2003年11月

スパイキッズ3-D:ゲームオーバー11/5新宿ミラノ座監督/ロバート・ロドリゲス脚本/ロバート・ロドリゲス
コマ劇場の前に行ったら巨大なイントレが組まれていた。なんだろ? あ、そうか。「マトリックス レボリューションズ」の世界同時公開が、夜にあるのか。ふーん。それはいいとして、シネマミラノへ行ったら、「マッチスティック・メン」になっている。あれ? で、「スパイキッズ」はミラノ座だと書いてある。なんで? でもいいか、画面がでかいから。で、入るときに立体メガネをもらう。それでだ。右の青のレンズはいいとして、左の赤のレンズがとても暗いのだ。バランスがとれていない。なんだよ。で、見ていてとても不快だった。で。帰ってからウェブサイトを見たら立体動画が見られるので試してみたら、こっちは左右のバランスがひどくない。ってことは、ミラノ座の光量が足りないのかな? 画面に近い方がいいとか、なんかあるのだろうか。とにかく、1時間ぐらい見ているのが苦痛だった。で、ストーリーは、ほとんどない。立体映像のための小話みたいなもの。内容がまるっきりない。ま、立体が楽しめればそれはそれでいいのかも知れないけどね。立体が楽しめなかった私はどーする! しかし、いくら大スターがでているからといって、こんなチャチい映画がアメリカではバカアタリするなんて・・・。なお、見たのは吹き替え版。
天使の肌11/5新宿武蔵野館2監督/ヴァンサン・ペレーズ脚本/カリーヌ・シラ、ヴァンサン・ペレーズ、ジェローム・トネール、台詞:カリーヌ・シラ
不思議な映画。大胆な省略が、なんか気持ちよい展開。で、いかにもフランス映画っぽい。驚いたのは、これが現在のドラマだったということだ。最初、2、30年昔の設定かと思っていたのに。フランスは、これほど田舎なのか? さてと。田舎の娘が初めてあった男に処女を進呈する。その後の2人の運命やいかに? だけれど、娘の人生がなんとも激しい。あれ、あれ、こうなっちゃうの、ええ! ええ? ってな感じ。製薬会社の社員という立場が巧妙に布石になっていて、ちょっとした仕掛けもある。3/4ぐらいは意外なストーリー展開に驚きながら見ていたけれど、最後はいささか平凡。
不信心な男が、これまた不信心な娘に身をもって諭され、信心を身につける映画である。このテーマは、なんか浅くてつまらない。もうちょっと読んでいくと、家族に捨てられた人々が見えてくる。娘は貧乏で家を追い出される。男は、父親に捨てられ、母を見捨てた。男の妻になる女は、母親に捨てられている。製薬会社のうだつの上がらない社員は、妻に逃げられる。そういう、家族に逃げられた人々が、心の喪失感を取り戻していくドラマだ。しかし、それにしては主人公の素朴で純真な娘の最後は、哀れすぎないか? むしゃくしゃしたから手近にいた娘の処女をいただいて、あとは忘れていた男が信心を取り戻したとしても、娘は救われない。なにも、娘を殺さなくてもいいだろう。それに、娘の死に方が、アホすぎる。玄関から駆け下り損ねて突っ伏して死ぬのだ。だいいち、娘が死ななくてはならない必然性は、あるか? ひとつもないぞ。なんとか救いのある映画にして終わって欲しかった。そうそう。男が嫁にする社長の娘は、どこかアフリカの部族の呪術師みたいな不気味な容姿をしていたぞ。ここらへんは、なんとかならんのか?
おばあちゃんの家11/6ギンレイホール監督/イ・ジョンヒャン脚本/イ・ジョンヒャン
どこかで祖母と孫が理解し合う感動的なシーンでもあるのかな、と思っていたら、そんな山場はまったくなかった。いや、最初から終わりまでテンションはまったく同じ。よくいえば淡々と、悪くいえばだらだらと、話はつづいていた。まるで、ドキュメンタリー映画みたいに。「萌の朱雀」を、ちょっと連想した。ちょっと物足りない。それはそれとして。不思議なテイストをもった映画だった。演出感があんまりない。婆さんは唖でしゃべらない。皺も腰の曲がり方も、演技とは思えない。本物の婆さんだ。子供がまたイキイキとしていて、カメラの前でシナリオ通りに動いているように全く思えない。この点では、もの凄い映画だと思う。ドラマがない分だけ、リアリティで迫ったのか。もっと少年とムラの人との接点を描いて欲しいと思った。都会から来た少年に興味をもつ悪ガキども。その悪ガキにいじめられるとか・・・。学校に行かないのは夏休み? その、山の学校での出来事を入れてみたり。いまひとつ喰い足らない。ドラマチックが欲しかった。ちょっと感動的だったのは、最後の、婆さんからの手紙だ。言葉がしゃべれず感情表現も少なかったのに、ハガキに描く絵のなんと色彩豊かで激情が伴っていることか。それまでが静だとすると、ラストの数カットは動だ。それにしても、あんなに何もないムラに連れていかれたら、子供じゃなくても嫌気がさすだろと思った。
北京ヴァイオリン11/6ギンレイホール監督/チェン・カイコー脚本/チェン・カイコー、シュエ・シャオルー
画面が美しい。光を意識したライティングで、映像に奥行きがある。しかも、巧みに原色を使うことで、鮮やかさも演出している。そういうところは高く評価する。けど、ストーリーはありきたり。つまらないといってよい。本筋の描き込みがあまりなくて、ムダな饒舌がすぎる。っていうか、おそらく、作り手の狙いは、このムダな部分だったのではないかと思える。流れるような映像、フォトジェニックなシーン、光、原色の鮮やかさ、音と映像の競演、いささかのユーモア。それが描ければよしとしたのだろう。だから、漫然と眺めて「キレイだな。面白いな」と思ってさえいられたら、満足できるはず。でも、人物の深みを期待する向きには、いささか物足りない。最初の先生なんか面白いキャラなのに使いこなせていないし、どうみても本筋とは関係ない近所のケバイ女は登場しすぎ。帽子にこだわる父親、あれは、性格異常者にしか見えないねえ。あの父親って、所詮は息子を有名にしたいってことなんだろ? それに、捨て子という疑惑は、どうなっちゃうんだ? ラストシーンだって、コンクール予選を放り出してきた息子を父親が笑顔で迎えるなんて、おかしいだろ。なんか、感動をムリに押しつけようとしてるだけにしか見えない。もうちょっとディテールを描き込んだら、ありきたりなお話でも、ピュアな感動をつたえられたのに。なんだかもつたいないね。個人的な要望をいえば、田舎の天才が都会や金や権力の壁を突破して、見事コンクール優勝! というサクセスストーリーにでもなっていれば、スカッとできたんだけどねえ。ま、収穫は、現在の中国の民衆の様子がみられたってことかな。
11/12テアトル新宿監督/西谷真一脚本/奥寺佐渡子
原作は金城一紀。これは、でたときに読んでいる。で、この映画だけれど、原作をかなり忠実に再現しているように思う。だからか、映画らしさが足りないと思う。つまらなくはないんだけれど、映画ならではの何かが足りないような気がする。それと、直接的な表現が多いように思う。しかも、違和感のあるような、ね。たとえば、青年が運転中に急にクルマを止めて「自分は死ぬかも知れない」と弁護士に号泣するのだけれど、すごく変だ。その事実には対峙してきたはずだろ。彼女にも言わなかったようなことを、初対面の男に言うか? それに、ああいうことは、泣きながら言わないぞ、普通。ラストの、弁護士が勿忘草の花壇で号泣するシーン。これも、すごく違和感。ふつうあんな風にはしないだろ。気持ちを態度で表しすぎだと思う。それに、30年も前に別れた妻の顔が思い出せないくせに、泣くか? あさこで。そんなこんな、いまひとつ迫ってこない。同時並行で語られる過去の弁護士夫妻の様子が、いまひとつだ。とくに、若き日の弁護士役が、いまひとつパッとしない。その弁護士の理想と堕落も、たんに言葉で語られていくだけなので、ぐっとこないし。なんか、映画的な何かが足りないと思うぞ。ライティングもいまひとつだ。食堂のシーンなんか逆行で人物は真っ黒。そういう効果を狙っているのかも知れないけど、ぜんぜん効果的じゃないと思う。
東京ゴッドファーザーズ11/18シネセゾン渋谷監督/今敏脚本/信本敬子、今敏
クリスマスから大晦日にかけての物語。で。赤ちゃん=天使 でもって奇跡、という図式が不明瞭じゃないかな。偶然に偶然が重なっていく不思議さが、いまひとつ届いてこない。もうすこし強調してもよかったかもね。その偶然の連鎖で話が進んでいくテンポは、まずまず。とんでもない意外性があまりなくて、うわ! とか、おお! っていうのがあまりない。せいぜい、コンビニに救急車が飛び込んできたときぐらいかな、おっ、って思ったのは。少女のキャラは、あんまり可愛くない。残念。オヤジとオカマは、類型的だけどまずまず。一番ダメなのが、赤ちゃん。妙に気味が悪い。可愛くない。なんとかならなかったのかな。いろいろ話をおっ広げておきながら放り出しっぱなし、っていうのもちょっっと気にかかるけど、まあ、いいか。オープニングのタイトルは、ちょっと洒落ている。
マトリックス リローデッド11/18上野東急監督/ウォシャウスキー兄弟脚本/ウォシャウスキー兄弟
渋谷から移動してコンビニでパンを買い、見る前に食べた。そのせいでか、30分を過ぎた頃に眠くなって、10分ぐらいうとうと。覚醒後は、まあなんとか、最後まで見た。ドリルや大量のタコロボットがザイオンを攻撃するところだけだな、見所は。あとは、つまらない。バーチャル世界の話が、今回はよく分からなかった。こっちの世界では、なにか解決したのか? でもって、現実の世界では、相変わらず地下のようなところでむにゃむにゃとしゃべっているだけ。話の大切な要素である、いつ、どこで、誰が、何を、どのように、っていうのがよく分からない、そんな中で、もぞもぞ話したり周囲をうろついているだけ。もっと人と人とが対立したり、挫折したり、なんだのかんだの、ドラマがないとまるっきり面白くない。退屈なだけ。シリーズ1作目はそれなりに人も移動したりしていたし、ドラマがあったけど、2作3作は陰気なだけだ。ラストも、ウィルスバスターのスミスになりすましコピーとなって自滅することで、スミスをやっつけるという、だからなんだというような展開。いまひとつ、よく分からん。ってか、分かりたくもないや、もう。そういえば、タコロボットの目玉がオームを感じさせたり、触手でもちあげられたキアヌがナウシカみたいだったり、ちょっと問題なんじゃないかい?
昭和歌謡大全集11/19シネマミラノ監督/篠原哲雄脚本/大森寿美雄
面白かった。久々に刺激的な映画を見た気分。っていうか、スタイルとしてはちょっと古い表現が多い。昔の日活ニューアクションとか日活ロマンポルノとか、裏に妙に政治的なメッセージが込められていたり、アイロニーが感じられるものがあったけど、そんな類のテイストかな。お話は単純。ぱっぱらぱーの専門学校生のグループと、バツイチのオバサングループが対立して殺し合う。リアリティはまったくないけれど、とても映画的だ。意味のない復讐が繰り返されたり、どんどん武器がエスカレートしていくあたりは、様子は昨今の国際間紛争を想起させる。埼玉と群馬の県境にトカレフを売ってる店があったり、自衛隊員がバズーカ(?)を横流ししたり、社会的事件を連想させるような描写もある。こんなメタファーが結構ある。もっとも、形而上的で不思議なメタファーはほとんどない。意外と直接的な表現だ。こういうところは、相米慎二や森田芳光なんかと違うところだなあ。個人的には不可解なオブジェクトがぽろぽろ登場するのも好きなんだけど。まあ、いい。ダイアローグが秀逸。とくに、オバサングループの会話が、なかなかおかしくて、深いように聞こえたりする。外し方やずらし方とかもいい。たとえばぶり大根の話とか。でもって、笑えるところがたっぷりあるのも、いいぞ。キチッとライティングされて、奥行きが感じられる画調もいい。いったいどうなっていくのか分からない展開。そして、ラストは・・・。って、エスカレートしすぎがまた、皮肉が効いていてよいね。水準の高い映画だと思う。
ぼくの好きな先生11/21銀座テアトルシネマ監督/ニコラ・フィリベール脚本/
ドキュメンタリーなんだけど、ドキュメンタリーらしくない。かといって演出があるかっていうと、それも感じられない。とても自然に見られるのが素晴らしい。それにしても、1人の教師が4歳ぐらいの幼児から12歳ぐらいまでの少年少女まで教えている学校なんて。日本じゃ信じられないねえ。教えることの幅広さの大変さもあるだろう。いやいや。わめく子供もいるだろう。オシッコを漏らす子供だっているに違いない。よくもまあ我慢がつづくなあと感心してしまう。それと、子供だからと言って上から押しつけるようにしないところが、素晴らしい。幼児に対してもちゃんと言葉で、理屈を話す。まるで大人に対するかのように理解させ、自覚させようとする。気が短い人だったらつづかないね。教師は、根気強さが大切なんだなあ。って、フランスの教師がすべてこうだとは思わないけどね。子供は、13人ぐらい。それぞれ個性はあるんだろうけれど、結局のところ目立ってくるのは上級生の3人と、下級生の男の子1人。みな、優等生ではなく、ちょっと問題がある子供だ。どうしても、そういう子供の方が絵にしやすいんだろう。まあ、それは理解できるけど、フツーの子供たちももっと見てみたい気がする。とくに大きなトラブルもなく、いつの間にか冬から春、そして、夏休みへ。子供たちとの別れも、ドラマチックでなく淡々と描かれているのがよろしい。合間にインサートされる風景も、いい。
アリラ11/23有楽町朝日ホール監督/アモス・ギタイ脚本/●
TOKYO FILMeX 2003/なんかなあ、いまひとつ何がいいたいのか分からん。チラシをざっとみて、そこそこ面白そうなのを適当にピックアップ。チケットを買ったらあとはあらすじも忘れて、どこの映画だかも忘れて見に行くのが常なのだが。この映画は2/3ぐらい過ぎるまでどこの映画か分からなかった。
最初に監督が舞台挨拶して、「中近東の・・・」といっていたから、その辺りだということは分かった。それに、1シーン1ショットで撮られていて、シーンが40しかないということもいっていた。けど、どの国の映画なのかはなかなか分からなかった。イスラエルなんだと。ふーん。アラブ人の国ではなさそうとは分かったけれど、イスラエルねえ。分かってみるとなるほどなんだけど。たとえば、乳房をだして激しいセックスシーンがあったり、白人系のような人物が出ていたり。なるほど。でも、出てくる人間がみんな貧乏人というか、いまひとつ知性的に見えないんだよ。イスラエルっていうと白人系の国でみな頭が良くてユダヤ人てな印象があるから、アラブっぽい顔の人間や中国人まで登場すると、もう、得体がわからない、である。
昔の女房に未練たらしく寄ってくる亭主がいて、女房の方は新しい男をたらし込んでいる。2人の息子は懲役拒否で逃げ回っている。女房には若い女の友だちがいる。彼女はハゲ中年の囲い物で、あるアパートに出入りして、そこで欲情にふけっている。セックスでイクたびに大声を上げるのが笑える。で、そのアパートは現在、建て増し造営中。工事を指揮しているのは最初に出てきた亭主の方で、中国人の労働者をつかって騒音を出している。その騒音に、住人は文句たらたら。犬と暮らしているジジイがいる。中国人のメイドと暮らしているポーランド人のジジイがいる。アパートの大家はわめき散らすのが趣味みたいな女で、娘にいい暮らしをさせてやりたいからアパートを拡大するといっている。・・・てな話が緩慢と進んでいく。ドラマはあまりない。淡々と、接続詞が抜けたみたいに話が飛んでいたりする。個々の人物の造形も浅くて、感情移入できない。出てくる人物はどこの誰で、なぜそういうことをしているのか、といったことが、ほとんど描かれていないから、お話に厚みがないのだ。せいぜい、若い女はハゲ中年に愛想をつかして別れ、懲役忌避の息子は両親にかくまわれるようになる、って変化があるぐらい。ほとんどなにも変わらない。みんな貧乏で情けなくて、未来もない。そんな中で、マイペースで生きている中国人のメイドが、ちょっとユニークな存在だった。てなわけで、あまり面白くなかったけれど、退屈はしなかった。
上映後にティーチインがあった。「イスラエルでは公の事柄が私生活に介入してくることが多い。だから、1シーン1ショットで外から家の中へと、連続して撮影してみた」「原作は、兵役拒否の息子を両親が軍隊に引き渡すのだけれど、映画では結局、引き渡さない道を選択させた。たとえ国家であろうと、ときには反逆し、故人が遺志を貫き通すことも必要だ」「アリラというのは、ヘブライ語で"陰謀"と"フィクション"の2つの意味がある」「中国人労働者の問題は、実際にあることだ」てなことが応えられていた。
オール・トゥモローズ・パーティーズ11/24有楽町朝日ホール監督/余力爲(ユー・リクウァイ)脚本/●
TOKYO FILMeX 2003/作品紹介には「ジャ・ジャンクー作品などの撮影監督でもあるユー・リクウァイによる『天上の恋歌』(99)に次ぐ監督第2作。近未来の中国で、支配勢力の抑圧から逃れた3人の若者が活路を探す旅を描く。終末感溢れる近未来のイメージは必見。カンヌ映画祭「ある視点」部門で上映」とあるが、つまんないことこの上なし。5分ぐらいで席を立ちたくなった。けど、ひょっとしたら途中から変わるかも知れない(変わらなかった)、1200円がもったいない、という気持ちでだらだら見つづけてしまった。時間がもったいないと思わせてくれる映画だった。香港映画。
難解、という言い方をする向きもあろうかと思うが、この映画は下手だと思う。そして、すべてがチープだ。もし予算がもっとあったらCGを多用するとか手はあるだろうが、それができなかっただけだとも思いたい。まず、いまから50年後の未来という設定。にしては、ぜんぜん近代化されていない。というか、後退している。近未来の中に古典的要素が介入する表現は、ある。「マッドマックス」や「風の谷のナウシカ」など、数多い。けど、この映画はそこらの砂漠やフツーの汽車、時代遅れのトラックの残骸なんかを未来に見立てているつもりだけ。未来を意識して(たとえそれが古典的な要素が入っていたとしてもだ)つくったものは、ほとんどない。1人乗りのクルマみたいなのがあったけど、あれだってチャチいし、どっかにありそうなものだ。監督がティーチインで「未来は発展しているか分からない」などと寝言を言っているけれど、言い訳にしか過ぎないと思う。次に、ストーリーが見えづらい。冒頭に状況説明がされただけで、いま、どことどこが戦い、戦況がどう動いているかが表現されていない。しかも、この映画の主要な登場人物差にしても、なぜ収容所にいて、どういう意図によって再教育がされているのか、その目指す国家の理想は? なんていうことがまったくない。描かれるのは、収容所にいる男女であり、体制が変わったことによって解放されてさまよう様子だけ。どこに向かっているのか、何を得たいのか、仲間はいるのかなんてことが、まったく描かれない。みな一様に暗くて、いきいきとしていない。だからどうした! である。でもって、この映画も接続詞が足りなくて、場面が飛んだり人物が突然いなくなったり登場したり、流れがぎくしゃく。見ている側の精神を逆なでする。つまらないうえに分からないのだから、眠くなっても仕方がないね。たまたま眠らなかったけど、眠りそうになったし、考えてやろうとか解釈してやろうという気分にはならなかった。だって、思わせぶりなオブジェクトとか人物とか行為もでてこないんだもの。こんな映画、コンペに出品される資格があるのか? オレはないと思う。
上映後にティーチイン。聞いてもよく分からなかったし、だいいち、説明を聞かなくては分からないような映画は、映画として体をなしていないと思うぞ。
○未来なのに古くさいが?
●未来が発展しているかどうか分からない
○韓国がでてくるが?
●カルト的集団は中国だけでなくアジア各国で発生し、問題になっている
○市山さんにききたい。この映画をコンペに選んだ理由は?
●カンヌで見て素晴らしいと思った。迫ってくる解像のすごさを感じた
○映画にはヨーロッパや日本がでてこないが、どんな存在になっているか?
●中国の北部を場面にした。他国をだすと話が複雑になるからやめた。設定では、未来は国が存在しない。各勢力はポートを形成し、勢力争いをしている
○最初の頃、子供が慎重が足りなくてはじかれたが、あれは何?
●母親は楽園のポートに行かせたがったが、はじかれた
マッチ売りの少女の再臨11/26有楽町朝日ホール監督/チャン・ソヌ脚本/●
TOKYO FILMeX 2003/解説には「『バッド・ムービー』(97)『Lies/嘘』(99)のチャン・ソヌの12作目となる超大作。少女からライターを受取ったことを契機に、青年がヴァーチャル・ゲームの世界に巻き込まれていく。美少女の新人イム・ウンギョンの魅力と見事なアクションシーンが必見」と書いてあった。この解説を見て「見ようか」と思ったのだけれど、この映画もまたハズレだった。なんか、てんでんばらばら。いろんな要素と表現の寄せ集めで、まとまりがない。まず、マッチ売りの少女(とはいうものの、実は100円ライター売りのお姉さん)はいったい何者なのか? どうも主人公の青年が毎日のように行っているゲームセンターの雇われ主人のようでもあるが、どうして青年は雇われ主人にマッチ売りの姿を見たのか、その理由が暗示されていない。現実とゲームの世界との接点というか、壁のようなものをもう少し説明した方がいいのではないかと思う。反対に、不要なものが描かれすぎ。冒頭では主人公と、友だちのゲーム巧者、それに、たまたま知り合ったヤリマン娘2人の会話があるけれど、あのヤリマン娘2人はその後どこにも登場しない。いったい何なんだ? 要らないじゃないか、あんな娘を描きすぎては混乱のもとだと思うぞ。ゲームの世界にると、いかにもゲームらしく、いまログインしている参加者が紹介されていく。けど、大した役割も果たさないのに丁寧すぎる紹介がされたりして、バランスがとれてないんじゃないのか? 活躍するのはオカマみたいなバイク乗りとおでん屋、情報屋ぐらいじゃん。こういう重要なキャラの掘り下げをしっかりやるべきだよ。前半は、バーチャルの世界もちゃっちいのに、後半になるとやたら派手になる。「マトリックス」や「バイオハザード」なんかの真似も登場して、笑わせてくれる。でも、CGやワイヤー(使い方が下手で中途半端)もかなり使っていたし、金はかかってる感じがする。こういう手法ができるなら最初から惜しみなく使えばいいのにねえと思うが、なんか、中途半端。最後のステージでいったん負けたのに結局勝ってしまうところも、よく分からん。第一、なんで蝶がでてくるんだ? よく分からん映画だ。そうそう。画質が悪いのが気になった。もっとカリッとした美しい画面に撮れないものかね。
というわけで、いろいろ要素はたくさん出てくるので寝ないかなと思ったが、中盤でうとうとしてしまった。やっぱ、心が入りきれなかったんだろうなあ。ティーチインは、なし。
女はみんな生きている 11/27新宿武蔵野館2監督/コリーヌ・セロー 脚本/コリーヌ・セロー
いやー。面白い。情報量が多くて、機器逃すまい見逃すまいとして緊張を強いられたけれど、それもまた快感。
冒頭からリズミカルでテンポがいい。祖母と息子、母親と子供。その関係のアナロジーが的確に表現される。でもって、この映画のテーマもちゃんと埋め込まれている。見事。夫婦が謎の女と出くわして・・・。おいおい。どうなるんだ、どうなっていくんだ? と思っていると、話はどんどん転がっていく。思わぬ展開についていくのが精一杯。おー、ってときどき納得のため息が出たり、笑ったり。ストーリーの複雑さもさることながら、男と女の性格の違いだとか、男に対する皮肉だとか、いろいろと描写されていて、深い。短いカットでシーンをつなぎ、めくるめく展開していくのも気持ちがいい。謎の女が、なぜそうなったかを述懐するシーンがちょっと長すぎるかなと思うぐらいで(それでも、つまらなくはないし、くどくもない。舌足らずでもない)、瑕疵が見あたらない。それより、この時間内によくもまあこれだけの要素を破綻なく詰め込んだものだと関心。男と女を単純に対立させているバカなフェミニズム映画に堕していないところも素晴らしい。フィルメックスでとろい映画ばかり見せられていたので、ほんと、栄養になったぞ。
2つの思考の間の沈黙11/28有楽町朝日ホール監督/ババク・パヤミ 脚本/●
TOKYO FILMeX 2003/解説には「宗教的な族長に支配された砂漠の村を舞台に、死刑を宣告された女性と刑の執行を命じられた若者との間の感情の揺れ動きをエキゾチックな風景の中に描く。『一票のラブレター』(01)が第2回東京フィルメックスで上映されたパヤミの最新作。 ※本作品はフィルムで撮られた作品ですが、今回はワークビデオ版での上映となります」とあった。いや、それにしても「一票のラブレター」を撮った監督の映画とは思えない、つまらないものだった。映画では、解説にあるような「宗教的な族長」というのは説明されていない。また、処刑を宣告された女と処刑係はでてくるけれど、感情の揺れ動きも表現されていない。のたーっとした、わけの分からん映画だった。
イランのどこか砂漠の村。処刑係の青年が、ある女の処刑をハジという人物に処刑を中止させられる。処女を殺しても天国へ行ってしまうからだという。ふーん。これは面白い映画になるかな。この2人はとんな会話を交わすのか? と思っていたけれど、そんな期待は裏切られる。状況も説明されず、会話も少なく、シーンだけがやたらとムダに長い。意味ないよ、それじゃ。ハジってのはどういう人物でいつごろから村を支配しているのか、誰がどのように抑圧されているかなんて、ちっとも描かれない。人物はそこらへんにある砂や岩のように、たんにある存在として描写されつづけるだけで、見ている側にはまったく理解不能。人間を描写するつもりはまったくないらしい。こんな映画じゃ、説明書きでも読んでイランの社会的背景でもレクチャーされて、いちいち教えてもらわないとわかりはしない。しかし、そんなことをして分かっても、それじゃ映画の意味がない。バカみたいなムダな時間を過ごしたという思いしかない。
冒頭に、監督からのメッセージが読み上げられた。フィルムはイラン政府に没収されて、手元にあるのは上映されるものだけしかない、と詫びていた。ワーキングビデオ(って、編集用にビデオに落としたもの、ってことか?)なので時間経過を示す数字カウンターが時々画面に映る。冒頭の10分ぐらいはフィルムのようだったけれど、あとは全部ビデオ。画質は悪く、ときどき歪んだりノイズが入る。まあ、それはいいとして、メッセージを伝えるメディアとしての役割も果たしていないのでは、映画として人に見せられるようなものではないと思う。今回のフィルメックスは4本見て4本ともクズだったなあ。

 
 

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