端後方に座ったら、前に座高の高いアンちゃんが座った。仕方なく、内側に1つずれて座った。この武蔵野館2は、200人収容か。しかし、天井高さがないから座席の高低もなく、スクリーンも低い位置。背もたれからは客の首がぽこっとでるような案配で、見にくい設計になっている。ここでは、あまり映画を見る気になれんな。

 
 

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