2003年12月

g@me.12/1日劇2監督/井坂聡脚本/尾崎将也
「[Focus] 」以来、まったく才能を発揮していない井坂聡の新作だ。少しは期待していったのだけれど、やはり凡庸な映画だった。あの、「[Focus] 」のテンポが良く歯切れの良いストーリー運び、意外な展開はどこにいってしまったのだろう。ごくフツーの原作を、だらだらとごくフツーに撮るだけなら、誰にでもできるだろ。
脚本が、間延びしている。それをそのまま刈り込むこともなく、ごくフツーに、ステレオタイプに撮っているだけだから、とても歯切れが悪い。もったりもったり、のろい。省略ということを知らないのか? と思わせるほどくどかったりする。「女はみんな生きている」という、今年見た中では最高の演出を見てしまった後なので、よけいにそう感じてしまう。
キャスティングは、これでいいのか? ガッツ石松だの椎名桔平だの、遊び心がちょっとあるけれど、他はあまりハマってない気がするぞ。とくに、仲間由紀恵がしっくりこない。まあ、こちらが「TRICK」ばかり見ているせいもあるんだろうけど、もう少しいい加減でおきゃんな姉ちゃんを持ってきた方がよくないか? まあ、auのCMに出ている仲間を使って携帯でメールや動画を送るってところを映像化したかった、っていうか、仲間を使うのが条件だったのかも知れないが、軽さはなくなったよなあ。お話は、そんなに深くない。一度どんでん返しがあって、さらに逆襲があってと3つの部分によって展開される。その1部がとてもつまらない。だいいち広告代理店のチーフぐらいであんな立派なマンションに住んでないって。社内で上司に見せるプレゼンなんてあんな立派じゃないって。クライアントが直前に企画を一方的につぶして、なお態度がでかいなんてことはないって。と、突っ込みどころはたっぷり。しかも、だらだらと長い(1時間は費やされている)。ここを(布石の部分があったりするのは分かるが)ざっくりと削るか、もっとテンポ良く再構成すべきだな。どんでん返しは(ありきたりと言えばそうなんだけど)そこそこ効いているから、「おお、こうなるのか」と一応は驚かせてくれる。そして、話が面白くなるのも、この2部からなんだから。で、3部の主人公(藤木直人って、華がない役者だなあ。顔が覚えられないぞ)のリベンジが、いまひとつピシャッと決まらない。やっぱさあ、誘拐犯を仕立て上げる方法としてビール会社の副社長が企んだことはリアリティがないってことよ。あんなの、主人公が警察で真実を話し、証拠を並べ立てれば問題なく分かっちゃうだろ。娘がクスリでラリってたなんて、証言者はいくらでもいるハズだしね。というわけで、原作の力もいまひとつかな? で、疑問がひとつ。横須賀で、主人公のクルマがジャマだからと警察官(小日向文世がちょい役)を呼んだ女が、実は副社長の奥方だったらしいのだが、どういう理由があってそうしたのか、皆目見当がつかないぞ。
"アイデンティティー"12/1ニュー東宝シネマ監督/ジェームズ・マンゴールド脚本/マイケル・クーニー
オープニングの細かなシーンの畳みかけが、ちょっと戸惑った。けど、数分過ぎると、ぴたっと収まっていく。この快感が心地よい。で、豪雨の夜、さまざまな人間が一軒のモーテルに集められ、そこで連続殺人が・・・。「13日の金曜日」的な展開だ。しかも、「先住民族の墓」という看板がでてくる。なんだよ、また悪魔かなんかがでてくんのか? ゾンビか? と、思わせる。きっと、つまらん流れになるなあ、と思っていたら大間違い。3/4ぐらい過ぎに、とんでもないことが明らかになる。平行して進められていた囚人の喚問と弁護士、検事らの集まりは、こういう仕掛けで結びつくのかと、目が冴えた。そして、そういえばこの映画のポスターは複数の人間の顔写真を重ね焼きしたものだったが、このことだったのかとポンとヒザを打つ。イヴ・ブラックやビリー・ミリガンも真っ青のストーリー展開。なるほど、こういう手があったかと、脳内現象という手法に拍手。で、真犯人はということでは、脳内現象ということが明らかになる前に、ひょっとしたらこの子が・・・と思ったのだけれど、最後の畳みかけですっかりその存在を忘れてしまい、ラストで「おお、そうだったか」と改めて納得してしまった。ま、ちょっと冷静な人なら忘れることのないメンバーの一人だから、読める確率は高いだろうな。私がトンマなだけかも。
主人公は、ジョン・キューザック。名前は聞いたことあるけど、ケビン・スペーシー似だなという印象が強すぎ。警官役の役者は伊良部に似ている。大スターは出ていないけれど、なかなかスリリングな映画だったぞ。でも、上質なエンタテイメントという枠からははみ出ていない。ま、それはそれでいいとは思うのだが。つまりまあ、見終わったらそれで残らない、ということだ。
シャンハイ・ナイト 12/3上野東急監督/デヴィッド・ドブキン脚本/アルフレッド・ガフ、マイルズ・ミラー
上海はでてこなかった気がするんだけど、なんで「シャンハイ・ナイト」なんだ? なんか、英語で特別な意味でもあるのかな? さてと。娯楽映画としての要素がたくさんつまっていて、とても楽しい。バカコンビ、切れ者の子供、陰険な悪漢・・・。足りないのは、美女かもしれない。ジャッキー・チェンの妹役ででている女性は鼻ぺちゃで、オッパイも小さいので色っぽさに欠けるよな。そのせいか、エッチ好きな娘や娼婦がたくさんでてくるけど、どーもこれっていう可愛い娘もいなかった。これがちょっと物足りない。ジャッキー・チェンは、見せ場がたっぷり。とくに、イギリスについて最初の、ごろつきどもと繰り広げるアクションは、最高。「雨に歌えば」のパロディがあった、いろんな技を次々とみせてくれる。こういうのを見ていると、ほんと飽きないね。CGつかって迫力だそうと努力しても、結局おもしろくもなんともないんだよ。こっちの方が肉体をフルに使っていて、思わず身を乗り出しちゃうな。だから、予告編で見せていたビッグベンのアクションは、たいして面白くなかった。だって、ここCG使ってるでしょ?
ストーリーはたわいないのだけれど、2人の悪役が中国皇帝の弟と、英国王室の10番目の皇位継承者って、そんな設定にしていいのか? 本家からクレームがつかなかったのか、気になるところだ。いろいろギャグ満載(紅花とか)だけど、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ誕生に絡めたり、ジョン・ウェイン(ジャッキーが? これは変だよなあ)やチャップリン(って、時代はもっと下るんじゃないか?)の名前もててくる。いろいろ細かなところにも凝っていて、楽しめたぞ。
テープ12/4ギンレイホール監督/リチャード・リンクレイター脚本/ステファン・ベルバー
モーテルに集まった3人の会話だけで1本撮ってしまったお手軽映画。3人は高校の同級生。1人はヤクの売人。相手は新進映画監督。後からくるのが検察官の女性。高校時代に監督が検察官をレイプしたじゃないかと売人が攻め、思わず告白してしまった言質をテープに録られる。しかし、検察官は「あれはレイプじゃない」といい、監督は困惑。売人は呆気にとられるという話。話のもって生き方が、いまひとつで「おおお。こうなっちゃうの!」ってなオドロキが感じられなかった。要するに、ダイアログが下手。レイプの話にしても結局は藪の中で、監督は「ちょっと強引だったかも」っていう思いが、売人によって拡大されて再現されているだけのように見える。検察官にとっては、「ちょっと苦い想い出だけど、そういえばそんなことも・・・」程度しか感じられない。いちばん熱心な売人にしても、その情報をどこから仕入れたかはっきりいわないので、曖昧。憶測でいってるようにしか見えない。最後に検察官が2人を翻弄して終わるのだけど、それもスカッとするわけじゃない。いや、見終わってもやもやしてる方が大きいか。だいたい、マイクロカセットテープに録音された一言だって、それほどのものかって気がするし。見ていて、こんなバカな売人にいつまでもつきあってないで、さっさと帰ればいいじゃないか、と監督のうじうじにイラだってしまっていたことも事実。いずれにしても、歯切れの悪い映画であることには変わりない。
ファインディング・ニモ12/8上野東急監督/アンドリュー・スタントン、共同監督リー・アンクリッチ脚本/アンドリュー・スタントン、ボブ・ピーターソン、デイヴィッド・レイノルズ
吹き替え版/ここ何年かに公開されたディズニーのアニメの中では最も感情移入することができた。それは、親子の感情がとても上手く表現されていたからだ。幼い子供の独り立ちを不安に思う親。心配する親をうっとうしく思う子供。そんな、子供が物心ついて世界に旅立つ端境期の物語として、かなりツボをついた表現ができている。子をもつ親を陥落するのは、容易なことだろうと思う。しかし、それは実際に幼児を育てている親ということではない。むしろ、子供が独り立ちして、ちょっと寂しい思いをしている親たちだろう。では、そういう、大人の親たちにターゲットした宣伝ができていたかというと、どーもそんな風には思えない。この映画は、物心のつかない子供が見てもさほど面白くない、というか、ごくありふれたアニメのひとつとしか認識されないのではないか。映画のよさが分かるのは、親の世代だと思う。そう。劇場に集めるべきは、子供ではなく親たちであるべきなのだ。
ニモが奇形であることに注目したい。片方のひれが小さくて、うまく泳ぐことができないという設定なのだ。そもそも、母親と、ニモの数百という兄弟たちは巨大な魚の餌食になってしまっている。だからニモは、適者生存で生き残った強い種ではない。たまたま残ってしまった卵から生まれたひ弱でハンディキャップを背負った子供なのだ。しかも、父子家庭。こういう設定が、見る者に感情移入させないわけがない。一方の父親は、心配性で悲観主義者。よくいるオヤジである。面白いのは同行者となる青い魚で、これが健忘症の楽天家ときている。2匹はまるで漫才でもするように掛け合いながら旅をする。ストーリー展開もムダがない。次から次へと難題をつきつけて、父親が成長させていくのだ。虜になったニモは水槽の中で成長し、父親は旅をして成長する。普通なら子供が旅をして成長するはずなのに、そうしていないところが、すでに大人の映画であることの証だ。つまり、これは大人の父親の冒険と成長のドラマなのだ。
サブキャラも楽しい。魚を食べないと心に誓ったサメっていうのが笑える。イルカにライバル心を抱いているところなんか、ツボにはまってしまった。「ちょうだい、ちょうだい」とエサを狙うカモメ(?)もおかしい。こういう、実際の生体を下敷きにして、とてもユニークな表現ができているところが素晴らしい。こんな映画を見てしまったら、魚を食べるのがとても残酷なことみたいに思えてきてしまうじゃないか。
いくつかの企業CMの後に来年公開されるディズニー映画の予告編。そのあとに1989年に制作された"KnickKnack"という数分の短編が上映され、その後に本編だった。
ラスト・サムライ12/9シネマミラノ監督/エドワード・ズウィック 脚本/ジョン・ローガン、エドワード・ズウィック、マーシャル・ハースコヴィッツ
予告編だの内容紹介だのがテレビで放映されるので、トム・クルーズがサムライ側についてしまうことが分かってしまっていた。その分、お話の意外性が楽しめなかったといえるかも知れない。でも、それにしても、なかなか見せる映画だった。日本といえば音楽が尺八になるのは避けて欲しかったけれど、殺陣や所作、言葉遣い、その他もろもろ、日本を扱った洋画にあるバカみたいなシーンがほとんどないのが素晴らしい。日本人が見て違和感のない日本人がちゃんと描かれていた。いや、殺陣は、そこらの日本映画以上に迫力があった。それに「ソルジャー・ブルー」に参戦していたトム・クルーズが日本に来て恨みを晴らすという、暗い過去をもった青年将校に設定されているのもよろしい。
といっても、ストーリーや時代考証はいい加減。都合のいい史実をつぎはぎ拡大解釈して、壮大なるフィクションをつくりあげてしまっている。舞台となる1877年は、明治10年。西南戦争の年だ。勝元のモデルは西郷隆盛なんだろう。でも、もともと明治政府方であった西郷が武士道を捨てがたく武者姿で反乱するって、フツーの日本人じゃ理解しがたいはず。・・・なんだけど、映画を見ているうち、こんな話が日本のどこかにあったのかも知れないな、と思ってきてしまうのだよ。小競り合いとしては鳥羽伏見だの会津白虎隊だのあったんだから、勝元=西郷=参議という線を結ばなければ、あったかもと思えてくる。日本史を知らない青少年が、この映画を史実だと思いこんでしまう可能性は大なのではないのかな。
大道具小道具が素晴らしいのは特筆に値する。とくに、上陸する横浜のシーンは、情報量が多すぎて目があちこち。繰り返して見てみたいものだ。
ただいまトイレを工事中だとかで、下の階のゲーセンのトイレに行かされた。1回目が終わってでたのが1時前。すると、次の回を待つ列が1階近くまで伸びていたので驚いた。窓口は「立ち見」となっていた。隣のミラノ座でやればいいのに。
198012/9テアトル新宿監督/ケラリーノ・サンドロヴィッチ脚本/ケラリーノ・サンドロヴィッチ
なんだか分からなかったけど、面白かった。ストーリーはあってなきのごとし。別にたいしたドラマが起こるわけでもなく、何かか解決されて人が成長するわけでもない。1980年という時代のディテールを表現したいために人間を配置して動かしているような映画だ。そのディテールだけど、これ見よがしにださない奥ゆかしさがよろしい。電車の中吊りに宮崎美子の写真があったり、映研の部室に「小型映画」があったり、教師の本立てに「ニコリ」があったり。気がつかない人も多いだろうところに面白いものが置かれている。そういうのを発見しているだけで、なかなかに楽しい。
人間にあまり興味がないのは、いろんなところから分かる。最初に出てくるロック研のテクノ少年、彼が主人公で話が進むとフツーは思うだろう。でも、話はそんな風には進まない。テクノ少年は完全なる脇役なのだ。なぜあんな登場のさせ方をする必要があったのか。全然ない。テクノ少年は、彼自体が1980年代を象徴する小道具なのだ。主人公たちの家庭はフツーじゃない。女3人姉妹が、みな異母姉妹なのだ。だったら、そのオヤジはとんでもないヤツであるとか、なぜ母親たちは死んだのかっいう方にフツーは関心が行く。でも、そういうことはお構いなしに話が進んでいくのだ。3姉妹それぞれが1980年代を仮に代弁する小道具で、それ以上の意味をもっていない。(なにかのパロディになっているのかも知れないけどね) で、ラストもぶっきらぼうな。なんら進展のない3姉妹が大晦日を迎えるだけ。だからどうした! なんだけど、別に腹は立たない。そういう映画だから。そして、ディテールを見ていれば、十分に笑えて楽しめる映画だから。
フル・フロンタル12/24新宿武蔵野館2監督/スティーヴン・ソダーバーグ脚本/コールマン・ハフ
なんだかよく分かんない映画だな。それがどうした? だからなんだ? と言いたい。
パーティに参加するまでの様々な人々の様子が、荒い画像で描かれつづける。ただし、ジュリア・ロバーツがでているシーンだけは、かっきりキレイな画面。なんでかと思っていたら、これは劇中劇ともいうもので、撮影中の映画の仕上がったものだった・・・。って、でも、最後に荒い画面の飛行機の中のシーンでカメラが引くと、実はそれもセットだった・・・という虚々実々。そういう仕掛けがあるので、どこまでがホントなのかよく分からない。分からなくてもいいんだろうけど。でも、だったら、延々と105分もたいして面白くない人々の日常をだらだらと描きつづけたのか、いったい何のためなんだ? おら、よく分からない。
映画開始前に、登場人物の紹介が顔写真とともに日本語ででる。なんだこれは? と思っていたら、映画がはじまると同時に同じものが英語ででてきた。それにかぶって独白が入る。情報量が多すぎて、そんなのいちどに把握できねえよ。人物のプロフィールなんてのを、字幕で書くようなことするなよなあ。
そうそう。"Full Frontal"って題名より、"ランデブー"ってのが大きく出てきたのにも「?」だったが。そうか。これが劇中劇の題名なのか。なるほど。・・・って、これオフィシャル・サイトを見て分かったんだけどね。ついでに。これが映画界の内輪話らしいのも分かったよ。でもさ、人事部長だのマッサージ師、ヒトラー役者なんてのがでてるのに、映画界だって、すぐ結びつかないぜ。やれやれ。
最後の恋、初めての恋12/24新宿武蔵野館1監督/当摩寿史脚本/当摩寿史、長津晴子、山村裕二
中国を舞台にしているけれど、日本映画。死期が迫っているうら若き中国女性と、妻を失って(不倫が原因というのが、ちょいひねり?)社会復帰できない日本人男性が出会って恋をして、女は死ぬという、よくあるパターンのお話。とりあえず泣かせてみようという意図が濃厚。正直にいって、面白くも何ともない筋立て。くだくだと押しつけがましいセリフを連ねるのもうっとうしいだけ。ぴしゃりと決まって印象に残る言葉でもあれば別なんだが・・・。
支社長の石橋凌の渋めの演技がよかった。でも、一番印象的だったのは、日本に留学経験のある中国人ディーラーだ。渡部篤郎の不遜な態度をたしなめるようすが、なかなかしたたか。長髪姿のいかがわしさも、いい味になってる。それに比べると、渡部篤郎は印象が薄い。過去を背負った暗い役柄にはうってつけなのかも知れないけど、ちっとも魅力的じゃないんだよ。しかも猫背。ラスト近くでヒロインと抱擁するところなんか、背広の襟ぐりががばっと開いちまってて、みっともないったらありゃしない。それに、あの一張羅の白いコートはどうにかならんのか。貧乏くさくていかんぞ。中国人のヒロインも、印象が薄い。口元が、ちょっとなあ・・・。あちらの美人は端正な面立ちの方が多いけれど、ある種のパターンにはまってしまっていて、個性というものがあまり感じられない。端的にいえば、魅力に乏しいのだ。ヒロインの妹役の娘も同じ。とっかえひっかえが効く美人より、印象的なヒロインを連れてくるべきだろうなあ。
アイデン&ティティ12/25シネセゾン渋谷監督/田口トモロヲ脚本/宮藤官九郎
原作は、みうらじゅんのコミックらしい。見たことはない。なんとなくコミカルでアホな映画じゃないかという先入観で見始めたら、なんと全然違う。正統派の青春ドラマだった。重くはないけれど、しみじみな部分があったりする。もっとも政治や社会、哲学らしきものはないけどね。2、30年前の青春ドラマだったらそういう要素がどっかに描かれてたもんだけど、1990年代前半のバンドブームの物語だからねえ。もう世の中の関心事はそっちには向いてなかったということだろう。昔バンドやってたメンバーがサラリーマンになって・・・っていう場面もでてきたけど、かつてなら昔闘争してたけどサラリーマンになった、挫折したまま社会になじめない、なんていうキャラクターが登場したはずだよなあ。そんなことを考えると、軟弱な印象は否めない。悩みも何も個人に収斂されてしまうのだからね。どこに共感してよいかも、実はよく分からなかった。一般的に敷衍できる部分としては、「大人の世界に迎合しない」「好きなことをやる」「ロックは心のメッセージである」てなことぐらいか。でも、こんなの、わざわざ映画で表現すべきことか? 当たり前じゃん、こんなこと、って思うこちらが年寄りになったってことかも知れないけどね。世の中変わったもんだ。まあ、ボブ・ディランの時代のように反体制という枠組みが身近になくて、そこに飛び込むことができないという意味では、近頃の青年諸君は可哀想な存在なのかも知れない。誰かのため、何かのために夢中になることができないのだからね。
メンバー4人のキャラクターはよく描き分けられていたなあ。岸部四郎が面白かった。麻生久美子は、なんか人間味が感じられない不思議なキャラ。バンドブームの凋落がシニカルに描かれているという意味では、興味深かった。スイマーズは格好から分かったけど、人間椅子もいたんだね。あの、隈取りしてたのはカブキロックスじゃなかったの?
エヴァとステファンとすてきな家族12/29銀座テアトルシネマ監督/ルーカス・ムーディソン脚本/ルーカス・ムーディソン
いまどき1975年のスウェーデンのコミューンの話って、すごくアナクロな感じがした。なんでいまどき? これが、もっとも大きな疑問だね。で、その理由はよく分からないけれど、映画ではコミューンが肯定的に描かれている。もっとも但し書きがついていて「過激な共産主義は排除」「過剰な性的欲望とフリーセックスは排除」なのだ。「多国籍企業のコカコーラはダメだけど、ホットドッグの肉はいいだろう」で「テレビも子供のためなら許すか」であり、「レズやホモも、オーケー」という案配。こういう、多少寛容な部分がある社会主義のコミューンなら、家庭が崩壊するよりマシ、または、崩壊した家族も救えるよ、というようなメッセージが込められていたりする。この基準はかなり手前勝手な感じはするけれど、個人主義がとことん進んで離婚率も高い現在のスウェーデンにとっては、理想とするべき社会なのかも知れない。・・・あんまり説得力はないと思うんだけど。
それにしても、たかだか30年前は脳天気だったよなあ、と思わざるを得ない。本当に革命を信じていた連中がいて、マリファナやセックスはしほうだい。それで平和がくると思いこんでいたんだから。ま、いまのスウェーデンにとっては、家庭や家族の崩壊の方が大きな問題になっているのかも知れないけどね。内容や主張はともかく、なかなか意味深な内容の映画なのだった。
MUSA -武士-12/30シネマスクエアとうきゅう監督/キム・ソンス 脚本/キム・ソンス
途中で眠っちゃったよ。つまんなかったからなあ。全体に平板で、盛り上がりがない。っていうか、主人公たちがなぜ"あんな行動をとるのか"ということが、言葉では語られているけれど、説得力をもって迫ってこないのだよ。話を単純化すると、高麗の使者が明を訪問する。けれど、明はけんもほろろに追い返す。明は、元との戦いで忙しかったのだ。高麗の使者たちは、元の軍団が明の姫を人質として連れていた。使者たちは「この姫を土産にすれば明が話を聞いてくれるかも」と、元の軍団を襲って姫を奪う。元は怒って使者たちを追い、寂れた城塞に追いつめると皆殺し(1人だけ生き残ったけど)にした・・・って話だ。美しくも哀しくも面白くもない。やっていることは戦国の世では当然のことなんだろうけれど、どれも同情できるような行為ではない。だから感情移入することができない。すなわち、つまらない。
使者のなかに奴隷が混じっていて、彼は主人に解放されるのだけれど、周囲は奴隷としか見てくれない、というのをキーポイントにしようとしているのだけれど、これがまた全然説得力がない。たまさか矛に長けて姫の難儀を救ったというだけなんだけど、これひとつで姫が奴隷に惚れたという設定になっている。そんなアホな、である。いくら色男で強くても、奴隷は奴隷。目と目が合って恋の炎が・・・なんてあるわけないだろ。だから、城塞で奴隷が姫を守ろうとするところなんか「バカじゃねえか」としか思えないのだ。いやほんと。映画で描かれている行動すべてが「バカじゃないの?」としか思えない。なかでも使者を率いるのが単純バカの若い将軍で、彼のせいで使節は苦境に陥るのだけれど、この将軍がちょいといい男すぎる。こういう役柄は、間抜け顔か憎まれ顔じゃなくちゃダメだろ。わがままな姫に、生意気顔のチャン・ツィイーはうってつけかも知れない。けど、ひねた姉ちゃんという感じはするけれど、どうみても美人じゃないからなあ。それが難点。恋物語に、彼女は向かない。そんな中でひとりカッコイイのが弓の名手のオヤジ。これが渋い。小津安二郎みたいな面構えで、知的で勇敢な兵士を演じている。それと、脇役では通訳をやった人とか、故郷に子供が生まれたばかりという臆病な青年、坊主なんかが味がある役ででていた。もっとも、役柄を活かしきるまで演出がされていなかったと思うのだけれど。
戦闘シーンはたっぷりある。けど、がちゃがちゃしているだけで、ダイナミズムが足りない。カメラをぶんまわしてフィルムをつなげばいいってもんじゃないだろ。もっと1シーンで動きを見せろよ。アップばかりで目がちかちかしちまうじゃないか。首が飛んだり血がどばっと吹き出たり、苦労はしているけれど、だから凄いっていえるほどでもない。他の映画とどっこいどっこい。目が覚めるほどじゃなかった。
で、監督は「ブレイブ・ハート」とか「ジャンヌ・ダルク」のような中世ヨーロッパの戦闘シーンをかなり意識しているように見受けられた。衣装なんかも、似ていたしね。それに、もろ「駅馬車」だろ、それはって場面もある。なんか、オリジナリティがねえなあ、って印象を受けてしまった。

 
 

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