2002年11月

バーグラーズ 最後の賭け11/1オーチャードホール監督/カルロ・ローラ脚本/●
東京国際映画祭コンペティション参加作品。ドイツ映画かな。原題は「Sass」
兄弟の銀行強盗の話。割と完成度が高く、構成も巧み。1930年代のフラッパーな女やジャズの喧噪、ナチの足音などが背景に描かれており、私の好きな時代なのでとりわけ興味も増した。面白いのは、誰が犯人か世間は知っているのに、証拠がないから警察が逮捕できないという状況。ちゃんと張り込みして捜査するなり、家宅捜査すれば一発だと思うんだけど。囮捜査は違反だ、というセリフもでてくるなど、ドイツの警察の民主的さがうかがえる。人物関係も面白い。兄には、銀行頭取の妻が。弟には女優志願でいまは娼婦という彼女が配されている。兄弟の両親や、2人を挙げようとする警察官たち、はては、兄弟を強請るギャング団との攻防など、要素ははたっぷり。もっとも、個々の人物の掘り下げ方に不満はある。夫人の浮気を目撃しても何とも思わない頭取は、どういう人物なのだ? とか。警察官たちの個性がでてない、とか。でもまあ、兄弟の周囲に登場するのは、時代を駆け抜けていった兄弟を彩る風景として配されているのだろう。深い人物造型は最初から考えていないのかも知れない。だから、それはそれで許す。けれど、時代背景はもう少し分かるように描いて欲しかった。頭取が射殺された理由が分からなかったし、ナチスと銀行の関係も不明瞭。具体的にいうと、警察やナチスは兄弟の強奪計画を予測していた。にも係わらず、2人はナチスの800万マルクを狙って銀行に入っている。そこに、兄弟のナチスへの抵抗という意識は含まれていたのだろうか? 映画を見る限りでは、そんなことは考えていなかったようなのだけど、ラストのナレーションを聞くと、そういう思いもあったのかな、という気もしてくる。ナレーションでは「兄の子ども(頭取の未亡人が生んだ)は後に弁護士となってギャングのために戦った」といっているのだ。字義通り受け取れば単なる悪漢の手先に堕したとしか見えないが、反権力という見方もできないわけじゃないからね。このあたり、もう少しハッキリさせてくれた方が、スッキリするなと思う。というか、2人は時代が生んだ寵児としては描かれている。けど、ナチスを翻弄するヒーローっていう味つけはあまりないのだ。だから、ラストでナチに撃たれるシーンも感動に結びつかない。「俺たちに明日はない」みたいな、抑圧されている青年たちの反逆って風にも見えなかったしね。それと、強盗のノウハウに関してはリアリティが足りないのも不満のひとつ。下水道からの侵入が失敗した後、なんともあっさりと別のルートから侵入してしまうのだけれど、その方法については描かれていない。そういや下水道からの脱出も、描かれていない。そんなことを細々と描くのがテーマじゃない、といわれるかも知れないけど、物足りない部分ではある。・・・そんな納得いかない部分もあるものの、コンペ作品としてちゃんと映画になっていた。ハリウッド映画のような華やかさはないけれど、描写に厚みがあって、建物やセットや音楽も凝っている。金をかけている映画だよ、これは。退廃さと耽美さがいささか足りないかも知れないけど、でも、十分に楽しめたぞ。でも、テーマが希薄だから、上位入賞はムリかな。
ディナーラッシュ11/6シネスイッチ銀座2監督/ボブ・ジラルディ脚本/リック・ショーネシー、ブライアン・カラタ
色んな素材がレストランという場所に集められ、素材の持ち味を最大限に活かすよう調理され、スクリーンに並べられた、って感じ。その味は、もう、デリシャス。いわゆる一場面物。1時間40分という、生理的にもちょうどいい長さ。その中に驚くべき数の人物が登場する。店主、店主の息子、セカンド・シェフ、中国人の店員、絵も描くウエイトレス(乳首が見える色っぽさ)、博識バーテンダー、2人のギャング、美術商、絵描き、、その取り巻き、レストラン評論家、刑事とその妻、証券マンにして×××、店主の元パートナーの妻・・・そして、それが迷うことなくキチンと描かれている。なんて素晴らしいんだ。素早く動くカメラ、軽快でリズミカルなテンポ。2組のエピソードを組み紐のように寄り合わせて効果をあげる演出=編集。そして、音楽が、いい。見ながらわくわくしてしまった。事前情報としては、レストランの中でギャングがドンパチはじめて・・・というのがあったけれど、そういう流れではなく、いたって忙しなく、ある一夜のレストランの様子を描いていく。人物はみなそれぞれの人生を考えていたり、問題を抱えていたり、勝手なことをほざいていたり。とても、1つに収束するようには見えない。けど、そのバラバラな方向を向いていた登場人物たちは、やがて一日を終え、安息を迎えることになるわけだ。2人組のギャングを除いてはね。いやしかし、この巧みな演出はお見事。もういっぺん最初から見直したくなるような映画だな。
ダークブルー11/6シネスイッチ銀座1監督/ヤン・スヴィエラーク脚本/スディニェク・スヴィエラーク
チェコ・イギリス合作で、チェコで大ヒットした映画らしい。この映画は新たな事実を教えてくれた。チェコはドイツに占領されたけれど、少なからぬ軍人が英国に渡り、連合軍として戦ったということを。けれど、戦後、チェコはソ連傘下で社会主義になったので、自由の国イギリスから戻ってきた軍人たちは投獄されてしまったのだ。まったく、やれやれだ。戦中はドイツに、戦後はソ連にと翻弄された国家の悲哀が描かれているのだから、ヒットもうなずける。で、映画そのものはけれんのない直球ストレート。男と男の友情(思慮深い年長者と、激昂しやすい青年という、定番の組み合わせ)。故郷の恋人との別れ(「ひまわり」か)。英国人女性をめぐる2人の確執。青年の成長。恋人との別れ。死んでいく戦友たち(誰がどう死んでいったのか分かりにくいのが残念)。故郷の裏切り。そして、ソ連政権下での強制労働・・・。国家と戦争とロマンスを扱った映画の王道をいくような内容。けど、その率直な描き方が、よかったんだろうな。この分かりやすさでチェコ国民は心をひとつにできるし、泣けるということだ。2人の女性をめぐる出会いと別れは、あまりにも手垢がつきすぎた定番の描き方で、誰にだって予想がついてしまう。けれど、そうなるだろうと思わせてそうする、という計算もされているんだろう。全編定番の寄せ集めがピタリとはまって、ちゃんと感情移入させてくれる。僕は感動して泣いたりしなかったけれど、チェコの人たちはきっと大泣きしたに違いない。スピットファイアが格好いい。英国軍というと弱い、というイメージがあるんだけど、颯爽と空を飛ぶ姿は逞しい。あまりCGが使われてなさそうに見えるのもいい。かなりのシーンで本物を使っているんじゃないのかな。小手先でいじった飛び方というのじゃなくて、大画面を縦横に突っ切っていく姿に、とてもリアリティがあったぞ。故郷に残した恋人、英国軍人の妻の、2人のヒロインが知的で可愛いのも、よかった。ちょっとしたギミックとして、パーティのときに天上に昇ったままになっていた風船が、2人の間にひびが入るとしぼんできて、炸裂するというのも小味が効いている。しかし、外国の軍隊ものをみていつも思うのは、隊内がとても自由なこと。この映画の2人にしても、中尉と新兵だろ、あれ。なのに、ほとんど友だちみたいに振る舞ってるんだよ。宿舎もタコ部屋じゃないし、外出もかなり自由そうだったし。日本の、囚人のような軍隊とは大違いだね。
プロフェシー11/7上野東急2監督/マーク・ペリントン脚本/●
中だるみ映画。ってか、製作者はテンションをキープしてるつもりなんだろうけど、日本人には途中から不安や恐怖はつたわらず。最初はいいんだよ。なにか得体の知れないものに襲われて、見ず知らずの街へいってしまう。その、巻き込まれ方はスリリングで、ちゃんと怖い。見ている私は「おお、これはホラーだったのか。これから怖くなるのかな、ドキドキ」なんて思っていた。ところが、その街に居着いているうちに、その、得体の知れないやつが人間のような形状をして現れ、電話をかけてきてからがまったくつまらない。この、得体も知れないものは、西洋風に解釈すると、どーも"悪魔"の類のようだ。色や外観から判断すると、どーもそうなってしまう。「ジーパーズ・クリーパーズ」でもそうだった。やつが正体を現すと、とたんにコメディになってしまった。それと似たようなこと(といっても、コメディではなく単なる退屈だけれど)が、この映画にも起こる。畳みかける恐怖とは無縁の、単なる思わせぶりな電話のベル、住民の死・・・。それが過激にでもなっていればまだしも、ビジュアルなショッキングさはまるでなし。やたらと鳴る電話は、つまらないものばかり。やつからのメッセージも、怖くもないし中味もない。恐怖度はますます低下する。化学工場は爆発しないしさあ。これじゃ、飽きちゃうよ。で、ラストの橋の落下になるわけだけれど、ここまできて「ああ、そうか」と分かった。やつは場所を指定しただけで、化学工場とはいわなかったのかな? と。でもさ、そういうの、ちゃんと描写しなくちゃ分からんぞ。それに、予言だの蛾男だの、だんだん要素が増えてくるけれど、一貫性がないだろ、おい、と思っていた。主人公の妻が蛾男をみて死んだのと、主人公が電話でピー音を聞いたのと、その街へ引きつけられたのと、どういう関係があるのだ! と思っていらいらした。が、しかしだ。都市伝説が下敷きになっているのかな? と思ったことで、ある程度解決した。つまりだ。主人公とその妻の事故と、あの街の出来事は直接関係ないのだ。要するに、なにか事故が起こりそうなとき、事前に蛾男が現れる、という伝説がベースになっているのだろう。そうして、そういう感知能力の優れた主人公が、たまたま次の大事件の現場に引き寄せられた、と。それだけのことだと思う。もっとも、なんで主人公が予言できる体質になったか、ということは何ら説明されていないのだけれど。でもまあ、こう解釈してしまうと、なーんも面白くもない。まあ、だから、全編説明が中途半端で、曖昧模糊としているのだろう。もっとキリッとした恐怖を見せてくれよ、と思いたいが、キリスト教的不安=悪魔的な存在、っていうのが根底にある限り、つまんないままなんだろうな。きっと。それにしても、死んだはずの女房がでてくるのはなんだ? てな疑問は残ったりするぞ。
ロード・トゥ・パーディション11/8上野宝塚劇場監督/サム・メンデス脚本/デイヴィッド・セルフ
「子連れ狼」がベースになっている、という前知識だけ。おお。ギャングの葬式か。トラッドな音楽で、アイリッシュと知れる。しかも、1931年。禁酒法とブートレッガーの時代だ。で、いつ「子連れ狼」は始まるんだ・・・、と見ていたら、半ば近くから。なるほど。こうなっていくのか。って、私は「子連れ狼」を通して読んだことがなかったので、拝一刀がなぜ浪々の旅にでたのか知らなかった。きっと、映画も漫画を元につくられたのだろう。脚本がしっかりしている。子連れ旅になる背景をちゃんと時間をかけて描いたのがよい。カポネの配下のシカゴの大物ギャング(?)や、その格下格の大物ギャング、P.ニューマン、そのバカ息子、P.ニューマンの手下のT.ハンクスなどがよく描けていて、話の世界にすんなり入り込んでいける。T.ハンクスが寺銭を集金に行ったスピーキージーの店主やその用心棒、P.ニューマンの会計係なんてのまで、みな存在感がある。脚本の力だな。後半の旅は、いとも簡単にギャングできてしまうところあたりが、ちと物足りない。それと、会計士が不正送金の控えを保存していたってのが、なんか間抜け。会計士はP.ニューマンの部下じゃないのか? それとも、バカ息子に忠誠を誓っていたのか? なんてところが、ちょっと首をひねった。あとは、もういうことなし。妻と子を殺されたギャングの幹部が、理不尽さに牙をむくドラマが、格調高く描かれていた。それでも、欲を言えば、ナレーションにもあったけれど、サリバン(T.ハンクス)ってのは、根っからの悪人なのか、それとも、ギャングという商売に後ろめたさを感じていたのか、その辺りを示唆するような描写があってもよかったかな、って気もする。そうそう。ジュード・ロウもよかった。蛇みたいにしつこいところが、よくでていた。まあ、父と息子の絆の深さだとかなんとか、理屈をつければいくらでもいえる。P.ニューマンは、バカ息子を可愛いと思い、少年はギャングの父親に愛を向ける、とかね。けど、やっぱ親が人殺しのギャングだって分かって、そうそう尊敬できるってものでもないだろう。母と弟の仇だといって銀行強盗をやっても、誇らしく思うことはないはずだ。よっぽどの不良息子なら別だろうが。だから、父親と息子の関係に話をもっていくのは、どーも納得できないね。ときどき登場するシンメトリーな画面構成も、効果的。
9デイズ11/8上野東急監督/ジョエル・シュマッカー脚本/●
そこそこ面白いんだけどね。話の始まりをちゃんと描いてくれていれば、もっと面白く見られたはず。っていうのは、なぜポータブル原爆をめぐってごたごたが起きているか、ずうっと分からないからだ。ロシア人がアメリカ人に原爆を売ろうとしていることは分かった。クリス・ロックがその窓口になっていることもわかる。で、いきなりクリスが殺されるのだけど、誰がどういう目的でやったのか、ずっと分からない。また、ロシア人が相手にしていたつもりのアメリカ人は、どういう人物だったのだろう? CIAは、自分たちは何ものだ、といってロシア人に接近したのだろう。そういうのがクリアではない。クリスを狙っているグループは、なぜクリスを狙うのだ? で、最後になるとようやく分かるのが、テロリスト集団がアメリカに原爆攻撃しようとしていたらしいこと。原爆をめぐる争いが、テロ問題になっちまった。おやおや。で、テロ集団はロシア人に向かって「裏切った云々」といっている。ってことは、テロ集団と原爆をもっていたロシア人は仲間だったのか? なんだか、頭がこんがらかっちゃうよ。妙に小出しにしないで、最初からテロ集団をだすべきだな。そして、その目的はアメリカ攻撃と明言すべきだ。で、攻撃のための原爆をロシア人から調達しようとしたけれど、ロシア人は高く買ってくれるアメリカ・マフィアに売ろうとしていた、とかね。明瞭なバックグラウンドを語るべき。それがあって、ストーリーも生きてくる。キャラクターの造型が弱い。せいぜいA.ホプキンスぐらいで、クリス君は地がでているだけのこと。むしろ、ホプキンスの女性を含む部下数人を、もうちょいと掘り下げて欲しい。そして、いわくありげで何もなかったロシア人や、テロ集団の人物も、なんとかするべきだ。あと、問題なのは、ホプキンス、クリス以外にスターがいないこと。ホプキンス部下に30凸凹の金髪中堅美女俳優(クリス君のいう、ジェニファー・ロペスでもいいよ)を配するとか、または、40凸凹の中堅ベテラン脇役を置くとか、なんかしないと役者を見る楽しみがない。クリスの恋人2人でるけど、あまりそそられなかったぞ。アクションや紆余曲折ストーリーを少し控えめにしても、人物や設定の描き込みをちゃんとすべきだったと思う。で。甲高い声のクリス・ロックはあまり好きな役者じゃないのだが、って、なんでかっていうと存在自体がコメディだからだ。けど、この映画ではその部分が中途半端。笑わすところは、ちやんと笑わせてくれ、といいたい。それにしても、こんな映画にどうしてホプキンスがでたんだろ。
スズメバチ11/10渋谷東急3監督/フローラン=エミリオ・シリ脚本/●
ある意味で痛快。ある意味で悲壮。ま、生き残り3人ということからすると、「七人の侍」もとい「荒野の7人」より悪い結末かも。大ざっぱに分けて、イントロの前半と、立て籠もりの後半。この前半は、悪党軍団、護送警官、得体の知れない中年男の3者の動きがとらえられていて、最初は何だか分からないのが次第に明らかになってくるスタイルが、よろしい。しかも、銃や車などのメカニカルな描写が、格好いい。悪党軍団が「荒野の7人」めかしているのも、面白い。けど、何だか分からない時間がちと長すぎて退屈。この部分でもう少し描き込みがあってもよろしかったのではないか。私は少し眠くなった。後半の攻防は。見応えあり。わけ分からない相手と戦う様が、よく構成されていた。飽きない。しかし。ちょっとなあ、というところはある。あんなに明るい工場街が、携帯の圏外ってのはないだろう。それに、携帯が通じなくても、一般電話はあるだろう。それで連絡つけんかい、と思ってしまった。さらに、工場街とはいえあれだけの銃撃戦で気がつかないなんて・・・。たかが老いぼれボス1人を、しつこいまでに取り返そうとするのはなぜだ? なんてところが引っかかる。ま、映画だから、で終わりそうだけど。魅力的だったのは、中年男=工場の警備員。なんか、わけアリで警備員やっているらしい。の割には戦闘系や医療系に強そう。もしかし、外人部隊にでもいたのか?(別サイトで彼が「消防士を辞めた」というようなセリフがあったと書いてあった。そういえば、そうだったなと思い出した。そういう過去か・・・)彼の存在が魅力的だった分、もう少しキャラを活かしてやったらいいのに、と思ってしまった。レクター教授ばりの悪党は、娘に金玉つぶされるなど、ちょっと貫禄不足に描かれているのがおかしい。しかし、とんでもなくしつこいギャング一味だったね。だから、スズメバチなんだろうけど。最後に。エンドロールのときフランス語のラップ音楽がかかるんだけど、ロールが終わらないうちに音楽終わっちまって、あと延々と音無のままロールが流れていく。とても間抜けだった。なに考えてるんだろうか?
マルタ・・・、マルタ11/20新宿武蔵野館3監督/サンドリーヌ・ヴェッセ脚本/●
躁鬱病患者の実体をPRする広報映画だな、こりゃ。ドラマはない。エピソードの積み重ねがあるのみ。したがって意外性もないし作為もあまりない。患者は躁状態のときは開放的になって外出したがったり羞恥心がなくなったりハメを外したりする。集中力がないから持続的な作業は身につかない。一見すると普通の人間だから、「だらしない」「いい加減」「落ち着きがない」などの評価を受ける。しかし、それは性格からくるものではない。直そうとしても治るものではない。だって、病気なのだから。また、鬱状態のときは沈みがちになって人を責めたり(子どもにあたったり)汚い言葉を吐いたりする。また、すべての責任は自分にあると自分を責めたり、自傷行為に励んだりする。そして自殺念慮が激しくなり、子どもを道連れに死のうとしたりする(躁状態のときは、子連れ心中事件も笑い話にできるけど、って、それでも子どもが死んだどーのという話題にこだわりすぎだなあ。マルタは、鬱になると自分は子どもを殺す(他傷への恐怖)かも知れないと畏れているようだ。(子どもが溺れて立ちつくすのはゲシュタルト崩壊状態?)レイプ事件後一人で旅立ったのは、それがはっきり自覚できたからじゃないか。ラストの入水は、自分は子どもを殺す(他傷)かも知れないという不安からの脱却ともいえる)。しかし、みんな病気のせいなのです。だからみなさん、患者を責めないでください。責められれば、患者はますます自殺したいと願うようになるのです。そんな躁鬱病患者に、理解を示してください・・・とでも言っているみたいな映画。というわけで、マルタは病気のせいで家族にも敬遠されているのだろう。しかし、躁鬱病患者だとはっきり明言しているわけではないので、観客は戸惑うだけじゃないかと思う(たとえば、過去の何らかの出来事が原因だと思ったり。両親から愛されていないような描き方だけど、理由が提示されていない。ってことは、やっぱり病的な症状に手を焼いたと考えるのが打倒ではないか。他に何かの事件があったとして、そがトリガーになることは十分にある。しかし、もともと躁鬱病的な気質があるという描き方をしていると思う)。だから、躁鬱病患者を理解してください、と明言した方がよかったような気がする。が、設定では虚言癖やゲシュタルト崩壊や他傷行為など、病理的症状をてんこもりにしている。なんか、そういう症例をもとに話をつくったんじゃないのかな。と、げすの勘ぐり。でね、最後に移った山の中の家へ行くとき、マルタの家の前(最初にでてきた家)の前を通っていったように見えたが、あれはどういう意味だろう。患者は傷ついて故郷に戻り、死ぬとでも言いたかったのかな。
ラストシーン11/21テアトル新宿監督/中田秀夫脚本/中村義洋、鈴木謙一
意外性がない代わりに破綻もなく、ツボを抑えていて手堅いね。はじめの1/3ぐらいまで(過去のパート)はステレオタイプな描き方で大した事件も起きない。つまんねーなーと思っていたけれど、映画も半ばを過ぎる辺りから沁みるところがでてくる。前半部分の、ちと丁寧すぎる部分が効いてきたのかも知れない。単なるノスタルジーじゃなくて、現代へのシニカルな視線が面白い。テレビ作品の映画化、ってシチュエーションが笑える。ほんとに、こういうケースや出来事はあるに違いないと思わせるものがある。食い足りないのは、役者だ。主演級の役者が、ジョニー吉長以外みな印象に残らない顔をしてるんだよ。だれ? こいつ、ってな感じ。むしろ、たくさんいる脇役の方で見せている。テレビでも見かける手練れや、老練な役者がでていたり、そっちのほうが楽しい。いちばん楽しいのは、監督役の俳優だった。名前は知らないけど、キャラクターがたっていたな。医療アドバイザー生瀬勝久の演出は、ちとやりすぎだと思うけど。ラストは、判断に悩む。演技修了とともに死んだとしたら、小道具のお姉ちゃんは驚くべきだし、驚いていないところを診るとただ眠っただけとも思える。どっちでもいいといえばいいんだけど、人が死んだら騒ぐだろう、ふつう、という観点からは、ただ眠っただけというほうに与したい。エンドロールの配役紹介が、本当のエンドロールみたいになっているのも洒落ている。それにしても昭和40年がはるか昔という位置づけで登場したのがショックだった。あんなの、ほんのひと昔のことじゃないかと思うのだけれど、そのとき生まれていなかった人にとっては遠い昔であり、退色したイメージなのだね。ううむ。
TRICK〈トリック〉11/28上野東宝監督/堤幸彦脚本/蒔田光治
テレビ版からまったくパワーアップしていない劇場版。テレビでは2〜3回分で1話だったから、劇場版の2時間というのも、ほぼ同じ。でている顔ぶれも大差なし。セットや技術に金がかかっている様子もなし。お話も、いつも通り。隔離された村の因習と、仕掛け、囚われとなる山田と上田。そして、凸凹刑事・・・。ちらと顔を出す山田の母。うーむ。意味ない。というわけで、疲れていたせいもあって見始めて20分ぐらいで眠くなった。神様対決のあたりは朦朧としていた。熟睡はしなかったけどね。脚本が、甘い。ギクシャクしたつじつま合わがテレビと同じ。まあ、このドラマはストーリーを楽しむのではなく、その場その場のやりとりが面白いんだ、ってな意見もあるだろうけど。なんか、工夫して欲しかったなあ。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|