2004年5月

キル・ビル Vol.25/1上野松竹セントラル4監督/クエンティン・タランティーノ脚本/クエンティン・タランティーノ
うわー。つまんねえ。眠気を追い払いながら見通すのがやっとのこらさだった。とくに前半がつまらない。教会での惨殺事件の顛末の説明とかビルの弟のことだとか、ちょっと説明がくどすぎやしないか。さらに、ユマがビル弟にあっけなくやられるのも興ざめ。香港映画のパロディ(オマージュか?)にはちょっと笑った。故意に荒い画像とズームアップ効果が、なんともカンフー映画だね。で、脱出劇のあとは、ビル弟+片目女+ユマの大活劇で楽しい。けれど、その後がまた、たらたらと説明ばかりでくどい。最後のビルとの対決は、呆気なさ過ぎやしないか? というわけで、統一性もなく、なんか、だらーんとした後半だった。内容は、1/3もあれば十分なんじゃないか。あえて前後編にしないで、前半とつなげて尺をつまんだほうがよかったような気がする。
ビルが弟に「×××」と、ユマの名前にピー音をかぶせるのは、どういうことだ? 中国人の師匠は西暦1003年の人かと思ったら、ユマや片目女の武術の師匠なのだね。その、片目女はビルをも裏切っているわけだが、その顛末はどうなっとるのかな? ラスト。ユマを迎えにきたクルマを運転していた男は誰なんだ? 「恨み節」に字幕はいらんだろ。エンドクレジットがやたら長いな。メインキャストの紹介のあともだらだらと、何度も同じようなことをクレジットしているような気がしたぞ。というわけで、なんとか寝ないで見たけど、つまんなかった。
連休の谷間の土曜日の映画サービスデー。70席足らずの小屋は満員。この小屋のスクリーンは汚いから嫌いだ。
スクール・オブ・ロック5/3テアトルダイヤ監督/リチャード・リンクレイター脚本/マイク・ホワイト
いやー。笑って感動して、最後は泣かされてしまった。ハイテンションで1時間50分かっとばしてタルイところはまったくない。全編イケイケノリノリの快作。教員未経験者が私立の学校へ行って教室で楽器を鳴らして発見されないはずがないのだけれど、そういう疑問はこの際、一切関係ない。厳格な私立小学校で、ロックを知らない小学生たちにロックを刷り込み、バンドを結成させてしまうくだりが拍手喝采。生徒たちもはじめは疑問だらけだけれど、感化されていく様子が面白い。楽器をこなす面々やコーラスの3人、こまっしゃくれたマネージャーまで、みんな可愛いい子供ばっかりだ。子供相手に、こういうバカげたことをやってしまう先生というのも、いかにもいそうな気がする。人生すべてロック? 
で、バンドコンテストに乗り込んで題名にもなっている"スクール・オブ・ロック"はもう感動。涙までにじんできてしまった。いや、楽しかった。最高だ。
フォーチュン・クッキー5/7上野東急2監督/マーク・ウォーターズ脚本/ヘザー・ハッチ
原題は"Freaky Friday"。母親と娘、その肉体と心が入れ替わるという物語。そういえば、日本でも何年か前に浅野温子が母親役でそんなテレビドラマがあったなあ。でも、1976年にジョディ・フォスター主演でつくられた「フリーキー・フライデー」のリメイクらしい。日本がパクったのね。
噺は単純すぎるぐらい単純なのだけれど、物語のテンポがいいので、こちらの気持ちも緩むことなく楽しめた。知的で小うるさい精神分析医の母親。ロックと男の子に夢中で、性格ズボラな15歳の娘。この典型的な人物設定が話を分かりやすくしているね。手垢が付いていそうな設定なんだけど、そう思わせないところが見事。細かなことを丁寧に書き込んである脚本の力も大きいが、役者の力も無視できないと思う。大して美人じゃない母親と、若干肉がつきすぎでそばかすだらけの娘、ってのもよかったかも。等身大に近いからなね。脇役も、魅力的。こまっしゃくれた弟や、耳の遠い爺さん、母親の結婚相手、娘の彼氏、娘の仲良し友だち。みんな味がでていた。なかでも面白いのが、娘に意地悪をする同級生だ。小さい頃は仲良しだったのが、いまや犬猿の仲。どつきあったり、仲直りのメモを見せるフリして「カンニングしてます!」と教師にチクるとこなんか、なかなか頭脳プレー。でも、いるよな、こういうの。成長するに連れて遊び仲間のグループが変わっていき、対立したりするようなのって。
楽器が演奏できない母親(外見は娘)がステージに上がり、あたふたしていると、舞台の下手に娘(外見は母親いいがギターを抱えてスタンバイ。代わりに演奏するシーンは、ちょっと感動的だった。英語がわかれば、もっと面白いに違いない。親子の物言いの違いが、字幕ではほとんど表現されないってことだ。この口調まで変わる面白さが理解できたら、もっと爆笑ものだったろう。あと、気になったのは、娘(中身は母親)が受けた試験の成績。いったい合格ラインに達していたのか? ちょっと知りたかった。
犬と歩けば チロリとタムラ5/11新宿武蔵野館3監督/篠崎誠脚本/七里圭
篠崎誠は「忘れられぬ人々」を見ただけだけれど、それほど下手な監督という印象はなかった。だが、この映画ではどうしようもない映像しか見せていない。気の入っていない投げやりな画像。間の悪い編集。見ていて疲れるだけだった。っていうか、この映画、セラピードック協会から資本が出ていて「ひとつPR映画をつくってくれや」と頼まれて、まあ映画が撮れることだしと、気乗りしないままつくったのじゃないかと勘ぐってしまうほどのいい加減さだ。だって中身の半分はセラピードックについてのなんだもん。でその協会長ってのが素のままででてくるんだけど、下手なセリフで本人だけがご機嫌になっているとしか思えない印象。会長室にはセラピードックに関するポスターが貼られ、わけの分からん賞状やメダル、トロフィーがずらずら。なんだこいつは、と思ってみたら、この大木トオルという人は国際的なブルース歌手とでていた。ふーん。金の出所は、ここか。それにしても、協会の狭い庭で訓練したり、どっかの小学校の体育館で行なわれた大会を映したり、なんか、手軽に済ませているなあ。これも、協会からの要請なのか、安上がりにしようとしての方策なのか、よく分からんが。
動物の扱いもつまらない。コンビニからでてきていきなり犬と仲良くなってしまうんだけど、もうちょっとドラマをつくれよ。犬がでてくるのはいいけど、交流する部分がほとんど描かれていないじゃないか。これは、脚本が悪い。もちろん、そういう脚本通り撮っているとしたら、監督も悪い。
犬以外に人間も出てくるのだけれど、これが単純すぎるような話で。同棲中の男女。女の方が母親の病気と妹の自閉症で帰省。残された男が宿無しになって捨て犬と出会うというもの。この、冒頭の話の流れが分かりにくいのなんの。見ていてイライラ。腹立たしくなってしまった。別れるところから始めるより、同棲中の齟齬などを見せつつ田舎から母親病気の連絡が入り・・・という流れの方がいいと思うがね。でないと、2人の関係や、なぜ帰省するかがずうっと、30分過ぎるぐらいまで見ないと分からない。さらに。捨てられる男だけれど、これがどうしようもない男で。これなら捨てられるのも当たり前って設定なんだけど、いやまて、こんな男とよくもまあ同棲していられたなという印象の方が強かったりするのだよ。たんなるバカじゃん、この男。これじゃ、全然感情移入はできないよ。さらに、彼女の方には田舎に自閉症の妹がいるんだけど(彼女の聴く音楽がドノバンとドアーズって、おいおい、いつの話だ。しかも、読むのは夢野久作と京極夏彦かよ。何を考えているんだ?)、こういうビョーキの子供をだしておけば社会問題をとりあげています的な免罪符になるだろうという考えが見え見え。突っ込んだ描かれ方が全くされていないことからも、分かる。さらに。男がセラピードック協会に拾われて犬を調教し始める・・・とあれば、のちのち彼女の母親を含む家族の癒しになる、というラストも見え見え。面白くも何ともない。せいぜい、ラストで幼なじみの田村君と再会する下りで、ちょっと笑えた程度だぜ。ああ、つまらなかった。
かげろう5/19ギンレイホール監督/アンドレ・テシネ脚本/アンドレ・テシネ
意外な展開と、わけの分からない人物の行動。そして、尻切れトンボ。いかにもフランス映画だねえ。
奥さんが少年と関係する・・・というのは予告で知っていた。だから、そんなもんだろうと思っていたら、巻頭の空爆シーンには驚いた。本物の単発機が低空飛行で爆弾を落とす。これがなかなかリアルで迫力あるのだ。で、母親と子供2人が、怪しい少年17歳と出会う。さて、どうなるんだ? と思っていたら、戦争中に人知れず佇む洋館での奇妙な生活へと入っていく。ううむ。閉鎖的な環境に追い込むというのは設定としては分かるが、ちょっと妖しさが足りないな。で、母親と少年はなかなか乱れていきそうもない。どうなってんだ。話がもたもた展開がなくなってつまんねえなと思い始めた頃、ドイツ軍に破れたフランス兵士2人がやってきて・・・。なにかあるかと思ったら、なにもない。何もない代わりに、兵士に料理を食べさせたあとの母親の股間が急に少年を求め始めて、少年にからみついて・・・(少年は、女の裸にさわるのは初めてだ、っていってるくせに、背面攻撃をしたいっていうんだよな。で、母親は、そういうの初めて、って喜んだりする。ううむ。少年は感化院で年下の子供の尻の穴をよく利用していたのかね)。なんでそうなるの? いや、ちょっと前に少年が母親に「妻になれ」と命令するシーンがあって伏線にはなっているんだけど、それって唐突すぎるだろ。いやいや。そもそも少年は母親を閉鎖的空間に閉じ込めようと企んでいたのだ。電話線を切ってラジオを隠して、と。まあ、感化院から逃げてきたことを隠そうとしてのことなんだろう。けど、戦場がどーのこーのと偉そうに言ってた割には、することが間抜けではないかい。もっと逃げればいいのに、なんでまた子連れの母親とのひとときの休息を選んだんだ? いやいや。結局、警察に捕まって、ついには自殺してしまうという少年の行動は、いったい何に根ざしているのだ? わかんねえよ。いやあ、なかなかにフランス映画。わけがわからん。もうちょいと、戦場の中にあって世間から隔絶された奇妙な空間性がでていれば、もっとよかったと思うが。エマニュエル・ベアールが、代役も使わず胸や尻をだしてくれて、なかなかよかった。しかし、爆撃のあとで服が濡れていることを指摘されて「小便ちびったの」と初対面の少年に素直に話したりするのは「?」だよね。を。
私の小さな楽園5/19ギンレイホール監督/アンドルーチャ・ワディントン脚本/エレナ・ソアレス
「お腹の子供だって、町内の若い衆がよってたかって・・・」ってな内容だけれど、面白くも何ともない。つまりまあ、女1人に男3人が共同生活をして、父親の違う子供を産んでいくという話で、こういう落語的な話には笑いやあっけらかんとしたサゲが必要なんだけど、そういう洒落の部分があんまりないんだよなあ。もちろんシリアスに演出されているわけではないのだけれど、バカバカしさが足りなさすぎるんだよ。お伽噺なんだから、そういう風に撮らなくちゃ。たとえばクストリッツァの「黒猫・白猫」のように、だ。
それと、役者がなあ。こういう雰囲気が好きなむきもあろうが、わたしゃダメだ。嶋田久作みたいな容貌魁偉な女が主人公なんだぜ。亭主は60過ぎのジジイみたいで、同居しているのがその従兄弟でこれもジジイ。転がり込んでくる若い男も40歳ぐらいに見える。平均年齢が高すぎるって。んでもって、なんでこんな不細工な女に翻弄されているのか、ってところに説得力がない。つまらなかつた証拠に、始まって15分ぐらいして熟睡してしまった。どのぐらい寝たのかな。10〜20分ぐらい寝たのかな。そうそう。女がなぜウェディング姿で村をでて、どうやって子供を産んで帰ってきたのかが分からなかった。さらに、帰ってきていきなりプロポーズを受け入れるのかも分からない。夫の従兄弟がどういうことで転がり込んできたんだ? これは、寝ているときなのかな? うーむ。そういうところも、いまひとつ。そして、ラスト(サゲ)も、夫がすべての子供を自分の子供として認知するというもので、だからどうした!! ってなもんだよね。ああ、そういえば、夫の本当の子供はいないってことだよなあ。ううむ。
純愛中毒5/20新宿武蔵野館2監督/パク・ヨンフン脚本/ピョン・ウォンミ、ソン・ミノ
兄は工芸家。弟はレーサー。兄には美しい妻がいて、弟には女友達がいて、彼女は一方的に弟に恋心を抱いている。兄と弟は、ある日、同じ時間に自動車事故。1年後、昏睡状態から弟が気がつくと、外見は弟でも意識は兄という状態になっていた。
ってな話だが。いろいろとムリがありすぎ。弟は、意識が戻っても自分が誰と告げないでいるのだよ。この不自然さは、のちのちの伏線ではあるのだろうけれど、医者も兄の妻も、いろいろ話をしていれば意識状態が誰なのか気づくだろうに。それを曖昧に誤魔化そうとしているとしか思えない。弟は、かなり時間が経ってから「兄が昏睡状態でいる」ことを娘から知らされる。これも変だよなあ。弟が目覚めたら、さっさと「お兄さんも・・・」とフツー説明するだろ。それに、兄が死んだか生きているか、それを把握しないで、兄が乗り移ったフリをするっていうのも、ムリな話だと思うぞ。
へんな所はまだまだある。弟は、兄夫婦のすべてを知っていたから兄になりすませたというが。テーブル上でのセックスのことだの何だのかんだの、事細かに弟にバラす兄弟がいるか? 何もかも弟に話している夫なんか、不気味でしょうがないと思うがな。結婚3年目でべたべたと家庭内文通している夫婦っていうのも気味が悪いだろ。で。結局、意識は兄のまま兄嫁と結婚生活をはじめてしまうわけだけれど、社会的環境はどう片をつけているのだ? 再婚したのか? 子供ができるんだから、それぐらいなんとかしているんだろうな? 兄の名前で個展をして、世間の人はなんとも思わないのか? 親戚は? レース仲間は? 兄嫁もひどい女だなあ。実際の夫が昏睡状態で生きているっていうのに、義弟のいうことを真に受けて身を許してしまう。あまつさえ、夫の脳死状態に終止符をうつ決断までしてしまう。あな恐ろしや。目先のチンポコによろめいてしまったのかい? このあたり、尋常では納得できない流れだぞ。
兄嫁が、義弟の嘘に気づく部分が分かりにくい。弟にふられた娘が、こわれたままの兄嫁のネックレスを発見する。それで、どうして義弟の嘘がみぬけるんだ? わかんないよ。だいたい、娘はあれが兄嫁のネックレスで、壊れたのを夫に頼んでいたっていうの、知っているんだっけ? ううむ。分からない。といった具合で、見ながら違和感ばかり感じていた。これじゃ物語が楽しめるわけがない。最初のうちは、稚拙な映画だなあと見ていただけだったけれど、事故があってからの物語はちっとも面白くなく、眠気をこらえるのがやっとだった。実は、なりすましだったというオチはあるものの、そこまで引っ張る力がなさすぎ。兄嫁と義弟の、どろどろと墜ちていく描写でもあれば別なんだろうけど、だらーんと間延びした映像はあくびがでるだけだ。
ラストの、弟はなりすましていた、ということを明らかにするシーン(骨粉を海に撒くところ)は、余計だ。広末涼子の「秘密」のように、曖昧でしたたかで不気味なまま終わらせた方が深みが出るはず。
病院で、医師が白衣を椅子の背もたれにかけているのは、韓国の日常風景なのか。なんかダサイなあ。カーレースは韓国内の試合という設定だけれど、車体や横断幕には韓国内の架空の企業名(?)かハングルしか書かれていないのが変。レースは迫力もないしいまひとつ。日本の商品は、キヤノンのEOSがでてきたぐらいかな。弟を追っかけている娘役の女優が、魅力的だった。笹峯愛と知念里奈と田中麗奈を合わせたみたいで、可愛いねえ。でもって兄役の俳優が内藤陳にそっくりなのだが、こういうところを見ると、韓国人の美醜に対する価値観がよく理解できなかったりするのである。
ジャンプ5/26テアトル新宿監督/竹下昌男脚本/井上由美子
これは、ラストを知ると、ホラーだということが分かる。いやその。佐藤正午の原作は数年前に読んでいて、大筋は分かっていた。けど、牧瀬里穂の役回りとオチは忘れていた。だからまあ、原作を読んでいても楽しめたのだけどね。
映画は割と原作に忠実な様子。出来事をひとつひとつ丁寧に積み重ねていき、薄皮を一枚一枚剥がすようにして物語が進んでいく。過剰な演出もなく、舌足らずなところもなく、じっくり迫ってくる。その映画づくりの姿勢に共感。主人公の原田泰造が、どこにでもいるフツーの青年なのがいいのかも。この役をれっきとした二枚目男優が演じたら、とても嘘っぽくみえるだろうけど。根は真面目だけど人並みに疑り深くて、仕事もするけれどうじうじしたところもあったり、上司からみたら何を考えているか分からない今時の青年が、親近感をもって登場していた。恋人役の笛木優子は、ちょっと存在感が薄い気がするけれど、それはそれでこの役には合っているのかも。そんな中で牧瀬里穂だけが目立って濃い。これが不気味だったが・・・。
九州のショールーム候補地を選ぶところで「ウォシュレット」と言葉に出しているんだから、TOTOの社内とかショールームを実際に使えばいいのに(クレジットにはTOTOとでていた)、社内の様子がかなりしょぼい。ドアに貼られている部課の表示とかね。それから、原田が牧瀬に香水を渡すシーンでは、通行者がみな振り返ってみていた。きっと隠し撮りをしていたのだろう。他にも雑踏の中のシーンで、隠し撮りらしいところがあった。ちょっと気にかかってしまう。原田が歩くシーンではカメラが手持ちになる。カメラマンの膝の動きとともにカクカクと上下するのも、なんか気になった。
それと、ストーリーの上でも気になる部分がある。みはるは「何度か連絡した」といいつつ留守録に入れていないのは不自然だ。彼女が会社を辞めるのに電話一本というのも、彼女の人間性を疑ってしまう。こういう、不自然な部分は、脚本段階で修正すればいいのに、原作にしたがったままなのかな。画面に対するきめ細かな心配りが感じられる部分が多かったのに、そうじゃないシーンもあったのが残念。
[追記]気になったので原作を斜め読みしてみた。牧瀬里穂の役回りに覚えがなかったのも道理だ。映画ほど出ずっぱりではなく、影の女として描かれていた。それに、原田は笛木とつきあいながらも、昔の女である牧瀬とずるずるつきあっていたのだよ。笛木に目撃されたのも、ホテルでたまたまという状況ではなく、昔の女に呼び出されて食事中ってな設定だ。原作では、原田は過去の女と手の切れていないずるくて嫌なヤツ、という印象だ。それが、映画ではお人好しでいいヤツに変えられている。牧瀬は、原作ではちょっと魅力的な女に描かれているけれど、映画では深情けの怖い女になっちゃってる。ホラーだと感じたのは、このせいだったのだろう。まあ、だからって映画が悪いってわけじゃない。ニュアンスを断ち切って分かりやすくしているという意味では、正解なのだろう。女に逃げられた可哀想な男を描くには、こういう修正が必要だったんだろうなと思う。
ヒューマン・キャッチャー5/26シネマミラノ監督/ビクター・サルヴァ脚本/ビクター・サルヴァ
原題は"Jeepeers Creepeers II"で、あのお笑いホラーの続編だ。前作は、前半はなんとか不気味感を維持していたけれど、後半になると地獄のコウモリの実態そのものが登場して、ちっとも怖くなかった。いや、笑っちまった。が、邦題「ヒューマン・キャッチャー」と題された続編では初っぱなから実態が登場。ぜーんぜん怖くないどころか、くすくす笑いっぱなし。それにしても、得体の知れない怖さが理解できず、こんな張りぼての悪魔の方が怖いというアメリカ人って、どーゆー頭の構造をしているんだか。
テアトル新宿から歌舞伎町に向かい、吉野家で豚丼をかっこんですぐにシネマミラノ。食べると眠くなるのが常なのだけれど、映画が面白くなかったせいか、よくあくびが出た。ティーン向けのホラーといっても、芸がなさすぎだと思うぞ。幻覚を見る女の子が少しカワユイ系だったけど、出番が少なかったし。ううむ。
トロイ5/28新宿ミラノ座監督/ウォルフガング・ペーターゼン脚本/デヴィッド・ベニオフ
ウドの大木のような映画だった。あまりにも正攻法でひねりがなく、一本調子。芸がほとんどない。1960年代の超大作スペクタクルならいざ知らず、つまんないよ。似たような顔と衣装で、誰が誰やら分からなくなるんじゃないかと危惧したけれど、その心配もなかった。あまりにも単純すぎて、あくびが出るくらいだったからね。
大量の船団や兵士たちは、凄い。凄いけど、どうせCGだろうと思うから、どのあたりまでが実写で、どこから足しているのかな? なんて斜めに見てしまう。背景だってマットペイントCG合成だろうと思ってみるから、その凄さには入っていけない。ううむ、辛い。人間ドラマのかけらもない物語を2時間40分も見るのは苦痛だ! 王女たちも可愛くないしなあ。
こちとらギリシア神話も知らんので、トロイ戦争とはこんなもの? という思いで見ていたけれど、バカな戦争だ。っていうか、トロイの弟王子はバカそのものじゃないか。「戦争では若者が死に、年寄りが物語る」というセリフや「兵士には妻も子もある」という言葉が何度か聞かれたが、まったくその通り。でも、昔の戦争でそんなことを言ったやつがいるのか? ホメロスの叙事詩に、そんなことが書いてあるのか? っていうか、映画の製作者たちがつけ加えたんじゃないのかね。なんか、アメリカのイラン戦争と、その後の平定が上手くいってないことに対するメッセージのような気がするぞ。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|