2003年10月

トゥームレイダー210/1日劇1監督/ヤン・デ・ボン脚本/ディーン・ジョーギャリス
派手に見えるアクションはあるんだけど、楽しくない。たぶんこれは、まず主人公の存在と行動理由に原因があるんじゃないかと思う。主人公は、盗掘が仕事(?)なんだろ? 海底の神殿に侵入してメダルや黄金の玉を持ち去ろうとしたわけだ。ところが、その玉が伝説のパンドラの箱を開ける鍵になっていて、科学者が病原菌を世界の為政者に売りつけようとしていることを知る(なんか「チャリエン/フルスロットル」と似てるね)。と、途端にそれを阻止するべく動き出すんだけど、小悪党が正義感ぶって動き回るのが、どーも納得行かない。こういう活劇で同ジャンルに入るといえば「インディ・ジョーンズ」シリーズがあるけど、あの、わくわくドキドキのめくるめく展開、そして、興奮がない。「インディ・ジョーンズ」の方は、どちらかといえば巻き込まれ型で、逃げるのを映像化しているけれど、「トゥームレイダー2」は、追う、を映像化している。で、その追跡はご都合主義が前面にですぎで、肝心なところになると理論的じゃなくて神秘的になって連鎖していってしまう。どーも、こういうところに納得がいかないし、スカッとした爽快感がないね。見ていて眠くなった。けばけばしいアクションをつないでみても、そこに人間的な何かが加味されていないと、興味を惹かないってことかもね。
ロボコン10/1シャンテ・シネ3監督/古厩智之脚本/古厩智之
映像のきれいさや演出、編集は下手だ。けど、面白い。まず、素材の面白さだろうと思う。ロボコンなんて地味な素材なのに、そこそこ見せてしまうのは、素材そのものに力が備わっているからだと思う。冴えないクラブとメンバー、音楽のテイスト、そして、ラストなどは「シコふんじゃった 」の影響が大。部員の対立や合宿に行って宿の仕事ばかりしたりするのは「ウォーター・ボーイズ」の影響大。というわけで、これらの成功例からエッセンスをいただけば、そこそこのシナリオは書ける。というわけで、体育系ではないクラブ活動の物語が完成したというところだ。もの足りないなと思うのは、出演者の数。部員はあと2、3人欲しいところ。対立するライバルも第一ロボット部だけじゃつまらない。全国大会での強力なライバルなんかがいたりして、それを破るっていうカタルシスが欲しいところだ。それに、市井のサポーターが主人公の父親だけっていうのも寂しい。なんとか旅館の女将(吉田日出子がいい)や、その周辺の応援団もだしたかったね。この辺りは「ウォーターボーイズ」を参考にして欲しい。それから、ロボットと添い寝する先生のキャラは面白いのに、存分に活かされている感じもない。わざわざ旅館に合宿に行って旅館の仕事をしながらも、あまりロボットの成果に具体的に活かされていない(コンベアの代わりのアイディアが、風呂掃除というぐらい)のも、もったいない。もうちょっとエピソードをふくらませてもらえたらよかったのに。
話に、さほど盛り上がりがあるわけじゃない。地道に、地味。でも、そこは4人の部員の明るさ(設計担当が当初は暗いけど、次第に明るくなる)でカバー。それと、特異な演出も笑わせる。たとえば全国大会の審査員のオヤジ3人の動きや表情。あの、本筋から浮きまくった感じは、何だ。「ショムニ」の演出を連想してしまった。「蘇州夜曲」を使ってみたりのミスマッチも面白い。ま、そういう小味が効いているところがおかしい。あとは・・・、第一ロボット部長の「あの目つきが嫌いだ」というセリフも、おかしい。あのキャラクターは得がたいね。というわけで、たどたどしいつくりだけれど、的は外していない。ま、もう少しの洗練が欲しいなとといところかな。
マッチスティック・メン10/8上野東急監督/リドリー・スコット脚本/ニコラス・グリフィン、テッド・グリフィン
きれいに騙されてしまった。なるほど、主人公以外はすべてフェイクだったのね。というわけで、最後まで見ると、してやられた爽快感が味わえる。
広場恐怖症に潔癖性という、神経症の詐欺師が主人公。相棒と2人で主婦を騙すようなセコい詐欺を繰り返し、巨額の富をため込んでいる。ある日、かかりつけの医師がいなくなってしまい、それじゃあと相棒が別の医師を紹介する。簡単なセラピーで過去を振り替えさせられる・・・。そういえば、別れた女房がいて、とうじ彼女は妊娠していた。いまごろは息子が・・・。医師に連絡を取ってもらうと、14歳の娘がいた。というところからは、ちょっとしたコメディ。年頃の娘に翻弄される人のいいオヤジぶりをニコラス・ケイジが演じている。同時並行して、ちょっとでかいヤマが進行する。相棒がもってきた仕事で、ヤバイ金をロンダリングするようなふりをして、相手の金をくすねようというものだ。この仕事に娘も絡むことになってしまい・・・。で、二転三転、どんでん返し。いや、最後は本当に面白かった。中盤過ぎまでの娘とのあれやこれやも楽しい。もっとも、終盤にかけては、ちょっともの足りないところもあった。まず、主人公と相棒がしかける詐欺が稚拙なことだ。なんだよ、こんな単純な詐欺かよ、とがっかりしたぐらいだ。もっとも、この単純詐欺があるからこそ、最後のどんでん返しが効くのかも知れない。主人公と相棒が複雑な詐欺を働いたりしたら、話がややこしくなる可能性は、あるだろう。僕としては、最後に娘が実は別の父親の娘、ぐらいのオチがあるのかなと思っていた。それを裏切るどんでん返しは、なかなかだった。上出来な映画だと思う。
ドッペルゲンガー10/10新宿武蔵野館3監督/黒沢清脚本/黒沢清、古澤健
中盤までの、ドッペルゲンガーが登場していたところは、そこそこに興味を惹いた。ところが、本人とユースケ、永作の3人でドッペルゲンガーを殺してからのウロウロになると、途端につまらなくなった。だって、ドラマがないんだもん。ユースケが元いた工場でのシーンで、うとうと。気がついたらドッペルが永作を襲っている場面だった。
似た人間といえば、ドッペルゲンガーじゃなくて、やっぱ。ドッペルゲンゲルでしょ、呼び方は。でもって、芥川龍之介だわな。というわけで、映画館で見かけた自分だとか、街ですれ違った自分なんていうのが先入観としてあった。ところが、この映画で取り上げられているのは得体の知れない似ている何か、ではなく、得たいが知れる分身だ。最初のドッペルゲンガーは、明らかに潜在意識下の、本音=欲望に操られた自分で、それが人格として登場したと考えていい。二重人格だ。こう分かってしまうと、とたんにデキがつまらない映画に見えてくる。だって妖しさも何もないんだもん。イブ・ホワイトとブラックを描いた映画「イブの三つの顔」の方がよっぽど不気味だ。で、後半の、ロボット(これが自分の意志に反応して動くもうひとつの自分というのはアナロジーとしては稚拙すぎると思う)をどこかの会社に売りつけに行く過程のあれやこれやは、ちっとも面白くなかった。みていてどうでもよくなった。だって本人が何をどうしようと考えているのか、さつぱり分からないんだもの。というわけで、後半はだらだらと時間つぶしレベルの内容。とてもつまらなかった。
で、見終わってしばらくして思ったんだけど、これは単なる二重人格じゃないなということだ。ユースケはドッペルがつれてきた人間だ。ってことは、ユースケは第3の人格だって可能性が大だ。だって、ロボットの修理まで手伝えるんだから。さらに、永作だって台の人格と考えることができる、ってことだ。もちろん、永作は本人の部下の友だちだから、ちゃんとした別人と見ることもできる。見ることもできるけれど、本人は部下から永作の存在を聞いて知っていた。ってことは、そこからねつ造した人格と捉えてもよさそうだ。ってことは、少なくとも三重人格、もしかしたら四重人格ということだ。4人がうろうろする過程で、ドッペルが殺されたりユースケが殺されそうになったり、そういう場面を永作が見ても驚愕にかられないのが不思議だったんだけど、自分の中の別人格を抹消していこうとする行為だとすれば、十分に納得がいく。分裂した本人か、ドッペルゲンガーを抹消し、ドッペルがつれてきたユースケを抹消し、そして、最大の分身ともいえるマシンを抹消する。これによって、本人は自己同一化できたということだろう。まあ、永作は自己を共有する理解者として残したのかも知れない。ラストシーンも、自分の中の人格の統合によって悩みから解放されたということかも。まあ、永作が別人で三重人格だという設定だとしたら、なんともつまらないハッピーエンドだけどね。
インファナル・アフェア10/14上野東急2監督/アンドリュー・ラウ、アラン・マック脚本/アラン・マック
警察官がマフィアに、マフィアが警察内部に、それぞれ潜入しているという設定。でも、これは公開前から流布されていて、意外性はない。まったく、映画を見るのに邪魔な情報ばかりがふえていく。それはさておき、結構複雑な話かと思いきや、意外と単純。ちょっと拍子抜けした。とはいうものの、マフィアの取引が2度あって、そのときの互いの潜入者同士の智恵比べや、潜入者を探索し合うところは、なかなかスリリングに描かれている。かなり練った脚本だ。でも、10年も潜入している割に映画館で会ったり携帯で連絡しあったり、なんとはなしにルーズ。普通バレるだろ、そんなことしてたら。いまどき盗聴器や逆探知、監視カメラがどこにでもあるのだから、見つからない方が不思議だと思うがな。という突っ込みはさておいて、そういった部分を気にしなければ、楽しめる。もっとも、緊張感はマフィアの親玉を消すところ(ここが結構大事)までで、そのあとの展開は意外ではあるけれど想定できる意外性であり、つまらない。ラストも、こんな哀しい終わり方じゃなくて、観客の裏をかくような爽快なものにして欲しかった。
それから、突っ込みついでにもうひとつ。警察大学に入った頃の役者と、その10年後(アンディとトニー)で、あまりにも顔が変わりすぎだろ。違和感ありすぎだぞ。そうそう。マフィアの親分役は、なかなか味があってよろしかった。
めぐりあう時間たち10/16飯田橋ギンレイホール監督/スティーヴン・ダルドリー脚本/デヴィッド・ヘア
事情があって、冒頭の5分ほどが見られなかった(終わったあと最初から10分ほどを見直したけど)。1930年代風の男女のシーンで、作家のようだ・・・なんて思っていると、1950年代風、そして、現在の物語になったりして、3つの時代がつづれ織りになって進む。正直にいって、よく分からなかった。1920年代の女流作家が1950年代の主婦の命運を握っているらしいのが不思議だった。主婦が読んでいるのは、女流作家の小説らしい・・・。では、現代はどういう関係があるのだ? 50年代の主婦の息子か? やっぱりそうか。てな感じで、どーもテーマがはっきりしない。漠然。で、最後に女流作家か入水する。あれれれ。エンドクレジットを見たら、作家はバージニア・ウルフだって。あららら。というわけで、最初から見直したら、なんだ。それぞれの時代はちゃんとクレジットされているし、彼女がバージニア・ウルフだってことも、入水することも描かれていた。あらら、である。で、見直したら、ちゃんと話も韻を踏んでいるので驚いた。バージニア・ウルフは朝食を食べなかった。50年代の少年も朝食を食べなかった。現代の詩人も、朝食を食べているか怪しい・・・。こんな細かな描写が、ほんとうはもっとあったのかも知れない。映画は、二度見ると本当にいろいろと発見するものだ。
「ダロウェイ夫人」という本がどういう内容だか分からないけれど、それって関係あるのかな。時を隔てた女の、たった1日の物語。それが連鎖するというか、因果関係をもつという含みをもたせてはいるけれど、その関係は明瞭ではない。むしろ、思わせぶりなだけで、あまり迫ってこない。これがちょっと残念。バージニア・ウルフの物語はいちばんつまらない。神経病みの女が自殺する・・・って、原因もよく分からないし、どうして田舎暮らしに倦んでいるのか分からない。たんなる我が儘じゃん。50年代の物語は、普通の主婦の反乱で面白い。わけの分からない束縛からの解放かな。現代の物語も面白いのだけれど、過去との因果関係がいささか弱いのではないの? というわけで、そこそこの因果関係が描かれていて奥が深そうにも見えるけれど、実はそんなに深くないなと思えてしまう話でもある。だからどうした! と、つぶやいてしまおう。
ニコール・キッドマンが不細工なのでげんなりした。化粧だろうけれど、あんなに殺伐として色気のない顔だと、見ているのがちょいと辛かった。現代のフェイ・ダナウェイの娘は「T3」にでてきた女優だなあ。
エルミタージュ幻想10/16飯田橋ギンレイホール監督/アレクサンドル・ソクーロフアナトリー・ニキーフォロフ、アレクサンドル・ソクーロフ
エルミタージュ美術館をノーカットで撮ったってやつだ。ちっとはお話があるのかと思いきや、狂言回しの男が1人でてくるだけ。カメラは私で、美術館にいる人々は狂言回しは見えるけれど、私(カメラ)は見えないという設定。で、階段や部屋をぐるぐるまわるだけ。現代の観客がいたり、昔の芝居の練習だったり舞踏会だったり、設定はあるけれどそれだけでドラマはない。ちっとも面白くない。途中で20分ぐらい寝かせてもらいました。起きてからも退屈で退屈で、たまらなかった。
デジタル撮影されているはずだから、専用のプロジェクターならきれいなんだろう。けど、フツーの映画館ではデジタルのよさなんかどこにもない。フィルムを交換する目印の丸がガリガリと手書きで削られているのが露骨に目だつだけ。しかも、巻が変わると色調も変わったりして、ひどいもんだ。ま、しょうがないけど。
恋は邪魔者10/21テアトルダイヤ監督/ペイトン・リード脚本/イヴ・アラート&デニス・ドレイク
1960年代ハリウッド映画のパロディになってる。ディーン・マーチンとかでてきそうな、舞台劇を映画化したみたいなロマンチック・コメディ。でもって、当時の表現手法なんかをそのまま使ったりして、笑える。たとえば車窓の風景をスクリーン・プロセス風にしてみたり、レニーとユアンのデート三昧を短時間にオーバーラップさせたり。セットも、いかにものもので、これも楽しめる。いや、セリフもそうだし、だいいちお話自体が当時の映画と同じようなスタイル。ここまでくると、何でいまどきそんなことする必要があんだよ、とひねくれてしまいたくなる。まあ、当時の映画をよく知っている人なら、それだけで楽しいのかも知れないけどね。まあ、エド・サリバンやジュディ・ガーランドのそっくりさん(だよな?)には笑ったけど。エンドクレジットでは、結婚した2人が放送し始めたばかりのカラーテレビの、まさしく総天然色って言葉が似合いそうなケバケバしい色彩で登場する。いや、いろいろと懲りまくってるねえ。
S.W.A.T.10/30上野東急監督/クラーク・ジョンソン脚本/デビット・アヤー、デビッド・マッケナ、 ストーリー:ロン・ミタ&ジム・マックレイン
こけおどしの場面の連続で眠くなるかな、と思っていたらさにあらず。結構、見てしまった。といっても、後半はだれる。だって、こうなるだろうという終わり方をしているんだもん。意外性は、まったくなし。
話は、若くて才能ある(でも一癖がある)連中が集められて、敵と戦うという一本調子。かつての仲間との対立がサブストーリーになっているところなんか、まるっきり青春映画そのもの。ところが、青年たちよりもベテランのサミュエル・L・ジャクソンの方が目立ってしまうのが困りもの。もっと青年たちの日常生活や苦悩、恋愛なんていうところに時間を割いてもよかったかもね。主人公の彼女なんか、部屋をでていくシーンででたきりで、おいおい、どーなってるんだよって思っちゃう。他の隊員たちも、以下同文。描き込みが足らないと思う。それでもまあ前半が楽しく見られたのは、S.W.A.T.という存在が大きいからかも。無敵のヒーローでもなく、CGは使っているにしても氾濫してない。不敵な面構えのミシェル・ロドリゲスがいい味をだしていたりするせいかも知れない。ところが、前半から小出しにしてきたマフィアの親分らしき人物の奪還作戦がはじまったころから、退屈になってくる。たかが親分1人を奪い返すのに、あそこまでするか? 逃がしてくれたら1億ドルやるからっていわれて銃を乱射するバカがいるか? いや、S.W.A.T.の隊員までが転ぶか? だいいち、金はどうやって受け取る。どうやって逃げて暮らす? ということを考えるだけで、陳腐な話になったなあと思わざるを得なかった。そこらへん、改善の余地が大いにあるなあ。
KILL BILL Vol.110/31丸の内ピカデリー1監督/クエンティン・タランティーノ脚本/クエンティン・タランティーノ
期待しすぎて行ったので、拍子抜け。つまんないじゃん。面白かったのは、最初のエピソードまで。あの、黒人の殺し屋とのやりとりは、スリリングでよかった。それが、場所を日本に移してからテンポがとたんにダラダラしてしまう。沖縄の、千葉真一のでてくるシーンなんか、飽きちゃうよ。なんで? 殺陣は下手くそだし、ユマとルーシーの下手くそな日本語はどーにかならんか。「ここからは英語で話す」ってルーシーのセリフには笑ってしまった。いや、日本編ではほとんどが笑えるシーン。あんなに人が切れるか、あんなに手足がどすどす切り離せるか、いやいや、脳天が切り裂かれて髪はカツラのようにすっとび、脳みそが「ハンニバル」のようになっちゃったのは大笑いだよ。これは、コメディか? それに、日本っていうと妙な宮殿みたいなのがでてくるっていうのも、どーにかして欲しい。ま、こういうのが外国人好みなのかもしれないけど、うんざり。スケバン刑事みたいに鎖をなげるコギャルは、ちょっと面白かったけど。タランティーノ得意の時制のいじりも、中途半端。おっ、ここにこうやってつながるのか、ってなオドロキがなかった。それと・・・ユマが5年間(?)の眠りから覚めたとき、病院で13時間も足のリハビリをやっていたって、そんなことしてるまにみんなバレちゃうだろ、と突っ込みを入れたくなったぞ。ああ、それから。ユマがなんで暗殺団に狙われたのか、理由がよく分からないのも、ちょっともやもやしてしまう。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|