2002年9月

Returner リターナー9/4上野東宝劇場監督/山崎 貴脚本/山崎 貴
お子さま向けジュブナイル映画としてちょうどいいようなデキ。っていうか、大人が見るには耐えがたい部分が多すぎる。脚本、とくにセリフが稚拙。「溝口!」と何度叫んだか。「相棒!」というセリフのチンケなこと。相手の言ったことの繰り返しのセリフ。意味のない(なくてもいい)セリフ。含蓄のないセリフ。聞いていてうっとうしくなる。言葉で説明するぐらいなら、映画なんかにするなといいたい。その映像は、ハリウッドの低級な剽窃。この映画は海外にも配給されるらしいが、そういう真似事の部分が外国の人に分かりやすい、ということで買われたんじゃないかな。だって、映画のどこにもオリジナルはないのだから。しかも、この監督のショットにはリズムがない。ムダにカメラを動かしたかと思ったら、意味のないクローズアップがあったり、間が悪かったり。映像感覚という視点からすると、勘所が悪いとしかいいようがない。リズムがない映画を見ていることほど気分が不愉快になることはない。映画を見始めて数分で、げんなりした気分にさせられた。そうそう。編集も悪い。別の人が残りのフィルムで編集しても、大した映画はできないだろう。もともと大したショットが撮られているとは思えないからだ。金城武は、日本語で感情が表現できない人だから、困りもの。どうせなら英語と中国語だけにすればよかったのに。鈴木杏は少年ぽくって可愛いけど、キンキン声でギャーギャー叫ばれたのでは興ざめ。過剰な演技をさせることなく、もっとナチュラルに見せるべきだろう。岸谷五郎は、ミスキャスト。ただのヤクザじゃないか。だいたい、たかが中国ヤクザがどうしてあんな権力をもてるんだ? 宇宙人をどこに売り飛ばして金儲けしようというんだ。リアリティがなさすぎ。樹木希林は、出過ぎ。もっと不思議なキャラクターにしなくちゃもったいない。CGは平均点だけど、実写との合成はあまりなかったな。破壊されたビルのマットペインティングは下手くそ。それにしても、地球存亡の危機と、個人の恨み辛みを一緒くたにするとは、やっぱ日本的というべきか。しかも、宿敵・溝口=岸谷を何度も殺せる瞬間がありながら、延々と生かしつづけるのはとっても不自然。もっと、納得のいく展開を考えるべきだ、といってもムリか。そういえば、「ジュブナイル」の監督なんだね、この監督。初夏にテレビでやったけど、始めの10分ぐらで見るに耐えず止めたことを思い出す。まさか、私とだけ波長が合わないということでもあるまいに・・・。と、糞味噌にいっているが、ラストのエピソードでちょっとホッとした。めざとい人は、ちゃんと読めていたのかも知れないが、あくびをかみ殺しながら見ていたので、再び未来からやってきた鈴木杏が"借りは返した"というのが、微笑ましい。でも、実際は2日前に帰っていたのだね。もっと直前でもいいと思うが。そうそう、最初に未来からやってくる時間だって、1日早くしておけば、それで済んだじゃないか! って、そういうストーリーの核心にふれるヤボなことはいわないでおこうか。
DRIVE ドライブ9/5テアトル新宿監督/SABU脚本/●
不条理と偶然とドミノ倒しのような連続性。この、SABUの特長である連続性がかなり薄れていた。といって、つまらないワケではない。偶然の連続性はちゃんとドラマの中に内包されていたし、不条理もあった。そんなお話の中で縦軸となっているのは、登場人物たちが本来の自分をとりもどす過程である。薬品会社の営業マン・堤真一は、呪縛と頭痛からの解放。一目惚れする彼女・柴咲コウは超几帳面な自分の理解者の発見。強盗団の寺島進は仏教布教、安藤政信はプロ野球、大杉蓮は看病・・・。1人、筧利夫だけは報われないけどね(最終的に欲望からの解放といえなくもないが)。そこに、数々のエピソードが挿入されていく。ときに得意技である偶然の連続性で、そして、静謐な状況で、ロックンロールで。かなりバラバラな表現だけれど、さほど不統一感を感じさせない。たとえば、最も面白かった寺島進の場合は仏教の蘊蓄がてんこ盛りでセリフがやたら長いのだけれど、それはそれで飽きない。過剰すぎない。逆に、主人公である堤真一の場合はほとんどしゃべらない。けれど、彼の心の揺れや悩みがちゃんと表現されていく。映像とセリフのバランスが、見事に調和されている。興味深いのは、堤真一と筧利夫が病的な妄想にとらわれている設定なこと。堤の場合は、自分の自由を奪う呪縛として。反対に筧の場合は脳天気な快楽の妄想。でもって、呪縛を乗りこえるためには自分の力で呪縛と戦って、乗りこえなくてはならないとしている。なんか、ちょっとカウンセリングというか教訓のような部分もあるが、さほど説教くさくないのが救い。ドラマとしては、登場人物たちが1人、また1人と、自分の救い=癒しを発見していくのだ。これまでのような破滅への一直線というドラマでなく、明日への可能性であるところが"つまらない=ブラックがない"ともいえるけれど、まあ、こういう路線もいいかな、と思う。で、疑問。ラストで堤は銀行に金を返すのだが、正直な堤がすべて話さないわけがない。すると警察が出てくるし、1日だけの仲間にも当然言及するだろう。映画だからといって、その点がちと気になった。また、行員が「忘れ物」といってジュラルミンケースを堤に渡すのだけど、あれはなんだ? あんなもの、堤はもってこなかったぞ。それと、画面がざらついて美しくなかった。まるで16mmのようだ。
13ゴースト9/5シネマミラノ監督/スティーブ・ベック脚本/ニール・マーシャル・スティーブンス
「DRIVE」のあと台南担仔麺で650円ランチを食べてすぐにシネマミラノ。つまらん映画ならすぐ寝ちゃうかも、と思っていたがそんなことはなかった。のっけからゴースト・ハンティングが豪快でスピーディ。ちらちら見えるゴーストも効果的。一転して、妻を火災で失った家庭をカメラのパンだけで表現してしまう。そこに弁護士。死んだゴーストハンターが残してくれたガラス張りの家へと一気に転じる。この流れがスムースで、映画のリズムに引っ張り込まれてしまった。昨日の「Returner」と比べると、テンポのよさは段違い。さらに映像の質感、美しさも、素晴らしい。さっきの「DRIVE」と大違い。とくに、映像の奥行きが全然違う。背景の隅々にまで神経が行き届いているし、カメラも揺れたりしない。わけわからんつなぎもない。「DRIVE」のように、ありもののバックを借景している貧相な感じはまるでない。筧利夫の妄想シーンを思い出しても、狭いスタジオでちゃちなセットが恥ずかしいほどだ。こちらは、大スターもでていないのに(出ていないから、って解釈もできるが・・・)豪華なセットでライティングも確か。カリッと瑞々しい画質だ。なんでこうまで違うんだろう・・・なんて、見てた。ところが、幽霊屋敷に入ってしばらくすると、テンションががくっと低下する。ゾクッとしたのは血のバスルームのシーンと、顔に四角い枠をつけたゴーストに娘が襲われるところぐらい。ゴーストが明瞭に映されはじめるにしたがって怖くなくなってくのよ。しかも、恐怖のエスカレートっていうか畳みかけるような脅しがまるでないのだ。ワンパターンで登場してはわーわーわめくだけ、歩くだけのゴーストじゃ迫力不足もいいところ。音楽と編集で、もっと怖くできるだろうにねえ。正直いって、地下室でゴーストが頻出するあたりから、眠くなってきてしまった。なんだよ、おっかなくないじゃん。ときどき笑っちゃうようなシーンもあったりするしさ。なにせ、霊感男が「スクービー・ドゥ」にでてたアンちゃんだったし・・・って、関係ないか。しかも、最後に近づくにしたがって脅かしより意外な犯人や裏切りがぼこぼこ登場して、話の拡散とその収拾で手一杯。ラストも、黒人女中が不満をこぼすだけという省略形。ほんと、ムダというか、遊びの部分がほとんどなくて、それも素っ気ないというか、簡潔というか、省エネというか。まあ、それはそれでいいのかも知れないけど、じわっと噛みしめる人間模様ってものがなさ過ぎるような気もするね。腰砕けのホラーであった。
ブレッド&ローズ9/12銀座シネ・ラ・セット監督/ケン・ローチ脚本/ポール・ラヴァティ
アナクロな内容に驚いた。3、40年前の主張で、進歩がまったくない。内容にもほとんど共感できなかった。日本人にとって、労働組合と会社の対立というのは、昔話。リアリティが感じられなかった。世の中進化したよう見えて、社会の搾取の構造はいまも変わらないという主張は分かる。分かるが、そうだと喝采も送れない。自分が豊かになったからかも知れない。移民たちに、同情することはできなかった。私の差別感かも知れない。けれど。不法移民の権利、というねじれた部分に納得いかない。メキシコから不法入国してアメリカで働く人々。日本にもたくさんいる不法入国者と同じだ。不法を見逃す代わりに安く使われる。ここで、まず最初に「しょーがないじゃん」という感想がでてきちゃうのだ。不法に入国して、俺らと同じ権利を主張するって、そりゃ贅沢すぎるだろ。貨幣価値も違う。おまえら、本国に送れば巨万の富になるんだろ。要するに、先進国にたかってるハエじゃないか。と。もちろん、先進国と後進国の構造、富める国と貧乏な国の問題もあるだろ。アメリカ帝国資本って覇権主義も問題だろう。けどさ。アメリカ国内で仕事に就けない白人もいる。日本だって、仕事がない日本人がいる。だってのに、移民の立場にたって、その権利を拡大するだなんて、バカいってんじゃねーよ、というのが正直な感想。それに、権利を主張するからには義務も果たすべきだと、私は考えている。メキシコみたいに時間の観念もないような国民が先進国にきて、そのルールに合わせることなんか、そう簡単にできないだろ。いくら価値観が違うからといって、メキシコ時間やメキシコ・ルールに合わせて仕事なんかやってられない。仕事のできない人は、給料も低くなるのは致し方ないでしょう? 効率の悪い人間は、移民じゃなくても排除されつつある時代なんだから。・・・って、そういう効率主義がいけないとか、必至に働かなくてもいい社会(社会主義?)にすればいい、なんて言われると、勝手にしてくれとしか言いようがない。そんなアナクロにつき合っちゃられない、と。
メッセージ性が強く、古くさい内容の中で、なんとかドラマが感じられたのが、主人公の娘の姉の告白の部分。おお、やっとドラマがでてきたか、って思った。けど、ラストシーンにいくらかつながっただけで、人間のドラマは希薄。システムの問題ばかりで、人間が活かされていない映画は、つまらない。労働運動をあおる青年は、団体に所属しているのか? 給料をもらって問題をつっつきまわしている。移民の立場も考えないで、気楽なものだと思えてしまう。その白人青年に恋してしまう脳天気なメキシコ娘も、自分のことしか考えてなくて見苦しい。ま、それで人間性をだそうとしたのかも知れないけど、ステレオタイプ。移民の立場、労働者の立場が弱いのは分かる。映画を見なくても分かる。むしろ、経営者側の立場や主張をもっと聞きたいと思った。私利私欲でやっているのか、リスクを抱えているから致し方ないのか。メキシコや中南米の移民の働き具合はどうなのか。警官をつかって排除することの正当性は、不法侵入だけなのか。排除する警官の意見も聞いてみたい。昔のプロパガンダみたいなメッセージ映画でなくて、いま、社会が抱えている問題をあらゆる方向からあぶりだす方が、大切なのではないかと思ったのだった。
BS日テレ「恋するシネマ倶楽部」でもらった券。銀座シネ・ラ・セットは初めて。昔の有楽シネマだよな? 階段上がっていく閉塞的な映画館。スクリーンが客席と平行でなく、歪んでいるのが生理的にダメだった。予告編のとき城内がかなり明るいのは、いい配慮。空いている席も分かるしね。客層は、有閑オバサンが半数ぐらい。暇なやつらだ。映画を見て「いい映画ねえ。大変ねえ、メキシコの人も」なんていってるのか。東南アジア人が支える日本経済のことに思いを馳せただろうか。なんてね。偉そうに思ってしまう。
RED HARP BLUES9/13テアトル池袋監督/高橋正弥脚本/高橋正弥、相原敏
学生がつくったような映画。映像表現の基本が、まだ身に付いていない。映される映像の50%以上は必要ないカット。こういうだらだらした映画を、いまだに金を取って見せているのが日本映画の現状だ。ウイットに富んだセリフ廻しもときにあるが、あれはきっとミッキー・カーチスのアドリブだろう。だいたい、伝説のブルース・ハープにとりつかれていく理由や、その過程が納得いくように描かれていない。主人公をとりまく人間たちの退出も、なんとなくだし。だいいち、私は自分を律しきれず、他人に迷惑をかける奴が嫌いだ。この主人公は、そういう私の嫌いな人物に描かれている。それが若さだ、なんてバカはいってくれるな。もっと魅力ある主人公にすればいいことだ。ラストも稚拙。伝説のプレーヤーによるジャムセッションでも見られるかと思いきや、主人公の下手な歌だけ。そんなもん聞きたくない。幸せは結局、自分のすぐ近くにあるというような青い鳥さがしの映画なんて、いまさら見たくはないのだ。それに、ビデオの汚い画面というのも嫌だった。私の知らない関西の役者が多く出ていたようだ。でも、私には誰だ誰やら分からなかった。憂歌団の木村充揮や桑名正博は達者なのだから、演技をさせればいいのにと思ったのだった。
じゃあ、なぜ見に行ったか。日本におけるブルース・ハープの第一人者と話したことがあって、その人が音楽を担当しているかも知れないと思ったからだ。音楽ではなく、協力、のような部門に名前が出ていた。もっとも、私は彼をそんな音楽家とは知らず、コンピュータの話をちょっとしただけだったのだけど。金曜日、2時40分。テアトル池袋には7、8人しか客がいなかった。
ドニー・ダーコ9/18シネマスクエアとうきゅう監督/リチャード・ケリー脚本/リチャード・ケリー
別に「リバース・ムービー」とか「最後の6分間」に惹かれたわけじゃない。予告編にキャサリン・ロスがでていたのと、ノア・ワイリーがでているからだ。前者に関しては、おお、いまも役者してるのか。どんな変貌を? という興味。後者に関しては「ER」からの興味。で、キャサリン・ロスについては、やっぱり女性というのは経年変化がでるなあ、というのが感想。さて。映画の方だが、よくわからなかった。どこがどうリバースなんだ? 衝撃の6分間? なにがだ? 主人公ドニー・ダーコは、28日間と何時間後に時間の穴をみつけ、過去に遡って自殺したってだけじゃないのか? おらの解釈は、そういうものだった。それともなにかい、時間が巻き戻されていったのかい? 映画のフィルムは過去に遡っていたけれど、たんに逆まわしじゃなかったよな。過去から現在の流れの断片が、過去のものへとつながれていったんじゃなかった? それに、新しいカットもあったぞ。あれで全部解決できてるの? なんかよく分からんです。でだ。この映画には多くの人物と多くの要素が登場するけれど、関連ありそうでなさそうで、なさそうでありそう、ってな具合。正しい解釈なんてなさそうでないんじゃないか。思わせぶりでやっている。あれは何だ? と問うても答はでてきそうにもないような。どーでもいいや。でも、ドニーが分裂病患者らしいというのは、意味ないんじゃない? で、わからなかったこと、ひとつだけ。最後に、転校生の少女が自転車でドニーの家にやってきて、手をふる相手のオバサンは誰?(BBSで聞いたら、ドニーの母親だって。ううむ。なんかそれまで出ていた母親と何かイメージが違っていたのだけど・・・。ボーッとしてた私が悪いのかも)
シネマスクエアとうきゅうは、初めて入った。単館ミニシアター系としては、でかい小屋だ。ちょっと古びているけど、その味わいがなんかいい。客席は細長くて、前半分ならいいけど、後ろ半分はスクリーンが小さすぎる。椅子が立派。座部が跳ね上がらないタイプで、つくりつけ。肘掛けにパットがついていてゴージャス。館内飲食禁止は、この椅子を汚されたくないため? でも、飲食禁止はうっとーしーね。密かにあめ玉なめてたけどさ。問題は、床に段差(スロープ)がないので、前の席の頭が邪魔になりがちなこと。天井が高いのだから、なんとかすればいいのに。それと、冷房装置の音。映画が無音状態のときにザーという音が気になるね。
千年女優9/18シネマミラノ監督/今 敏脚本/村井さだゆき
いきなり予告編の部分が登場して、おお、これはSFなのかと思ったら。なんと、単なる女優の一代記。こんなのとは知らなんだ。原節子みたいに隠遁したままの老女優。そのインタビューがそのまま映像になっていく。老女優はかつての若さで登場。インタビュアーは黒子のような存在として。しかも、映画を撮影しているという状況でありながら、女優は自分のドラマを生きている。その自分のドラマでは、一瞬すれ違った幻の彼を追いつづける。彼がもっていたカギのネックレスとともに・・・。っていう、摩訶不思議な構造が面白い。いったい、どこまでが虚構で、どこからが実人生か。めくるめく変転し、入れ替わっていく女優。そして、シーン。転がるような疾走感は、快感となる。しかも、若い女優の決めカットが適宜インサートされ、それがなかなか爽快感があるし、セクシー。もっとも、出演した映画を舞台に人生を語る部分で、江戸から幕末あたりまではドラマがなく、たんに早変わりみたいなのがつづくので、おいおい、このまま、この調子で同じ様な手法で最後までいくのかよ、そりゃつまらんだろうと思った(ちょっとした中だるみかな)。けど、インタビュアーの1人で元助監督で女優のファンが過去の人物として登場したところから、ドラマに加速がつく。あとは一気呵成。なかなか気持ちよく見られたぞ。
インソムニア9/19渋谷東急2監督/クリストファー・ノーラン脚本/ヒラリー・サイツ
オープニング・タイトルでジョージ・クルーニーが制作者とかなんとかやってるようにクレジットされた。あとでホームページを見たら、クルーニーとソダーバーグが製作総指揮となっていた。おお。ソダーバーグを見落としていた。「ER」のアビー役モーラ・ティアニーがホテルのオバサンででていたけど、起用はクルーニーなのかな、と思ったのだった。映画は、一部を除くと完成度が高く素晴らしいものだった。最初は、犯罪推理ものとして。次に、心理劇として。最後に、サスペンスとして。不満なのは、心理劇の部分。アル・パチーノとロビン・ウィリアムズとのかけ合いに緊張感が欠けている。ちょっとのんびりしすぎだろう。アル・パチーノが不正の道に足を突っ込むところからは不快な気分になったけど、これは映画の核心部分だからしょうがない。それにしても、夜の闇がない白夜の町に罪悪感とがからんで不眠症になるという設定は、面白い。光と闇が明瞭すぎるくらいの暗喩になっている。不正を働いてしまった罪悪感、不安感などが、また見事に映像化されている。アル・パチーノの心を追体験していくみたいな気分になった。また、運転中に眠気が襲うシーンも印象的。数多くの人物がでてくるのに、それぞれに印象深い演出もされている。もっとも、地元警察ではヒロインだけがクローズアップされ、それ意外が物足りないかな。ヒロイン。できそこないのジュリア・ロバーツみたい。あの反っ歯には見覚えがあるなあ、どの映画だっけかなあ。口が歪んでいるのは「バラサイト」のヤクザな姉ちゃんみたいだけど・・・と思ったけど、ホームページをみたらヒラリー・スワンク。「ベストキッド4」とある。なるほど。ラストも妥当な線で、納得。面白かったぞ。
ザ・ロイヤル・テネンバウムズ9/19新宿武蔵野館2監督/ウェス・アンダーソン脚本/ウェス・アンダーソン
この手の映画は、理解不能だ。どこが面白いのかさっぱり分からない。30分ぐらいして瞼が重くなり、4章あたりで10分ぐらい意識を失った。目が覚めても、相変わらず淡々と話は進んでいた。彼の国では笑いが起こるのかも知れないが、日本ではたまに誰かがクスリとするだけ。社会状況や家庭状況、国家の有り様などが戯画化されているのかも知れないけど、結局、だからなんだ、という感想しかもてなかった。
イノセント・ボーイズ9/26新宿武蔵野館1監督/ピーター・ケア脚本/ジェフ・ストックウェル
救われない話である。途中から気が重くなってきてしまった。見る前は、もっと軽い内容かと思ってた。鬼教師にイタズラをしかける悪ガキども、ぐらいにね。実際、最初の頃は、そんな感じだったんだよ。ところが、悪ガキ4人組は、なんか、意固地。とくに、サイモンとドイルの2人が、へん。そんなことをしたら後で困るよな、というような判断がふっとんで行く。ちょっと見には、賢そうな少年たちなんだけど、やることがまるきり子ども。イノセント(無垢)っていうより、単なるバカ。像を盗み出すぐらいは、いいだろう。でも、返すことを考えろよ。動物園からクーガーを盗み出して、それから先はどうしよってつもりだったんだ? って考えると、ほんと、先のことをなーんも考えてないことが分かる。だいいち、少年たちは何に対して反攻しているんだろう? それもよく分からない。大人社会、というわけでもなさそう。だって、タバコも酒もほどほどにやってるんだから、もう。弱い者いじめもしない。ごく普通の少年にしか描かれていない。なんら抑圧されていない。どうして反攻する必要がある? あと、考えられるのは、キリスト教的道徳心だろうが。そんなにやなら、ミッション系の学校を辞めればいいだけじゃないか。てなわけで、あまりに偏執狂的な少年たちに、同情も共感もできなかった。単なるイタズラレベルなら別なんだけど、そうじゃなくて、あまりにもバカだから、余計そう思う。ドイルのガールフレンドと、その兄の関係なども、青春映画にしては重い。くらくらしてくる。んでもって、最後は友だちの死だ。あんなの、友だちを殺したも同然じゃないか。その記憶は一生残るし、あんなバカをやったのだから、子々孫々、村に語りつがれる大バカ者ってことになるんだろうな。「うん、そうそう。わかる、わかる」ってな程度に描いてくれないと、こういう映画は見たくない。だいたいさ、彼らはコミックを描くことでストレス発散できてるんじゃないのか? 途中ではさまれるアニメ(ドイルの心的世界を描く上では、効果的だったと思う)みたいに。もっと描くことに一所懸命になれば、イタズラしてる暇なんて、ほんとはないだろうに。路傍に投げ出された瀕死の犬を助けようって心意気があるのに、現実に適応できていない。なんか、精神が壊れているんじゃないかな。動物園の案内係の娘がいい味をだしてた。「鋭い質問です」には、笑ってしまう。そうそう。ガールフレンド役の女の子。どっかでみたなあ、と思っていたら、HPによれば「ドニー・ダーコ」にでてるって。はは。どうりで。見たばかりだ。ジョディ・フォスターがプロデューサーになって、しかも出演している。別に、鬼婆じゃないじゃん。フツーの先生じゃないか。もっと過激な嫌われ者を演じるのかと思ったのに。それと。彼らは中学生たちだよな。高校生じゃなくて。違うかな。

 
 

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