2004年3月

ニューオーリンズ・トライアル3/1シャンテ・シネ3監督/ゲイリー・フレダー脚本/ブライアン・コペルマン&デビッド・レビン、リック・クリーブランド、マシュー・チャップマン
のっけからスリリングで、一気呵成。楽しんだ。法廷ものだけど、陪審制と銃販売問題を扱っているのが刺激的。陪審コンサルタントなんていう職業がある、っていうのが驚き。そのやるととといったら・・・。映画だからオーバーなところがあるんだろうけど、ハイテク機器や心理学(プロファイル?)を駆使し、さらには盗撮、不法侵入、窃盗、脅しまでなんでもござれ。自分の側に都合のいい陪審員を選び出し、そして、コントロールする。いや、たまげた。どこまで本当なんだろう。登場人物は多いけれど、スピーディなストーリー展開でも戸惑うことなし。さまざまな要素が混乱なく織り交ぜられ、キッチリ描かれていく。陪審員になりすました男とその恋人。2人の背景は、想像される範囲内で意外性はない。まあ、故意にそれを狙って、観客の意向に添うような結末にしたんだろうけど。それにしても、銃販売に反対する人が多数じゃないと、こんな話はつくれないはず。銃所持に賛成している人したくさんいるはずだからね。それでも、こういう結末の映画をつくったということは、それなりの覚悟があってやったことなんだろうなあ。あまりにもメッセージがはっきりしすぎていて、大丈夫? と心配になってしまう。
ジーン・ハックマンの秘書や主人公の恋人、それから、被害者の奥さんとか、登場する女性がみなさんチャーミングで知的に見えるのがいいね。陪審員の中にも、魅力的な女性もいた。もっとも、陪審員個々の人物には、ちょっと掘り下げ不足を感じてしまった。まあ、「12人の怒れる男」じゃないんだから、そこまでは無理、といわれれば返す言葉もないが。盲目の陪審員やパンクの姉ちゃんなんか、まだまだ使えたのになあ。元兵士がなぜ被害者に反感を持っているのかも、描き足りないと思う。それに、ダスティン・ホフマンをサポートする陪審コンサルタントはもっと活躍するかと思いきや、ほとんど"居るだけ"の人になっちゃってたし。もったいない。
というような不満はあるにしても、とても完成度の高い映画だと思う。もっとも、見終わったとたんに興奮が一気に冷めてしまったのには、自分でも驚いた。やっぱ、あのワクワクドキドキは、ひとときのエンタテインメントだっのかな。設定にはヒューマンな部分もあるけれど、話の設定とその展開に多くのエネルギーが注がれてしまい、人物が表面的にしか描ききれてなかったということかも知れない。とても面白いながら、ちょっと物足りないのだよ。
Webで見たら、拳銃屋の弁護士は「いちご白書」のブルース・デイビソンだって! うは、懐かしい。
ゴシカ3/2上野東急2監督/マチュー・カソビッツ脚本/セバスチャン・グティエーレス
所々でゾクッとした。ただし、怖さがエスカレートすることもなく、激しく怖くなることもない。アレが登場するところで、ゾクッとする。脅かし方のツボはそこそこ抑えている思う。
ハル・ベリーの見る幻覚や、自傷行為なんかは、ほとんど分裂症の症状を借りてきているようだ。もっとも、分裂症だった、で終わっては話にならない。ハル・ベリーはアレに憑依されて犯罪を犯し、さらに導かれて真実を暴く、という話にはなっている。もっとも、憑依する対象としてなぜハル・ベリーが選ばれたのか、その説明はない。犯罪現場に導く過程も、なんか曖昧模糊。犯人に復讐する手段ならもっとてっとり早い方法もあるはずで、ハル・ベリーに憑依する必要はない。辻褄の合わないところがあって、物語の説得力には、ちと欠ける。しかも、結末は映画の半ば過ぎに分かってしまった。主犯がハル・ベリーの夫というのは、見え見え。その友だちの警官が仲間だろうというのも、当然の見方。そして、同僚の精神科医もグルだと思った。いや、病院ぐるみなら共犯者はもっといるかな? と思ったが、これはちと外れた。"真実探し"という意味ではつまらないけれど、ゾクゾクとハラハラがあるから、まあ、楽しめた。納得がいかないのは、ハル・ベリーがすぐ出所してしまうこと。警察や裁判所は、被害者の少女がハル・ベリーに憑依して犯罪を犯したことを認め、彼女を釈放したのか? いくらなんでも、それはないだろ。手を下したのはハル・ベリーなんだから、何年かは刑務所に入るんじゃないのか? ペネロペ・クルスもさあ、なんで出所できちゃうんだ? 
笑ったシーンもあった。道路に閉鎖病棟の看板があり、カメラが上がっていくと建物が見える・・・っていう、いかにも古典的で絵に描いたような描写がおかしかった。それから、現場の納屋で、フクロウに驚くところ。「ハリー・ポッター」かよ! である。
ハル・ベリーはきれいな人だ。でも、脊椎湾曲のように見えるし、腰デブで足が短そう。それにしても、ハル・ベリーの亭主があんなデブだっていうのが、納得できなかったなあ。そうそう、ところでゴシカって、何のことなんだ?
レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード3/8上野東急監督/ロバート・ロドリゲス脚本/ロバート・ロドリゲス
何がなんだかサッパリ分からなかった。バンデラスもデップも、それ以外の面々も、誰が何のためにどうしようとしているのか、まるっきり分からない。だって、ほとんど説明がないんだもん。ってか、暗示はしているけれど、とても分かりにくい。分からないから、つまらない。30分ぐらいしたら眠くなって、軽く寝たら気持ちがよくなった。気持ちはよくなったけれど、映画の内容はサッパリ分からない。お話は、まるでマンガ。で、アクションはほどほどのそこそこ。爆発シーンは、なんか合成みたいでチャチい。せいぜい、オッパイの突き出た女優をちらちら見る程度。これはなにかね、雰囲気を楽しめばいい映画なのかね。それじゃ、とても楽しめない。そうそう、タランティーノへの賛辞が最後にあったなあ。どういう関係なのかな。
花とアリス3/17テアトルダイヤ監督/岩井俊二脚本/岩井俊二
これ、ネスレのWebサイトのブレーク・タウン・シネマで、見てるんだよね。パート1、2,3、4まであったのかな。それぞれ20分ぐらいあったかなあ。10分だっけ? 忘れてしまった。とにかく、おおよその筋立ては分かっていたし、見たシーンがかなりあった。それでも、面白かった。面白かった理由のひとつは、ショートフィルムは花(鈴木杏)の映画だったのに対して、本編がアリス(蒼井優)の映画になっていたせいだと思う。アリスの家庭環境やモデルクラブでの様子、宮本先輩とのあれこれとか、多感な少女の心の動きは花よりもアリスで表現されていたからだ。こうなってくると、鈴木杏は蒼井優の引き立て役というか、コメディリリーフになっている。主役は、蒼井優だろう。オーディションで紙コップをトウシューズにして踊るシーンは、ちょっと感動。
冒頭でアリスが花を連れていく際に登場する駅。これが、石ノ森駅、藤子駅。そして、2人が入学するのは手塚高校。さらに、学園祭には鉄腕アトムの巨大アドバルーン。漫画家の名前をとった仕掛けは、どういう意味があったんだろう。花が入るのは落語研究会。宮本先輩は「寿限無」を。もう一人の先輩は「饅頭こわい」と「粗忽の使者」。でもって花は「六日知らず」の枕を演ずる。マンガと落語という下敷きというか枠組みがあって、その中で演じられていく映画。どちらにも共通するのは「笑い」だ。意味ありげだけど、その意図はよく分からない。
とくにドラマがあるわけでもない。ちょっとした三角関係のなかで、それぞれが少しずつ成長していく。その過程が、ちょっとコミカルに、映像スケッチ風に描かれていく。岩井俊二らしい映画だね。
色抜けも悪く、暗部がつぶれている。いかにも質の悪いデジタル映像って感じ。テレビだと丁度いいのかな? エンドロールのスタッフ名などがすべてローマ字ってのは、やめてくれ。読めないよ。
eiko3/17テアトル池袋監督/加門幾生脚本/三澤慶子、加門幾生
勧められると嫌といえず、ついつい買い物をしてしまう。しかも占いに弱い。そういう女性はいるんだろう。だれでもクレジットカードがもててテレビから通販の誘惑の手が伸びていればなおさらだ。そういう、まあ、目先に弱い軽薄な役柄を麻生久美子が演じる。でも、化粧を落とした女優みたいな顔で淡泊な印象の麻生久美子は、任に合ってないような気がする。たとえば室井滋みたいな、コミカルで誇張した役柄を演じられる役者の方が向いているんじゃないかな。もっとも、室井ではオバンすぎるけど。
巻き込まれ型のストーリー展開で、自分はあまりアクションを起こさない。しかも前半はいささか説明不足。麻生が訪ねたマンションが夜逃げした会社の社長宅であることを、もうちょっと説明した方がよかった。その方が、妙な老人(沢田研二)の違和感が協調されるんじゃないかな。もっともジュリーが「おじいさん」と呼ばれるのは妙な気がしてしまったけれどね。それと、妙なアーチストのところを訪ねる場面もあったけれど、麻生が入れあげていた彼氏、って風には全然見えなかった。こういう、話の前提になる部分を中途半端に描くから、後半への怒濤の展開が面白く感じられないんだよ。しかも、その前半が意味なくだらだらと長いしね。
麻生にまとわりつく探偵。これを、もうちょっとイイ男がやらなくちゃ話にならんだろ。というわけで、脚本と演出が生ぬるい。もうちょっとキレのよい映画に仕上げて欲しかったところだな。モチーフは悪くないのだから。唯一洒落ているなと思ったのは、麻生が喫茶店のポスターを見て店にはいると、すぐに大杉蓮のマスターが出てきてポスターを剥がし、そのままカメラが店内にはいると麻生が働いている、って見せ方だ。こういうタッチを、もっとだせばいいんだよ。ラストも、さっさと終わればいいのにダラダラとムダが多かったしね。必要なことを説明しないくせに、観客が十分に想像できたりする部分を意味なく説明しすぎていると思うぞ。それから、望遠を多用しているのか、被写界深度の浅い映像がめだった。それに、探偵の家に転がってからの麻生はずっと同じ服装で、なんか、臭いそうな気がしたぞ。
東京原発3/18新宿武蔵野館3監督/山川元脚本/山川元
都庁での会議と並行して、都内のプルトニウム搬送と、それを狙った核ジャックが発生する。「12人の怒れる男」みたいな会議はドラマとしてこなれていない。資料やデータが生でですぎで、反原発PR映画のようだ。原子力の基本のようなことを、都庁の局長たちが「へ〜」と驚きながら理解していくっていうのはヘンだぞ。演出も、なんか舞台劇をみているような案配だ。各人のセリフのつながりもぎこちなく、流れるようにいっていない。編集でどうにかならなかったのかね。
一方のプルトニウム搬送は、こんなずさんにやってるの? って思える嘘くささ。核ジャックも偶然の産物だし、なんかリアリティがない。いやまあ、ほとんどコメディなんだからリアリティは要らないと言われそうだけど、首都東京が核爆発にさらされそうだってのに、スリルもサスペンスもないんじゃ困るよな。中途半端すぎるだろ。というわけで、期待はずれ。平板な映画だった。
都庁が使われている。室内はともかく、外観や玄関前が使われている。クレジットを見たら、東京都の映画支援を利用しているみたいだった。自民党やNHKを皮肉るような内容で、原発反対というスタンスなのに、石原都知事はゴーサインをだしているんだね。ふーん。石原知事は、原発反対派だっけ? 都市計画局長を演じた菅原大吉という役者が、なかなかいい味をだしていたな。
悪い男3/23新宿武蔵野館2監督/キム・ギドク脚本/キム・ギドク
いや、圧倒的に凄いね。墜とした男、墜ちていく女。その愛憎がとぐろをまいている。反吐まみれのなかに、誰にも顧みられない花が咲いているみたい。そのまま昔の日活ロマンポルノになりそう。
理屈は要らないのかも知れない。女がなぜ警察に行かなかったかとか、女の彼氏は探さなかったのかとか、親はどうしたとか、そういうことは、この映画の設定には不要。とにかく、妙に一途で純愛を求めるヤクザと、そのヤクザに目をつけられて女郎屋に売り飛ばされたフツーの女子大生との話だ。ヤクザは唖に近いのか、ほとんど喋らない。女に愛を感じているようだけれど、なぜなのかは分からない。自ら愛情表現もしない。セックスを求めもしない。愛しているなら解放してやるとか、やさしくするとか方法はあるだろうに、そうはしない。女が仕事でセックスする姿を、マジックミラーの裏から見ているのだ。ちょっと理解できない感情だ。唯一理解につながるセリフは、ヤクザがラスト近くで弟分に吐いた「ヤクザが愛だなんて・・・」といった言葉だけ。うーむ。自分がヤクザであるからには、堅気の人間は利用する道具であって、愛の対象ではないという矛盾に突き当たっているってわけか。うーむ。
一方の女の方は、虐げる相手に憎悪を抱きつつ、それがだんだん快感に変わっていくというマゾ状態。そんなことあるわけないよな、と思いつつ、なんとなく納得してしまうから不思議。いや、そもそもこの女も書店で画集を切り取ったり、忘れられた財布から金を抜き取ったりするぐらいだから、悪魔性は秘めているのかも。
思ったんだけど、人間がペットに対して放つ愛情みたいだな。ペットにだってもっと優しい、っていわれそうだけど、ペットの身になればそうともいえない。たとえば、人間は山に入って小熊を連れてきてしまったりする。親から離れたくない小熊にとってはひどい迷惑だ。可愛い雌犬を、繁殖のためといって雌犬が好きでもない雄犬と交尾させたりする。人間に置き換えたら、ひどいことじゃないか。そういうことをしつつも、自分たちはペットを愛している、といって憚らないはず。そういう感情が、このヤクザにはあったりして・・・。って、ちょっと喩えが違うかも。
海辺で拾った写真。入水した女。その秘密は曖昧なままだ。フツーに見たら、入水した女はヤクザの元彼女で、女子大生の彼女は入水した彼女に顔が似ていた・・・てな解釈になるかも知れない。けど、それでも目の前で入水していく様子を見ていることの答えにはなっていない。あれは思うに、未来の自分たちを見たのだ。未来には仲良く砂浜で写真を撮っているだろうことを暗示しているんじゃないかな。でもって入水は、彼女が堅気の自分を捨てるってことの象徴ではないか。そして、そうしたことが、ラストで2人がトラックに乗って旅をするという御伽話につながっていくんだと思う。2人は、すでに会話は交わさない。会話がなくても了解できてしまう、反発し合う愛情のようなもの。その、どろどろ加減が、なかなかにエロチックだったりする。
よく分からなかった点を2つばかり。1つは、女子大生を罠にかけたのはあのヤクザだとしても、財布をかっぱらわれた男って、ヤクザとは関係ないんだよなあ。よく分からなかったぞ。それから、ヤクザの舎弟が最初に刺し殺したのは、出所したての、鼻を鳴らすヤクザだよな? でも、舎弟はもうひとり殴り殺すんだけど、相手についての説明があまりよくされてなかったなあ。というわけで、そのあたりのツメがしっかりしていたら、完璧だったんだがね。
ホテル・ハイビスカス3/26ギンレイシネマ監督/中江裕司脚本/中江素子、中江裕司
期待はずれでがっくり。疲れていたせいもあって、旅行プレゼントのちょっと前で数分間、寝てしまう。以後も全編にわたってボーッとしてしまった。なにがつまらないって、まずセリフが聞き取れない。主人公美恵子の甲高い声は、単に怒鳴っているだけ。半分以上が理解不能。いや、沖縄弁だって構わないんだよ。聞き取れれば、雰囲気もつたわる。そうじゃなくて、聞き取れないのだ。次につまらないのは、キャラクターが立っていないこと。主人公美恵子だけがキャーキャーわめくだけで、他のキャラが全然生きていない。両親も祖母も異父兄弟たちも、たった1人の宿泊客もたいして印象に残らない。せいぜいボクサーの兄貴が多少造形されていたぐらい。しかも、それぞれの顔が、まともに映されていないから、記憶にも残らない。別にどアップで映せといってるんじゃない。バストショットでもいいから、ちゃんと映してやれよ、といいたい。だって、主人公の美恵子の顔も満足に覚えてないんだぜ。まいるよな。美恵子に感情移入できなかったら、この映画は楽しめるわけがないじゃないか。映っている時間が長ければいいってわけじゃないと思うぞ。で、最後に、ストーリーというか、ドラマがない。単なるエピソードの羅列。それも、クオリティが低い映像でね。なにこれ、NGショットじゃないの? てな、粗雑な映像がつながれている。それって、自然な演技を求めた結果、だったりして。でも、もしそうだとしたら効果的じゃなかったぞ、といっておこう。天衣無縫な小学生・美恵子のキャラを生かし切れていない、というか、美恵子というキャラの設定に酔ってしまって、表現するまでいかなかったのかもね。
ルーニー・テューンズ バック・イン・アクション3/30シネマミラノ監督/ジョー・ダンテ脚本/ラリー・ドイル
バックス・バニーやダフイー・ダックのアニメ・キャラと、実写と合成。実写の動きがぎこちないというか、合ってないだろう! ってな部分がかなりあった。ワーナー・ブラザースの社長が双子だっていうのは、それは史実に基づいているのかね? 他にも、「サイコ」他の映画やマルクス兄弟のパロディがあったり、バットマンやスクービー・ドゥがでてきたり、映画を知っていればかなり楽しめるんだろう。こっちは分からないところが多々あったけどね。けど、ストーリーが面白いわけでもないし、ヒロインが美人でもなければセクシーなところもない。ま、お子様向けだからしょうがないんだろうけど、興味が湧かぬ。次第に眠くなって、15〜20分ぐらい夢うつつ。アフリカへでかける前あたりで現実に戻った。それにしても、あのアクメのボスがスティーブ・マーチンだったとは、気がつかなかったぞ。
恋愛適齢期3/31上野東急監督/ナンシー・メイヤーズ脚本/ナンシー・メイヤーズ
よくできた大人のラブコメだ。ダイアン・キートンは素っ裸を見せるし、ジャック・ニコルソンは出腹と尻を披露する。でも、下品にならず嫌みもない。しつこさもなく、カラリと笑える作品になっている。まあ、ごくフツーに考えたら上出来の部類。でも、ほんとうにそれでいいのか? ってな疑問も湧いてくる。
この映画では「年をとっても男は気が多くて若い女が好き」で、「女は年をとったら1人で、若い男には縁がない」という枠を越えようとしている。でも、結局のところ、越えることはできていないじゃないか、ということだ。ニコルソンがキートンに惹かれはじめたのは、心臓発作のせい。ってことは、病気をしなかったら相変わらず若い女の尻を追い回していたってことだろ。キートンの方はもっと酷い描かれようだ。男日照りの50歳。若い男に迫られて戸惑うけれど、結局のところ気が引けているだけ。それは、自分の歳を心配しているだけのように見えるのだ。男は年甲斐もなくガンガン女に迫るけれど、やっぱり女は年甲斐もないことはできない、なのだ。しかも、キートンがニコルソンに惹かれはじめてセックスしてしまうと、こんどは相手にぞっこん状態になって、男を束縛する嫌な女になってしまう。こいういう描かれ方に、女の人は反発しないのかね。女だって若い男を乗り換えながら年を重ねるし、1人の男に執着して嫉妬心なんか起こさないわ、ってね。なんだか、やっぱり男と女の、俗に言われているステレオタイプな描き方の範疇を抜け切れていないと思うぞ。
中年男と若い女、中年女と若い男がカップルになって、さらに中年同士が惹かれ合うという設定はユニーク。とはいうものの、中年男が若い女にってのは素直に納得できても、若い男が中年女性に惹かれるという設定は、あっさりとは首肯しがたい。ここは、もうすこし説得力がないとねえ。もうちょっと自然に、リアルに見せて欲しかった。それから、ニコルソンがキートンの別荘に居続けにならなくてはならない理由も説得力を欠く。だって、病院の近くのホテルにでも住めばいいんだからね。さらに、ニコルソンが昔の女を「舞踏家の手帖」みたいに尋ねるエピソードは、ちょっと牽強付会。みんながみんな昔の男に会いたくないっていう結論は、都合が良すぎるだろ。舞台の台本なら違和感なく受け付けられるのだろうけど、いろいろと映画ではちょっと難しい設定が多いなと思った。
とはいいつつ、中年から老年期にさしかかった男女の恋、またはセックスについて語る映画は貴重かも。でも、マジで取り上げれば深刻な内容になるら、こういうコメディになったのかね。バイアグラ、老眼鏡、誕生日、フランス、脚本、芝居、ノートパソコン、携帯電話、電子メール、浜辺の石・・・小道具や細かな設定が効果的に使われていた。それから、電子メールで、"What R U you doing ?"てな会話が印象的。こういうダジャレ英語の短縮形ってのもあるんだね。ふーん。
半ば過ぎて、ピントがへん。ずっと甘い。こんなプリントなのか? いらいら。エンドクレジットみたら、下の方はピンが合っているけれど、上がるに連れてボケボケに。やっぱりな。というわけで、上映後に係の人にクレーム。「映写技師は見ていないのか?」「上映最初には見てるんですが・・・」「途中では見ないのか?」「・・・」と、謝るだけ。その上「他のお客様からはなにも・・・」と、私だけがクレームをつけているという口ぶり。くそ。謝ってもらえば済むとは思っていない。黙りのにらみ合い。相手が折れたか、「では」といって、特別入場券を取りに行って、それをいただく。当然だろう。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|