2004年4月

ホテルビーナス4/1上野スタームービー監督/タカハタ秀太脚本/麻生哲朗
思わせぶりなだけで、中身は空っぽの映画だった。
哀しみを背負って生きているが、実はいいひと、ってな連中が住んでいるホテルでの物語、というかスケッチだな、こりゃ。テーマをそのまま映像で説明し、さらにセリフで語ってしまうという、映画にあるまじき表現方法を行なっている。監督は悦に入っているんだろうが、底の浅さは誰にも否定できない。中身がないところを、彩度を極端に落としたカラー(つまり、ほとんどモノクロ)でとLOVE PSYCHEDELICOの音楽で誤魔化している。話されるのは韓国語、街の描写はロシア。そんな国はないだろう。消化不良の異国情緒もいらつく。つまんねえ。
ホテルの住人たちの描き方も、通り一遍。薄っぺらで、どこかで見たことのあるような設定のステレオタイプ。それを、さあどうだとばかりに描かれても、心など動きはしない。なめるんじゃねえ、といいたい。
サロメ4/5ギンレイホール監督/カルロス・サウラ脚本/カルロス・サウラ
いや〜。拷問のような90分だった。つまらん。なんでこんなものを映画として撮影し、その上、スクリーンに上映するのか理解不能。内容は何となく予測がついていたので「よそうかな」とも思ったのだけれど、ギンレイでカードを提示すれば見られるので、ついふらふらと行ってしまった。最初の方では、「サロメ」を演じる女優と、演出家も登場して、その過程の映画かなとも、かすかに思わせはした。けど、ドラマもなくだらだら・・・。これはつまらん。眠くなってきた。眠気に抵抗することなく我が身を委ねてしまった。気づくと踊っている。踊りの間にドラマが挿入される? かと思いきや、まったくなし。ずううううううっと踊りだけだった。くくく苦しい・・・。よっぽど出ようかと思ったのだけれど、他人の膝の前を通らねばならなかったので、仕方なく最後まで見た。苦しかった。
星砂の島 私の島〜アイランド・ドリーミン〜4/6テアトル池袋監督/喜多一郎脚本/喜多一郎、堀江慶
初監督作品だという。脚本のムダな饒舌さ、突っ込みの足りなさ、トーンの不統一さとか、いちゃもんをつけようとすればいくらでも言える。けど、見終わってみれば感動させられて、うるうるしてしまったシーンもあったりして、してやられてしまった感じ。
描かれている内容は、これまでもよく取り上げられてきたようなテーマに沿ったもの。とくに目新しさはない。けど、要素が多い分、連作ドラマを見ているような気分になる。最初は、就職がうまくいかないバカ学生の日々。次は竹富島赴任物語。そして、スポーツ成長ドラマ。それが、割と自然に絡み合って、そこそこ見せるのだよ、これが。要所で石垣出身のBiginの3人が登場するのも、よろしい。
バカ学生の日々。ここはコメディか? ってな感じと、NHK教育ドラマか? ってなテイストのある変な部分。筧利夫が教師として登場するのだけれど、演技がぎこちないというか単調というか、ぎくしゃくしている。きっと監督の指導によるものだと思うけれど、即物的で淡々とした表現でも求めたのかな。ぎこちなさの中に妙なおかしみや魅力が出ていたりして、不思議だった。
竹富島赴任物語は、最初はコメディタッチなのが、次第にマジになってくる。バカ学生が成長していく過程は、表現できているってことかもね。両親離婚で不登校の少女がでてくる。うまく自分を表現できない彼女のもどかしさ。そういうのを直接言葉にしないで、エピソードで重ねていくやり方が、なかなか効いていた。彼女は結局島を去るのだけれど、残していった絵で展覧会をするというのが、これがちょっと感動。
そして、最後は体育教師として器械体操を教えるようになり、沖縄県予選をめざす成長物語。子どもとともに逞しくなっていく主人公の成長も見物。ただし、予算の関係か試合の様子は描写されず、ちょっと物足りなかった。
でまあ不満をいうと、谷啓をはじめ標準語を喋る島の人が多すぎるのが、ちょっと不自然。体育大好き少女の親が病気で代わりに体育教師が観光ガイドの仕事を手伝う・・・というエピソードでは、体育教師がくるぶしを複雑骨折した後、ガイドの収入は減ってしまったのか? と心配になったぞ。発光虫のシーンは、ちょっとおそまつ。題名がよくない。どうしても覚えられない。なんてところが気になった。そうそう。照明助手で泉谷しげる、とあったけれど、同名別人のようだね。
きょうのできごと4/6テアトル新宿監督/行定勲脚本/行定勲、益子昌一
なんだかなあ。他人の、別段どうってことのない日常を見せつけられても、面白くも何ともないよなあ。だから、どうした! の気分だ。たとえば、ダイアログに興味深いことでも語られていたり、意味深なところがあったり、わずかでもドラマが存在していれば「見よう」という意識も生まれる。けど、この映画にはとくに魅力的な人物も登場しなければ、ドラマチックも存在しない。しかも、のぞき見しているような気分にもなれない。だから、とても退屈。その退屈な日常を面白がれる人にはいいんだろうけど、私にはダメだった。
時間軸が錯綜して表現されていたけれど、なんか意味があるのかいな? ハマに打ち上げられたクジラがでてくるのだけれど、とってもチャチ。たたけばポコポコと音がしそうな質感だ。「クジラの島の少女」にでてきたクジラと、天と地ほどの違いがあるぞ。
田中麗奈は、首の回りに肉がついてきたのかな。なんか、これから太りそうな予感・・・。かつての、キリットした少女の面影が、急激に消えてきてしまっている。残念。かたや池脇千鶴は、「ジョゼ〜」につづいて、オバサン的図々しい女というキャラで登場。ふてぶてしさが板に付いていた。
殺人の追憶4/8シネマスクエアとうきゅう監督/ポン・ジュノ脚本/ポン・ジュノ、シム・ソンボ
とても完成度が高い。じわっと始まって、いつのまにか話に引きずり込まれてしまっていた。単なる犯罪者・犯人探しではなく、事件をめぐって重層的に話が転がっていくのが見事。それも、ちゃんと密接に絡み合い、ささいなエピソードもしっかりと伏線になっていたりして、カチッと決まっている。この脚本は、お見事というほかない。
人物の掘り下げ方が、素晴らしい。コンプレックスをもつ田舎の刑事。その部下で暴力に走る若い刑事。ソウルからやってきたインテリ刑事。女らしい直感で捜査に貢献する婦警。彼らをまとめあげる課長。この警官たちが、まるで臭いまで漂ってきそうなぐらい濃密に描かれている。周辺の人々も、濃い。焼き肉屋の親子や女学生、田舎刑事の彼女(あれは女郎か?)、事件の被害者の女性、トイレから出てくる女教師、マスターベーションの男・・・。みんな、濃い。彼らがつくるエピソードが積み重なって、犯人へあと一歩まで肉薄する過程が、スリリング。ときに衝撃的な音楽をインサートしたりして、効果的。
暴力で自白させようという田舎組と書類や証拠、推理に重きをおく都会の刑事の対立。それが、ラストでは逆の立場に置き換わっていく皮肉。そして、20年近く経った現在に、ふとかいま見せた犯人の影など、とても映画的で味がある。もちろん、1カットたりとも冗漫さやムダがないのは言うまでもない。いや、ここまで完成度の高いドラマをつくれるまでになったのだね。すぐさまハリウッドでリメイクできるだろうな。
で、唯一納得できないのが、犯人らしき男をトンネルで見送る場面。彼の両手には手錠がかかったままだったはず。おいおい。どうやって外すんだよ、と、これだけは突っ込んでおく。
息子のまなざし4/9新宿武蔵野館2監督/ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ脚本/ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
ある意味で、一発芸ネタの映画だ。でも、それで90分なんとかもたせてしまうのだから、まあ、大したもの。一発芸といっても、中身は深刻。主人公は職業訓練学校の教師。彼の学校に少年院から1人の生徒がやってきた。彼は・・・6年前、11歳のときに教師の家に強盗に入り、教師の息子を殺害した犯人だった。教師は少年を受け入れるか迷い、結局、自分のクラスに迎え入れる。そして、表面的には他の生徒たちと区別なく教えていく。そして、少年から「後見人になってくれ」とまで言われるようになる。ある日、教師は少年と材木を運びに製材所にいく。そこで、ついに「おまえは・・・」と事実を告げる。逃げる少年。しかし、教師が暴力をふるわないとわかると、素直に材木運びに戻る・・・。で、エンド。
社会派の映画監督がよく使うような、技巧の少ない、ドキュメンタリーのようなタッチで映像が流れていく。手持ちカメラで、ブレながら。そして、音楽もなし。冒頭の30分ぐらいは、職業訓練学校の日常が淡々と流されるだけで、ほとんど意味不明。それが、元の妻との少ない会話から、事実がぽろっと知れる。「おお、そうだったのか」とちょっと驚き。あとは、話がどう転がっていくかなのだけれど、これが転がっていかないんだよ。最初の頃と同じように、淡々と日常が描かれていくだけなのだ。ドラマらしいものがない。フツーなら、教師の葛藤が延々と描かれたり(教会に行くとか泥酔するとか八つ当たりするとか仕事がてにつかなくなるとか)、かつての事件の模様がフラッシュバックで挿入されたりと、教師の心境を具体的に示そうとする下手な技巧がこれでもかというように凝らされるはず。ところが、そういうのが一切ない。教師が葛藤していること、臨界地点にいるだろうことを想像するのみだ。感情を理性で抑え込んでいるのだろう。そのせいか、哀しみというものはつたわってこない。まあ、お涙ちょうだいが目的じゃないだろうからね。法律による社会的制裁をへてきた少年に対する、被害者からのある視点を表現しようとしたのだろう。けどなあ、分かるようで分からないところもある。
犯罪者を受け入れるということがテーマのようだ。まあ、犯罪と直接関わりのない人が受け入れるなら、理解できなくもない。けど、被害者が犯罪者を受け入れるという設定では、それを美化することにつながりはしないか、ってね。もちろん復讐したって過去は元にもどらないだろう。けれど、理性で抑え込むことでちゃんとバランスがとれるのかいな、と疑問が湧いてきてしまう。犯罪者を受け入れることが望ましいことなのか? できることなのか? なんか、もやもやがそのまま残ってしまったのだった。ま、問題提起だけの映画なのかも知れないから、まんまと罠にかかったってことなのかも知れないけどね。
死ぬまでにしたい10のこと4/11ギンレイホール監督/イザベル・コヘット脚本/イザベル・コヘット
ひたすら暗い。そして重い。救いようがない。ううむ。疲れるだけだなあ。・・・というわけで、タイトル通り、数ヵ月の命を宣告された若い奥さんの話。見終わっても不快感がだらだらと漂っている。若くして死ぬことに対して、主人公の若奥さんは強すぎると思うぞ。自暴自棄になることもなく、2、3ヵ月の間に"できる"ことをリストアップして、実行してしまう。夫以外に男を知らないから他の男とセックスしてみる、とか。夫と子供に、女房となり母親となる新しい女をあてがう、とか。10年分ぐらいの誕生日のメッセージをテープに吹き込んでしまうとか。そんなことまでしてしまう。なんか、冷静すぎるんじゃないか? 死への恐怖というより、人生の後始末を淡々とやり遂げていく奥さん(といっても、まだ23歳かそこいら)に、なんだか空恐ろしいものを感じてしまった。たまたまコインランドリーで出くわした男に、彼女は本気で惚れてしまったのか? 彼女が惚れなくても、男に惚れさせるってだけでも、罪な話だよなあ。富裕層でなく、貧乏人という設定にしたのは、哀れを誘うからかな? などと思いながら、暗い気持ちで見ていたのだった。
個人的には、一度ぐらいは死を恐れて喚いて欲しかったし、残された人生をもっと自分のために使って欲しいと思った。死にゆくことを家族にもいわず、ちょっとカッコよすぎはしないか? と。
タイムリミット4/12上野東急2監督/カール・フランクリン脚本/デイヴ・コラード
典型的なプログラムピクチャー。そこそこの話をそこそこに仕上げている。時間つぶしにはなるかな、ってなところか。しかし、アカデミー賞俳優デンゼル・ワシントンに、なんでこんな安手の企画がくるのかな。ハル・ベリーが「ゴシカ」にでるのと同じ? ハリソン・フォードが「ハリウッド的殺人事件」なんてのにでてるのにも、ちょっとがっくりきたけど、金のためにはこういう映画にもでなくちゃいけないのだろうか。って、まあ、いつも格調高く芸術的な映画ばっかりってわけにもいくまいが、見終わったらすぐ忘れてもいい映画だなあ。
冒頭の30分ぐらいが、かなりぎこちない。これはあとから分かるのだけど、ようするに伏線の仕込みをしていたのだ。しかし、話の流れが唐突だったりして、ぎくしゃく。とくに、なんで彼女が末期ガンなんだよ、突然! と、その不自然さにいらだってしまった。ちょっと強引すぎると思うぞ、この伏線は。デンゼルも、なんかやる気なさそうに見えたしね。しかしまあ、このつまらない冒頭部分を過ぎると、そこそこ面白くなってくる。医者がニセモノだって分かってから、やっとエンジンがかかってくる感じ。あとは坂道を転げ落ちるようにストーリーが展開していく。デンゼルがハメられ、警察に名前がバレるのは時間の問題・・・なのに、アクロバットのように追跡の手を逃れ、警察署長でいつづけるご都合主義は、なかなか。ハラハラドキドキより、おいおいそんなのありかよ、と笑ってしまいそう。まあ、結末は、不幸になるはずがないのだけど、あまりにも出来すぎというか、それってありかよ! と思えてしまうご都合主義。うーむ。とくにね、デンゼルが不倫でしょ?
デンゼルは、妻がいながら知人の奥さんと不倫。しかも、証拠金の大金を使い込もうとまでするのだ。それって、もう、犯罪者じゃん。それが、なにもなしになっちゃうなんてねえ。さらに、別居6ヵ月(だっけ)の妻とヨリを戻しちまうなんて、やっぱ出来すぎだよ。うーむ。
オーシャン・オブ・ファイヤー4/19上野東急監督/ジョー・ジョンストン脚本/ジョン・フスコ
なんだか関係性がよく分からない映画だ。なんでホプキンスのところに「レースにでろ」と言ってきたのか。言ってきたのは、アラブ人?(未来が見えるといっていたオマー・シャリフの族長?) あの英国夫人も最初の方にでていたけれど、あれも招待されたのか? 異教徒はホプキンスだけなんだろ? 英国夫人に操られていた盗賊みたいのは、あれは何だ? いや、あのレースに出るのはどんなやつらなのだ? といった基本的な部分がキチンと説明されていないので、何が何だか分からないままお話は進んでいく。このあたり脚本が整理されていないのか、演出が下手なのか。
殺陣がど下手だ。船の中での殴り合いや、剣劇なんかが、ワンテンポ遅れていたりする。迫力がないったらありゃあしない。他のシーンでも、こう胸が躍るようなアクションがない。これは、手抜きなのかな。西部時代のお話の部分も、底が浅い。っていうか、なんとなくダイジェスト版か予告でも見ているような感じがする。
そして、本題なのだが、どう見ても過酷なレースには感じられないのだ。砂嵐やイナゴが襲ってくるのは多少描けていても、ジリジリと焼ける陽射しや喉の渇き、疲弊、汗、めまい・・・そんなものが迫ってこない。ギリギリ感がないのだよ。まるで他人事のようにしか見えない。って、そりゃあ映画だから他人事なんだけど、痛みや苦しみが肌を通してつたわってくることがあるじゃない? そういうのがないんだよね。
族長の娘が美しくない。目はそこそこだけど、分厚い唇が興ざめ。もちっと色っぽい女をキャスティングしてくれ。それはそうと、なんかオマー・シャリフに似ているなあ、と思いつつ見ていたのだけれど、クレジットを見たら本人だった。あらま。事前にちゃんと確認しない私が悪いのかも知れないけど、へへーっと感じだった。こういう中近東の役柄しか回ってこないのかなあ。西部劇好きっていう設定は、なんとなくフセインを連想してしまう。
というところで、この映画の構造だ。主人公のカウボーイ・ホプキンスは白人とインディアンの混血。それを隠しつつ生きてきた。その彼が、インディアンと同じ遊牧民が生きるアラブの地でアラブ人と心が結ばれるっていうのが、イラク問題で揺れる現在へのメッセージともとれる。ホプキンスの敵はインディアンを虐殺した騎兵隊であり、権謀術数をめぐらす英国夫人である。アメリカとイギリスが手を組んでイラクを攻撃していることへの皮肉だね。
もっとも気になるのは、本来もっとも重要な登場人物であるべきマスタングという馬が疎かになってるってことだ。サラブレッドにとって変わられ、抹殺されようとしているマスタング。その延命を図るためにレースに出たのであって、愛馬ヒダルゴはマスタングの代表なわけだ。だったら、ヒダルゴにもっと迫らなくちゃなあ。ヒダルゴの視点から物語る部分がもっとあってもいいんじゃないかと思うぞ。
さらに、ラブロマンスもつっこみ不足。というわけで、ドラマチックがかなり足りない。テーマは割としっかりしていながら、下手くそな脚本と中途半端な演出によって、できそこないのアクション映画になってしまっている。
ディボース・ショウ4/20新宿武蔵野館1監督/ジョエル・コーエン脚本/イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン
オープニングから、洒落たイラストで惹きつけてくれる。話として完成度が高い・・・のだろうけど、どうも中盤にだれてしまう。面白くなってくるのは、後半の、ゼタ・ジョーンズにしてやられてからかな。それまで、ほどほどに楽しいことは楽しいのだけれど、上品すぎるかも知れない。つまりまあ、日本人が笑えるネタではないもので構成されているような気がする。そして、欧米人なら笑えそうなジョークで構成されているのかも知れない。というわけで、これは笑いどころなのかな? と手探りしながら見ていたのだった。やたら出てくるサイモン&ガーファンクルの曲。神父がギターを弾いていたり、次の神父はバグパイプで演奏していたり。これは、笑いどころなんだろうか? やたら白い歯を気にする弁護士ジョージ・クルーニー。その神経症的傾向は、笑うべき? とかね。そういえばチャック・マンジョーネの"feel so good"が流れていたなあ。懐かしいね。他にも耳慣れた音楽が多く挿入されていて、なかなか楽しい。
オープニングは、本筋とは関係なさそうなエピソードなのだけれど、ドラマの中で重要な役割を影で担うことになる夫婦が登場して、その亭主は最後にも登場する。裁判で負けて一文無しになったTVプロデューサーに仕事を与え、クルーニーが使っている何でも屋を司会にして、始めたテレビドラマは離婚ショーってわけだ。離婚を商売にしていた弁護士が、またもやテレビで離婚を飯の種にする・・・。こういう小味が効いたエピソードで、気がついていないものがもっとありそうな気がするなあ。何度か見ないと分からないのかも。
観客の中に、袋をカサカサさせて何やら食しているお方が2人ほどいて、とても気になってしまった。まったく!
チルソクの夏4/20シネマミラノ監督/佐々部清脚本/佐々部清
1976年頃から下関の高校と釜山の高校は、陸上競技の交流会を開いていたらしい。そこでの、下関の女子高生と、釜山の男子生徒の交流物語だ。しかし、妙に堅苦しいつくりなんだよなあ、これが。教育映画に毛が生えた感じで、面白くも何ともない。っていうか、脚本と演出が下手すぎ。
脚本が悪い理由を挙げてみようか。たとえば日本側の女子高生4人組なんだけど、これがみなフツーどころの容貌で目立たないのが辛い。しかもキャラ設定が平板。主人公にはもっと目立つ女の子をあてがうべきだろう。で、他のメンバーはチビにノッポにデブ・・・みたいに個性をださなくちゃなあ。仲間の一人に彼氏がいてセックスして・・・というエピソードがあるんだけど、このエピソードだけが突出していて、変だろ。「幸福の黄色いハンカチ」のシーンも入れたりするほどの意味はあるのかい? 韓国の少年が、一族に日本兵に殺された人がいるから、と交際に反対するのは分かる(類型的だけど)。けれど、下関側の家族が一様に「朝鮮人は」と毛嫌いする理由が、あるのかなー、と見ていたけれど、結局何も提示されなかった。そりゃないだろ。ちゃんと理由を描けよ。それに、何かというと新聞配達と神社にお参りのシーンがでてくるのは、単なる時間つなぎか? 登場人物にもっと意味のあることをさせろよ。っていうか、この監督は意味のある脚本が書けないんだと思う。主人公の少女が、彼から手紙が来なくなって部活を休みがちになるところがある。そのシーンにつづいて、少女は売れない流しをやってる(貧乏を強調するにしても、あまりにも古臭いんじゃないか?)父親とすれ違う。父親は「進学するんだろ。家には金がないんだから、運動をしろよ」という。すると次のシーンで、部活に戻っちゃうのだ。それって、ちっとも彼女の心の解決になってないじゃないか。あまりにも稚拙でお手軽な脚本すぎるだろ。夜の9時に花火が始まる場面があったり、ナレーションやセリフで説明する場面も多くて、映像で見せることができていない。
その映像だけど、これが汚いのだなあ。画面に神経が行き届いていない。要らないものが画面に入り込みすぎだし、照明もテキトー。だいいち、少女たちを全然美しく撮れていない。これじゃ、魅力は半減だよな。
この監督がなんとなく妖しい感じがするのは、やたら更衣室を描くことだ。更衣室では女子高生たちは必ず上衣を脱いでブラジャー姿になる。もっとも、ちっとも色っぽくはないのだけどね。でも、上衣を脱ぐ必然性があるかっていうと、どう考えたって、ないと思うぞ。というわけで、途中で眠くなりながらも最後まで見たけれど、こうすりゃ感動してもらえるだろ的いい加減で類型的な場面ばかりが浮いていて、感動にはほど遠い代物だった。
エレファント4/22シネセゾン渋谷監督/ガス・ヴァン・サント脚本/ガス・ヴァン・サント
「ボーリング・フォー・コロンバイン」と同じ、コロンバイン高校での銃乱射事件をモチーフにした映画だ。映画は、殺害された高校生、そして、銃を乱射した高校生一人ひとりを追うように描かれていく。あたかも各人が主人公のドラマを見るように、だ。高校生たちが校内ですれ違ったりする場面も、それぞれの視点から描かれる。だから、時制がズレて描かれる。そして、生徒たちが交錯する瞬間は、個々の生徒たちにとって別の意味をもっていることがつたわってくる。そうやって、わずかな接点が次第に明らかになって行くに連れ、生徒たちの距離感や空間が認識されていく。このつくりは、主人公がいて脇役がいて、ドラマを演出するというフツーの映画とは違って、とても客観的で冷徹なまなざしに感じられた。なぜかというと、ほとんど演出がされていないからだ。いや、演出されていないように綿密に演出されている、といった方がいいかも知れない。つまり、つくりものじみていない、っていうことだ。
ここでは、だれそれの大切な人生が失われたとか、ひどいことをされたとか、可哀想でしょう? とか、そういう被害者の立場から同情をかうような演技や会話がひとつもなされない。あくまで淡々と、生徒たちは日常的な行動を繰り広げている。とくにドラマチックに演出していることはない。だからこそ、なのだけれど、いとも簡単に生が寸断されることの呆気なさが、とてもリアルに表現されてしまっている。恐ろしいくらいだ。声高に、犯人の生徒はこういうことが原因で、こんないけないことをしてしまいました・・・的な解釈も、また、その押しつけもされていない。見せられるのは、淡々とした事実、のように見える映像である。もし、現実にカメラがコロンバイン高校の有様を生徒たちに知られずに撮影することができたら、こんな具合だったのかもな、と思えるような映像だ。もちろん事実ではないことは確かだけれど。もちろんそれは、ドキュメンタリータッチというのとは、違う。やはりそれは映画であり、カメラは動いていて、俳優は演出家の指示の通りに動いている。いわば、つくられた客観性、だ。そうした映像の積み重ねが、新鮮。
クレジットを見ていたら、役名と役者名が同じケースが多かった。それでWebページをみたら、どうも本物の高校生を使っているらしい。それにしては自然に演技していて、リアルだった。
エレファントとは、なんだろう。犯人のひとりの部屋の壁に象の絵が貼ってあったけれど、直接関係するのはあれだけ? 犯罪の原因は、いじめのようにも描かれていたけれど、現実はどうだったのかな。などと考えるが、読み解きは分からない。それに、監督のメッセージというのも、「ボーリング・フォー・コロンバイン」のように明確ではない。けれど、心に残るものは深い。突き放したような、そして、過剰な血糊やアクションがないからこそ、かえって現実の恐ろしさが強調されているような気がする。スクリーンはスタンダードサイズ。その真四角のような画面が、すごく広く感じられるのだった。
イン・アメリカ/三つの小さな願い事4/24ギンレイホール監督/ジム・シェリダン 脚本/ジム・シェリダン、ナオミ・シェリダン、カースティン・シェリダン
アイルランドから不法移民してきた家族が、ニューヨークに住んで苦労する話。って書くと、なんか身も蓋もない感じがするが。華やかなアメリカのアンダーグラウンドの世界ともいえる話だ。しかし、世間で言われているほどに感動的な映画ではなかったよ。ってーのは、たぶん、アイルランドのカトリックっていうのが大きいんじゃなかろうか。キリスト教に生活が支えられている社会。それと日本の無宗教性のズレが、感動よりも首をひねるような行動様式に現れているように思った。それは、主題である死んだ子供に対する贖罪意識と、そこからの解放に強く現れている。その子供は、幼くして脳腫瘍を患っていて、その子供がたまたま階段から落ちて死んだという事故だ。その事故がトラウマになって「責任は夫にある」と錯乱して叫んだり、くよくよと悩んでいる。そりゃあ辛いことだろう。けれど、フツーの日本人ならそこまで拘泥しないんじゃないのかな。それと、新しく生まれる命に関してだ。ここでは母胎が危ないか子供が危ないかの選択を迫られることになる。日本なら、堕胎するか否かで悩む夫婦、っていうのが一般的だろうと思う。リスクを最小限にするのが考えられる選択だからだ。ところが夫婦はそんなことはお構いなし。入院費用やなんやかんやで300万以上の費用がかかるっていうのに、払いのことなど二の次。まあ、結局のところ母子ともに安泰で、費用も第三者が払ってくれるという都合のよい結末になるのが、映画だなあと思わざるを得ないよな。堕胎が禁止されているカトリックだから当然なんだろうけど、日本人としては合理性が見つけられず、感情移入できなかった。
貧乏なのにモノにこだわり、金遣いが荒いのも気になったところ。エンドレステープでも入っているのか、ずっとビデオを撮りつづける長女。暑いからとエアコンを取り付けようとする父親。E.T.人形をとるために、部屋代を賭けて縁日でがんばってしまう父親。しょっちゅうレストランに入り浸りの姉妹。姉妹をカソリックの学校に入れてしまう両親。なんか、身の程知らずの生活をしてないか? と、疑問符がついてしまうぞ。おい、もっとつましい生活をしろ、と言いたかった。
ラスト。月を見上げながら父親が、死んだ黒人にサヨナラを言おうと子供たちにいう。妹は見えないよ、という。姉が、いるわよ、という。そして、姉が、死んだ弟にもサヨナラをいおう、という。まあ、ここはE.T.に引っかけて、泣かせようという魂胆なのだろう。けど、この姉が10歳ぐらいなのに、小賢しいと感じられてしまう。両親が子供の死から解放されていないのをちゃんと理解していて、その解放を促すようなことをいうんだぜ。ちょっと生意気すぎないか?
で、分からなかったところはというと。ハロウィンの仮装パーティで「他の人はコスチュームだ・・・」といってがっかりする理由が分からなかった。近くの部屋の黒人が死んだ後に、医療費が支払われている理由。本人は病床なのに、どうやって金額や振込先を知ったのだ? 妹の方が夜中に父親を見て「パパじゃない」と言うのはなぜ? とかね。分かりにくい部分も多い。入院している妻が夫に「坊やが死んだのはあなたのせい」といって錯乱したときは、こりゃ気が触れたかと思ったりもしたし。いや、どーも、全体のトーンが統一されておらず、散漫な感じもしたなあ。というわけで、感情移入できなかったし、泣けなかった。それにしても、アイルランドってのは、アメリカに不法移民しなくちゃならないほど貧乏で未来がない国なのか?
ワイルド・フラワーズ4/29テアトル池袋監督/小松隆志脚本/EN(榎本憲男)
いい試合だった。もとい。いい映画だった。もっとも、最初の頃は「?」の部分も少しあった。リングの上での死、研修医の誘拐、変態上司に迫られるOL・・・。描写もたどたどしくて、これはどうなることかと思っていたのだけれど、主な登場人物があらかたそろい、研修医改め新社長が徐々に女子プロ興行に入れ込み始める頃から物語は俄然面白くなってくる。そして、冒頭の部分もちゃあんと意味をもっていたのだなと納得させてくれる。いや、全編ムダのない脚本なのだ、これが。とてもよくできあがっている。
実をいえば女子プロはほとんど興味がない。だから、主人公である桐島&中島コンビは役者だろうな、ぐらいに思っていた程度。まあ、見ていれば、その他のレスラーがプロらしいのは分かった。けど、中島役の石川美津穂までがプロとは知らなかった。うーむ。女子プロの面々はみな演技が上手いではないか。しかも、その他大勢が、とても上手い。しかも、それぞれにちゃんとキャラクターづくりがされているのが見事。この人物造形は、レフェリー、会計、リングアナまで行なわれていて、お話にかなりの厚みを加えている。もちろん、ライバル団体の社長である麿赤児も素晴らしい。すべての人物に配慮がされているのだ。もっとも、ライバル団体のコンビが本当のプロ(キューティ鈴木と東城えみ)というのは知らなかった。それはこちらの知識が足りなかったということ。でも、それでもまったく問題なく楽しめた。いや、これが女子プロに少しでも詳しければ、何倍も面白く見られたことだろう。ちょっと悔しい。
話は単純。人気レスラーがいな団体(ガリンペイロってのが笑わせる。これ、テアトル池袋の日本映画発掘団体の名前だからな)の女社長が早世する。遺言には「息子を新社長に」とあった。そこで社員レスラーたちは、息子である研修医の細谷をむりやり新社長に擁立。時期を同じくして、元OLの桐島と、喧嘩っ早い中島がガリンペイロに入門。社長は女子プロに目覚め、桐島&中島コンビはスターダムにのし上がっていくという、定番の成り上がり物語だ。だが、この主役格3人の成長の様子が、実直に描かれているのである。決して手際よくはないけれど、確実に描写されていく。さらに、女子プロ団体の確執や試合の筋書きづくり、八百長ではないショーへの誇りとか、女子プロの実情や内情まで描かれている。こういう丁寧さこそ、好感がもてる大きな理由だと思う。さらに特筆すべきは、試合シーンの迫力だな。これはもうテレビの実況中継より迫力がある。しかも、映画的演出があるというようにもあまり見えない。上手いのだよ、なかなか。
ラスト。ライバル団体との結線の途中、突然、海が画面に現れる。これが、新社長細谷の気持ちをなかなかに上手く表しているのだ。さらに細谷の母親の遺言がナレーションがかぶるのだけど、これも感動的。いや、なかなかツボをついてくるのだ。最後は感動的で、涙までにじんできてしまった。笑わせて、感動させて、泣かせて。うーむ。素晴らしい。桐島役の鈴木美妃も可愛いし。いや、その他大勢の逞しかったりするレスラーの女の子たちすべてが、可愛く見えてきたぞ。いや、よかった。

 
 

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