2003年4月

スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする4/1ニュー東宝シネマ1監督/デイヴィッド・クローネンバーグ脚本/パトリック・マグラア
意味深なつくりの割に底が浅い。分裂病の症状を安易に借りてきているだけ。精神障害者への偏見を助長するような内容も、いかがなものか。
オープニングタイトルのロールシャッハ・テスト。心理劇でも始まるのかと思いきや、精神病院から仮退院してきた患者がリハビリをはじめる。だらだらとつまらない。少年の日々を回想する男。その家庭環境には、ちょっと几帳面な父親以外に、分裂病を誘発したような要素は描かれない。少年は、母親を清貧ながら高潔な女と見ていたんだろう。ところが、母は意外と淫乱だった。それで、酒場の尻軽女(彼女の話しているのが英語だとわかるまでに、かなり時間がかかった。ほとんど発音がわからない)のせいで父親が堕落し、母親を苦しめたという妄想を抱くに至ったんだろう。少年は、尻軽女を一度見ただけ(だっけ?)だから、その後の酒場の出来事はすべて少年の妄想だ。それにしても、症例が単純すぎるんじゃないか? 母親が死ぬところでは意外な展開になるのかなと期待した。ところが、あまりにもあっさりしすぎている。しかも、尻軽女が家庭に入って少年の食事をつくったりするに至って、なんか変だなと思いだした。すると、現在の主人公がリハビリセンターの管理人を尻軽女と同一視しはじめたではないか。ああ、やっぱり。少年は、母親を尻軽女と同一視していたのだ。母親は高潔な女じゃなかったってことだ。畑の小屋で父親とセックスしたり、夜な夜な父親と酒場へくだを巻きに行っていたのだ。その、少年にとっての理想と現実のギャップの中で、自分に都合よく話を創り上げ、妄想の中へと没入していってしまった・・・。というわけで、ラストに意外性はない。だからどうしたという映画だ。こんな、分裂病の一症例のような内容で映画をつくって、どうするつもりだ? 観客をバカにしているとしか思えないぞ。っていうか、監督がバカなんだと思うけど。
この4月から、東京都の映画サービスデーは毎月第1水曜日から、毎月1日に変わったのだった。
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン4/1上野宝塚劇場監督/スティーブン・スピルバーグ脚本/ジェフ・ネイサンソン
スピルバーグがつくった、フツーの映画。アイディア勝負、際物をつくってきた彼が、視点を子供から大人に変えたってことかな。オープニングタイトルは1960年代風のイラスト。ヘップバーンかシナトラでもでてきそうな雰囲気で、古くさいけど洒落ている。映画の中身にも60年代風な雰囲気がたっぷり。映画007やジャズ、ミッチ・ミラー・・・。ほのぼのとして、いい時代だったなあと思わせる。これも、現在の暗い状況の裏返しかな。映画は破綻なく、ときにコミカルに、上質な笑いを提供しながら進んでいく。こうやって、あら探しをする必要もなく、物語に身を委ねられるというのは幸せなことだね。しかし、これが実話だとは・・・。ちょっと信じがたいけど、そういう時代もあったってことかもね。アメリカの小切手社会のことがわかっていれば、もっと楽しめたことだろう。
ブラック・ダイヤモンド4/3上野東急2監督/アンジェイ・バートコウィアク脚本/ジョン・オーブライアン、チャニング・ギブソン
ちゃちな強盗の話かと思っていささか退屈しながら見ていたけれど、終わってみればそこそこ面白かったと言ってしまおう。ひどく大ざっぱな話だ。ちゃちな強盗が、台湾から運び出された秘密の黒ダイヤの在処を知っていたりする。地下鉄でなくしたはずの黒ダイヤがどーゆーわけか黒人ギャングのもとにあったりする。合成プルトニウムで被曝しなかったりする。・・・なんでだ? 人物もいい加減で、台湾の悪人グループなんかほとんど紹介されないまま終わってしまう。黒人ギャングたちも、刑務所にいるボスだけがかろうじて人間らしく扱われているだけ。突っ込みどころは山のようにある。ヒロインは知性の薄そうな貧相な顔だちだし、しかも、主演が誰だかわからないときている。一応ジェット・リーが看板になっているけれど、どーみてもスター扱いされていない。存在感もいまいち薄い。じゃ強盗のボス? うーむ。一枚看板の大物がいないせいもあって、集団活劇+コメディになっちゃってるのだよ。で、コメディの部分がおかしくて楽しいのだ。強盗団のデブ黒人。これが、巻頭でゲイの警備員相手に色仕掛けするところとかね、笑っちゃう。それと、故買屋のトム・アーノルド。彼、ちょい役かと思ったら最後までかなりのウエイトででてくる。このトムがいい味を出してるんだよなあ。トム・アーノルドといえば、数カ月前にケーブルテレビで「ホット・ネイビー カリブ海イケイケ大作戦(Mchale's Navy)」ってのを見たんだけど、なかなかに印象的だった。なんともいい加減な海軍将校をへらへら演じていて、いいんだよこれが。で、この映画でも、そのときと同じ様なキャラで登場してた。ほんと、調子のいいオヤジでね。そのデブ黒人と故買屋が、ラストの後のエンドクレジットで話し合う内容がまた大笑い。「この話をシナリオにして売ろう。シュワルツネッガーは170cmしかないし、やっぱ俺の役はメル・ギブソンだ」「俺の役はデンゼル・ワシントンだな」「俺の彼女はハル・ベリー」・・・「監督は・・・DENGEKIの監督だな」とかね。これ、本編を超えていちばんおかしかった。これで、本編のいい加減なところ、つまらないところは帳消し。そうそう。本編でも効果をだしていたところがあった。複数の話が平行して進行するところだ。最後の山場ではジェット・リーvs台湾のライバル、強盗団の貧相なヒロインvs台湾の素っ気なさそうな女、強盗団のボス+娘vs台湾の子分という格闘が短く、平行して編集されていた。たしかに、ジェット・リーのカンフーだけじゃ時間はもたないだろう。こうやって、小ネタをうまく組み合わせることで、スピード感をだしつつ飽きさせない工夫をしているのだろう。それはそれで、評価しておこう。
リベリオン4/7渋谷東急3監督/カート・ウィマー脚本/カート・ウィマー
「1984」と「マトリックス」を足したような映画だな。冒頭に、大衆を虐殺した権力者が3人でる。ヒトラー、スターリン、フセイン・・・。フセインがそれほどの人物かどうかはさておいて、この方が一般大衆にウケがいいんだろうな。で、設定は奇想天外なもので、感情があるから人間は戦争する、だから人間から感情をなくす薬を注射して、それに逆らったやつは警察が問答無用で抹殺するというもの。ひぇー。いくらなんでも、そんな世界はムリだんべ。とまあ、のっけからリアリティがない。ま、お話につき合いましょうだけど、感情を消す薬を毎日2回ほど自分で注射しないと効果がない、ってのがひっかかる。そんなの、バイオチップかなんかにして首筋あたりに埋め込む設定にしろよ。世の中には薬の飲み忘れが多くて困っちゃう人がたくさんいるんだぞ。薬を打つよう強制的に暗示をかけられでもしなくちゃ、みんなすぐ感情を取り戻しちゃうだろ。いやまで、そんなこととないで、子供のうちにロボトミー手術しちゃえばいいじゃん。とかね、なんか設定にかなりのムリがあるように思えるぞ。他にも合点がいかないところは、たくさんある。感情のない人間が怒ったり驚いたりするシーン、囚人との会話などが監視されていないこと、あの犬はどこで飼っていたんだ・・・とかね。反権力、大衆操作を俎上にあげるようなメッセージ性の強い映画なんだから、この辺はカチッと決めておいて欲しかった。
街の様子は、1930年代風。無機的で飛行船が飛ぶというのも、よく見かける風景だ。嫌いじゃないけど、恐怖のワンパターンともいえる。主人公の取締官が感情に目覚めていく過程が、いまひとつ説得力に欠ける。薬のカプセルを割るようなことは、しょっちゅう起こるだろに。そんなことがきっかけで感情を取り戻すようになるなんて、ちょっとなあ。妻への愛情の復活とか、他になかったのかね。映画の中で最も情感に訴え、かつ、おかしかったのが犬との遭遇だね。犬との交流に感情を刺激される主人公。まるっきり「どうするアイフル」状態で、笑ってしまった。こういう、はっきりいって「だからどうした」的な主題より面白かったのは、アクションだった。GUN KATAって、銃をもって格闘技の型を見せるところとか、素早い動きの銃さばき。とくに、冒頭の闇の中の乱射はカッコよかった。「タクシードライバー」みたいな銃の装着も面白い。日本刀を逆にもったり飾ったりしているのは困ったもんだけど、アクションはなかなかイケていた。ま、この辺りが「マトリックス」なんだけど。それにしても思うのは、大衆を操作してまで権力に着きたい人の真理。街の雑踏や友だちがなく、色んな事件のない世の中に暮らしていては、生きていてもつまんないんじゃないのかなあ・・・。原題は"Equiriblium"で、なんだかよく分からない。実は、リベリオンってのも意味が分からんのだが・・・。
ドリームキャッチャー4/21上野東急監督/ローレンス・カスダン脚本/ローレンス・カスダン、ウィリアム・ゴールドマン
去年だったか、NHKでキングのドラマを一挙何本が放送したんだけど、なんか設定が似てるねえ。仲良し少年たち、不思議な力、大人になって集まって得体の知れない何かと対決する、それは少年の時からの因縁だった・・・。って展開は「IT」みたいだな。雪の中を行ったりきたりするのは「呪われた町」だっけか。なんか、いろんなシーンがデジャビュしている。だから、映画っていうよりも、テレビドラマを見ているような気分になっちゃった。とくに、有名な役者がでていないっていうのも、そうさせた要因かも。とはいいつつ、導入から化け物登場、実は宇宙人・・・という流れは意外性があって、なかなか見せる。とくに、あのヴァギナみたいな口をもったヒルのようなナメクジのような幼虫は気味悪くて生理的にやだね。だからこそ、おぞましくて、興味津々で見ちゃったんだけど。でも、宇宙人ハンター(宇宙人を無差別攻撃するシーンは、イラク戦争を連想させた)のモーガン・フリーマンとその部下が対立するあたりから、話が混濁してくる。フリーマンは宇宙人に汚染された人間は皆殺せという。部下は、反対という。その部下に4人グループのリーダー的なのがつけ込んで(としか見えない)、宇宙人に身体を乗っ取られた仲間を追っていく・・・。なんで、部下紙がああも簡単に初めて会った男の言うことを信じちゃうのか? モーガンは、なぜ部下を殺しにヘリでやってくるのか? 対立したから? 汚染した人間がはびこるのを防ぐ・・・ったって、もうなんとか中将に告げ口されちゃってるから、できないだろうに。するってえと私怨で部下を殺しに行ったの? なんか、フリーマンが宇宙人に乗り移られて、宇宙人の見方をしているようにしか見えなかったな。それと、身体をのっとられたジョーンジー君。あんなばかでかい宇宙人が乗り移ってるんだから、マンホールの蓋ぐらいもっと簡単に開けろよ! と、突っ込みを入れたくなるぞ。というわけで、後半1/3はすべてが舌足らず。モーガンの立場(汚染されていない人間も殺さなくてはならない)がちゃんと理解できないと、ラストの、半分宇宙人に乗っ取られている仲間を殺さなくてはならない精神科医の気持ちは理解できんだろ。それにだ。4人のドリームキャッチャーたちが、とくに才能を生かし切れていないボンクラにしか描かれていないのも気になるね。もっと人の心や未来を読めよ、といいたい。というわけで、宇宙人とのサスペンスは面白かったけれど、バランスを欠いた描写でいまひとつテンションが上がらなかった映画でした。そうそう。ジョーンジー君の頭の中(記憶の倉庫)が描かれるのでけれど、ひょっとしたら頭の中とは分からず、現実の場所だと勘違いする観客もいるんじゃないのかな。
◆本編上映前にもうすぐDVD発売される「アニマトリックス」の第1話「ファイナル・フライト・オブ・オシリス」が上映された。約10分。Webでも「セカンド・ルネッサンス パート1」「プログラム」「ディテクティブ・ストーリー」などが見られるようになってるが、この併映も販売促進の一環なのだろう。全編CGだけど、人間の動作に俊敏性がなく、のろい。「マトリックス」と「マトリックス リローデッド」の間を埋めるお話らしい。
母と娘4/22新宿武蔵野館3監督/ロリー・B・キントス脚本/リッキー・リー/レイモンド・リー
出稼ぎによって引き裂かれた家族を扱ったフィリピン映画。暗い内容かというと、そんなことはなかった。なぜかっていうと、食えなくて出稼ぎに出かけているんじゃなくて、物質的により豊かな生活を追求しての出稼ぎだからかもね。ゴミ捨て場に住んでいる人々を描いた「神の子たち」とは違って、ごくフツーのフィリピン人たちが登場する。ただし、出稼ぎ先が香港だっていうのが、なるほど、だった。グローバルな経済構造下で、フィリピン人は香港人の召使いの役割を担うようになっていたのね。これは新発見。言葉の通じない日本には売春、踊り子、水商売でやってきて、英語が通じる香港にはよく働くメイドとして出かけている。なかなか勤勉な国民ではないか。ところが、高校生のバカ娘は働きにでた母親を「子供を捨てた」と逆恨みしてしまうのだ。母親と生活できないだけで堕胎、入れ墨、煙草とやり放題。挙げ句に母親とケンカしてチンピラ男と同棲して麻薬までやってしまう。こうなると同情どころではない。単なるバカだ。母親のせいじゃなく、個人の資質だね。まあ、母親が6年も出稼ぎに行ってて、その間に父親が事故死して、家族の柱となる人物がいなくなったのは痛手だろう。けど、日本なら健気な長女は進学をあきらめて弟や妹のためにキューポラのある街で額に汗して働いて、観客たちに同情の涙を浮かべさせるはずだ。それが常識ってもんだ。なのに件の長女は堕落、長男は奨学金を剥奪されるほど学力低下。母親は勤勉でも、子供たちはバカだらけじゃないか。むしろ気になったのは、6歳ぐらいの次女の存在の方。久しぶりに帰ってきた母親を最初は怖がるものの、だんだんなついてくる。なついたな、と思ったら再び母親は香港へいくんだぜ。次女が「行かないでー」って空港で泣き叫んでるっていうのに。これは鬼母だなと思ったぞ。もうちょっとフィリピン国内の経済状況や就業状況が描けていて、国内に仕事もなくて香港へ行くしかない、という状況が分かると、もっと説得力があるんだけどね。なんだまた香港へ行くのかよ、と思ってしまわれそうだな。ラストで母親と長女が激しい口げんかをして、長女が母親を理解するわけだけど、このあたり説得力がない。なんか具体的な事件でも起こして理解し合えるようにして欲しかったね。ていうか、母親と長女の確執の表面的な部分だけをだらだらと引っ張りすぎ。もっとフィリピンの現実をどしどしドラマに組み込んでいって、そこで翻弄される様子を描くべきだろう。それと、シリアスな場面にリアリティが足りなくて、思わず笑ってしまうようなところがあるのも考えものだ。やっぱ、ドラマにリアリティがないせいかもね。それにしても、香港でのメイド仲間3人がわいわい騒ぐ様子は、オバサンパワー爆発だ。これでもかの圧倒的迫力がある。こういう年代と比べて、若い連中は線が細く描かれているね。現実にもそうなんだろうか。日本の若者も現実の壁につぶされて元気がないけど、フィリピンでも同じなの? 長男の彼女になる娘が、ちっょと可愛かったな。長女役の女優は、ちょっとみ可愛いみたいに見えそうだけど、ちと貧相な印象。
ガン&トークス4/22新宿武蔵野館2監督/チャン・ジン脚本/チャン・ジン
風邪薬を飲んでいて眠いところにラーメンを食ってすぐの2時30分からの上映なので、眠かった。始まって30分ぐらいで朦朧としてきて、5分ぐらい記憶がない。その後は眼が少し冴えたけれど、やっぱ基本的な面白さに欠けるせいか、見ていてもわくわくしない。うーむ、だな。さて。はじめのうちは洒落た殺し屋の話だな、と見ていたのだ。ユーモアもあるし、コメディといっていい部分もある。しかも、殺し屋4人組と刑事の知恵くらべは、いかにもシンプル。リアリティはほとんどない。だから、様式美が必要なんだけど、それがない。どーも様式美に欠けるのだ。ミュージカルにでもなりそうな話の流れなのに、様式に徹しきれずとても中途半端なのだ。キャラクターが立っていないのも、もの足りない。ニュースキャスターや、女を殺すように依頼した依頼人、ターゲットの妊婦とか、出番は長いけどいまひとつインパクトがなかったりする。妊婦役の女優はなかなか可愛かったんだけどねえ。というわけで、後半ももりあがりにつながらず、だからどうしたという展開。もちっとなんとかならなかったのかな。設定は面白いのだから、キャラクターの造型とドラマに力を入れれば、なかなか軽妙洒脱でエレガントな映画になったような気がするんだけどね。もったいない。
ベッカムに恋して4/23テアトル新宿監督/グリンダ・チャーダ脚本/グリンダ・チャーダ、グルジット・ビンドラ、ポール・マエダ・バージェス
元気になる映画だね。自分の才能に目覚め、サッカーチームでも頭角を現し、だんだん強く逞しくなっていくインド娘。そして仲間たち。いつのまにか、みんなに「がんばれ!」って声援を送ってる。登場人物の大半が天真爛漫でポジティブ志向。目的にむかってがんばっちゃえば、絶対成功しちゃうもんね的な人物ばかりなので、安心して見てられる。まあ、ちょっとしたトラブルはあるけどね。とくにインド娘の家庭は「女だてらに」って考えが強くて、大変のようだ。これは、本当のことなのかな。でも、ダメダメっていってた父親も最後には許してくれるし、めでたいめでたい。コーチとの恋愛問題は、結局、最後まではっきりした結論がでなかったみたいだね。第一、なぜコーチがインド娘に恋したかってところが描かれてない。これは、ちゃんと描くべきだと思うぞ。そして、もともとコーチが好きだったイギリス娘との確執も、ちゃんと解決しておくべきだろ。なんとなく曖昧にしちゃっているのは、ちと不満だな。エンドクレジットがおかしい。サリーを着たインド婆さんが蹴ったりキーパーしたりは最高だ。ま、とにかく、見終わった後スカッとして、元気がでてくること間違いなしだ。
WATARIDORI4/28テアトルタイムズスクエア監督/ジャック・クルーゾ、ミッシェル・デバ脚本/●
総監督はジャック・ペランだと。昨日の寝不足がたたって、10分ぐらいで眠くなり、15分ぐらい半睡状態になった。やっぱ、単調すぎるとこういう結果になるのだな。まあ、それ以後はちやんと見通したのだが・・・。どうやって撮ったのかと疑ってしまうような場面が多数あり。といっても、鳥の刷り込み現象を利用して軽量飛行機を親に見立てさせた、ってな話は聞いていたから、なるほどと思いながら見ていた部分も多い。鳥と一緒に飛んでいるシーンなんかは、刷り込みなんだろう。あまりにも接近してリアルに飛んでいるので、合成のように見えてしまう。しかし、刷り込まれた鳥たちがなんか可哀想な気もする。地平が見えるシーンで、アフリカやヨーロッパ大陸が地図のように見えるところは、これは合成だろうなあ、と思った。ところが、HPを見たら合成はないのだという。うへ。あれって、リアル? ヨーロッパの地図が見えるなんて、かなりの高度だと思うが・・・。ただ飛んでいるだけのシーンは半分ぐらいで、途中からナショナル・ジオグラフィックみたいになってくる。人間の猟師に撃たれたり、油で足を取られたり、カニに食われたり・・・。やらせっぽいけど、まあ、そういうことはあるのだろう。鳥の視点で見ているからか、鳥に同情してしまうが、大自然なんて食うか食われるかだ。鳥だっていろんな生き物を食ってるんだ。それにしても、ペンギンが何千キロも移動しているとは知らなかった。しかし、目の前で別の鳥に子供が食われているのに抵抗できずにいるペンギンってのは哀れだった。こういう姿を見ていると、動物は、人間も含めて"何のために生きているのか?"ということを考えずにいられない。生殖して子孫を残し、育てて、死んでいく。その繰り返し。ただ、それだけのために生きている。何でなんだろう? と。映画はドキュメンタリーだけど、何ていう鳥がどこからどこまで移動するとか、学術的なことは説明されない。それがちょっともの足りない。まあ、やりすぎれば、もろナショナル・ジオグラフィックになっちゃうだろうけど、そういうのがないとよけいに単調に見えるのだった。
ボイス4/30上野東急2監督/アン・ビョンギ脚本/アン・ビョンギ、イ・ユジン
つまんなかった。まず、映画の基本構成と演出がダメ。誰が、いつ、どこで・・・というのが明確に画面に描かれていない。え? これはもう友人に提供された家の中なの? ふーん、家の外観はこうだったの。というように戸惑うことが多かった。登場人物の仕事や人間関係なんかしは、もう適当もいいところだったしね。時系列の描き方も下手で、過去へ遡ったり現在に戻っていることが上手く表現されていない。とくに、女学生のシーンがあやふやだった。教室で机の上の携帯が鳴って驚愕し、首をペンで刺される(自分で刺したのかも知れないが、そうは見えなかったぞ)女子高生→眠れないと文句をいう女子高生→日記を見つける女子高生・・・というところが、よく分からなかった。あの、眼がつぶれた女子高生は、ペンで自分の眼を刺した女子高生なのかな。多分そうだと思うんだけど、つながりが悪くて十分に理解できなかったぞ。
女優がたくさんでてくるんだけど、なんかみな似ているんだよね。みな美人だけど瓜実顔で同じように見える。僕の目と記憶力が悪いのかも知れないが、もっと個性的なキャラの女優をキャスティングした方がいいような気がするぞ。
で、怖いかと聞かれたら、最初の頃は多少怖かったと応えておこう。といっても、理屈というか、根拠があって怖い、っていうんじゃない。たとえば「リング」のように「見ると死ぬ」という前提があって、その枠組みの中で恐怖が醸成されていくんじゃないのだ。恐怖の対象が不明のまま、人物がぎゃーぎゃーいって怖がったり、鏡に妙な人影が映ったり、音で驚かしたりというように、"こけおどし"ばっかりなんだよな。だから、オープニングのエレベーターのシーンはとても退屈で面白くなかった。もちろん、中盤になるとエレベーターで死んだのが誰なのかっていうのは何となく分かってくるんだけど、ぴりっとしない怖さなのだ。その中盤になって、とても下世話なことが理由で悲劇が起こり、その結果の携帯による怨念が・・・ってのが分かってくるんだけど、分かってしまうとこれがまたつまらない。なーんだ、であって、やっぱり、ということになってしまう。とてつもない恐怖があったわけじゃない。せいぜい2時間ドラマに恐怖を付け加えた程度だって知れてしまうのだ。
最初に死んだ女子高生がもっていた携帯番号が何人かの手を経て本編の主人公のものになるわけだけれど、その何人かの女子高生やエレベーターの女やタクシーの運転手は何の因縁もなくて死に損じゃないの? さっさと怨念の相手に携帯が渡る手段を考えたらいいだろうに、と思ってしまう。子供に乗り移ることができるなら、最初から仇に乗り移ればいいだろう。携帯なんか鳴らして無関係な人を恐怖に陥れるなんて、理不尽じゃないか。それに、携帯にかかってくる恐怖というけれど、だったらさっさと携帯なんか捨てればいいだろう。捨てないのなら、捨てられない状況というのをちゃんと描いてもらわないと納得できないよね。というわけで、理に叶っていないことが多すぎて失望。ラストも理に叶っていない。携帯を使いながら携帯ならではの使い方がされていない。携帯の番号に何の意味もなかったしねえ。だからどうした、というレベルの映画だと思う。そうそう。子役は、気味の悪い憎々しい顔でなかなか迫力があったぞ。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|