2004年7月

シルミド7/1丸の内東映監督/カン・ウソク脚本/キム・ヒジェ
画面は荒いし演出は無骨だしで、テレビドラマのような、というか、30年ぐらい前の映画みたいな見てくれだ。前半などは戦意高揚映画のように素っ気なくドキュメントのような描写がつづき、後半になるとそのテンションは下がるのだけれど、視点は個々の登場人物にはあまり向けられない。ずっと集団劇のまま。というような、がさつな点の多い映画で、神経があまり行き届いていないところは、嫌いだ。じゃあつまらないかというと、そういうことはない。まるで、東映のヤクザ映画を見ているような高揚感と喪失感を感じることができる。訓練のシーンなどは本当に殴ったり蹴ったりしているみたいで恐ろしいし、北への侵入と金日成暗殺というリアリティも興味深い。ホント、目が離せない怒濤のような映画である。もうちょいと丁寧につくりこんでいったら、いい映画になるのになあ、とも思う。思うけれど、そんなことをしても荒々しさが削がれて、つまんないものになっちゃうかもなあ、なんて思ったりもする。
しかし、北も南も、とんでもない連中が権力を握っている国だな。互いに秘密部隊を組織して侵入し、国家元首の暗殺を目論むんだから。現代という時代にこんなことをやっちゃうのは、韓国・北朝鮮ならではないのか? さらに、こんなマンガみたいな計画を立てておいて、時が経って必要なくなったからと部隊の抹殺を命じてしまう権力者も権力者だな。いくら公にできないからって、何でもかんでも消し去ればいいってもんでもないだろうに。結局、被害者は末端の兵士や中間管理職、そして、民間人だったりするのだから。
あまりにも集団劇過ぎて、個人にあまり焦点が当たらないのがちょっと不満。そんな中で記憶に残るのが、教育隊長だな。つぎが、2人のいがみ合う班長。それから、少し禿げ上がって思慮深そうなオヤジ、兵士をかばう方の二曹ってとこかな。教育隊長を除いて、掘り下げ方は甘い。父が北に逃げた息子(班長の一人)なんか、冒頭ではヤクザの出入りが描かれるぐらい何だから、主役扱いでもいいと思うのだけれど、そうはならない。これは、あえて主役をつくらなず集団劇でいこう、と決めたのかも。母親の写真エピソードや指導兵との交流なんかも、そんなにべたべたしていないのはそのせいかな。それに、思慮深い兵士と、年下の指導兵なんかの交流もあった。あったけれど、特定少数しか描かれていないのが不満だ。もうちょいと個人を描き込んで欲しかった。
島での銃撃戦だけれど、教育隊長が兵士たちに故意に立ち聞きさせたとなっていた。すると、反乱が起こることを承知ということになるが、それは少し変だなあ。多くの指導兵のことは、どう考えていたんだ! ってなことになっちゃうじゃないか。
最後のバスでの突入のシーンでは、さっさと民間人を降ろせよと思ったのだった。
ションヤンの酒家7/7ギンレイホール監督/霍建起(フォ・ジェンチイ)脚本/思蕪(ス・ウ)
緒川たまきを妖しくしたような主人公ションヤンは、ちょっと魅力的。だからこそ、男ができないで場末の屋台で鴨の足を揚げたのを毎日売っている、っていう設定が納得できない。あんな色っぽかったら、男を手玉に取るなんて簡単だろうに。で、そんな彼女にすり寄ってくるのが、好色そうなハゲの中年オヤジ。これが知性のかけらも感じられないのだけれど、ションヤンはまんざらでもなさそう。っていうのがまた、納得できない設定。影がありそうでまったくないじゃないか、このションヤンは! ってなわけで、ミスキャストなんじゃないか?
ションヤンの家庭は複雑だ。しかも、それを冒頭にセリフでびゅんびゅん説明してしまうから、字幕を追うのが大変。画面を見る間もなく文字面から関係性を判断していかなくちゃならなかった。これが、辛い。やっぱり、セリフで説明するような映画はダメ映画だよなあ。
で、ションヤンは何が望みなんだ? 元の実家を取り戻すことか? 出て行った実父を、家族のもとにとりもどすことか? え? 仕合わせな結婚を夢見ている、なんて解説にはあったけど、そんな夢見る乙女にも見えなかったがね。それより、せいぜい25歳前後かと思っていたのが、35歳前後という設定なのに驚いた。見えないよ。どうみても、ちょっと妖しく、可愛い女の人だよなあ。
それはさておき、ドラマらしいものが何も起きない。いくらションヤンが魅力的でも、こちらの好奇心を刺激するところがまったくない。監督は「山の郵便配達」を撮った人らしい。この映画はテレビで見たが、父と子の関係がじわりと滲み出てくるよい映画であった。ところが、「ションヤンの酒家」でも、同じ様な手法で、ドラマらしいドラマを起こさないような映画にしてしまったようだ。都会が舞台で、どっちかっていったらすれっからしの都会っ子が主人公なのに、それじゃまずいだろ。というわけで、1時間に達するかどうかという時間には眠りに入ってしまい、2、30分寝てしまった。気がついたらションヤンが禿げオヤジとクルマに乗ってどっかへ向かっているところで、なんとその後には濡れ場もあったのだった。この女はバカか? と思ったのだった。こんな禿げオヤジと蜜月状態になるなんて。と思っていたら、禿げオヤジの正体はあっという間にバレてしまい、映画もさっさと終わってしまうのだった。
だからなんなんだ。つまんねえ映画だった。
いつか、きっと7/16新宿武蔵野館3監督/オリヴィエ・ダアン脚本/アニエス・フェスティエ=ダアン
毎度お馴染み成り行きまかせのフランス映画である。その曖昧で強引でいい加減な部分には、興味深いところも多い。けれど、この映画における主人公にはいささかの共感も同情も抱けないし、いたるところに辻褄の合わないところがありすぎる。というわけで、途中、主人公の過去に強く惹かれたことは事実だけれど、結局、ほとんど解き明かされもしない状況では納得がいく結果にはならなかった。
主人公シルヴィアは娼婦で、思春期になる娘と暮らしている。金のことでヤクザに責められているとき、娘がヤクザを刺殺。2人で逃亡の旅にでる。で、いろいろ起こるわけだ。最初は昔の娼婦仲間を頼るのだけれど、いまは堅気だからと断られる。で、その娼婦仲間のところにシルヴィア宛の手紙がきているというところで、話がひとつねじれる。手紙の主は、シルヴィアの元の亭主らしいのだ。しかも、2人の間に8歳の息子がいるってことが明かされる。で、今度はその元亭主の元を目指すんだが、なんで? だよな。実は、シルヴィアは子供を産んだ後分裂病にかかって病院に入っていたらしいということが、おいおい分かってくる。で、その過程が明瞭に示されるのかというと、そうじゃないのだよ。思わせぶりでテキトーにしか描かれない。それじゃ、見ている方はフラストレーションがたまるだけだろ。てな案配で、たまたまであったBMBの男も絡んで、話はご都合主義。ま、ご都合主義はフランス映画の特権だからいいんだけど、それにしてもいろいろツメが甘いんだよ。夫が勤めている製材所や昔の家の場所も記憶にありながら、目指していた町の役所のようなところで、夫の名前がでてこなかったり。昔の隣人に声をかけられて、誰か分からなかったり。BMBの男に自立するから金を貸せといい、どこに住むかといわれて元夫の住む町で働くといったり。精神病院を挟んだ時間に何があったのか説明がないし。息子にやるつもりで万引きしようとした熊の人形は、結局、もちかえってしまうし。それから、BMBの男は満期が近い罪人で24時間の出獄を許されてるっていうのに、逃げ回っているし。そういえば、仲間を殺しているような映像があったが、あれは、仮出獄の間に何かあったってことの示唆か? それとも過去のことか? 金を貸せといわれて大金が降ろせるっていうのは、なぜだ? 身分証明書はどうした? とかね。すごい、いい加減。それが、ひっかかってしまう。
シルヴィアは、過去から逃げてきた。その娘は犯罪から逃げる。男は、刑務所から逃げる。その3人が、家族のようになるわけだけれど、だから何なの? で、さて。シルヴィアにどういう過去があったか知らないが、ロクでもない人生であることは確か。なのに、自分を理解して欲しいと思いつづけているだけの我が儘な女としか見えない。どこに共感しろっていうんだ。ムリだね。娘が可哀想。元の亭主が迷惑がってるだろ。と、いらいらさせられるのだった。
なかなかフォトジェニックな映像がムダに多い。色彩に凝っているし、ライティングも面白い。けど、意味は不明だけど。手前に何かを置いて、それをなめるようなショットが多い。手前にあるのは、花が多いけれど、それは冒頭の花言葉と関係があるのか? 自分は立派な花屋になったかも、なんていってるところを見ると、シルヴィアの心情であるようだけれど、ああそうですかと納得するのは難しいな。音楽は、なかなかよかった。冒頭と、ラスト近くではカメラをハンディにして心の揺れを表現するなど、凝ってはいるのだけれど、だからなに? ってな気分でもある。
友引忌 -ともびき-7/16シネマミラノ監督/アン・ビョンギ脚本/アン・ビョンギ
何が何だかさっぱり分からない。無茶苦茶な映画だ。
韓国人の名前が似たような感じで分からないというのもあるけれど、もっと、基本的に無茶苦茶なところがある。過去から現在に描写が映っていたと思っていたら、いつのまにかもっと過去を描いていることが分かったりして。時制の移動に関して、表現がまだ追いついていない。異常な死がつづいているのに警察がでてこないとか。とにかく下手くそ。日本のホラーを表面的に模倣しているだけで、技法はレベル以下。怨念をもつ霊も意味なくですぎで、怖くなくなってくるし。つまんなかった。途中、寝てしまったぞ。
テッセラクト7/18シネセゾン渋谷監督/オキサイド・パン脚本/オキサイド・パン、パトリック・ニーテ
2次元は1次元の展開図、3次元は2次元の展開図、では、4次元は3次元の展開図・・・。ってな惹句があるのだけれど、それが全然働いていない。どこが4次元なんだ? 時制が戻ったり進んだり、ある場面を複数の視点から表したり、そういうことを指しているのか? だったら、他の映画でもさんざんやり尽くされていることで、とくに驚きはない。むしろ、ぐちゃぐちゃした話を整理して、フツーに近い映像手法で表現したほうがマシだったかも。とくに分かりにくいのが、マフィア集団と怪しい女性ライダーとの関係。女性ライダーが誰で、なぜ麻薬を奪おうとしたか、そして、どうなったのかをもっとハッキリと表現すべきだったろう。女性ライダーには男の協力者もいたんだよなあ。この女性ライダーの存在をちゃあんと描いていないと、ラストの(バカバカしい)サゲに意外性がなくなってしまう。結局のところ、目先の映像テクニックにばかり凝りすぎて、中身が薄くなってしまっているのだ。心理学者や盗癖のあるホテルの少年、その友人たちなんてのはキャラ的にも面白いのだから、そっちで膨らませればよかったと思う。いまどきもう、ああいう手法に頼るような映画は流行らないと思うぞ。
プロデューサーに日本人名がたくさんクレジットされていた。日本の企画なのかね、この映画は。
花咲ける騎士道(2003年版)7/24新宿武蔵野館3監督/ジェラール・クラヴジック脚本/リュック・ベッソン
実をいうと一ヵ月ほど前にテレビ放映された50年版を見てしまっていた。いくらリメイクだといっても多少は変わっているだろうと思ったのが大間違い。昔の脚本をほぼそのまま踏襲している映画だった。というわけで、ストーリーの上での目新しさは、なし。では、殺陣やアクションはどうかというと、これもワイヤーやCGを使っているわけでなく、ごくフツー。というわけで見どころは役者ということになるのだけれど、主演のヴァンサン・ペレーズは見終わってすぐ顔を忘れてしまうようなレベル。で、ヒロインのペネロペ・クルスだけど、ミスキャストじゃねえの。憎々しげだけれど愛らしい娘って役にはハマっていないだろ。年もいってるし。というわけで、個人的にはいまひとつだった。もっとも、胸の谷間がいっぱい出てくるところだけは、相変わらずで満足した。「花咲ける騎士道」「夜の騎士道」ともに昔はよくテレビで放映されていて、肩まで開いた上衣と胸の谷間だけはしっかりと覚えていたのだった。
シナリオを改変しなかったというのは、昔のシナリオのできがよかったからなんだろうか。それとも、変えようがなかった? ストーリーに破綻もなく、ラストまで突っ走る。もちろん、こんなんでいいのか軍隊の規律、とか、あんなに王様になれなれしいのってあり? とかあるけれど、それは映画としての誇張だからね。問題なし。どうせなら、アメリカあたりへの皮肉をもっと込めればよかったのに、とも思わないでもなかった。
世界の中心で、愛をさけぶ7/24テアトルダイア監督/行定勲脚本/行定勲
結局どこにも泣けなかった。泣きどころを外しているような印象すらあり。見え見えの純愛ドラマなんだけど、なんか思いを共有できないんだよなあ。過去の悲恋を忘れられない青年が、過去に引きずり込まれる形式をとっているのだけれど、よーく考えていくと、かなり偶然に左右されていることがわかる。現在の朔太郎が過去に引きずり込まれていくのは、結婚を間近に控える恋人・律子の行動によってである。新居に越すべく荷物を整理していた律子は、あるテープを発見する。それは、過去の、自分もよく分かっていなかった行動によって入手したものだった。それは、病床にあった少女が、当時の恋人(高校生の朔太郎)にあてた声のメッセージ。律子は、小学生の頃その運び人をやっていたのだった。少女の最期のメッセージを託された小学生の律子は、事故に遭ってテープを届けることができなかった。そのテープが手元に残ったままだということに気づいたのだ。で、そのテープを届けるために、結婚式の直前に郷里へと戻ってしまう。結婚相手の朔太郎にも黙って・・・。っていうのが発端。だけど、律子は朔太郎に黙って郷里へ戻るひつようがあったのか? ないだろう。だって、届ける相手が朔太郎であるとは気がついていなかったのだから。朔太郎が律子を発見するのが、台風のテレビ中継という偶然。過去のメッセンジャーだった律子が、朔太郎と恋人関係となる偶然。後半になるけれど、律子がシゲジイの経営する写真館にたどりつく偶然・・・。なんか、あまりにも偶然に支配されすぎで、うそだろ、と思ってしまう。
少年時代の朔太郎を演ずる森山未来って、パンチドランカーみたいに瞼が腫れ上がり、とても主役の器じゃない。端役の顔立ちだし、魅力ある役柄にも設定されていない。まあ、現在の朔太郎を演ずる大沢たかおに顔立ちが似ているから選ばれたのかも知れないけど。でもなあ。個人的にいうと、大沢たかおっていうのも、主役の顔立ちじゃないよなあ。で、朔太郎は同級生の亜紀とつきあいはじめるのだけれど、これが疑問の固まりだ。朔太郎にはなーんの特長もない。カッコイイわけでもなく、喧嘩が強いわけでもなく、不良でもなく、何かに打ち込んでいるわけでもなく、亜紀を何かで助けたわけでもない。なのに、亜紀の方から近づいてきてスクーターに乗せてくれといってくる。うそだろ。そんなことは、あり得ない。だから、少年時代の恋愛ごっこが嘘に見えてしまう。すらりと手足が長く、勉強ができてスポーツもできる。そんな娘が、あんな少年に接近する理由が、ない。まあ、100歩譲って。亜紀が自分の病気に気づき、高校時代に想い出をつくろうと誰かとつきあおうと決める。そのとき、つきあいたいなと思えるような少年として設定してくれよなあ、と思うのだ。でなきゃ、説得力がないだろ。
原作があるのだから、影響された映画を取り上げるのは変かも知れないが。亜紀の坊主姿は和泉聖治の「友情」を連想させた。それから、婚姻届と結婚式の写真は、「ウォーク・トゥ・リメンバー」を思わせた。そんなところも、話に入り切れなかった理由のひとつかも知れない。
亜紀役の長澤まさみは、可愛い。けど、正面からの顔は可愛いけど、横顔がいまひとつなので、横からのショットはやめておいた方がいいなと思ったぞ。それから。だれもいない学校に入っていく朔太郎と律子。おまえら、校内は土足厳禁だ。体育館に土足のままあがるとは何事だ。と怒りを感じたのだった。それと。朔太郎は、これまでに2度も墓泥棒をしたのかい? つねにゆらゆら動いてばかりのカメラは、ちとうるさい。小説が原作の割に、心に残る名文句もない。もっとも、いくつか金言のように埋め込まれてはいるのだけれど、なるほどと感心するデキではない。最大の欠点は、画質が悪いこと。
幸せになるためのイタリア語講座7/27ギンレイホール監督/ロネ・シェルフィグ脚本/ロネ・シェルフィグ
いきなりのスタンダードサイズにたまげた。珍しやデンマーク映画。演出がドキュメンタリーっぽい。ケン・ローチの「SWEET SIXTEEN」とか、こないだ見た「息子のまなざし」なんかに似てた。カメラがセリフにつられて動いたり、人物の動きを必要以上に追いかけたり、カメラ初心者のような意味のない突然のズームとか。カット尻が短くてつなぎが飛ぶような印象を受けたり。ちょっといらつく部分もあった。けれど、そういう技法はだんだん気にならなくなっていく。登場人物の行く末の方が気になってきてしまったからだ。
代理神父とぶきっちょなパン屋の女。サッカー選手崩れのレストラン主任と床屋の女。ホテルの受付係とイタリア人女給。この3組の男女を中心にさまざまなエピソードが交錯する。みんな貧乏で、とくに美男美女じゃなくて(サッカー選手くずれは例外?)、年も食ってるし、暗い過去や家庭をもった人々ばかり。それが、市が主催するイタリア語講座になんとなく集まって心を通わせていく。その話の自然さ、わざとらしさのなさがじわりと滲みてくる。人生模様の有り様は、「ラブ・アクチュアリー」が陽とすれば、こっちは陰。だけど、心に残る思いはひけをとらない。っていうか、最期は抱きしめたくなるような心地よさがやってくる。監督の、人物を見つめる眼差しは、優しく温かい。
パン屋の女と床屋の女との間に意外な関係が浮かび上がってきたりするのも、展開として興味深い。それから、脇の人たちもいい。辞めさせられた牧師、教会で働く元強盗のオバサン、看護婦、ホテルの上司。みんな癖があって物語を支えている。パン屋の女の父親と床屋の女の母親。この2人は癖がありすぎかな。
エンドクレジットがしゃれている。メモ用紙に手書きしたものがテーブルの上に重ねられていくのだが、味があっていいね。字幕のバックが白地だったりして、読みにくいところがあったのが残念。
実をいうと、冒頭の20分ぐらいを再度見た。最初に見ているときに前を人が何人も通り、集中できなかったせいだ。でも、それだけでなく、色んな要素が圧縮されて紹介されていて、よく分からなかったところがあったからでもある。1度通して見てからだと、冒頭の部分で主要登場人物が手際よく描かれているのがよく分かる。けれど、初めて見るときには、ちょっと戸惑うかもね。
スパニッシュ・アパートメント7/27ギンレイホール監督/セドリック・クラビッシュ脚本/セドリック・クラビッシュ
フランス・スペイン合作。話は単純。主人公は大学を卒業。父親の知人の経済関係(役所らしい)に勤めようとしたら、スペイン語を勉強してこいと言われてしまう。で、エラスムスという留学制度を利用して1年間バルセロナに行くことにした。現地で、各国留学生が1つの部屋をシェアしているのを知って、そこに共同で住む・・・というそれだけの話。学生たちと繰り広げる日常はそこそこ面白い。けれど、それだけで終わってしまう。離れて住むパリの彼女との別れ、バルセロナで知り合った人妻との情事なんてのもあるが、主人公が成長する様子もない。当地の大学での目標のようなものでも設定されていれば、まだ話は違ったかも知れない。けれど、そんなものもなく、遊びほうけるだけ。何も学んでいないように思える。で、1年後フランスに戻り、結局、就職しないで子供の頃からの夢だった作家をめざす・・・というオチはついているのだけれど、なぜそうなったかが示されていないから、説得力がない。
アパートでの生活は楽しそう。でも、もっとルームメイトたちを描くべきだろうな。英国娘には焦点が当たっていたけれど、あとはおざなり。他にも、常連になった喫茶店の兄ちゃんや可愛い女給、クラスメートとか、面白そうなキャラはいるのに描き切れていない。もったいないと思う。それから、ムダなコマ落としや画面分割は、うるさいだけだ。
キング・アーサー7/28上野東急監督/アントワーン・フークア脚本/デヴィッド・フランゾーニ、ネッド・ダウド
正統派の騎士物語で、堂々としているところが素晴らしい。しかし、だ。アーサー王物語って、こんなだっけ? たとえばアーサーはローマ帝国の部隊長みたいな感じに描かれているし(騎士の中にはモンゴル人の帽子みたいなのを被っているのもいたが、あれは何だ?)、円卓の騎士たちはまるで友達みたいに接してくる。もちろん宮殿に住んでいるわけではない。騎士の数は少ないし、エクスカリバーのエピソードもちょいとでてくるだけ。なんか変な感じ。どこがキングなんだよ、って突っ込みを入れたくなってしまう。まあでも、昔風のファンタジーたっぷりってな感じの物語よりリアリティがあって、しかも泥臭くて、それが、なかなかいいんだけどね。英国史に詳しくないので、登場する3〜4つの民族がどういう背景をもつのか、よく分からない。分からないから調べてみようかな、って気にさせる内容でもあった。
戦闘シーンは冒頭からたっぷりで、迫力いっぱい。最近流行のコマ落としっぽい表現だとか、細かくカット割りして誤魔化すということもない。首が飛んだり手が切り落とされることもない。そういう虚仮威しを使わずに、でも、がしっがしっと剣と剣が打ち合わされ、身体に当たる感じがよくつたわってきた。群衆も、少しはCG使っているのかな。でも、どーせCGと思わせない程度の使い方で、生の人間の感じがつよくつたわってきていた。
2時間ちょいの尺なので、一気呵成に見られるのだけれど、ちょっと物足りない部分はある。アーサーと騎士たちは、塀の向こうに住むローマ人を救えと命じられるのだけれど、「無謀だ」といいつつ呆気なくローマ人の住む場所までたどり着いてしまう。おいおい。もっと困難を設定してくれよ、と思ってしまう。他にもダイジェスト版を見ているような気分になるところがあったりして、ちょっと物足りない。ここはひとつ、前後編5時間ぐらいの長尺で見たい。そう思わせるような完成度の高さがかいま見られるのだ。そこが、ちょいともったいない。
ヒロインのキーラ・ナイトレイはぺちゃぱいだけど可愛いから許す。他に有名な俳優はでていない。けど、アーサー役のクライヴ・オーウェンは渋くてよかったな。ランスロット役はしょぼい。いやなにより、この映画、冒頭にランスロットの少年時代が描かれていたので、ランスロットは重要な位置を占めるんだろうなと思ったら、ぜーんぜんそんなことがなかった。これは、流れとして変だな。と、まあ、ツメが甘い部分が多少あるのだけれど、デキは悪くないと思うぞ。
ひとつ分からなかったのは、アーサーたちがローマ人を無事救って帰還したとき、ブリテン人の少年が誰かから指輪を盗むシーン。どういう意味があったのだろう?
で。感じたのは自由と民主主義に対する日本人と西洋人の考え方の違いだ。平等を旨とすることを心がけ、自分たちの自由を獲得するために夷狄=異教徒と戦ってきた西洋人。その戦いの歴史が、自由は獲得するものであるっていう思考の根底にあるんだろうな。日本のように、王座をめぐって同族親子兄弟が殺し合ってきたのとは違い、王は民衆のために身体を張って戦ってくれていたんだよな。それでこそ王族は民衆から敬われるんだろう。もちろん、ローマ人もブリテン人もサクソン人も、みんなそれぞれの正義のもとに自由を求めていたんだろうけどね。
マッハ!7/30上野東急2監督/プラッチャヤー・ピンゲーオ脚本/スパチャイ・シティアンポーンパン
痛い映画だ。冒頭の木登り競争で、バタバタ木から落ちる。あれがもう痛そう。その後ちょっと中だるみがあるけれど、あとは身体を張ったアクションの連続。怪我人続出ではないかと心配するぐらい。一番面白かったのは、オート三輪車のカーチェイスだな。スピードなんか出るはずないんだけど、それなりの迫力があって笑ってしまう。
ストーリーは単純すぎてつまらない。田舎出身なのに都会で夢を見るバカ息子が南伸坊に似ているのが笑えた。惜しむらくは、役者にあまり美男美女がいないことかな。ヒロインの女学生はキツネ顔。平たい顔の人が多いタイで、ああいう顔が人気なの? でも、もうちょい清純風なキャラにもっていけなかったのかな。ヒーローは寡黙すぎ。って、アクションは出来るけど役者はダメなのか? 
と、とりあえず誉めてはいるけれど、やっぱりストーリーが単純すぎるのと、身体を張ったアクションも慣れてくると「だからどうした」になってしまい、飽きてくる。実をいうとラスト近く、でかい大仏がでてくるクライマックスで、ちょい寝てしまった。やっぱ、少し考えるところがないと、ダメだなあ。アクションだけじゃ、物足りない。
エンドクレジットに付いてくるNG集が楽しい。本編よりメイキングの方が面白いんじゃないか?

 
 

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